TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

TDY, Temporary Duty パプアニューギニア編 8

2015年02月23日 | 旅行
 その翌朝、私は早く目が覚めた。洗面所に行くには、パプアニューギニア編の6でも述べたように、一旦バルコニーに出なければならない。外に出て朝の、まだ誰も吸っていない空気を胸一杯に吸い込んだ。洗面所に行きかけて、私は足を止めた。バルコニーの柵に干してあったクリスのバスタオルに大小の蛾が二匹とまっていた。その二匹でバスタオルの柄が見えないほどだった。小さい方の蛾でもA4判ぐらいの大きさはあった。その無気味さは例えようがなかった。その時、大きい方の蛾が羽を少し広げた。私はそれ以上前に進めなかった。タイにいる蛾が世界で一番大きいと云って、バンコクの街頭で標本にして売られているが、此の二匹に比べたら、あれはまるで子供の蛾であった。
 足がすくみ、その前を通れなかった。仕方なく、庭に出て椰子の木に掴まって失礼してしまった。ちゃんと土をかけておいたから大丈夫だったと思う。

 何食わぬ顔をして我が家に戻ってくると、幸いなことにクリスはまだ起きだしていなかった。ベッドに横になり、読みかけの本を読んでいると急に騒々しくなってきた。我が家のリビングルームにエイミーに連れられてきた子供たちが椅子やテーブルを隅にどかし、掃除を始めていた。想い出した、今日は日曜日であるので、此処が臨時の教会になるのだ。それで朝食はクリステンセン家で取る事になっていた。寝坊しているクリスを起こしに行った。昨夜、彼は自分で釣ったシーバスを肴にかなり飲んでいたのだ。私は刺身で食べたかったが、ワサビもお醤油もない。エイミーが油をたっぷりと使ってソテーしたシーバスを、体を動かすのが辛くなるほど食べた。新鮮な魚はどのように料理したものでも旨いと感じた。

 村から牧師がやってきて礼拝が始まった。牧師の説教は解りにくいパプアニューギニアの英語とウッドラーク島の言葉だった。讃美歌が歌われるときは、ローランド・クリステンセンが神妙な顔をしてアコーディオンで伴奏した。献金の袋が廻ってくると、最年長のラムが私の所にやって来た。「日本の人は沢山の献金をするんでしょう?お金に名前を書いておけば、誰の献金か神様にすぐわかります」と云って鉛筆を差し出した。まさか、紙幣に名前を書いて献金するなど、考えられなかった。隣で聞いていたクリスが笑いを堪えるために体をよじっていた。彼に鉛筆を差し出すと、「これ以上笑わせないで下さい」と云われた。

 礼拝が終ると、クリスは私を散歩に誘った。ローリーに断り、彼のピックアップトラックを借りた。私が助手席に乗ると、「村の人から聞いたのですが、ローリーは『社長』ではありません。此の黒檀の事業のオーナーは別にいるそうです。決して我々の前に姿を出しません」とクリスは不思議そうな顔をして私に情報を伝えた。ラバウルのレックス・グラッテージからはローランド・クリステンセンが全てを取り仕切っていると説明されていた。クリスもそのように聞いていたと云っていた。何故本当のオーナーが出てこないのか不思議ではあったが、それ以上は追及しないことにした。オーナーが誰でも、取引がスムースに行けばそれでいい。クリスも私と同じ考え方をした。
 殆ど道の無い所を森に向かって走った。これ以上車では進めなくなる所まで行き、そこからは森に向って歩いた。此処まで来て彼の目的がわかった。黒檀の若木を探しに来たのだ。根のある植物を日本国内に持ち込むときは厳重な検疫を受けなければならない。オーストラリアではどうなのだろう。


 森の入り口に何とか辿り着いたが、辺りに黒檀の木など見当たらなかった。もっと奥に入る必要があった。「昼間に蛾は出ませんよ!」と私を急き立てた。


 やっと見つけた黒檀の若木。それの上の方だけをちょん切ってきた。根がついていなければ(土がついていなければ)、オーストラリアでの検疫は緩やからしい。

 クリスが「昼間に蛾は出ませんよ!」と云っていた蛾が昼間に出た。クリステンセン家の山よりの庭を歩いているとき、何かを察して振り向くと、私の頭上を真っ白な大きな蛾が滑空していた。まるで音の出ないジェット戦闘機のようだった。A4の紙より大きいと感じた。そして、気持ちの悪い足まで見えた。敵はそのまま藪の中に消えたが、これからはヤシの木に掴まって失礼するときも辺りを注意してからでないと次の行動に移るべきでないと心に決めた。そして、なるべく木の下を歩かないことだ。

 私が貿易の仕事を辞めた後の事であるが、知り合いから頼まれてアメリカ海軍の業務の一部を引き受けている会社の手伝いをしたことがあった。アメリカ海軍は厚木の日本海軍航空隊基地を間借りしていると聞いていたが、行ってみると、日本海軍が間借りしているようにしか見えなかった。基地の外れにある滑走路はアメリカ海軍航空隊の飛行機が大部分で、日の丸のついた旅客機のような機体が時たま見えるだけで、どこに我が海軍航空隊の戦闘機かあるのか、全く見当がつかなかった。横須賀にアメリカの空母が入港すると、離発着訓練の為か頻繁に艦載機が飛んできては、飛び立っていった。艦載機の離発着が始ると、私の事務所内では普通の声では会話が出来なかった。それほどの騒音である。艦載機は馬力を重視するので、マフラー(消音機)を外してあるのではないかとさえ思った。
 厚木基地には整備工場が完備されており、そこの整備工場長を務めるアメリカの海軍少佐と仲良くなった。将校クラブで食事をしているとき、「俺の友人に蛾の収集家がいるんだ。その影響で俺も始めた」と云った。そんな気持ちの悪い話を食事中にするなと云いたかったが、彼は私が蛾に恐怖心を持っていることを知らない。「アフリカのマダガスカルに、世界最大の蛾がいるそうだ。一度友人と休暇を取って行ってみるつもりだ」と続けて云った。適当な理由をつけて、タイのアメリカ海軍基地まで軍の飛行機で無料で行けるらしい。そこからなら安くマダガスカルに行けると思うと云っていた。「俺、マダガスカルを相手に仕事をしてたんだ。だけど。そんなでかい蛾なんて見たことないぞ」と云うと、彼は不思議そうな顔をした。私がマダガスカルに通っていた間、大きな蛾に遭遇したことは一度もなかった。ただ運が良かっただけかもしれない。或いは大きな蛾のいる地域に行っていなかったからかもしれない。その話をし、パプアニューギニアのウッドラーク島の話をした。彼はがぜん興味を示した。「是非行きたい、お前さんも俺たちと一緒に行かないか?」と誘われた。冗談じゃない、あんな恐ろしい場所に、恐ろしい蛾を捕まえになんか行けるものか。私は聞こえない振りをした。
 その海軍少佐と知り合ったのは、私が横須賀基地から飛んできた艦載機の写真を熱心に撮っているときであった。彼は私がスパイしているのかと一瞬考えたそうだが、そうではないことを確信すると、何かと便宜を図ってくれた。以下にその時の写真の一部をご紹介したい。これも今までの写真と同様、印画紙に焼き付けられたものをデジカメの一眼レフで複写したものである。


 他の艦載機より機体がかなり大きかった。戦闘機ではなく、爆撃機なのであろうか。だが、戦闘機と同様に、駐機している間は翼を折りたたんでいた。


 見るからに戦闘機に見えた。形も上の写真と似ているようであったが、私にはよく分からない。マニアではないからである。機種はどうあれ、艦載機の写真を撮ればいいのであった。


 戦闘機と並び、機体の上に丸いアンテナをつけているのは情報収集のための艦載機であろうか?


 横須賀に入港した航空母艦から飛んできた艦載機の群れ。これだけ多く飛んでくれば付近の住人は相当に騒音に悩まされなければならない。

 海軍少佐は、一度私を戦闘機に乗せてくれると約束してくれたが、約束が果たされる前にヨーロッパに転属になってしまった。私が懇意にしていた日本人の従業員の話だと、彼は艦載機に乗せて貰ったことがると云っていた。然も、急降下して航空母艦に下りたそうだ。上空からはタバコの箱ぐらいにしか見えない航空母艦にどうやれば降りられるのかと不安だったそうだ。そしてすぐに急降下が始まり、凄い衝撃で着艦した。二度と乗りたくないと云っていた。だが、その話を聞いても、私は乗りたかった。

 パプアニューギニアと離れて恐縮だが、この厚木海軍航空隊基地の、日本の海軍自衛隊のことに触れたい。
 此の基地の自衛官とその建物の中に非常に興味があったが、民間人である私は中に入れない。それが、契約課に出入りしている若い中尉が、自衛隊に出入りしていることを知った。彼は連絡将校であった。「連れてって貰えないか」と頼むと、何の疑問も持たず、「毎週月曜日の13時(午後1時)に行きますから、一緒に行きましょう」と云ってくれた。
 入口から入ると直ぐに左手の大きな事務所に案内し、自衛官たちに「好奇心だけのオジさん」と私を紹介してくれた。隊員に笑顔で迎えられた。連絡将校は私を残し、事務所の奥に行ってしまった。机の上にあったパソコンを覗くと、スクリーン・セーバーが動いていた。ご存じの事と思うが、ブラウン管のディスプレーは長時間同じ画面を映していると焼跡が残ってしまう。それで「スクリーン・セーバー」と云うソフトを使って写真やイラストをディスプレー上に動かすのである。パソコンのメーカー独自のものもあるが、文字を自分で書き入れることも出来た。自衛官のパソコンには「全艦発進せよ!只今より攻撃に移る」と云う文字が流れていた。「随分勇ましいテロップだな」と云うと、その隊員は「我々はいつでも自衛艦に乗り、どこへでも行きます」と云った。そして続けた「我々は軍人です。ですから、国のために戦います。それで命を落とす覚悟は出来ています」。意外なことを聞き、私はより興味を覚えた。「大臣が、『お前の骨は俺が拾ってやる。お国のために尽くして来い』と云ってくれれば、我々はそのようにします。でも誰も云ってくれません」と云って寂しそうな顔をした。此の基地にいる自衛隊員は全員が「事務職」の筈である。彼だけかと思っていると、「少なくともこの事務所にいる隊員は全員がそのように考えています」と、じっと私の目を見て云った。何か、考えさせられるものがあった。

TDY, Temporary Duty パプアニューギニア編 7

2015年02月16日 | 旅行
 「ズーインのせっちゃん」と云う伝説の美人をご存じであろうか。或いはご記憶であろうか。新宿の要町(現在は新宿三丁目)の「どん底」の少し西側に「シャノアール」(Chat Noir、黒猫)と云う喫茶店があった。この喫茶店にはママさんをはじめとして美人が多かった。その中でも群を抜いて美人であったのが「せっちゃん」であった。本名は知らない。秋田美人の代表のような存在であった。彼女は非常に性格がよく、誰からも好かれていた。当時高校生であった私にとっては憧れの「お姉さん」であった。彼女は10円を「ジューエン」と云えず、「ズーイン」と云っていた。私ども悪ガキは、彼女に「ズーイン」と云わせるために、お釣りが10円になるように知恵を絞った。そして「ズーインのお釣りです」と云わせると非常に幸せな気分になった。憧れの「せっちゃん」を困らせたり、からかったりする気は毛頭なかった。ただ云わせたかったのだ。
 「ズーインのせっちゃん」のいる「シャノアール」は我々の癒しの場であった。ある5月の雨の日、店内は異常に寒かった。今のようにエアコンの暖房など望むべくもなかった。そんな時、ママさんが玉露をコーヒー・カップに入れて持ってきてくれた。一口飲んでみて、お茶ってこんなに旨いものかと驚いた。それから私は緑茶を好むようになった。勿論コーヒーも大量に飲む。この癒しの場は緑茶の味を教えてくれただけではなく、人間の機微を教わったのもこのシャノアールであった。それが後の私の「貿易」の仕事に大いに役立った。




 集材場に行くと、丸太のままの黒檀が既に集められていた。今切り出したばかりであるような切口であった。そこから水分が出てくるようにさえ見えた。
 インドネシアの黒檀とはかなり違う印象を受けた。インドネシアのスラベシ島では、山で黒檀を切り出してからフリッチにして出荷するまで、長いときは5年はかかるそうだ。山で樵に切らせるまでは何とかしのげるが、それを麓の集材場まで運び出す費用が出せないのだそうだ。売った資金を使って、直ぐにでも次の出荷にかかればいいものを、入金されたものは伐採業者の懐に入らず、大方は借金の返済に充てられてしまう。だが、スラベシ島で伐採から出荷までに時間がかかるお蔭で、完全に乾燥した材が日本の業者の手に入る。
 インドネシアの話を聞いていたので、このような水気たっぷりの材が日本で受け入れられるのであろうかとの不安を覚えた。後で床柱加工業者に聞いたのだが、パプアニューギニアの黒檀を製材したとき、水がほとばしるように出たとのことだった。クレームもつかず、まして返品などと最悪の事態は避けられた。乾燥が充分ではなかったが、インドネシア産に比べ、私の売値が安かったことが幸いした。それに、品質が非常によかった。乾燥が充分でないからと云って、私にクレームをつけると、次に売って貰えないのではないかと心配もしたそうだ。その不安は私の商売の姿勢から来るものではない。黒檀が如何に入手困難であり、パプアニューギニアのものがインドネシア産のものよりかなり條件が良かった故であろう。太いままで、割れ止めを塗ったままのフリッチでは乾燥も遅いが、床柱用に製材し、早めの乾燥を促せば何とか処理が可能のようであった。また、此の業界に大型の乾燥炉を持った業者がいるので、そこに持って行って乾燥させたとも聞いた。






 ローランド・クリステンセンのスタッフが作り上げたログリストを、エイミーが正確にパソコンに入力してくれていたので、私は敢えて黒檀のフリッチの全量を検品する必要はなかった。仕事にかなりの余裕が出来た。それを察したように、ローリーとクリスは太い黒檀の丸太を切り落とし、それを横に裁断する作業に取り掛かった。
 クリス・ブルックは黒檀で食器を作り、イギリスに輸出している。私が日本の市場を紹介しようかと云うと、「日本には売りたくない。品質にうるさいことばかり云い、そのくせ値切ってくる」とはっきり云われてしまった。品質にうるさいことは確かだが、輸入業者の全員が値切るわけではない。そのことを云おうとしたが、彼はそのように信じ切ってしまっているようなので、それ以上は云わないことにした。オーストラリア人の頑固さをそれほど簡単に崩せない。
 試しに切った黒檀の木目を、クリスは納得した顔で眺めていた。彼の工房に持ち込んでから専用の製材機で食器の大きさに大まかに切り、それを別の機器で切り抜いていくのだそうだ。その際、木目をどう活かすかに食器の価値がかかってくると説明してくれた。但し、木曽の奈良井宿の職人が作る木の食器のように、全ての食器の木目を無理に揃えることはしないそうだ。そのようにしたら、一本の丸太で作れる量が非常に限られたものになってしまう。

 昼食が終ったのに、ローリーもクリスも動こうとしなかった。私が時計を指差し、時間だぞと云うと二人はうんざりしたような顔をした。「今日は土曜日ですよ。日本人は働き過ぎです」と云われた。高い出張費を何とか捻出して来ているので、少しでも輸入する量を増やしたい。その為には滞在期間中に少しでも多くのフリッチを選び出さなければならない。私はそのように考えていた。而し、これは私だけの立場であって、彼等二人には関係ないことである。ローリーにとっては、それほどガツガツと売らなくてもやっていけるし、クリスにしても、何本か試しに切ってみれば、私が選んだフリッチの切り残しの全てをオーストラリアに運べばいいだけである。それほど熱心に働く必要はない。今まで、クリスは私の検品に精力的に手伝ってくれていた。私は反省し、恥ずかしさも覚えた。
 それでも彼等は土曜日の午後であるのに私に付き合って仕事をしてくれた。置き場の端にあるフリッチの山のスポットチェックを何とか今日中に終わらせたかった。働き過ぎに反省はしたが、これを終わらせなければ予定通りの期日に日本に帰ることは出来ない。現場のスタッフに、昨日のうちにフォークリフトで山を崩して貰っておいのでスポットチェックは捗った。

 三時近くになったころ、島民の一人が舟でシーバス(日本で云うスズキ)を釣りに行かないかと誘いに来た。クリスは喜んで誘いに応じた。私も行きたかったが、リストの整理が残っていた。ローリーは「私も付き合います」と釣りには行かなかった。クリスの話では島民の乗っている小舟に巨体を乗せたのでは沈没しないかと心配してボートに乗らなかったのだと云っていた。私の手伝いが「乗らない」いい口実になったようだった。

 彼等が釣りに行って一時間ほどで全てが終わった。こんなに早く終わるなら、私も行けばよかったと悔やんだが遅かった。エイミーが子供たちに大きな魔法瓶を持たせて冷たい南国の果物のミックス・ジュースを持ってきてくれた。生き返る心地がした。今まで、仕事に熱中していたせいか、暑さを忘れていたようだった。

 夕方が迫って来たが、クリスたちはまだ釣りから戻ってきていない。ローリーに指差す南々西の方角に南十字星が見えてきた(マダガスカル編の「6」をご参照願いたい)。これが私の見た最初の南十字星だった。此の島に来て、既に何日も過ごしていたが、南十字星が見えてくるまで海岸にいたことはなかった。少し頭を上に向けて見上げるようにして見た。そろそろ暗くなりかかっているのに、クリスたちはまだ帰ってきていない。心配し始めるころ、海岸に涼みに来ていた島民が、「エンジンの音が聞こえる。帰ってきた」と云った。私には全く聞こえなかった。ローリーにも聞こえてはいないようだった。暫くすると、その島民は東の方を指差して云った。「帰ってきた。手を振っている」。いくら目を凝らしても何も見えなかった。エンジンの音も聞こえてこなかった。かなり手前まで近づいてから、ボートが見え、エンジンの音が聞こえた。彼等の聴力と視力に驚いた。

 クリスは大満足でボートから降りてきた。アイスボックスには1メートルはありそうなシーバスが何本も詰まっていた。


 マダガスカル編の「6」に掲載したものと同じ写真で恐縮だが、このイメージ画しかない。フィルムのバカチョンカメラでは南十字星を撮る事など出来なかった。ご勘弁願いたい。

 また、ウッドラーク島に持ってきたフィルムの本数が少なく、写真が少ない点もお許し願いたい。

TDY, Temporary Duty パプアニューギニア編 6

2015年02月09日 | 旅行
 清々しい朝を迎えた。昨夜は、夕食を終えるとシャワーも浴びずにベッドに入ってしまった。クリスの話では、一緒に飲まないかと私を誘いに来てくれたが全く返事がなかった。心配になったのでドアーを開けてみたところ、私は前後不覚に寝ていたらしい。従ってリビングルームで島の住人たちと賑やかにやっていたことなど全く知らなかった。
 夜になって灯りがつく家は、発電機を持っているクリステンセン家しかない。近くの住人は誘蛾灯に誘われるように、夜になると集まってくるのだ。これは、この島に滞在中に一日も休むことはなかった。

 クリスはまだ起きていないようだった。バルコニーを通ってトイレに行き、シャワーを浴びた。気持よかった。この家を改装したとき、トンチキな島の大工がトイレ、洗面所と浴室に行く通路を間違えて塞いでしまったため、外からでなければ行けない。トンチキな大工もそうだが、それを直させようともしないクリステンセン夫妻も相当なものだ。

 昨夜云われていた朝食の時間にはだいぶ間があったので、散歩をすることにした。


 我が家から少し上に行くと、起きたばかりの海が見渡せた。


 山側の斜面には島民の集落があった。


 東に向かう道路まで下りてきた。


 脇道があったので、そこを入ってみると島民の住居があった。後日、何軒もの住居を見たが、それらと比較するとかなりの豪邸であった。


 豪邸の脇の道を行ってみた。だが、直ぐに行き止まりのようになっていた。道が残っていたところを見ると、この先にも住居があったのでないだろうか。

 朝食後に、全員で材木置き場に向った。少しでも涼しいうちに、少しでも多くのフリッチの検品を行いたかった。


 現場では担当の作業員が私の検品に必要なフォークリフトに向うところだった。


 
 バインダーに挟んだ私の会社のLog List(マダガスカル編の15をご参照願いたい)を持って検品を始めようとしたら、ローランド・クリステンセンの作業員から彼等のLog Listを手渡された。ローリーは置き場のフリッチの山ごとにリストは作られているので、それを参照してくれと云った。確かにきちんと整理されていた。但し、私の希望しているより全てのフリッチの長さが長い。契約をする前にフリッチの径に依り、3.1メートル、3.6メートル、そして4.1メートルと私の希望する寸法を云ってある。先方のリストにある通りの長さで買うとしたら、日本での販売の際に余分な長さを切り落として売らなければならないので、非常に高いものになってしまう。そのことを云うと、ローリーは「ちゃんと契約通りの寸法で買って頂くように手配してあります」とのことだった。即ち、3.4メートルのものは自動的に3.1メートルに計算して出荷するようにしてある。また、径の大きいものは、半端な長さを切り落とし、それをクリス・ブルックが買うようになっているとのことだ。これなら三者とも損はない。
 彼等のログリストには「S」、「M」、「B」のマークが入っていた。「S」はStripe(縞黒檀)、Marble(班入黒檀)、Black(本黒檀及び青黒檀)の種類の別であるとの説明を受けた。価格は同じだが、木目の文様が違う。日本で一番人気のあるのは縞黒檀である。リストを見ると、70~80%に「S」のマークがついていた。本黒檀と青黒檀はほぼ同じだが、青黒檀は本黒檀の黒を超えた黒と理解して頂きたい。そしてより密度が高い。日本では非常に珍重される黒檀である。班入黒檀は渦巻き模様のビー玉に似ているとお考え頂きたい。日本では殆ど知られていない黒檀である。何れにしろ、全体量からすれば、その割合は少ないので、さして問題にしなかった。或いは大きく儲かるかもしれないと考えた。
 彼等のリストは非常にきちんとして信頼がおけると考えた。而し、鵜呑みには出来ないので、彼等のリストに従って寸法を測ってみた。非常に正確であった。スポットチェック(抜き取り検査)だけで済ませることにした。そうしなければ、膨大な量の黒檀のチェックを決められた時間内で済ますことは非常に難しい。パプアニューギニアに到着してから、かなりの無駄な時間をポートモレスビーとアルタオで過ごしてしまっていた。


 クリステンセン家の山側に面したところに、バルコニーともベランダとも云いようのない、涼み台ようなものがあった。6畳ほどの広さだが、非常に快適であった。昼食後に楽しい話をしながらのんびりと過ごした。


 庭に何本ものヤシの木が植えられている。そのうちの一本に、年かさの少年が登り、我々のためにヤシの実を取ってくれた。こんな高い木に登れるのかと気遣ったが、あっという間に登ってしまった。


 必要な分だけのココナッツの実をもぎ取ると、慎重に下りてきた。登るより、降りるときの方が危険らしい。
 クリステンセン家の海側に面した庭である。前方に見えるのがエイミーから提供された私とクリスの家である。夜になると、この家に島の住人が集まってくる。少ないときでも5人ほど、多いときは10人を超える人たちが来る。賑やかで楽しい。
 我が家の前面に円筒型をした、大きなタンクがご覧頂けると思う。これが雨水を溜めておく貯水タンクだ。屋根から雨水が樋を伝わって此のタンクに貯まるのだが、蓋が完全ではない。覗いてみると、木の葉や虫の死骸が浮いていた。これを飲料水やシャワーに使っているのだが、深く考えないことにした。コップに入った、無色透明な水だけを思い浮かべることにしていた。

 ある日、一番の年かさの少年にココナッツジュースを飲みたいので、よく熟れたココナッツを取ってきてくれと頼んだ。私の手元に届いたのは、小さくて多少しなびたココナッツだった。ジュースは旨かったが、新鮮な感じはしなかった。ココナッツの実は硬くなっていた。年かさの子は自分で行かず、自分の子分に云いつけたらしい。そして次々に下請けに出した。最後の小さな子は木に登れないので、床下にあった古いココナッツを持ってきて私に差し出した。ラムと云う一番の年かさの少年に文句を云おうとしたら、非常にすまなそうな顔をして私を見ていたので、何も云わずにおいた。床下のココナッツで間に合わせた一番小さな子はトトと云う非常に可愛らしい子供だった。

TDY, Temporary Duty パプアニューギニア編 5

2015年02月02日 | 旅行
 後藤健二さんに心から哀悼の意を表します。それと同時に非道なテロ行為の排除を切に願います。私の仕事場が、非常に穏やかで平和だったことが幸いでしたが、日本の国の外で働く人たちにとっては常に危険がつきまといます。国の利益のために国外で働く人たちの安全を、国がもっと積極的に守って下さるよう、強く要望致します。

 パプアニューギニアには「ブッシュフォン」と云う言葉がある。プッシュ式電話機のプッシュと、藪を意味するブッシュとの造成語である。パプアニューギニア人が作ったのではなく、この国を訪れた外国人(オーストラリア人?)が作った言葉であろう。土地の人間以外が山の入口に入ると、その情報が山の頂上に住んでいる村人まですぐに届くと云われている。何故伝ってしまうのか不思議に思った外国人が「ブッシュフォン」があるのだと想像したのであろう。
 そんなわけで、私とクリス・ブルックがやって来たことは既に島中に伝わってしまっているのだそうだ。それなら「迷子になっても心配ないな」とクリスに云うと、彼はニヤニヤ笑っていた。


 ローランド・クリステンセンの腹の向こうに、フリッチに加工する前の黒檀の丸太があった。かなりの長さがある。




 海辺の近くには黒檀輸送に使う何本ものコンテナーが置かれていた。




 桟橋に向う道端にも、黒檀のフリッチが無造作に置かれていた。この島ではそれほどの価値を持たないかもしれないが、日本に持って行けば目の玉が飛び出るほどの価格になる。こんな場所で、苦手だったケインズの経済理論を想い出すとは思わなかった。


 乱雑に置かれた黒檀の先に形ばかりの、どうにか桟橋と呼べるような場所があった。此の島唯一の港であるとローランド・クリステンセンが説明してくれた。天然の岩を利用して作られた桟橋の近辺は、コンテナーを本船まで運ぶ伝馬船や小型の貨物船の接岸には充分な深さがあるとのことだ。


 昼食を終えた作業員がフリッチの整理を始めた。時計を見るととっくに午後の1時を過ぎていた。

 空腹に耐えかねたように、ローランド・クリステンセンは「お昼にしましょう」と我々を急かせてピックアップトラックに乗せた。


 島の東西を結ぶ幹線道路、真っ直ぐ空港へと繋がる。ローランド・クリステンセン宅はこの先を左に曲がった高台にある。

 ローランド・クリステンセン家の入口で私の足は止まった。体長10センチほどの蛾の死体が5,6匹あった。その奥にも蛾の死骸が何匹も散らかっていた。ミセス・クリステンセンが手伝いに来ている子供たちを叱りつけた。自分の弟たちを叱っているようだった。「アンタたち、きちんと掃除をしないからお客様が入れないじゃないの!」。
 後で聞いた話だが、クリステンセン夫妻は事あるごとに近所の子供を臨時に雇い入れている。自分の子供たちのお守り、その他に今回のように客があった場合には特に人数を増やしている。子供たちに給金を支払うことにより、少しでも地域の経済に貢献しようとのことらしい。「おしん」のように悲惨な使われ方ではなく、見ているとまるでクリステンセン家に遊びに来ているようだ。遊びの合間にミセス・クリステンセンに用事を云いつけられたことだけをこなしている。彼等はミスター・クリステンセンとかミセス・クリステンセンとか呼ばずに、「ローリー」と「エイミー」と呼んでいる。私もいつの間にかそのように呼んでいた。ローリーがローランドの愛称であることは容易にわかるが、エイミーはパプアニューギニア人の名前をオーストリア風の名前にしたものであろうと推察される。元の名前は知らない。

 子供たちに依る掃除が終り、エイミーは改めて私を招じ入れてくれた。食卓には既に食事が用意されていた。ハムステーキに焼きたてのロールパン、新鮮な野菜サラダ。それに大振りなコップに水が満たされていた。一口水を飲んでみると、何とも云えず旨い水だった。「井戸水ですか?」とエイミーに効くと、彼女は戸惑った。ローリーがニコリともせずに「雨水です」と云った。食事はおいしかった。ローリーは無駄口を叩かず黙々と食べていた。クリス・ブルックが「どうして、蛾なんかを怖がるんですか?」と不思議そうに聞いてきた。「夜になると、此の食卓の上を沢山の蛾が飛び廻ります」とローリーがいたずらそうに云うと、クリスは「俺なら、そいつをとっ捕まえて食っちまいますね!」とニヤニヤしながら云った。死んだ蛾に恐怖心を持った私を二人はからかいたいらしい。1センチにも満たない蛾にも、私は恐怖心を持つ。「そんなに蛾が来るなら、飢え死にしてもいい。此の食卓には座らない」と私は宣言した。二人はまだニヤニヤしていた。
 だが、エイミーは親切に「別棟に貴方とクリスの寝室を用意します。食事はそちらに運びます。この家と違い、あちらの家は網戸がきちんとありますから、蛾や蚊の心配はありません」と云ってくれた。男どもと違い、此のエイミーの親切心は今でも覚えている。


 ローリーと長男。子供にだけ見せる優しげな笑顔。


 エイミーと次男。長男の方がずっと大きいのだが、巨漢に抱かれると、母親に抱かれた次男と同じ大きさにしか見えない。


 エイミーに相談に来たのか、頼って来たのか知らぬが、友人が訪ねてきた。近くに住んでいると聞いたが、彼等の「近くは」どのぐらいの距離であるかは不明である。


 一段高い場所に別棟があった。暫く住むことになる我が家のバルコニーからの景色。海は下の方に少ししか見えなかったが、眺望は左右に開け、私の目を遮るものは何もなかった。