TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 385

2022年06月26日 | エッセイ
 拉致被害者の救出を自国では解決出来ずにアメリカにお願いしたり、その大使にまでお願いするとはどういう政府なのか。「自国は自国で守る」と云っても、拉致被害者の救出も出来ない国がどうして国全体を守れるのかと不安になる。

 首相が変るたびに拉致被害者の家族と面会し、救出を安請け合いした歴代の首相は自国では何の処置もせずに、いや出来ずにアメリカにお願いするだけだ。そのアメリカの大統領も安請け合いするだけだ。利益の出ないことをやらないのは、民間企業のようなものである。

 ウクライナがあのような状況になったのはバイデン大統領が、ロシアが侵攻する前に「国境を越えたらアメリカが相手だ」と脅しておけばよかったのに「アメリカは軍事介入しない」などと云ったせいで、ロシア軍は安心してウクライナに攻め込んだ。それを後悔したのか台湾に関してははっきりと「軍事介入する」と云って中国を牽制した。ホワイトハウスはそれを慌てて曖昧なものにした。

 トランプさんを大統領にしてしまったのはアメリカ始まって以来の恥だと友人のアメリカ人は悔やんでいた。だが、ウクライナに関してのバイデン大統領のやり方を見ていると、彼等がトランプさんを選出したことが少しわかるような気がする。だが、二度と「トランプ大統領」が出現しないことを祈る。

 他国に頼んだり、周囲で云うだけでなく、実際に拉致被害者の救出を行う強い首相が出ることを望む。どうして拉致が判明した時点でもっと強力な手を打たなかったのか!以前にも述べたように、海上自衛隊を派遣して強力な談判をするべきだった。戦争を奨励するわけではないが、当時なら日本の軍事力の方が北朝鮮より数段上であった。彼らは慌てて拉致者全員を返したであろう。日本は外国からあらゆる面で舐められている。岸田首相がロシアからの侵攻を阻止するため、軍事費を増やし、自国は自国で守るのだとの強い意思を初めて世に示した。私は右翼ではないが、自国と自国民を自国で守る精神は尊重したい。

 ブラック・ミスト・フィルターの#05を使ってまだ夜の街の風景を撮りに行っていない。コロナ禍からこっち、夜の街に行く事が全くと云っていいほどなくなってしまった。#1はマクロレンズに装着して花を撮り、一応の成果が上がったのではないかと考えているが、#05を、私が標準レンズと定めている24-105mmに装着してテスト以外には撮ったことがない。夜の街ではなく、日本民家園の屋内で撮っても同じようなものが撮れると考えたが、そうは甘くなかった。
 古民家の床にカメラを置いて、レリースではなく、電波でシャッターを作動させるリモート・コントローラを使って撮り比べてみた。何回やっても、ブラック・ミスト・フィルターを装着したものとそうでない写真との差が出ない。比較を諦め、ブラック・ミスト・フィルターを装着したまま、いつものように撮った。それが以下の写真であるが、私が目指している「カチッとした写真」を和らげ、ボヤっとした写真になっただけのように感じる。フィルターの特徴が独り歩きしているように感じた。やはり、ブラック・ミスト・フィルターは夜の街の雰囲気を写し撮るのに特化した使い方がいいように思えた。













折々の写真&雑感 384

2022年06月19日 | エッセイ
 近所の飲み仲間と云うか、ソフトボールの同窓会と云うか、何れにしても気の合った同士で近くの小料理屋に通っていた時期があった。その中にやたらと校歌を合唱したがる人がいた。日大の応援団の副団長だったそうである。

 その仲間たちは、地域の小学校のソフトボール大会で優勝したチームメイトだ。仲間たちの子供の学年は同じ5年生であったが、父親の年と職業、それに出身地はバラバラであった。我々のチームには甲子園の出場経験のあった人や大学まで硬式野球を続けて人が多くいた。私は中学までしか野球をやっていなかったが、優勝決定戦では4打数4安打だった。小学校ではピッチャーで4番だったが、中学に入ってからはとてもその地位を守れるものではなかった。

 近くの小料理屋での優勝祝賀会を機にチームメイトは以前にもまして親密になった。祝賀会の時に、4打数4安打の私を祝って、皆で校歌を歌ってくれることになったが、私は校歌を知らなかった。そのことを云うと、元日大の応援団の副団長は「そんな奴が世の中に居るのか」と云う目で私を呆れるように見た。学校の行事にはよく賛美歌かそれに似たものを歌わされた。従って、どれが賛美歌でどれが校歌なのか自信がなく、覚えてもいなかった。我々の学校では校歌が歌われることは非常に少なかった事は確かだ。

 その場をとりなしてくれたのは、内科と小児科の開業医だった。非常に温厚な人だが、私のマラリアを「風邪」だと診断した酒好きの迷医でもあった。

 日大の元副団長にとっては私みたいな校歌も知らない、いい加減な奴が世の中に居るのかと呆れられるのは仕方ない事だった。だが、彼の長女と私の長男が同じクラスであり、彼の奥さんがソフトボール大会を主催した私の小学校の後輩であったことも影響して、私とは非常に親しくなった。

 公園の少年野球の試合を見た。最初に目についたのが背番号11の女の子だった。フライが来ても、ゴロが来ても捕球するための最初の一歩が非常に早かった。












 硬球を使うリトル・リーグと違って少年野球は軟球なので、仮に当たってもそれほど痛くないが、打席に立つとデッドボールは怖いのであろう。




折々の写真&雑感 383

2022年06月12日 | エッセイ
 最近になってブラック・ミスト・フィルターを購入した。何年も前に発売されていたので、ご存知の方も多くおいでになると思う。写真をソフトにするためのフィルターなので、私の写真の撮り方に相反すると考えて購入を全く考えなかった。それが、先に発売されていた#1の半分の効力の#05が発売され、そのフィルターの雰囲気に非常な興味を覚えたので購入した。最初に24mm-105mmのレンズに装着して試したときは、そのフィルターを使用したものと未使用のものと全く区別がつかなかった。此のフィルターが最も能力を発揮するのが夜の街の風景である。そのテストをしていないので、効果については何とも云えない。だが、逆光で樹木を撮ったところフィルターを装着したものは何となく葉が柔らかく、優し気な写真になった。夜の街の風景を撮るのが楽しみになった。

 ボケを出すなら、絞りを開放にして撮ればボケは最大限になるのは承知している。だが、その写真にボケと同時に柔らかさを求めることは出来ない。また、此のフィルターを用いることで逆光の撮影でも白トビをかなり防いでくれるし、明部と暗部の差を和らげる。それで、マクロ用に#1のブラック・ミスト・フィルターも購入した。狙いは、F11やF16に絞っても確実にボケ、芯はしっかりピンのある、柔らかい写真を撮りたかったからである。100mmのマクロレンズに#1を装着し、絞りは全てF11にして初めて撮ったのが以下の花の写真である。私の狙い通りの写真になったであろうか。もしそうでなければ私の腕が悪いのであって、フィルターの責任ではない。














折々の写真&雑感 382

2022年06月05日 | エッセイ
 高等部の友人に片瀬から通ってきた奴がいた。学校の始業時間は8時だったので、片瀬から渋谷ある学校まで通うには何時に起き、何時に自宅を出ればいいのかと人ごとながら心配していた。私は30分か40分で行けたのに、遅刻しそうになったことは何回も何回もあった。だが、彼はただの一度も遅刻せず、私より早く教室に入っていた。

 彼とは2年と3年が同じクラスだった。私はそのまま同じ学校の大学に進んだが、彼は非常に難関であった商船大学(現東京海洋大学)を受験し、見事に合格した。商船大学の授業は私の不経済学科とは違ってかなり過酷だったようだ。基本となる帆船の実習では何日も帰れず、暴風雨の中でも実習は続いたと聞いた。卒業実習の外国航路では様々な訓練をしながら一カ月以上もかけてハワイまで行ったそうだ。そんなわけで高校時代と違い、進路が分かれてからはだんだんと疎遠になってしまった。然も、卒業後は彼の目標としていた一等航海士になった。外国航路の商船に乗れば何ヶ月も海の上だった。益々疎遠になってしまった。

 高校時代の夏休みに彼の家に誘われ、何泊かしたことがあった。ある朝、起きると家には誰もいなかった。かなり広いお宅だったのであちこち家の中、庭を探しても誰一人いなかった。大きな犬が私にすり寄って来ただけだった。今日は日曜日で、家族全員が教会に行ったのに気づいたのは空腹が限界に達した時だった。

 彼の家から近いところに境川が流れていた。ご存知のようにこの川は江ノ島で相模湾に注いでいる。友人の幼友達がボートを持っていたのでそれを借りて境川でのんびり釣りをした。私がその友人と過ごした最後のゆったりした時間であった。

 5月の第三週に、東久留米の竹林公園に行った。写真仲間を誘わないでよかったと感じた。東久留米駅からやった着いた公園は想像していたよりずっと小さく、上り下りの多い公園だった。竹の間を縫って歩けるのかと期待していたのだが、柵の向こうにある竹を眺めるだけだった。
 魔法瓶に入れたコーヒーを持ち、東久留米駅構内にある評判のおにぎり屋でおにぎりを買って行った。だが、撮影は直ぐに終り、おにぎりは帰宅してから食べた。期待通り、実に美味しいおにぎりだった。


 入り口にある非常な透明度のある湧水が真っ先に目に入った。