TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 490

2024年06月30日 | エッセイ
 「そこまではチャリで楽に行けます」と若い人に云われて、一瞬理解出来なかった。だが、チャリはチャリンコ(自転車)のことかと判断し、その話についていけた。スマートフォンをスマホと略すぐらいならついていけるが、最近はやたらと略して、というより端折ってしまう云い方をする。

 何十年か前に「レイコー」と云われて全く理解出来なかったことがあった。大阪ではアイス・コーヒーのことをそのように云っているらしかった。「冷コー」即ち冷やしたコーヒーの略であった。大阪の言葉には理解に苦しむことが多い。特にお笑い芸人が幅を利かすようになってからはその傾向が強い。前にも書いたことがあるが、「そこを退いて貰ってもいいですか?」と云われた時には何かを頼まれたらしいが、何のことか理解出来なかった。要は「恐れ入りますが、そこを退いて頂けないでしょうか?」と云う素晴らしい日本語があるのに、最近では「~して貰っていいですか」と云うおかしな日本語が幅を利かしている。大阪出身のお笑い芸人が広げた言葉であろう。また、自分を卑下するつもりなのか、内心では自慢するつもりなのかは知らぬが、自分の役職について「~をさせて貰っている」とおかしな日本語が幅を利かせている。

 最初は奇異に感じていた単語や言い廻しが世に浸透し、それが正しい日本語と誤解されるようになることが恐ろしい。町のご隠居が嘆くようなことを書いてしまったが、年々正しい、美しい日本語がどんどんゆがめられてしまうことを危惧している。

 私の写真仲間の一人に古代文学の学者がいるが、言葉の乱れを嘆くより、諦めてしまっているのではないかと思えるように振舞っている。現役の教授であったころは学生たちの使う言葉をその都度訂正していたが、相当に疲れる作業だったようだ。

 この日は相当に暑く、吉祥寺の駅を降りてすぐに引き返したくなった。而し、神代植物公園の魅力を想像し、意を決して暑い中をバス停に向けて歩き始めた。バスを降り、公園正面に向かう道路の両側を見ると沢山のきれいな花々が見ごろを迎えていた。

 お昼にいつも行く深大寺蕎麦(深大事門を出て、二軒ある向かって右側のソバ屋(松葉茶屋)にいつものように入り、天ぷら蕎麦を注文した。ゆっくり昼食を済ませてから再度植物園に入り、違う場所を撮影するのが習わしになっているがこの日は違った。口の中に髪の毛が入っていることに気が付いたのだ。蕎麦に入っていたか、タレに入っていたか天ぷらに入っていたのかは不明だ。髪の毛が入っていたことを店員に云うと、新しいタレをもって来て「済みませんでした」と云われてお終いだった。口の中のものを全て出し、勘定を済ませるとすぐに公園に戻った。客あしらいが親しみのこもったものと感じていた「松葉茶屋」だが、実はそれが単に客に対する粗雑な口の利き方と対応であったのだったと考え直した。もう行かぬ。戻った神代植物公園内の水道で口を漱ぎ、大急ぎで正門に向かった。出る前に口直しに食べたソフトクリームの美味しかったことがわすれられない。













折々の写真&雑感 489

2024年06月23日 | エッセイ
 現役時代の出張の時、初めての取引先へのお土産に頭を悩ませていた。そんな時に「地球の歩き方」という小冊子を見つけた。色々な国と地域ごとに発行されているので、取り敢えずビルマ編(当時は国名がミャンマーではなく、ビルマであった)と次に行く予定となっていたマダガスカル編を購入した。両国とも初めて行く国であったので、その内容に魅せられた。そして現地の人が喜ぶお土産に次のように書かれていた。ビルマには折りたたみ傘とネスカフェのインスタント・コーヒー、マダガスカルにはチョコレート。

 ビルマに行く前に、上等な折りたたみ傘を先方の社長とその夫人用に購入した。ご自宅に招かれ、社長夫人と初対面の挨拶を済ませた後にお土産の傘を差しだしたが、それほど喜ばれなかった。何日か後にマーケットに行ってみると私が持参した傘より色鮮やかで、ずっとモダンな感じのする傘が非常な安値で売られていた。マダガスカルにも、「地球の歩き方」に書かれていたのを参考に、色々な種類のチョコレートを柔らかくならないように断熱性のあるブランド物の分厚い袋にぎっしり詰めて持って行ったが、さほど喜ばれなかった。土産ものに関する限り、「地球の歩き方」は全く役に立たなかった。また、他の記事もそれほどの参考にはならなかった。現実との差にかなりの隔たりがあったのだ。

 色々と考え末、次回からは父親の描いた色紙を持っていくことにした。父は長年南画を描き続けていたが、定年後は南画を色紙に描くようになった。色紙に描く絵は日本画であるが、父が描く日本画は南画の影響が多く出ており、私には南画としか見えなかった。その色紙を畳紙(タトウ、湿気を吸って防カビ対策をされた厚手の紙(タトウ紙)を二つ折りにして色紙を挟むためのカバー。それには重厚ではあるがモダンな感じのする模様が印刷されていた)に入れて持って行った。

 経済的に豊かであるなら通常の土産では満足しないだろうが、父の色紙は非常に喜ばれた。経済的に恵まれない人であるなら、その色紙を売ればいい。日本国内では大した値はつかないが、外国では非常に評判が良かった。畳紙に入った色紙、それも日本でしか使われることのない上等な、高級な絵の具で描かれた色紙の価値はかなりのものであった。それに多くの色紙を持って行っても嵩張らないし、軽い。

 2014年6月9日付の「TDYラオス編1」で紹介した、二人のフランスのご婦人が経営しているサウナに何回も通い、非常に親切にして頂いた。そのお礼に二匹の鮎が描かれた色紙を持って行った。目を輝かせて喜んでくれた。そして鮎を見た途端に「これ、スイートフィッシュ〈Sweetfish〉ね」とフランス語の出来ない私を気遣って英語名で云ってくれた。フランスにもこれと似た魚がおり、何とか云う川には掴み取りが出来るほどウジャウジャいるらしい。川の名前を覚えておけば、大儲け出来たかも知れなかった。

 蚕糸の森公園に初めて行った。この近くにお住まいのある写真仲間のご婦人がその季節に相応しい、素晴らしい写真をお撮りになっている。
写真を目的に行ったのではなく、自転車でぶらぶらとあてどなく走っていた結果、蚕糸の森公園にたどり着いたのである。念のためにデイパックに入れておいたバカチョンカメラがあったので、それを使うことにした。以下は全てキャノンのG7MarkIIで撮ったものである。













折々の写真&雑感 488

2024年06月16日 | エッセイ
 誰も信用していないにも拘らず、自分はカメハメハ大王の血を引く子孫だと云い張っている友人のことは既に何回か書いた。彼は大学を卒業後に日本航空に就職し、フランスとアメリカ(主にアラスカ)の駐在員を永く務めた。北海道に勤務地を移されてしばらくしてから退職してしまった。ハワイから花を輸入し、それを北海道中に売るために退職したらしいが、友人の誰もが残念がっていた。それに南国の花を北海道に売る発想を疑問視した。彼はカメハメハ大王との強い繋がりがあるから花の輸入には自信があると胸を張っていた。

 次に彼と再会したのは神田の小さい事務所だった。北海道の何かの団体の東京事務所の代表だと云っていたが、その事務所には彼一人しかいなかった。「花屋はどうなっているんだ?」と聞くと、完全につぶされたと悔しそうな顔をした。それも競争相手につぶされたのではなく、北海道のヤクザに潰されたのだそうだ。花とヤクザとはどうしても結びつかなかったが、彼の説によると、後で知ったことだが北海道の花屋の業界はヤクザが取り仕切っているのだそうだ。

 サンプルに二十種類ほどの花をハワイから送って貰い、北海道中のめぼしい花屋に見て貰った。どの花屋も非常に興味を示し、すぐにでも商売に取り掛かりたいほどの評判だった。彼は退職金と今までにシコシコ貯めた預金のかなりの部分をつぎ込んでハワイから花を仕入れた。花の流通はセリにかけられたた後で花の小売店のもとに届けられるのだそうだ。そのセリを取り仕切っていたのが北海道一の勢力を持つ何とかいうヤクザだったらしい。而し、それを競り落とす花問屋は一社もなかった。あのように評判の良かった花を誰も買おうとしないのはおかしいと、彼は彼なりに調べた。そして、なんとかいう組のヤクザにたどり着いた。

 彼は殴り込む勢いでその組の親分に交渉に行った。親分は彼の云い分を熱心に聞いてくれ、「お前さんの花を扱えるようにしよう」と云ってくれたが、それから先には全く進まなかった。何回交渉に行っても同じだった。最初に輸入した花はしおれ、売り物にはならなかった。ヤクザの親分の話を信じ、次を仕入れたが同じことだった。借金をして三回目を仕入れようとしたが、それが旨く行かなければ家族ともども路頭に迷う心配があった。彼は「お前な、どんなに人の良さそうな奴でも、ヤクザはヤクザだ。彼らを信用するなよ」と寂しそうに私に云った。

 以下は深川江戸資料館の写真であるが、全てを撮るのに20分もあれば充分だった。入館料が400円だったが、無料でも再度行きたくなるような撮影場所ではなかった。おまけに地下鉄の出口を間違え、かなりの道のりを歩かされた。これは私が悪いのだが、それ以上にインターネットの案内用の写真に騙され、過度の期待感を持ったことにもっと腹を立てた。













折々の写真&雑感 487

2024年06月09日 | エッセイ
 所用からの帰りに、くの字状の曲り角で80代と思われる老人が前方の道路に倒れているのを目撃した。すぐに近寄って助け起こそうとしたが、私が手を貸す前に彼は自力で立ち上がり倒れていた自転車を起こそうとしていた。見ると両肘が擦り剝け、血がにじんでおり、かなり痛そうだった。骨折はしていないかと心配になり「大丈夫ですか?救急車を呼びましょうか?」と尋ねると、しっかりしていたが、かすれた声で「大丈夫です。必要ありません」と云いながら自転車に乗ろうとしていた。そして「自宅はすぐそこですから」と付け足した。

 20年かそれ以上前のことだが、勤務先にオートバイで通っている若い二人と知り合った。彼らはオートバイに乗るときは、夏でも長袖のシャツを着るか、半袖シャツの上に薄手のナイロンのジャンバーを必ず着ていた。「こけた時に、肘をすりむかないためです。痛いですから」と私の疑問に答えてくれた。その事を思い出し、私も電動自転車に乗り換えてからはその二人のように、どんな暑い日でも長袖か薄手のナイロンジャンバーを着ることにしている。

 くの字状の曲がり角を曲がり切れなかった為に転倒した老人は、ヘルメットはかぶっていたが半袖であった。あのすりむいた両肘を見たら、とても半袖で自転車に乗れないとつくづく思った。ただの擦り傷ではなく、殆ど皮が無くなってしまった状態のように見受けられた。あの激痛で骨折には気が付かなかったのではないかとさえ危惧した。

 電動自転車に乗るようになって走行中に転倒したことはないが、走り始めようとしたときにバランスを崩して道路に自転車ごと倒れたことがあった。近くにいた若いご婦人がすぐに自転車を起こして歩道に運んで下さった。「重いですから」とそのご婦人は云った。確かに普通の自転車なら倒れなかったろうが、車体が重いのでバランスを崩した態勢では支えきれなかったのである。それ以来、サドルを少し低くしてすぐに両足が地面に着くようにした。

 以前の自転車ではサドルを高くし、ギアを最上段の3にして走行していたのに、電動自転車でそのようにすると走行中にふらつく。それだけ車体が重いからか?だが、電源を切るとふらつきが収まる。理由がわからない。現在はギアを2にし、サドルを低くし、平坦で混雑した道を走るときは電源を切って走行するようにしている。だがふらつきは止まらない。サドルを低くし過ぎた為に、無理な体制で自転車をこぐことによる別の原因のふらつきであると考え、それでもう少しサドルを高くしてふらつきを解消させた。

 インターネットに掲載されている写真を見る限り、清澄庭園はきれいに整備されており素晴らしい庭園を想像させた。そして静寂の中に身を置く期待感があった。だが行ってみると、スーツケースを持った観光客が傍若無人に歩き廻り、かなり荒れた庭園で、池を挟んだ対岸がすぐそばに見えた。かなり小さい庭であった。恐らく、客が全くいない時間に広角レンズで撮影した写真を掲載したのであろう。私は24-105ミリのレンズで、荒れていないところを選んで撮影した。














折々の写真&雑感 486

2024年06月02日 | エッセイ
 二、三週間ほど前のテレビ・ニュースで、キャベツが一個1,260円だと報じられ、馬鹿な世の中になったものだと嘆いたのを思い出した。そのニュースの映像ではキャベツを生産している人が見渡す限り辺り一面のキャベツ畑の中で、「このところの天候が定まらず、収穫が一〇日ほど遅れた」からの値上がりだと得意顔で云っていた。そんなバカなことがあるかと腹立たしくなった。それなら、我々の年金の支給を一〇日ほど遅らせて欲しい、そうすれば10倍の年金が貰えるのか?

 そのニュースの翌日、家内がキャベツを買ってきた。1,200円もするものを買ってきたのかと驚いたが、値を聞くと200円ほどだったと云った。それでも昨年の価格に比べれば倍近い高騰らしい。

 農家は何か理由を付けては値を上げたがる。そんなものは買わなきゃいい。キャベツがなくてもレタスがある。キャベツなど、三日もすれば新鮮さが失われ、一〇日もすれば萎れたり腐ったりして売り物にならなくなるだろう。出荷時期が一〇日遅れただけで通常の10倍以上の値を付けるなど不見識にもほどがある。キャベツの産地など日本国中至る所にある。我々庶民が居てこそキャベツが売れるのだろう。その農家だけがキャベツを作っているのではないことを認識すべきだ。そんなキャベツを扱う農協や青果市場、それに小売店は何を考えているのか。テレビ・ニュースのディレクターの不見識さにも呆れる。そんなものは無視するか、否定的な態度で報道すべきだ。また、それとは別に政府が主導して、極端に値上がりした野菜は台湾から緊急輸入すればいい。いくら円安でも不見識な農家より安く買える筈だ。そのようにすれば、農家は安易に値を釣り上げられなくなると思う。

 色々な水族館に行ったが、都立の葛西臨海水族園は非常に撮りやすい。私は魚類の専門家ではないので、如何に写真が撮りやすい環境で魚たちが泳いでいるかが重要である。その点、展示されている種類は他の水族館に比べて少ないが、撮り易さにでは群を抜いている。

 水族館に撮影に行く時期であるが、私は何度も失敗している。冬の寒い時期に温かい環境で撮影したいと水族館に行く。そのたびに寒さを凌ぐためのコートやマフラーの処置に困る。次の年にはそれを忘れてしまい、同じ失敗を何度も繰り返している。










 上の二枚は似たような写真だが、楽しそうに泳ぐ魚たちを見ているとつい多くの写真を撮ってしまう。