TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 146

2017年12月31日 | エッセイ
 私がまだアメリカの空軍に勤務していた時、大勢で逗子に海水浴に行った。お盆休みで東京が静かになった時期であった。我々日本人の職員に加え、上司、同僚、部下のアメリカ兵や軍属も一緒だった。アメリカの軍隊では将校と兵(下士官も含む)は個人的に行動を共にしてはいけないことになっている。要は個人的に付き合うなと云うことである。但し政府から派遣されている日本人や軍属は別である。従って、我々と将校たち、我々と兵たちのグループがたまたま一緒になったと考えれば軍規に違反はしていない。

 カミサリー・オフィサーである中佐がモータープールの責任者と交渉し、運転手付きでバスを一台手に入れた。軍用のバスなので乗り心地は悪かったが、快適に走った。バスの中は白人、黒人、フィリッピン人、タイ人、南米からの移民、それに我々日本人。話す言葉は英語だったが、その国の訛りが入り、騒音の激しいバスの中では何回か聞き返さなければならないことがあった。

 逗子の海岸は賑っており、クロンボ大会が行われていた。現在は差別語となっているクロンボは当時では普通に使われていた。若い軍属(白人)の一人が新兵である黒人のライアン二等兵に向かって、「お前もあれに参加して来いよ!」と云った。冗談かと思った。而し、冗談にしてはきつすぎると考えていると、云われた二等兵は会場の方に歩き出した。しばらくするとライアンはすごすごと帰ってきた。「とてもチャンスがなかった」と首をうなだれるように我々に云った。皆は腹を抱えて笑った。黒人には、黒檀のように黒い人と薄いチョコレート色、それとその中間色。ライアンはミルク・チョコレート色であったので、とても勝ち目はなかったのであろう。最初に若い軍属が「クロンボ大会(ビーチ・コンテスト)に行って来い」と云った時は、いくら親しくても、ちょっと云い過ぎではないかと危惧したが、全く心配はなかった。かえって親しみが増したように思えた。

 此の事があってから、私は黒人に対して肌の色のことで遠慮することはしなくなった。夏の終り頃、私が黒人の軍曹に腕を出して、「どうだ、俺の方が黒いだろ」と彼の腕と比べたことがあった。彼は「何を云ってるんだ、俺の方が黒いさ」と云ってニヤッとした。私は「来年に、また挑戦するからな」と宣言した。

 以下は、12月31日に行われる「大祓」(オオハラエ)の一昨年の写真である。「折々の写真&雑感」の41に掲載したような雪の中の「大祓」にはあれ以来出会っていない。雪でも降らなければ面白くないと考えていたが、外国からの観光客が大晦日の明治神宮の雰囲気を楽しんでいる様子は絵になる。


キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/50秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 最初は日本人の母娘と思っていたが、言葉からしてインドネシアからの観光客のようだった。実に楽しそうに、珍しそうに神宮の建物を見ていた。


キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:200、 f5.6、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/50秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/50秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。

 今朝新聞を取りに行くと、門柱に門松が立っていることに気が付ついた。私の父親がそのような事が出来なくなってからは、その殆どの習慣を息子が引き継いでいる。門松を立てたり、国旗を掲げたり、神棚にお供え物をしたり等のことは私には向いていないのか全く関心がない。家内もお正月の料理には気を配るが、門松がいつ立てられたかも気が付いていない。父と息子は非常に気が合っていた。国旗こそ立てないが門松を忘れたことはない。お陰でのんびりとやれる。

 拙いブログに、今年一年をお付き合い頂き心から感謝申し上げます。来年は1月7日の日曜日から始めますので、宜しくご購読頂ければこの上ない幸せです。
 
 読者の皆々様には良いお年を迎えられるよう、心からお祈り申し上げます。

折々の写真&雑感 145

2017年12月24日 | エッセイ
 先週の朝日新聞にモーリシャスに関する記事が載っていた。私がマダガスカルに足しげく出張していた頃は往きと帰りには必ずモーリシャスに寄っていた。日本からマダガスカルへの直行便がなく、モーリシャスを経由しなければマダガスカルには行けなかった。また、モーリシャスに行くにはマレーシアのクアラルンプールからの便しかなかった。1995年ごろからやっと香港からもモーリシャスに行けたので多少は良くなったが、それでも非常に不便を感じていた。マレーシアからも香港からの便もモーリシャスには夜中に着いた。マダガスカル行の便に乗り継ぐには空港で夜を徹するかモーリシャスのホテルに泊るしか手はなかった。1970年代のモーリシャスは「インド洋に浮かぶ貴婦人」と称され、世界中の裕福な人たちが避暑にやってくる優雅な島であった。私が最後にモーリシャスに寄ったのは1996年の4月であったが、その優雅さは変らなかった。

 島を取り巻く海岸辺りには敷地を大きくとった高級なホテルが軒を連ねていた。だが、海岸から離れた小高いところにあるジョージタウンは鄙びた町であった。島の中央部に行くに従い、高級ホテルとは全く縁のない人たちの暮らしがあった。マーケットも薄暗く活気がなかった。経費節減のため、一度ジョージタウンのホテルに宿泊したことがあった。朝起きてみるとベッドの周囲に何匹ものゴキブリがいた。朝食も取らずにチェックアウトした。料金は海岸近くのホテルの一割にも満たなかったが、二度と泊る気はしなかった。

 新聞には「ヤシの木の何倍もの高さのビル」が建ち並んでいるとの記述あったが、当時はホテルの他の施設も殆どが平屋であった。空港の建物でさえ、管制塔を除いた全てが平屋であった。空港を出てホテルに向かう道の両側には広大はサトウキビ畑が続いていた。新聞にはそのサトウキビ畑の上に高層ビルが建ち並んでいるとも書かれていた。またモーリシャスの物価が日本並みに高いとの詳細な記事もあった。これだけでもモーリシャスの様変わりが伺える。

 もともと税率の安いモーリシャスを利用してタックスヘイブン(租税天国)としてアフリカで稼いでいる企業に宣伝したのが法律事務所の「アップルビー」であるらしい。彼らはモーリシャスの利点を多く挙げ、この島に拠点を置けば、幾らアフリカで稼いでもモーリシャスの低い税率だけ払えばいいとのプレゼンテーション資料を作ったとも説明していた。

 昔の優雅なモーリシャスは何処に行ってしまうのであろうか?

 11月26日付の「折々の写真&雑感」141に関し、英語に堪能な写真仲間の一人から「アイドリング・ストップと云う英語もおかしいのではないか」とのご指摘を頂いた。確かにお説の通りである。暖気運転であるならウォーム・アップ(warm up)或いはウォーム・ドライヴィング(warm driving)とかウォーム・アップ・ランニング(warm up running)と一般に使われているが、単にエンジンをかけっぱなしにし、ガソリンを「空費する」のがアイドル(idle)である。それを止めるのなら「stop idling」(ストップ・アイドリング)が正しいのではないか。

 11月の中頃と今月の中頃に上野動物園に行ってきた。11月の動物園の樹々は紅葉とまではいかなかったが、かなり秋が深まった様子に見えたが、それが12月になると既に冬の気配が濃くなっていた。而し、フラミンゴの首の羽の色は夏の面影を残しているようだった。綺麗な色を期待していたのだが、残念であった。


キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 WB:オート、PLフィルター使用。


キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/40、 露出補正:-1、 WB:オート、PLフィルター使用。
 此の日はメスのインダ(10歳)が当番を務めていた。


キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/25秒、 露出補正:-1、 WB:オート、PLフィルター使用。


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キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:1600、 f5.6、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/80秒、 露出補正:-1、 WB:オート、PLフィルター使用。


キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/50秒、 露出補正:-1、 WB:オート、PLフィルター使用。
 上の二枚は12月になってやっと撮れたモモコの長男である。コモモ、モモカに次いで三匹目の子であるが待っていた長男が10月9日に生まれた。姉たちは長男の誕生直後に非常に興味を持ち、じっと見つめているだけでは物足りず、時には触ってもいたそうだ(飼育員の日報)。




折々の写真&雑感 144

2017年12月17日 | エッセイ
 我々のカミサリー・ストアー(2016年9月12日付の「折々の写真&雑感78」をご参照願いたい)の最高責任者にアーミー・サービス(軍役)の経験のない軍属のレイシー氏(仮名)が配属されてきた。前任者の中佐と違い、全ての仕事にレイシー氏は自分の方式を我々に押し付けてきた。今までは非常に自由で楽しく仕事をしてこられた。レイシー氏が配属されてきて一、二週間は良かったが、それ以降は徐々に暗い気分になり、仕事も滞ってきた。彼の方式を無理に押し付けてくるばかりではなく、その方式に従わない部下を罰するようにもなった。そればかりではなく、誰が従わないかをスパイする人間まで育ててしまった。日本政府から派遣されている私と同僚は他の部署に転属依頼を出そうかと相談し、民間人に命令されるのを潔しとしない軍人たちは反乱を起こす寸前にまで空気は悪くなった。

 そんな中で、私と仲の良かった中尉が云った。「我々の職場にはスリー・ウエイ(三つの方式)がある。エアー・フォース・ウエイ(空軍方式)、レイシー・ウエイ(レイシー方式)、そしてライト・ウエイ(正しい方式)の三つだ」。「三つじゃないだろ、四つだ。俺たちの方式があるじゃないか」と私が云うと、彼は腰を折り曲げて笑った。何カ月ぶりかの笑いだった。仲間が集まってきた。笑いの原因を知ると、更に笑いが広がった。だが、どうやってレイシー氏に対抗するかの相談をしたかったが、誰がスパイであるかの見当がつかなかった。一旦は明るくなった雰囲気が、現実を考えると余計暗いものになってしまった。

 嫌な雰囲気の職場を以前の活気ある明るい場にしたかった。中尉と私はお互いに信じられた。それを徐々に増やし、現場で働く人たちにも広げ、ついにレイシー氏を追い払える可能性があるところまでこぎつけた。彼が軍人であったら絶望的であったが、軍属であったことが幸いした。騒動を知った司令官の大佐が我々に肩入れをしてくれた。上の方からレイシー氏に転属命令が下った。

 絵画館前のイチョウ並木の定番の写真である。残念だが今年の写真ではない。最初の3枚は2003年。朝の8時に行っても落ち葉は残っていた。


キヤノンEOS10Dに28-135mm、f3.5-5.6を装着。 ISO:200、 f8、 1/15秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS10Dに28-135mm、f3.5-5.6を装着。 ISO:200、 f8、 1/15秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS10Dに28-135mm、f3.5-5.6を装着。 ISO:200、 f8、 1/30秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:200、 f16、 1/0.6秒、 露出補正:-1、 WB:オート、 三脚使用。 
 上三枚と同じ場所であるが、2007年の写真である。朝の6時半ごろに行っても、落ち葉に敷き詰められた光景は撮れなかった。


キャノンEOS7DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/25秒、 露出補正:-1/3、 WB:オート。


キャノンEOS7DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/15秒、 露出補正:±0、 WB:オート。
 上の二枚は2008年のものである。多くのカメラマンが固執する通りとは反対側に行った。いくらか落ち葉はあったが、2003年までとは大違いである。これ以降、私はこの場所に写真を撮りに行っていない。私がカメラを構えているのに、その前に平気で立つような礼儀知らずのカメラマンが多すぎ、絶好の被写体が多くある絵画館周辺での撮影を諦めた。



折々の写真&雑感 143

2017年12月10日 | エッセイ
 10月22日付の「折々の写真&雑感」の136で、ガスケット交換に関しトルクレンチについて触れた。日本の修理工場では使われなくなったと聞き、先輩も私も驚いただけではなく、不審にさえ思った。而し、日本を代表するメーカーの工場で使われなくなったと云うなら、素人である私にそれ以上のことは云えない。

 現役のころ、乗用車の他にライトバンを併用していた時期があった。燃費が良く、小廻りが利くので非常に便利に使っていた。その車種は値段が手頃だったせいもあり、乗用車とライトバンを合せてかなりの人気を博していた。だが、私の車は運が悪いことにパンクの回数が多かった。これは車やタイヤのメーカーの所為ではない。私の運の悪さの所為だった。行きつけのガソリンスタンドでその度に修理を依頼していた。気になったのはタイヤの取り付けの時だった。タイヤを所定の位置に納め、ボルトにナットをきつく締めるためにレンチを足で踏んで強く締めるのは私もやっていた。走行中にパンクしたタイヤを外したり、ローテーションの時には必ずそのようにしていた。

 タイヤの脱着の際に気になったのは、此の車種のタイヤの取り付けのボルトが細く感じられたことだった。体格のいいスタンドマンが全体重をレンチに乗せてナットを締めていた。ボルトの太さとスタンドマンの体重があっていないように感じられていた。ある日、その細いボルトが一本折れてしまった。報告を受けた所長が奥から飛び出してきた。4本のボルトのうち、3本が無事であるようなので余程のことがない限り心配はない。恐縮しきった所長が大至急部品を取り寄せるので、なんとかこのまま乗っていて頂けないかと頼まれた。その時、トルクレンチのことを思い出した。決められたトルクの値通りに、トルクレンチを使っていれば、間違ってもボルトが折れることはないと感じた。スタンドマンを責めても致し方ないので、そのまま乗ることにした。

 私の息子の友人に機械いじりの好きな奴がいた。車のちょっとした故障はすぐに直してくれた。学校を出た後、メーカーの修理工場に勤めた。だが、半年も経たないうちに営業に廻してもらったと云って、私に車のセールスに来た。工場では壊れた個所を修理せず、その部品を交換するだけだった。それには知識も技術も全く必要ない。慣れだけの問題だったと、営業に移った理由を説明してくれた。

 家電、パソコン、カメラ等々、車に限らず私の身の周りではこのような現象が起こっている。修理せずに部品を交換するだけである。これが修理と云えるだろうか。

 先週に続いて紅葉の写真である。以下の写真は秋を求めて北鎌倉、鎌倉と歩き廻って撮ったものである。一枚目は北鎌倉の浄智寺、二枚目と三枚目は鎌倉の安国論寺。次の三枚は日を改めて行った鎌倉の妙本寺である。東京の紅葉より、鎌倉の紅葉がいくらか遅くやってくるような気がする。海が近く、いくらか温かいのであろう。


キヤノンEOS5Dに28-135mm、f3.5-5.6を装着。 ISO:200、 f11、 1/30秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに28-135mm、f3.5-5.6を装着。 ISO:200、 f11、 1/25秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに28-135mm、f3.5-5.6を装着。 ISO:200、 f11、 1/15秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/13秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


折々の写真&雑感 142

2017年12月03日 | エッセイ
 私が学生だった頃、「第三校舎で解析III」と称してジャンソウ(麻雀荘)に通った。当時の町名は忘れてしまったが、渋谷駅の南側で、現在は横浜銀行渋谷支店や三井住友銀行渋谷駅前支店がある一帯には麻雀荘、飲み屋、今で云うピンクサロンの類がひしめいていた。中には「九龍荘」と名付けたジャンソウまであった。2016年1月25日付の「折々の写真&雑感」の45の麻雀屋はこれらのうちの一軒であった。

 仲間に指定された店に行ってみると、まだ誰も来ていなかった。約束よりかなり前に来てしまったのだ。待つか帰るか迷っていると「学生さん!」と大きな声で呼ばれた。メンバーが足りないので入ってくれないかと頼まれた。地味なネクタイをし、きちんとスーツを着たサラリーマン風の人たちだった。我々学生仲間と彼らとでは賭け金のレートが違うので躊躇していると、「ハンチャン(一勝負の半分)だけでも付き合ってくれないか?」と再度云われた。仕方がないので「幾つですか」と聞くと、「3だよ」と答えた。我々仲間内では「1」、即ち1,000点について10円が相場であったが、時には30円でやることもあった。それなら、まぁいいかと考えて承知した。始める前に一応のルールを聞いたが我々のものと殆ど変わらなかった。

 始ってすぐに私がリーチをかけると、他の三人は気弱に降りてしまった。その反対に彼らはリーチをかけずに当たり牌を待っていた。所謂「ダマテン」である。なんと辛気臭い麻雀だと感じたが、私は学生仲間とやるときと同じようにリーチをかけて勝ちを収めていった。ハンチャンを終り、清算することになった。私がトップだった。ざっと2千円以上は勝っていると、幸運を喜んだ。彼らは負けた分を現金で私の前に置いた。どうも多すぎると感じた。金額からすると、「3」は30円ではなく、300円だったのだ。私は黙って、有り難く受け取ることにした。最初に「300円」と知ったら、萎縮してあのようにノビノビとしたマージャンは打てなかったであろう。それより、この仲間に加わらなかった。「悪いけど、もう一人が来たので代わってくれないか」と云われ、勝ち逃げの汚名を着ずにこの場を離れられた。

 受け取った金額は2万円をはるかに超えていた。私が卒業した年の大卒の初任給は1万2千円ほどになっていたが、その時はまだ1万円に届いていなかった。一時間もかからずに大変な金額を稼いだ事になる。もし負けていたら、と冷や汗ものであった。すぐにジャンソウを出て、入り口で仲間を待った。それから一週間ほどは仲間を誘って大判振る舞いの日が続いた。それでも潤沢な小遣が私の懐に残った。

 日本民家園にボランティアで働いている方々が「此処の紅葉は綺麗だ」と口々に仰っている。だが、私は吾野(秩父)の東郷公園の紅葉の方がずっときれいだと考えていた。それが初めて民家園の紅葉に接すると、その考えはすぐに捨てた。何年も前から紅葉の時期には吾野とこの民家園の両方に通うことが多くなった。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/20秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/160秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 誰が置いたか偶然か、きれいな葉があった。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 WB:オート。

 昨日(12月2日)も仲間と日本民家園の紅葉を撮りに行った。だが、今年の紅葉は10日ほど早いとの観測通りに、すでに黒ずんでしまったモミジが多くあった。黄に染る樹種は既に落葉が始っているものまであった。