TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 376

2022年04月24日 | エッセイ
 テレビ・ニュースを観ていた時に「マニフェスト」と云う言葉を聞いた。私の知っている「manifest」とは意味が違うようだ。ご存知のように英語の動詞では「明らかにする」で、形容詞では「はっきりした」と云う意味である。ニュースでは何とか云う政党のマニフェストと云っているが私には理解出来なかった。インターネットで調べてみると、選挙の時の政党の政策とか政策宣言の意味らしい。それとは別に、「産業廃棄物の処理委託の際に必要な伝票」であるとも出ていた。

 このようなことを何回も書くようだが、元の英語をカタカナで書くと全く意味が違う言葉になるらしい。写真を撮りに行った際に、偶然同じ被写体を撮っている人に話しかけられても、日本語化されたような独自のカタカナの入った言葉を使われると非常に困る。それで適当に聞き流すことにしている。我々日本人は世界に誇れる美しい、素晴らしい日本語があるのに何故外国の言葉を使いたがるのか理解に苦しむ。外国の言葉をそのままの意味で使うならまだしも、勝手な解釈を付けてカタカナにされては非常に困る。

 それと、タイのリゾート地のプーケだが、日本では「プーケット」と呼んでいる。タイの地名の英語表記が「Puket」になっているからそのように呼ぶのだろうが、タイ人からしてみればおかしいことだ。

 また、日本の1.6倍もあるマダガスカルを「マダガスカル島」と島をつけて呼ぶのもおかしい。私はあまり物事に拘らない方だが、言葉の意味と人名や地名には拘りたい。

 まだコロナの感染が始まる前の、ちょうど3年前の4月に写真仲間と埼玉県新座市にある平林寺に行った。寺のホームページには観光施設ではなく、寺全域が禅の修行道場であると紹介されているように、何度行っても安らぎを覚える。奥に行く前に、前庭にある池の鯉を撮った。ご覧の通りの人面魚である。他の場所と違い、人面魚がいるからと大騒ぎにはならない。














折々の写真&雑感 375

2022年04月17日 | エッセイ
 アメリカの空軍に勤務して五年か六年ほど経ったとき、学校を出たての二人の若い奴が我々の事務所に配属されてきた。彼らは高校から一緒で、同じ大学の同じ学部を卒業していた。二人の性格は驚くほど違っていたが、とにかく仲が良かった。

 その二人の提案で伊豆に一泊でイチゴ狩りに行く事になった。私と仲の良かった中尉を誘い、私の車に4人が乗って行った。イチゴ農園にはお昼少し前の、ちょうど空腹になる時間に着いた。受付で料金を払うと、各自に小さな容器に入った練乳を渡され、従業員にビニールハウスに案内された。案内人がいなくなると、「先輩、最初から練乳を付けて食ったらだめですよ。もうこれ以上食えないとなってから、初めて練乳を付けて食うんです。そうすれば、又かなり食えます」と教えてくれた。それを中尉に説明すると、ビニールが振動するぐらいにでかい笑い声を立てた。

 先の従業員が次の団体客を我々のビニールハウスに連れてきた。すると、「あれ!?」と奇声を挙げた。まだ充分にイチゴが残っている筈なのに、殆ど残っていないことを奇異に感じたらしい。仕方なく、その団体を別のビニールハウスに連れて行った。中尉はでかくなった腹をさすりながらニヤニヤしていた。私は少しでも動いたらイチゴが口から出てきそうだった。

 今のように時間や区域の制限などなく、のんびりした頃の事だった。

 以下の写真は深大寺とその周辺の写真である。この深大寺であるが、私の子供の頃は「シンダイジ」と呼ばれていたように記憶している。だが、バスの停留所名も、寺の住職までも「ジンダイジ」とシを濁って呼んでいる。植物園の神代は「ジンダイ」で深大寺は「シンダイジ」あると信じているが、どちらが正しいのであろうか? 子供の頃に父親からシンダイジそばを食べに行こうとよく云われていたが、私の聞き間違い出会ったのか。    
寺のホームぺージ、それに数多くの小説や文献では「ジンダイジ」と濁っているものが圧倒的に多い。だが、他の小説や文献には「シンダイジ」と濁らずにルビを振ってあるものもある。どちらが正しいか私にはわからない。













折々の写真&雑感 374

2022年04月10日 | エッセイ
 頸椎損傷に依る肩と腕の痛みだが、今回は一カ月少しで痛みが治まったので痛みを抑える薬を止し、患部の血流をよくする薬だけにした。前回は一年ほど整形外科のお世話になってやっと治った。その時は痛みを我慢出来なくなってから整形外科に行ったのだが、今回は痛み始めてすぐに行った。早めの治療が効果的であることを改めて知らされた。

 前回の医師は、「此の痛みを脳が覚えてしまったら大変です、薬物で痛みを取り除きましょう。頸椎の手術は最後の、最後の手段です」と説明して下さった。

 頸椎が損傷していることを完全に忘れてしまい、歯石除去に行った歯科医院で椅子を倒す際に首に負担を掛けないようにする事を怠った。以前のようにバスタオルを用意して下さったが断ってしまったのだ。首がのけ反ったため腕に多少の刺激を感じたが、大したことはないとそのままにした。それがきっかけで今回の痛みが始まった。前回の治療は、頚椎の損傷を完全に治したのではなく、痛みを感じさせないようにする為のものだったことを改めて思い知らされた

 今回も前回同様に薬物による治療だった。完全に治すには手術しかない。而し、下手をすると下半身麻痺の危険が伴う。また、手術を受けても完治しない人がいるようだ。私は適度の運動と、首を労わって過ごすことを選んだ。要は写真を撮るのに影響がなければいいのだ。

 やっと桜が散ってくれた。花筏を撮るには、水面に散った桜の花びらが浮かんでいることが最も重要であるのは勿論だが、適度に風が吹いていないと困る。風のないときは、餌を撒いて鯉に手伝って頂く。私が使っているのは犬の餌である。安いうえに鯉の好物でもあるようだ。












 花びらをもっと動かして欲しいので、少し多めに餌を撒いたが、無精な大きな鯉どもは動かずに口に入る餌だけしか食わなかった。

折々の写真&雑感 373

2022年04月03日 | エッセイ
 去年の暮れ、お風呂のガス釜が急に点火出来なくなった。地域のガス会社に電話したが、年末のために断られた。1月になって早速修理に来たが、故障個所も見ずに「古いので修理出来ない。釜ごと交換しかない。見積もりの人間を至急に寄こす」と云われ、3千円を請求して帰ってしまった。見積もりの担当者は浴室を見るなり、「浴室の全面改装が必要だ。来週見積もりを持ってくる」と云ってすぐに帰った。持ってきた見積もりを見ると、改装と風呂一式を交換して150万円ほど、ユニットバスの場合は200万円近い数字が書かれていた。「浴槽は新品同様なので、風呂釜だけを交換すればいい」と云うと、今はICの不足で製品が4月にならなければ手に入らない。その上現在はバランス型風呂釜はなく、全て外置きの給湯器であると云われた。それなら、それを付け替えるだけでいいと云うと、不満そうにして帰って行った。だが、その翌々日に「一台だけ給湯機器が手に入った。直ぐに決断してくれれば来週にでも着工出来る」と云ってきた。「待っている人は大勢います。すぐに発注して下さい」と云うので、「じゃ、浴槽は変えずに給湯器だけ取り付けてくれ」と云うと、それは出来ない、他へ廻すと云って帰ってしまった。私はそのユダヤの商人のようなやり口が気に入らなかった。昔のガス会社は全てが直轄であり、穏やかな営業方針であった。風呂釜の点火装置の修理或いはその部分を交換しても1万円か2万円で出来るだろう。

 浴室を改装し、新しい風呂一式を交換してもいいとは考えていたが、当方の足元を見るような業者には発注したくなかった。長男が関係している建築会社に相談し、一切を任せることにした。但し、給湯器の手配が難しい様だった。だが、2月に入ってすぐに給湯器が手配出来たから、代金をすぐに振込んでくれと長男が云ってきた。製品不足で相場は定価の倍以上になっていると長男は想像していたが、見積書は定価よりかなり安くなっていた。振込んですぐに給湯器は届けられた。だが、建築会社がユニットバス一式をToToに発注してくれたが在庫がないそうだ。また、職人の手配も大変らしい。それまでは少し寒いが、一家全員シャワーで我慢することにした。

 3月に入ってすぐに、正式な見積書より先に一応の工程表が届けられた。3月28日から工事に入り、4月2日に完成の予定だ。正式な見積もりを貰う前に工事に入るのは無茶だと思うが、それより実際にかかった費用に一割を上乗せして請求する方が安くなると云われた。長男もその方式に賛成していたので、予定通り工事が開始された。このブログをお読み頂いている頃は既に浴室は完成し、忘れかけていたお風呂の入り方を思い出しているとご想像頂きたい。

 コロナが蔓延する前に、林芙美子記念館に写真仲間と行った。非常に穏やかな感じのご自宅であった。また彼女の書斎を見て落ち着いた雰囲気であり、此処だからこそいい小説が書けたのだと実感した。