TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 498

2024年08月25日 | エッセイ
 甲子園での第100回目の高校野球大会が終わった。高校野球を観ていると、ある選手を除いて全員が金属バッタを使っている。私の長男がリトルリーグに入ったのをきっかけに監督からコーチを依頼された。だが、自由に使えるグランドの確保が大変だった。当時の私は日本政府から派遣され、アメリカ空軍の仕事をしていた。それで司令官にお願いしてアメリカ陸軍が管理している野球場の一面を毎週日曜日に貸して頂くことになった。そこには全部で4面の野球場があった。日本の土地をアメリカ人から借りるとはおかしな話だが、安保の適用内に広大なグランドも入っていたのだ。

 ご存じのようにリトルリーグは硬球を使用していたが、バットは木製だった。折れてしまうことが何度もあった。隣接するグランドでは米陸軍の子供たちが練習しており、我々のチームと試合をすることが多くなった。親しくなった彼らのコーチの一人が、「新品ではないが、よければこれを使ってくれ」と金属バットを6本も持ってきてくれた。日本では金属バットは非常に珍しく、高校野球でも使っていなかった。我々の選手たちは飛び上がって喜んだ。

 同じリーグ内の定期試合で、我々のチームが金属バットを使うと、大した当たりでもないのに「カーン」という甲高い音に相手チームは想像以上に反応し、敵の失策を招いた。結果、我々は連戦連勝だった。ある日、相手チームの監督が「金属バットの使用は規則違反ではないか」と抗議に来た。而し、リトルリーグの規約のどこを探しても金属バットの使用を禁じる項目はなかった。念のため、米陸軍のチームのコーチにお願いして原文のルールブックのコピーを貰い、隅々まで読んだが、バットに関しては長さと重さの規定しかなかった。

 当時、アメリカから輸入されたばかりの大人用の金属バットが運動具店に展示されていたが、とても気軽に買える値段ではなかった。恐らく、正式な試合で金属バットを使ったのは我々のチームが日本で初めてでなかったろうか。余談だが、その運動具店には参考品としてリトルリーグ用の金属バットも展示されていたが、大人用のバットより高い値がつけられていた。

 以下は、今では死に絶えてしまったか、繁殖のために他の動物園に貸し出されたかして今は上野動物園から居なくなってしまった鳥たちの写真である。













折々の写真&雑感 497

2024年08月18日 | エッセイ
 他の国の政治家や役人の殆どの人は、自分の言葉で相手に向かって、説得力のある話し方で自分の意見や考え方を話している。
 
 日本の場合、多少の例外はあるが、皇室を筆頭に政治家や役人は誰が書いたかわからないようなものを読む。それも何十秒かの短い文章(言葉?)でも紙を読む。そんなものを聞いていても感動はないし、同意もあったもんじゃない。

 アメリカの大学教授が学生の前で非常に素晴らしい講義をしている映画を観たことがあった。こんな素晴らしい教授の授業なら、居眠りする学生もいないだろう。

 経済学部に在籍していたころ、なんとかの経済学の授業で、何十年も使い続けたような古いノートを教授がボソボソ読むだけの授業を受けたことがあった。試験はそのボソボソ読んだ内容から出される。ほんの何人かのクソ真面目な学生はそのボソボソを一言も聞き漏らすまいと必死でノートに書き写していた。私は馬鹿々々しいので居眠りをしていた。こんな授業に高い授業料を払っていた父親には済まないとは感じていたが、大半の学生は居眠りをしていたか小説を読んでいた。試験の時は先輩から代々受け継がれていた試験問題を教えて頂いた。それで、その答えに合うようものを、経済学部の学生に無償で配られていた教授たちの論文集の中から探し出し、B4の紙に書いておいた。それを試験管のすきを見て答案用紙とすり替えた。この方法も先輩から教えて頂いたものだ。お陰で愚にもつかない講座の単位は無事に取れた。

 国会中継を見ていると、質問する野党議員もそれに答える与党の議員や大臣も紙に書かれている文章を読む。前もって質問を相手に提出しており、その答えを誰か、恐らく答弁する本人ではなく党の誰かか、担当する公務員かが書くのであろう。そんな猿芝居がまかり通るなら、国家議員など一人も必要ない。党に質問内容を上手に書く人を雇い、答弁する与党は公務員におべっかを使うだけでいい。紙のやり取りだけならだらだらと長いだけの、何の内容もない国会等は開かなくともいい。その経費に加え、役にも立たない全議員の報酬、それに党への交付金も必要なくなる。その全額を物価高にあえぐ庶民に配ればどれほど喜ばれるか!

 上野と云えば動物園、美術館や仲見世商店街以外にも楽しい場所は多くある。私が好きな場所は不忍池と寛永寺周辺である。















折々の写真&雑感 496

2024年08月11日 | エッセイ
 長野県の地獄谷野猿公苑に通いつめていた頃の事だ。ある日、中学生と思われる大勢の女子生徒と一緒になった事があった。そのうちの一人の子の目の輝きが他の子たちと違っていた。満面に笑みを浮かべて真剣に猿たちを見つめていた。その目は好奇心と優しさに満ちていた。「猿が好きなんだなぁ」と感じると同時に、自分も初めてこの公苑の猿どもに出会ったときは同じような目つきになっていたのではないかと想像した。適当な猿を捕まえて彼女に抱かせてやったらどんなに喜ぶだろうと考えたが、この苑のルールを破るわけにはいかなかった。

 彼女から離れ、餌の入った木製の大きな箱の上に肘を置いて目の前の今年に生まれたばかりの子ザルの撮影に夢中になった。背負っていたカメラバッグの上に去年に生まれた悪ガキ盛りの子ザルが乗ったように感じたが、重くはないのでそのままにして目の前の前の撮影に戻った。すると、背中の猿の仲間の二匹がやってきて、一匹は私がカメラを構えている腕の上に乗った。それなら何とかなると思ったが、もう一匹はカメラの上に乗り、レンズをいじりだした。これでは撮影が出来ない。「どけよ」と云いながらカメラを動かしてみたが、面白がって離れようとしなかった。それで、一か所に落ち着いていられない子ザルたちが飽きるのを待つことにした。

 その時例の女子生徒が来て、「どうすれば背中に乗って貰えるんですか?」と聞いてきた。聞かれても返事に困った。猿どもに命令したり頼んだりしたわけではなかった。それで、彼女にしゃがませ、私の腕に乗っている猿を彼女の背中に移動させようとしたが旨くいかなかった。それを遠くで見ていた苑の職員氏がやってきて、他の人には見えないようにして私の腕に乗っている子ザルを抱きかかえてそっと彼女の背中に乗せた。苑の職員でも子ザルを抱きかかえることは出来ない筈だが、好意で禁を破ってくれたようだ。

 その女子生徒が猿を背中に乗せたまま仲間のところに行ったので、「背中のエテ公は俺をよっぽど気に入ったのかな?」と云うと、職員氏は「そうじゃありませんよ。○○さんをなめているんですよ。このオジさんなら何もしないだろうと、敵は相手をよく知っています」。猿に顔を覚えられたのは嬉しいが、彼らが親愛の情を示したのではなく、完全に私をなめ切っていると聞いては、いくら相手が猿でも気分のいいものではなかった。

 先週に続き、10Ⅾで撮ったトルコのイスタンブールの街中と記念公園の写真を掲載した。私の属している写真クラブは8月の例会を休会にした。8月の休会は昨年から始まったことだが、こう暑くてはこれからも8月の休会は続くであろう。













折々の写真&雑感 495

2024年08月04日 | エッセイ
 日本で云えば国会議員にあたるであろう中国各地の共産党の代表は何千人もいるようだ。日本の議員に比べれば、彼らの仕事は楽なもんだ。何とかの大会に集められたときに、ただ拍手をするだけだ。それに比べれば日本の議員の先生方は大変だ。

 自民党の二階さんがテレビの番組で云っていた。「初めて立候補しようとしたとき、政策は?と聞かれずに幾ら出せるか?と聞かれた」と、また「現在の選挙資金に10億はかかる」と云っていた。こんな候補者を当選させたら、次の選挙までにありとあらゆる手段を使って次の選挙資金を集めるために奔走するであろう。そうなったら本来の政治家である筈の国会議員の仕事など手につくものではないし、やる気もないだろう。

 このような現象は自民党の議員だけではない。写真の会で知り合った公明党のある区会議員は「毎日朝早くから、夜の10時、11時まで仕事をしているので写真を撮りに行く暇はとてもない」と云っていた。区会議員の仕事は大変だなあと感心し同情もした。 而し、よく話を聞いてみると、その時間の全ては有権者のところを廻り、先方のご機嫌を伺い、頼み事があれば、それを聞くことだそうだ。そうしないと次の選挙で投票して貰えないらしい。当選した翌日から、公費を使って次の選挙まで票集めに奔走しているだけのことだ。そして、空いた時間に議会に出る。だから居眠りが出てもしょうがない。国会議員も同じようなものだ。議員とはよほど実入りの多い商売のようだ。

 政治家の仕事は、住民の為、国民の為にどのようにしたらいいかを考え、それを実行する事であり、大臣は全力を尽くしてその職務を遂行することだと私は信じていた。全く違っていた。一部の、ごく一部の議員を除いて、村会議員から国会議員まで、当選したその日から次の選挙のための票集めと金集めに奔走しているだけのようだ。それも自費ではなく公費を使ってだ。政党交付金は国民一人当たり250円だそうだ。それが全て彼らの次の選挙運動資金に使われている。共産党だけが唯一、この政党交付金を受け取っていない党である。資金が潤沢にあるからではなく、理にかなっていないから受取らないのだそうだ。全くだ。

 私は共産主義者ではないが、選挙の時は必ず共産党議員に投票している。彼らは唯一汚職をしない議員たちであり、尊敬に足る議員たちである。私と主義主張は違うが、議員としても人間としても信頼出来る人たちだと私は考えている。

 この暑さでは写真を撮りに行くどころではない。従ってキャノンの10Ⅾ時代に撮った写真を掲載したい。キャノンのAPSの10Ⅾは私が使った初めてのデジタルの一眼レフである。初代のバカチョンのIXYを使ってみて、これはパソコンが暗室になることを実感した。それですぐに一眼レフを買いに行ったが、まともに使えるデジタルの一眼レフはキャノンの1Ⅾで95万円もした。とても簡単に買えるカメラではなかった。もっと安いものが出ないかと待ち構えていたところに10Ⅾが発売された。それに飛びついて買い、初代の7Dと併用して使い、そして5Ⅾが発売されるまで随分と長い間使った。

 以下の写真はその10Ⅾで撮ったトルコの商人宿の写真である。現在は勿論使われていないが、当時の旅人がラクダと一緒に泊った宿である。