ある日、アンタナナリブの日本大使館を訪ねた時、何人かの職員が慌ただしく出て行くのに遭遇した。これから空港に衆議院議員を迎えに行くのだそうだ。名前を伺ったが、聞いた事もない議員だった。マダガスカルは大変な親日国であるのに、日本政府はマダガスカルをそれほど重要な国とは見做していないようだ。それなのに、今回ばかりではなく、議員先生がよく訪れるらしい。どのような用件でお出でになるのかは知らぬが、観光であるなら非常に息抜きが出来る国である。国会議員と云うだけで大使館の職員に出迎えをさせたり、自分の使用人であるかのように扱うのはどうかと思う。職員は本来の業務を放り投げて議員先生のお守りをしなければならない。気の毒な話である。これはマダガスカルに限ったことではない。他の国々に於いても行われている事であるようだ。
トマシナの道端で遊んでいた子供たちに「ニイハオ」と声をかけられたとマダガスカル編の41で述べた。その編では詳しく書かなかったが、子供たちは私に好意的な態度で「ニイハオ」と云ったのではなかった。私を中国人だと見誤った子供たちは侮蔑の意味を含めて「ニイハオ」と云ったのである。不法滞在の中国人の所業を親から聞いていたのであろう。
中国人のグループが、マダガスカルで禁止されている地域から貴重な木材を不法に伐採し、中国に密輸している映像を最近に観た。日本近海でサンゴを密漁しているようなものだ。以前にも少し触れたが、1991年の段階で不法に滞在している中国人が約2万人いた。それが1995年には5万人にもなった。外務省の金庫から、未使用のパスポートが大量に盗まれたことから、加速度的に人数が増えたらしい。また、中国政府から公金を横領してマダガスカルに逃げてきたり、公務で出張してきた職員が中国に帰らず、そのままマダガスカルに居座ってしまうケースも増えてきた。マダガスカル人は非常に大人しく、断固とした処置を取れないことは承知している。それでも、私はその呆れるほどの寛容さに腹が立つ。
選木が早く終り、早めにホテルに帰ってきたことがあった。シャワ-を浴びた後の体を拭いているときにドアーのノックの音がした。開けると見たことのないお嬢さんが立っていた。「あのー、あのー」と云ったきり用件をなかなか切り出さなかった。その時、階段を駆け上がってきたハウス・ボーイが私の所に来た。「すみません、つい油断しまして」と謝った。夜の姫君が出張販売にお出でになったようだ。アンタナナリブのコルベール・ホテルでは入口に門番を置き、この種の侵入者を防いでいるのだが、このような事がたまにあるらしい。
私のマラリアを「風邪」であると診断した名医が旅行会社のツアーでイタリーに行った際に、二人組の姫君の出張販売に出くわしたそうだ。彼はその姫君たちを自室に入れた。そして姫君が帰った後に金目のものが全て無くなっていたことに気付いた。30万円ほどの現金、金側のローレックスの腕時計にクレジットカード。だが、その時の姫君は非常に良心的で、パスポートは残しておいてくれたと感謝していた。阿呆としか云いようがない。



良く手入れされたネプチューン・ホテルの庭。その庭の管理責任者とも云うべき物静かなお譲さん。

庭できれいに咲いた花はレストランを飾る。

ネプチューン・ホテルのメインレストランのスタッフ。コルベール・ホテルと同様に細やかなサービスをしてくれていた。




ネプチューン・ホテルの事務スタッフ。コルベール・ホテルと違い、此処の事務スタッフはフロアーマネージャーも含めて殆どがお嬢さんたちであった。このホテルでもかなりお世話になった。

あの船が、私のパリサンダーを積んだ三井船舶の貨物船であろうか。もし、そうであるなら敬礼をして見送りたかった。


上の写真の薬草をベド元法務大臣がわざわざコルベール・ホテルに届けて下さった。大変に恐縮すると「ついでですから」と人懐こい笑顔を見せてくれた。「これこそキャンサー(ガン)に効く薬草です」と、過日の思い違いを訂正しながら説明してくれた。頂いたフランスの薬学の機関の説明書は全てフランス語であったので全く読めず、内容も全く理解出来なかった。
根のある植物は日本に持ち込めない。そのように云うと、「貴方が次回にマダガスカルにお出でになるまでに、これを乾燥させて漢方薬のようにしておきます」とおっしゃって下さった。

長男の住むフランスにご夫婦で行くことになった。ジルス・ベドが所用で見送りに来れなかったので、私がジルスの次弟のルイス・ベドとアンタナナリブの空港に見送りに来た。

長男を抱いているルイス・ベド君。手を引いているのが長女。此の時の彼女は元気そうに父親と一緒でご機嫌でいるが、ついこの間まで死ぬか生きるかの境目にいた。母親が不用意に出しっぱなしにしておいたマラリアの治療薬を飲んでしまったのである。マラリアに感染しでいないのに治療薬を飲んでしまったら大変なことになる。読者諸兄諸姉もご記憶ではないだろうか、ある大学教授がタイ旅行の際、予防薬を飲まずに、治療薬を飲んで死亡してしまったことがあった。無知としか云いようがない。ご存じと思うが、バンコク市内にいる分にはマラリアの心配はない。而し、バンコクを離れると、タイにはマラリアの汚染地域は多くある。
まだまだ書き足りないことが山ほどあるが、「マダガスカル編」をこれで終りたい。最後までお付き合い頂いた読者諸兄諸姉に心から感謝申し上げたい。そして、豊かな地下資源と美しい自然を持ったマダガスカルが誰からも侵されない事を願っている。
来年、2015年の1月5日には新しく「パプアニューギニア編」を綴りたい。正式な国名はPapua New Guynia(P.N.G.)だが、日本国内の通り名であるパプアニューギニアと呼ばせて頂く。
皆様、是非とも良いお年をお迎え下さい。そして、またこのブログでお目にかかれれば此の上の幸せはありません。
トマシナの道端で遊んでいた子供たちに「ニイハオ」と声をかけられたとマダガスカル編の41で述べた。その編では詳しく書かなかったが、子供たちは私に好意的な態度で「ニイハオ」と云ったのではなかった。私を中国人だと見誤った子供たちは侮蔑の意味を含めて「ニイハオ」と云ったのである。不法滞在の中国人の所業を親から聞いていたのであろう。
中国人のグループが、マダガスカルで禁止されている地域から貴重な木材を不法に伐採し、中国に密輸している映像を最近に観た。日本近海でサンゴを密漁しているようなものだ。以前にも少し触れたが、1991年の段階で不法に滞在している中国人が約2万人いた。それが1995年には5万人にもなった。外務省の金庫から、未使用のパスポートが大量に盗まれたことから、加速度的に人数が増えたらしい。また、中国政府から公金を横領してマダガスカルに逃げてきたり、公務で出張してきた職員が中国に帰らず、そのままマダガスカルに居座ってしまうケースも増えてきた。マダガスカル人は非常に大人しく、断固とした処置を取れないことは承知している。それでも、私はその呆れるほどの寛容さに腹が立つ。
選木が早く終り、早めにホテルに帰ってきたことがあった。シャワ-を浴びた後の体を拭いているときにドアーのノックの音がした。開けると見たことのないお嬢さんが立っていた。「あのー、あのー」と云ったきり用件をなかなか切り出さなかった。その時、階段を駆け上がってきたハウス・ボーイが私の所に来た。「すみません、つい油断しまして」と謝った。夜の姫君が出張販売にお出でになったようだ。アンタナナリブのコルベール・ホテルでは入口に門番を置き、この種の侵入者を防いでいるのだが、このような事がたまにあるらしい。
私のマラリアを「風邪」であると診断した名医が旅行会社のツアーでイタリーに行った際に、二人組の姫君の出張販売に出くわしたそうだ。彼はその姫君たちを自室に入れた。そして姫君が帰った後に金目のものが全て無くなっていたことに気付いた。30万円ほどの現金、金側のローレックスの腕時計にクレジットカード。だが、その時の姫君は非常に良心的で、パスポートは残しておいてくれたと感謝していた。阿呆としか云いようがない。



良く手入れされたネプチューン・ホテルの庭。その庭の管理責任者とも云うべき物静かなお譲さん。

庭できれいに咲いた花はレストランを飾る。

ネプチューン・ホテルのメインレストランのスタッフ。コルベール・ホテルと同様に細やかなサービスをしてくれていた。




ネプチューン・ホテルの事務スタッフ。コルベール・ホテルと違い、此処の事務スタッフはフロアーマネージャーも含めて殆どがお嬢さんたちであった。このホテルでもかなりお世話になった。

あの船が、私のパリサンダーを積んだ三井船舶の貨物船であろうか。もし、そうであるなら敬礼をして見送りたかった。


上の写真の薬草をベド元法務大臣がわざわざコルベール・ホテルに届けて下さった。大変に恐縮すると「ついでですから」と人懐こい笑顔を見せてくれた。「これこそキャンサー(ガン)に効く薬草です」と、過日の思い違いを訂正しながら説明してくれた。頂いたフランスの薬学の機関の説明書は全てフランス語であったので全く読めず、内容も全く理解出来なかった。
根のある植物は日本に持ち込めない。そのように云うと、「貴方が次回にマダガスカルにお出でになるまでに、これを乾燥させて漢方薬のようにしておきます」とおっしゃって下さった。

長男の住むフランスにご夫婦で行くことになった。ジルス・ベドが所用で見送りに来れなかったので、私がジルスの次弟のルイス・ベドとアンタナナリブの空港に見送りに来た。

長男を抱いているルイス・ベド君。手を引いているのが長女。此の時の彼女は元気そうに父親と一緒でご機嫌でいるが、ついこの間まで死ぬか生きるかの境目にいた。母親が不用意に出しっぱなしにしておいたマラリアの治療薬を飲んでしまったのである。マラリアに感染しでいないのに治療薬を飲んでしまったら大変なことになる。読者諸兄諸姉もご記憶ではないだろうか、ある大学教授がタイ旅行の際、予防薬を飲まずに、治療薬を飲んで死亡してしまったことがあった。無知としか云いようがない。ご存じと思うが、バンコク市内にいる分にはマラリアの心配はない。而し、バンコクを離れると、タイにはマラリアの汚染地域は多くある。
まだまだ書き足りないことが山ほどあるが、「マダガスカル編」をこれで終りたい。最後までお付き合い頂いた読者諸兄諸姉に心から感謝申し上げたい。そして、豊かな地下資源と美しい自然を持ったマダガスカルが誰からも侵されない事を願っている。
来年、2015年の1月5日には新しく「パプアニューギニア編」を綴りたい。正式な国名はPapua New Guynia(P.N.G.)だが、日本国内の通り名であるパプアニューギニアと呼ばせて頂く。
皆様、是非とも良いお年をお迎え下さい。そして、またこのブログでお目にかかれれば此の上の幸せはありません。