私がまだアメリカの空軍に勤務していた時、大勢で逗子に海水浴に行った。お盆休みで東京が静かになった時期であった。我々日本人の職員に加え、上司、同僚、部下のアメリカ兵や軍属も一緒だった。アメリカの軍隊では将校と兵(下士官も含む)は個人的に行動を共にしてはいけないことになっている。要は個人的に付き合うなと云うことである。但し政府から派遣されている日本人や軍属は別である。従って、我々と将校たち、我々と兵たちのグループがたまたま一緒になったと考えれば軍規に違反はしていない。
カミサリー・オフィサーである中佐がモータープールの責任者と交渉し、運転手付きでバスを一台手に入れた。軍用のバスなので乗り心地は悪かったが、快適に走った。バスの中は白人、黒人、フィリッピン人、タイ人、南米からの移民、それに我々日本人。話す言葉は英語だったが、その国の訛りが入り、騒音の激しいバスの中では何回か聞き返さなければならないことがあった。
逗子の海岸は賑っており、クロンボ大会が行われていた。現在は差別語となっているクロンボは当時では普通に使われていた。若い軍属(白人)の一人が新兵である黒人のライアン二等兵に向かって、「お前もあれに参加して来いよ!」と云った。冗談かと思った。而し、冗談にしてはきつすぎると考えていると、云われた二等兵は会場の方に歩き出した。しばらくするとライアンはすごすごと帰ってきた。「とてもチャンスがなかった」と首をうなだれるように我々に云った。皆は腹を抱えて笑った。黒人には、黒檀のように黒い人と薄いチョコレート色、それとその中間色。ライアンはミルク・チョコレート色であったので、とても勝ち目はなかったのであろう。最初に若い軍属が「クロンボ大会(ビーチ・コンテスト)に行って来い」と云った時は、いくら親しくても、ちょっと云い過ぎではないかと危惧したが、全く心配はなかった。かえって親しみが増したように思えた。
此の事があってから、私は黒人に対して肌の色のことで遠慮することはしなくなった。夏の終り頃、私が黒人の軍曹に腕を出して、「どうだ、俺の方が黒いだろ」と彼の腕と比べたことがあった。彼は「何を云ってるんだ、俺の方が黒いさ」と云ってニヤッとした。私は「来年に、また挑戦するからな」と宣言した。
以下は、12月31日に行われる「大祓」(オオハラエ)の一昨年の写真である。「折々の写真&雑感」の41に掲載したような雪の中の「大祓」にはあれ以来出会っていない。雪でも降らなければ面白くないと考えていたが、外国からの観光客が大晦日の明治神宮の雰囲気を楽しんでいる様子は絵になる。
キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/50秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
最初は日本人の母娘と思っていたが、言葉からしてインドネシアからの観光客のようだった。実に楽しそうに、珍しそうに神宮の建物を見ていた。
キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:200、 f5.6、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
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今朝新聞を取りに行くと、門柱に門松が立っていることに気が付ついた。私の父親がそのような事が出来なくなってからは、その殆どの習慣を息子が引き継いでいる。門松を立てたり、国旗を掲げたり、神棚にお供え物をしたり等のことは私には向いていないのか全く関心がない。家内もお正月の料理には気を配るが、門松がいつ立てられたかも気が付いていない。父と息子は非常に気が合っていた。国旗こそ立てないが門松を忘れたことはない。お陰でのんびりとやれる。
拙いブログに、今年一年をお付き合い頂き心から感謝申し上げます。来年は1月7日の日曜日から始めますので、宜しくご購読頂ければこの上ない幸せです。
読者の皆々様には良いお年を迎えられるよう、心からお祈り申し上げます。
カミサリー・オフィサーである中佐がモータープールの責任者と交渉し、運転手付きでバスを一台手に入れた。軍用のバスなので乗り心地は悪かったが、快適に走った。バスの中は白人、黒人、フィリッピン人、タイ人、南米からの移民、それに我々日本人。話す言葉は英語だったが、その国の訛りが入り、騒音の激しいバスの中では何回か聞き返さなければならないことがあった。
逗子の海岸は賑っており、クロンボ大会が行われていた。現在は差別語となっているクロンボは当時では普通に使われていた。若い軍属(白人)の一人が新兵である黒人のライアン二等兵に向かって、「お前もあれに参加して来いよ!」と云った。冗談かと思った。而し、冗談にしてはきつすぎると考えていると、云われた二等兵は会場の方に歩き出した。しばらくするとライアンはすごすごと帰ってきた。「とてもチャンスがなかった」と首をうなだれるように我々に云った。皆は腹を抱えて笑った。黒人には、黒檀のように黒い人と薄いチョコレート色、それとその中間色。ライアンはミルク・チョコレート色であったので、とても勝ち目はなかったのであろう。最初に若い軍属が「クロンボ大会(ビーチ・コンテスト)に行って来い」と云った時は、いくら親しくても、ちょっと云い過ぎではないかと危惧したが、全く心配はなかった。かえって親しみが増したように思えた。
此の事があってから、私は黒人に対して肌の色のことで遠慮することはしなくなった。夏の終り頃、私が黒人の軍曹に腕を出して、「どうだ、俺の方が黒いだろ」と彼の腕と比べたことがあった。彼は「何を云ってるんだ、俺の方が黒いさ」と云ってニヤッとした。私は「来年に、また挑戦するからな」と宣言した。
以下は、12月31日に行われる「大祓」(オオハラエ)の一昨年の写真である。「折々の写真&雑感」の41に掲載したような雪の中の「大祓」にはあれ以来出会っていない。雪でも降らなければ面白くないと考えていたが、外国からの観光客が大晦日の明治神宮の雰囲気を楽しんでいる様子は絵になる。
キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/50秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
最初は日本人の母娘と思っていたが、言葉からしてインドネシアからの観光客のようだった。実に楽しそうに、珍しそうに神宮の建物を見ていた。
キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:200、 f5.6、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/50秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/50秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
今朝新聞を取りに行くと、門柱に門松が立っていることに気が付ついた。私の父親がそのような事が出来なくなってからは、その殆どの習慣を息子が引き継いでいる。門松を立てたり、国旗を掲げたり、神棚にお供え物をしたり等のことは私には向いていないのか全く関心がない。家内もお正月の料理には気を配るが、門松がいつ立てられたかも気が付いていない。父と息子は非常に気が合っていた。国旗こそ立てないが門松を忘れたことはない。お陰でのんびりとやれる。
拙いブログに、今年一年をお付き合い頂き心から感謝申し上げます。来年は1月7日の日曜日から始めますので、宜しくご購読頂ければこの上ない幸せです。
読者の皆々様には良いお年を迎えられるよう、心からお祈り申し上げます。