TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 115

2017年05月29日 | エッセイ
 一年ほど前に、近くの総合病院の耳鼻科に行った。右手でメモを取れるように、私は必ず受話器を左手に持つ。これはサラリーマンになる前からの習慣である。それが、相手の声が聞き辛く、何度か聞き返すことが多くなった。聴力が落ちたと考えて耳鼻科に行ったのだ。聴力検査の後に、医師から「いつ頃から聴力が落ちたと感じましたか?耳鳴りはしていますか?」と聞かれた。耳鳴りが先だったか、電話の声が聞きにくくなったのが先だったか定かではないが、いずれにしろ一か月以上は経っていた。そのように答えると、即座に「手遅れですね」と云われた。理由を聞くと、突発性難聴は、症状が出てから一週間以内なら、10日ほど入院して回復させる為の点滴を行えばほぼ元通りになると説明された。今から点滴を行っても全く意味がないとも云われた。「手遅れ」と云われてこのまま引き下ったのでは耳鼻科に来た意味がない。「手遅れだと治療を諦めるのは早いではないか。何か手がある筈だ。何とかしてくれ」と迫った。医師は困ったような顔をしたが、「確約は出来ませんが、この薬を試してみましょう。それに非常な利尿作用がありますが、漢方薬も加えます」と処方箋を書いてくれた。一週間後、聴力検査の結果を見て医師は信じられない顔をした。完全とはいかないまでも、7、8割も改善したのだ。「諦めないで良かったでしょう!」と云うと、敵は渋い顔をした。それでも「あと一週間試してみましょう」と云ってくれた。次の週の検査でも、多少の聴力が甦った。「もうこの辺で勘弁して下さい。この上の回復は難しいと思います」と医師は私に訴えた。勘弁することにした。お陰で日常生活に不便は感じないようになった。耳鼻科の医師に感謝している。

 最近、パソコンのディスプレーが見辛くなってきた。昨年の漢方薬の件を思い出した。突発性難聴に漢方薬が効いたのだと信じていた。5月の初めに娘の亭主(能天気娘の父親)が香港から日本での所用のついでに我が家にやって来ると云うので、「視力回復の漢方薬、それに念のために聴力回復の漢方薬を探して買ってこい」とメールを送った。一生懸命探しますとの返事はきたが、まだやって来ない。本人が胃腸炎で入院してしまったのだ。従って、日本に来るのは8月になるようだ。仕方がないので同じ病院の眼科に行った。以前より視力が落ち、白内障が進んでいる。緊急ではないが、白内障の手術をしましょうと云われた。一泊二日の入院を右目に、さらに左目を同じ日程で行うことになった。私の計画では漢方薬で直せれば、痛そうな手術などしないで済ませられたのではないかと期待していたのだが、間に合わず残念であった。

 5月の第一週に西武線沿線の入曽の茶畑に行った。茶摘みは無理でも、機械での茶苅りの模様が撮れるのではないかと期待して行ったのだが、どうも遅すぎたようだ。本来は立春から数えて八十八夜であるから、5月の第一週に狙いを定めても間違いではなかったが、どうしたわけか第一回目の刈取りは既に終っていた。それで茶畑だけを撮ってきたのだが、これほど難しい被写体であるとは想像もつかなかった。


キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/25秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/20秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 上の2枚は帆布を張った屋根の下で大事に育てられていた。葉の色が他とは較べようもなく濃く、活き活きとしていた。これらは高級な茶として高く売る魂胆であろう。


キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/200秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


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キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/160秒、 露出補正:-1、 WB:オート。



折々の写真&雑感 114

2017年05月22日 | エッセイ
 台所を徹底的に綺麗にしようと、アメリカ製の洗剤の「Spick&Span」(スピック・アンド・スパン、整理整頓の意)が手に入らぬかとインターネットで検索してみた。出てきたのは洗剤ではなく、ファッショナブルなご婦人の衣類の宣伝であった。整理整頓だけではなく、「新調の」とか「きちんとした(服装)」の意味もあるので、恐らくはそれから命名したのであろうが、私には奇異に感じた。

 アメリカの軍隊で「GIパーティー」と云うと、楽しいパーティーではなく、全員でやる徹底した大掃除のことである。その時に必ず使われるのが強力な洗剤の「Spick&Span」であった。洗剤のブランド名ばかりではなく、日常的に「整理整頓をしろ」と上官から命令されていた。この時に使われる言葉が「Spick&Span!」であった。洗剤の「Spick&Span」は中にアンモニアが大量に含まれ、ひどく汚れた床、手あかのついた家具や事務机などはこれで軽く拭けば即座にピカピカになった。それだけ強力なのであろう。当然のこと水で薄めて使うのだが、その分量に依っては白魚の指を持った私などはゴム手袋をしないで洗剤に触れるとすぐにかぶれてしまう。だが黒人兵たちは平気で素手で洗剤に浸けたぞうきんを絞っていた。彼らは乾燥には弱いが、このような強力な洗剤には平気なのであろう。白人兵の中にも素手で作業をしている奴を見かけた。だが、日本人を含め、アジア系の人間にはゴム手袋は必需品であった。

 この「Spick&Span」だけではなく、アメリカには非常に多くの優れた洗剤がある。汚れを落とすにはアンモニアが代表的だが、お酢もかなりの効果があった。また化粧石鹸はラックスが日本では知名度が高いが、そのほかにアイボリー、ドーブ、ダイヤル等々数多くの優れた化粧石鹸がある。
 また軍隊では一切香料を使わず、水に浮く石鹸「Floating Soap」というものを使っている。これは戦場で、川で体を洗う際に石鹸の臭いで敵兵からの発見を防ぐものである。また、使用中に石鹸を水の上に置いても沈まないようにしてある。川底に沈んだ石鹸を探している間に敵兵に襲われないとも限らない。ハイテク時代の戦争に相応しいことではないかもしれないが、非常に保守的な軍隊の中では今でも守られていると聞いている。

 4月の終りに思い立って日本民家園に行った。都合のつく写真仲間を何人か誘って行ったのだが、緑の濃い民家園に喜んでくれた。何度もこの時期に行っているが、今年の緑はとりわけきれいに感じた。


キャノンEOS7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


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折々の写真&雑感 113

2017年05月15日 | エッセイ
 友人たちの中では、私の結婚は早い方であった。また子供を持つのも早かった。長男が小学校に入る頃に友人たちはせっせと育児に励んでいた。私が遊びに誘っても、彼らは奥方の許可が下りず「都合がつかない」と断ってきた。仕方なく、私は長男を助手席に乗せ、時には未だ結婚していない従弟を誘っては海釣りに通った。家内には「たまには勉強を見て下さい」と云われたが、聞こえないふりをして逃げた。下には双子の娘たちがいて家内も大変だったであろうが、海釣りの誘惑には勝てなかった。

 従って勉強は全て家内任せであった。私が子供たちへ目立った教育をしたのは一つだけだった。アメリカ空軍のクリスマス・パーティーに我が家の一家が招待されたことがあった。教育の内容とはバイキング形式の、そのパーティーへの参加方法であった。「いいか、お皿には沢山乗せるな。自分が食べるだけの量にしろ。お代りは、何回でも、何十回でもいい。それから最も重要なことがある。それは高いものから食べろ」であった。ここまでは良かった。だが、子供たちに聞かれた。「どれが高いの?」。これには参った。キャビヤとかトリフ、フォアグラ、それにイベリコのハムなどは、我が家の食卓に一回も昇ったことはなかった。恥ずかしいことだが事実である。あまり高くないが味のいいリブをステーキにするかローストにするのがせいぜいであった。この際、子供たちを引き連れ、今まで見たこともない高級な食べ物を実物で教育することにした。先に挙げた高級品が全て供されていたわけではなかったが、フォアグラとイベリコのハムはあった。フォアグラはお気に召さなかったようだが、ハムは喜んで食べた。また、伊勢エビを何倍にもしたような、ハサミを持った巨大なロブスター、それよりも更に大きな蟹もバター・ソースと一緒に並べられていた。子供たちは蟹の足をコックに食べやすいように切り分けて貰うとテーブルに戻ってきた。

 この教育の成果に依り、我が家の子供たちはこのようなパーティーで、食べきれない程の量をお皿に山盛りにし、残すような無様なことは一切していない。

 四月の下旬に、花見客もいなくなったので上野動物園に行ってみた。急いで虎の檻に行くと先客のお嬢さんがいた。虎はそのお嬢さんには親しみを込めてそっとガラスに顔を付けてくるが、私には飛び掛かってくる。前回にも飛び掛かられたことがあった。標準レンズか広角レンズならよかったが、望遠レンズでは咄嗟の撮影が出来ない。後ろに下がって距離を保つ前に虎は離れてしまう。
 この日に、虎が三頭いることを初めて知った。お嬢さんが教えてくれたのだ。虎の動きが時によって違うのを不審に思っているときにパンフレットを貰って知ったのだと云う。私も帰りに同じパンフレットを貰い、後日に係員から説明を受けた。10歳のメスが二頭と8歳のオスが一頭である。その三頭が交互に任務に就く。基本的には曜日に依って出る日が決っているらしいが、飼育員がその日の状態を観ても決めるのだそうだ。また、日に依っては午前と午後に分ける場合もあると付け加えてくれた。今までは一頭の虎が、その日の気分で動きを変えているものと考えていた。今日の虎(下の二枚の写真)は10歳のメスの「マニス」であった。見分けは顔の縞模様でするのだそうだ。
 
 余談だが、顔で相手を認識するのは猿だけと思っていたが、そうではないらしい。私がラマにほほ摺りをされたとき、飼育員氏が「ある程度顔を覚えているらしい」と云っていた。このラマは、メガネをかけた背の高い男の人が嫌いで、見かけると唾を吐きかけるそうだ。虎もまた顔や姿かたちで相手を認識しているようだ。


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キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/60秒、 露出補正:―1、 WB:オート、PLフィルター使用。

 下の二枚はオオワシである。傷ついた二羽を不忍池の小島に、いつでも飛び立てる環境で保護していたが、不忍池に面した一体の工事に伴い、ハシビロコウと並びの檻に移したのだ。


キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/50秒、 露出補正:―1、 WB:オート。


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 その日は偶然に、複数の蝙蝠がお目覚めであった。近くで撮ってみると、本当に不思議な生き物であると感じる。英語では、普通の蝙蝠はバットだが、このオオコウモリは「空飛ぶ狐」(Flying Fox)と云うらしい。このようなチャンスに再度巡り合う保証はない。飽きるほどの枚数の写真を撮った。


キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f5.6、 1/80秒、 露出補正:―1、 WB:オート。


キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f5.6、 1/120秒、 露出補正:―1、 WB:オート。

折々の写真&雑感 112

2017年05月08日 | エッセイ
 閉鎖されて久しい香港の啓徳空港のことを思い出した。今でこそ多くの航空会社が着陸の実況中継を行っているが、当時は全日空(ANA)だけだったように記憶している。操縦席から見た着陸の模様を実況で客席のモニターに映し出しているのだ。観て驚いた。これほど危険な着陸だったとは夢にも思っていなかった。凄い迫力だった。上から見ると小型自動車でも通れないように見える滑走路に我々が乗っている飛行機が降りようとしているのだ。片側が山を削ったような崖で、その反対側は海である。滑走路の長さはそれほど長くない。台湾の航空機が尻餅をついて海に落ちかかった事件まであった。実況中継を観て如何に危険な空港であるかを認識した。香港を拠点にしていない航空会社のパイロットにとってはサーカスに入団したような気分になるに違いない。
 着陸するまで、息を飲むようにしていた乗客たちが、無事に着陸したことを知ると客席から一斉に拍手が起こった。私も拍手した。二回目の実況からはそれほどの感激は受けなかった。ただパイロットの腕を信じて着陸をじっと待つだけであった。

 此の啓徳空港は1998年の7月に閉じられたが、それまでは進入経路になるビル群の騒音は凄まじかった。四角いビルの角を削って誘導灯を設置してあるのだ。着陸態勢に入った飛行機はビルすれすれに降りてくる。騒音なんて生易しいものじゃない。地下鉄が一度に何台も押し寄せてくるよりひどかった。そんな中、香港のおカミさん連中がおしゃべりを中断しなかった事に驚いた。

 今は取壊されてしまったが、啓徳空港の象徴とも云うべき九龍城があった。その近くに四川料理の旨い店もあった。香港では広東料理と相場が決っているが、辛みを効かせた四川料理店があった。この店の特徴は豆乳が旨いこと、出されるお茶が旨い。値は安いが、その味は高級品のそれであった。私は乳製品は好きだが、牛乳は飲めない。従って豆乳も飲んだことがなかった。この店で、連れに勧められ、恐る恐る一口飲んでみた。私の先入観は一瞬に消えた。お茶も驚きの味であった。これなら料理も期待が持てると周囲を見廻した。どの客もおしゃべりを止して料理に夢中になっていた。この店が移転するまで、私は何度も何度も通った。

 以下の写真は4月の中頃に写真仲間と行った所沢の多聞院のものである。此処は典型的な「神仏混淆」の寺であった。正面に神社があり、その右手に毘沙門堂があり、渡廊下の先には法事を行う施設がある。庭にはクマガイソウをはじめ、ユキモチソウ、エンレイソウ等々、私にとっては初めて見る草花が多くあった。また、椿の寺としても知られ、5月になれば楽しめる。草花を大事に育てる専門家がおり、草花の名前を詳しく教えてくれた。


キャノンEOS7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/13秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/30秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
「ユキモチソウ」


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「クマガイソウ」


キャノンEOS7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 風車の先に納められた「身がわり寅」。この「納め処」は毘沙門堂の周囲はどこでも良いようである。正面左右、裏側。何処にでも納められた「身がわり寅」があった。


キャノンEOS7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/25秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 「身代わり寅」は毘沙門堂の至る処に納められていた。上の写真は一人で納めたのか、二人分なのか、或いは別々の三人が納めたのか、楽しい想像をした。


折々の写真&雑感 111

2017年05月01日 | エッセイ
 アメリカ空軍に勤務していた頃、仲の良かった中尉がいた。家族ぐるみの付き合いでもあった。彼の奥さんを紹介されたとき、彼女に真っ先に云われたことが今でも印象に残っている。「どうか、この基地で働いている軍人とその家族を見て、これが一般的なアメリカの社会だと思わないで下さい」と訴えるような目つきで私に云った。後で聞いた話だが、軍人の結婚相手は必然的に、同じ軍隊の中から選ばれるケースが圧倒的に多いそうだ。相手が軍人であったり、その家族であったりする。軍隊と転属は切れない宿命にあるからだそうだ。勿論例外はあるが、仲間意識が強く、軍人の家庭で育った相手の方が独特な習慣に馴染みやすいこともあると聞いた。彼女は軍隊とは全く関係のない家庭で育った。そしていい面も悪い面も、否応なしに、彼女をその環境の中に引きずり込んだ。でも、中尉と結婚して幸せであるとも云われた。

 彼女からアメリカの家庭内の家事について、色々なことを教わった。本来は家内に説明していたのであるが、家内は複雑なことは私に聞きに来た。家内の通訳をしていて、私も教わったのである。「冷蔵庫を買う場合、その大きさを検討し、これでいいと決ったら、更にその上のサイズを買うべきよ」。我が家で家を建て直したとき、彼女の助言を思い出してかなり大きいサイズの冷蔵庫を買った。口の悪い友人から「夏になったら、お前がこの中に入れ」と悪態をつかれたこともあった。だが、夏の終りになるころ、冷蔵庫の中のゆとりはそれほど多くなくなっていた

 長男が独立し、娘たちが嫁いだ後は、その大きさを持て余し、もっと小さいものに買い替えた。だが、それでは小さすぎ、現在はもっと大きなものを使っている。冷蔵庫の扉を開けるとき、彼女の助言を思い出す事が今でもある。懐かしい中尉一家であった。

 以下は今年のものではないが、4月中旬から下旬にかけての鎌倉の写真である。この時期になると電車を北鎌倉で降り浄智寺の先の道から右に折れ、近道を通って化粧坂を登る。更に銭洗い弁天の外れから抜け道を通って佐助稲荷に出る。そして最後に鎌倉駅の西口に着くコースである。それほど簡単ではないが写真を撮りながら、急がずに歩くにはいいコースである。


キャノンEOS7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/100秒、 露出補正:-1、 WB:オート
 化粧坂へ向かう道の両脇には細い道が多くあり、非常に興味をそそる。いつかこのような道を散策してみたいと願っているが、未だに実現していない。


キャノンEOS7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/13秒、 露出補正:-1、 WB:オート
 化粧坂。この坂は常に湿っている。雨が降った後のようである。土地の人の話では、地面から水が湧き出ているらしい。だが、ぬかるんではいない。


キャノンEOS7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/100秒、 露出補正:-1、 WB:オート
 シャガを通してみる佐助稲荷の鳥居。この構図でいい写真を撮りたくて、シャガが咲くころに佐助稲荷に行きたくなる。


キャノンEOS7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:200、 f16、 1/15秒、 露出補正:-1、 WB:オート
 上とほぼ同じ構図であるが、多少立ち位置が変っている。佐助稲荷から降りてくるお嬢さんと、これから参拝すお嬢さんの服装がかなり違うが、降りてくるときには上を一枚脱いでいるであろう。


キャノンEOS7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/200秒、 露出補正:-1、 WB:オート


キャノンEOS7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/50秒、 露出補正:-1、 WB:オート
 上二枚は鎌倉駅に向かう途中のお宅の生垣。よく手入れされているので、大振りに育ったつつじは美しかった。