マダガスカル唯一の貿易港のあるトマシナに滞在していた時のことをお話したい。東海岸の特産品に白いコルソール・ジュースと云うのがある。非常に旨い。カルピスが初恋の味なら、コルソール・ジュースは慣れ親しんだ恋人の味である。街のレストランで初めて飲んだ時、疲れていたせいもあって、その甘さが私を癒してくれた。あまりの美味しさにジュースのお替りをした。すると、ウェイターは笑いを押し殺したようにして二杯目を持ってきてくれた。そして周囲のテーブルにいた男どもは私を見てニヤニヤしだした。ご当地特産のジュースを飲んでくれた私に好意を持ってくれたのかと思ったが、あのニヤニヤ笑いはそうではないようだった。
ネプチューン・ホテルに戻り、そのことをフロントに聞いた。彼はたまらず笑いだした。「そりゃ皆で笑いますよ、ミスター。マダガスカルでは、女を買う前にコルソール・ジュース、その後の疲労回復にココナッツ・ジュースと相場が決まっているんです。それを二杯もお替りして飲めば、誰だって笑いますよ」と云うと、彼はまた笑い出した。「このこと、他の奴に云うなよ!」と云ったとき「云いませんよ、絶対に」と即座に返事が返ってきた。その瞬間、ホテル中が知ることになるなと覚悟した。そして、次からはどんなに旨かろうと、コルソール・ジュースのお替りはしないことを心に決めた。
トマシナの露店が並ぶ一角で、古いゴザの上に大きなコンニャクイモのようなものが売られていた。小さめのサッカーボールぐらいで、形はいびつだった。「あれからコルソール・ジュースを作るのです」と同行のマダガスカル人が教えてくれた。絞ったジュースは苦くてとても飲めるものではないので、それに大量の砂糖を加えるのだそうだ。
日本に帰ってから、東大の助教授(当時)に電話をした。先生はマダガスカルの動植物を永年研究なさっているのでコルソール・ジュースのことを聞いてみた。もしかしたら、商売になるかもしれないと考えたのだ。先生は「確かに効くかもしれません。ですが、そんな物よりもっといい物がありますよ」と天然の(栽培したものではなく、野生の)バニラ・ビーンズと或る木の樹脂を混ぜた一種の薬のことを話してくれた。「フォー・アワーズ」(4時間)と云う薬だ。飲んでからの効き目が4時間後に現れることからそのように云うのだそうだ。先生は自分で試すのが嫌だったので、及び腰の助手に因果を含めて飲ませ、報告を求めた。助手は「服用後、きっちり4時間で、確かに体の一部に顕著な変化が現れました」と報告してきたと先生はおっしゃった。
これを商売になさりたい方がおられても 非常に残念だが私にはお手伝い出来ない。樹脂を採取する木の名前を完全に忘れてしまったのである。それと、もう一つ大きな障壁がある。マダガスカルでは天然のバニラ・ビーンズの輸出を禁じている。多く輸出されている物は全て栽培されたものであり、「フォー・アワーズ」の原料にはならない。
余計なことかもしれぬが、この「フォー・アワーズ」は「顕著な変化」を求めるのが目的の薬品ではなく、病気を直すための、マダガスカル独特の薬品であることにご留意願いたい。
やっとアンタナナリブに帰れる目途がついてきた。モロミエーレ・マディボド氏をはじめ、モロンダバの誰一人として日本の床の間を見たこともないし、ましてや床柱など知る由もない。ラフィックの力を借り、何とか、ぼんやりではあるが床柱の概要をつかませた。日本間の写真を見せれば一番早いのだが、彼等の住居に比べ、床の間のある日本の部屋は如何にも高級感にあふれているため、写真を見せてしまったのでは、彼等、特に樵たちに反感を持たれるのではないかと危惧した。そればかりではなく、パリサンダーの取引価格を釣り上げられる心配もあった。ラフィックにはアンタナナリブで写真を見せてある。私が示した仕様を、何故必要とするかは何とか理解して貰えた。あとはそれに該当する木を探して切り倒し、フリッチに加工するだけである。
床柱は節のある個所を避けるため、根元から最初の枝(第一枝)の下までに最低でも4メートルは必要である。太い木なら、第一枝まで5メートルも6メートルもあるが、一本の木で二本の床柱用フリッチを取るのは難しい。
パリサンダーは非常に堅い木であるため、腕のいい樵でも一日に一本、或いは二本切り倒せればいい方である。彼等は全て斧だけで切り倒すのである。私が日本からチェーンソーを持っていけば、もっと仕事が捗るのは承知している。だが、それでは森が無くなってしまう。深い森の中で、大きく育った一本の木を切り倒すことに依って、今まで陽が当たらずに成長が止まっていた数多くの小さな木が、充分に太陽の恵みを受けて育つのである。
取引先から何度かチェーンソーの話は出たが、その度に私は断った。床柱に出来るぐらいの木は樹齢が100年近いのではないだろうか。太い木なら優に200年、300年は超えているだろう。もし断らなければ、私の会社は非常な金儲けが出来たかもしれない。そして何百年、何千年と続いたマダガスカルの緑を大量に失わせてしまったに違いない。
パリサンダーの伐採はフランスが統治する以前から行われていたが、植林はほとんど進んでいない。植林用の苗木を育てている畑を何か所かを見たことがあったが、それはごく小規模だった。その上、それがパリサンダーの苗木であったとの確信はない。
モロンダバの森からの帰り道、牛がのんびりと道の真ん中を歩いていた。彼等も心得たもので、車が近づくと仲間のいる草むらに避難した。ビルマでも鶏や豚の放し飼いは目にしていたが、牛までも放し飼いとは驚きだった。陽が暮れる前には飼い主の所に自主的に帰っていくそうだ。
途中一軒の民家に寄り、ラフィックが森の民から頼まれた「品物」をこの家の住人に渡した。中身を聞いたが、ラフィックは何も云わなかった。モロミエーレ・マディボドも彼の使用人である運転手も私から顔をそむけていた。聞かれるのを嫌がっていたのは、何か違法な「品物」だったのだろうか。
少女が水の入ったバケツを下げ、頭にも乗せて歩いていた。見渡す限り、彼女の前にも後ろにも人家は見えなかった。何処で水を汲み、何処まで運ぶのだろうか。ただ、黙々と歩いていた。
到着時より辺りの緑が増えた我が家の裏庭。その奥にラフィックの邸宅がある。お別れするのがつらくなるほど滞在した。
上の二枚は我が家から眺めた夕陽。日々、時間により様々な情景を見せてくれていた。
閑散としていているモロンダバの平日の空港待合室。国際線ではないため出発ロビーも到着ロビーも同じ場所にあった。
ラフィックが後に残り、これから切り出すことになるパリサンダーをどのようにしてアンタナナリブに輸送するか、またその時期の打合せをすることになった。此の打合せに出ても、私は全く役に立たない。一足先に、私だけがアンタナナリブに帰ることになった。
マダガスカル語、続いてフランス語のアナウンスがあった。内容は理解出来なかったが、搭乗を促しているように思えたので、搭乗券を見せて出口から外に出た。「エクスキューズ ミー、ムッシュー」と英語とフランス語の混じった言葉で呼び止められた。よく理解出来なかったが、停まっている飛行機はアンタナナリブ行ではないようだった。
出発予定時間から30分も過ぎてからやっと搭乗の案内があった。今回は搭乗券をよく見せて確認を取ってから外に出た。
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つたない私のブログを、良識を持ってご購読を続けて下さっている方々にはお耳触りで誠に申訳ないと思いますが、敢えて不心得な方たちに申し述べたい事がございます。今までに掲載した写真を無断で使用している人が多くいます。お使いになるなら一応断って使うのが礼儀であると思います。これは明らかに著作権の侵害です。私はプロの写真家ではありませんので、写真の代金を請求する気は毛頭ございません。而し、写真には莫大な出張費用が掛かっていることをお考えになって頂きたいと思います。
無断でお使いになっている写真の中には、マダガスカルの元森林大臣ご夫妻の写真も含まれています。また、これから掲載する写真の中にはラチラカ大統領時代に20年に亘って法務大臣を務められたベド氏とそのご家族の写真も含まれます。
不法にご使用なさった全ての写真を即時削除するようお願い致します。お聞き入れ頂けない場合には、不本意ではありますが、マダガスカルの外務省及び法務省と協力して法的手段に訴えざるを得ません。以上、お願いとご忠告を申し上げます。
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ネプチューン・ホテルに戻り、そのことをフロントに聞いた。彼はたまらず笑いだした。「そりゃ皆で笑いますよ、ミスター。マダガスカルでは、女を買う前にコルソール・ジュース、その後の疲労回復にココナッツ・ジュースと相場が決まっているんです。それを二杯もお替りして飲めば、誰だって笑いますよ」と云うと、彼はまた笑い出した。「このこと、他の奴に云うなよ!」と云ったとき「云いませんよ、絶対に」と即座に返事が返ってきた。その瞬間、ホテル中が知ることになるなと覚悟した。そして、次からはどんなに旨かろうと、コルソール・ジュースのお替りはしないことを心に決めた。
トマシナの露店が並ぶ一角で、古いゴザの上に大きなコンニャクイモのようなものが売られていた。小さめのサッカーボールぐらいで、形はいびつだった。「あれからコルソール・ジュースを作るのです」と同行のマダガスカル人が教えてくれた。絞ったジュースは苦くてとても飲めるものではないので、それに大量の砂糖を加えるのだそうだ。
日本に帰ってから、東大の助教授(当時)に電話をした。先生はマダガスカルの動植物を永年研究なさっているのでコルソール・ジュースのことを聞いてみた。もしかしたら、商売になるかもしれないと考えたのだ。先生は「確かに効くかもしれません。ですが、そんな物よりもっといい物がありますよ」と天然の(栽培したものではなく、野生の)バニラ・ビーンズと或る木の樹脂を混ぜた一種の薬のことを話してくれた。「フォー・アワーズ」(4時間)と云う薬だ。飲んでからの効き目が4時間後に現れることからそのように云うのだそうだ。先生は自分で試すのが嫌だったので、及び腰の助手に因果を含めて飲ませ、報告を求めた。助手は「服用後、きっちり4時間で、確かに体の一部に顕著な変化が現れました」と報告してきたと先生はおっしゃった。
これを商売になさりたい方がおられても 非常に残念だが私にはお手伝い出来ない。樹脂を採取する木の名前を完全に忘れてしまったのである。それと、もう一つ大きな障壁がある。マダガスカルでは天然のバニラ・ビーンズの輸出を禁じている。多く輸出されている物は全て栽培されたものであり、「フォー・アワーズ」の原料にはならない。
余計なことかもしれぬが、この「フォー・アワーズ」は「顕著な変化」を求めるのが目的の薬品ではなく、病気を直すための、マダガスカル独特の薬品であることにご留意願いたい。
やっとアンタナナリブに帰れる目途がついてきた。モロミエーレ・マディボド氏をはじめ、モロンダバの誰一人として日本の床の間を見たこともないし、ましてや床柱など知る由もない。ラフィックの力を借り、何とか、ぼんやりではあるが床柱の概要をつかませた。日本間の写真を見せれば一番早いのだが、彼等の住居に比べ、床の間のある日本の部屋は如何にも高級感にあふれているため、写真を見せてしまったのでは、彼等、特に樵たちに反感を持たれるのではないかと危惧した。そればかりではなく、パリサンダーの取引価格を釣り上げられる心配もあった。ラフィックにはアンタナナリブで写真を見せてある。私が示した仕様を、何故必要とするかは何とか理解して貰えた。あとはそれに該当する木を探して切り倒し、フリッチに加工するだけである。
床柱は節のある個所を避けるため、根元から最初の枝(第一枝)の下までに最低でも4メートルは必要である。太い木なら、第一枝まで5メートルも6メートルもあるが、一本の木で二本の床柱用フリッチを取るのは難しい。
パリサンダーは非常に堅い木であるため、腕のいい樵でも一日に一本、或いは二本切り倒せればいい方である。彼等は全て斧だけで切り倒すのである。私が日本からチェーンソーを持っていけば、もっと仕事が捗るのは承知している。だが、それでは森が無くなってしまう。深い森の中で、大きく育った一本の木を切り倒すことに依って、今まで陽が当たらずに成長が止まっていた数多くの小さな木が、充分に太陽の恵みを受けて育つのである。
取引先から何度かチェーンソーの話は出たが、その度に私は断った。床柱に出来るぐらいの木は樹齢が100年近いのではないだろうか。太い木なら優に200年、300年は超えているだろう。もし断らなければ、私の会社は非常な金儲けが出来たかもしれない。そして何百年、何千年と続いたマダガスカルの緑を大量に失わせてしまったに違いない。
パリサンダーの伐採はフランスが統治する以前から行われていたが、植林はほとんど進んでいない。植林用の苗木を育てている畑を何か所かを見たことがあったが、それはごく小規模だった。その上、それがパリサンダーの苗木であったとの確信はない。
モロンダバの森からの帰り道、牛がのんびりと道の真ん中を歩いていた。彼等も心得たもので、車が近づくと仲間のいる草むらに避難した。ビルマでも鶏や豚の放し飼いは目にしていたが、牛までも放し飼いとは驚きだった。陽が暮れる前には飼い主の所に自主的に帰っていくそうだ。
途中一軒の民家に寄り、ラフィックが森の民から頼まれた「品物」をこの家の住人に渡した。中身を聞いたが、ラフィックは何も云わなかった。モロミエーレ・マディボドも彼の使用人である運転手も私から顔をそむけていた。聞かれるのを嫌がっていたのは、何か違法な「品物」だったのだろうか。
少女が水の入ったバケツを下げ、頭にも乗せて歩いていた。見渡す限り、彼女の前にも後ろにも人家は見えなかった。何処で水を汲み、何処まで運ぶのだろうか。ただ、黙々と歩いていた。
到着時より辺りの緑が増えた我が家の裏庭。その奥にラフィックの邸宅がある。お別れするのがつらくなるほど滞在した。
上の二枚は我が家から眺めた夕陽。日々、時間により様々な情景を見せてくれていた。
閑散としていているモロンダバの平日の空港待合室。国際線ではないため出発ロビーも到着ロビーも同じ場所にあった。
ラフィックが後に残り、これから切り出すことになるパリサンダーをどのようにしてアンタナナリブに輸送するか、またその時期の打合せをすることになった。此の打合せに出ても、私は全く役に立たない。一足先に、私だけがアンタナナリブに帰ることになった。
マダガスカル語、続いてフランス語のアナウンスがあった。内容は理解出来なかったが、搭乗を促しているように思えたので、搭乗券を見せて出口から外に出た。「エクスキューズ ミー、ムッシュー」と英語とフランス語の混じった言葉で呼び止められた。よく理解出来なかったが、停まっている飛行機はアンタナナリブ行ではないようだった。
出発予定時間から30分も過ぎてからやっと搭乗の案内があった。今回は搭乗券をよく見せて確認を取ってから外に出た。
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つたない私のブログを、良識を持ってご購読を続けて下さっている方々にはお耳触りで誠に申訳ないと思いますが、敢えて不心得な方たちに申し述べたい事がございます。今までに掲載した写真を無断で使用している人が多くいます。お使いになるなら一応断って使うのが礼儀であると思います。これは明らかに著作権の侵害です。私はプロの写真家ではありませんので、写真の代金を請求する気は毛頭ございません。而し、写真には莫大な出張費用が掛かっていることをお考えになって頂きたいと思います。
無断でお使いになっている写真の中には、マダガスカルの元森林大臣ご夫妻の写真も含まれています。また、これから掲載する写真の中にはラチラカ大統領時代に20年に亘って法務大臣を務められたベド氏とそのご家族の写真も含まれます。
不法にご使用なさった全ての写真を即時削除するようお願い致します。お聞き入れ頂けない場合には、不本意ではありますが、マダガスカルの外務省及び法務省と協力して法的手段に訴えざるを得ません。以上、お願いとご忠告を申し上げます。
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