TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 141

2017年11月26日 | エッセイ
 半分日本人で半分アメリカ人の友人から電話があった。「日本の英語を教えてくれ」と云ってきたのだ。このように云ってきたのは今までに何回もあった。今回は「ローリングストック」だった。朝刊に「ローリングストック法を活用しよう」という記事があったが、意味不明だと云われた。私も同じ新聞を購読しているのでその記事を読んだ。要は非常時に備蓄してある食料を、期限が来たものから順に食べ、新しいものを補充すると云うことだ。そうであるならローテーション(rotation)である。「roll」は回転する意味もあるが、「rolling」は金属などに行う「圧延」であり、「rolling stock」は鉄道で使用される乗り物を云う。食料を古いものから食べ、新しいものを補充する事とは全く関係のない言葉である。「ローテーション(rotation)」という言葉を知らなかったので、お役人が勝手につけた名前であろう。それなら何故日本語を用いなかったのか?

 アメリカ人が使っているのを聞いた事のない英語が日本では多く使われている。コラボ、コラボとよく聞くが、もしコラボレーション(coraboration)のことであるなら、アメリカ人が使っているのを殆ど聞いた事がない。それとすごく奇異に感じるのは「プレジャーボート」だ。どうやら遊びに使うボートのことを云っているのだろうが、この言葉も聞いた事がない。アメリカでプレジャーボートと一般的に云うのは、川や湖をゆっくりゆっくり、のんびり航行する遊覧船のことである。聞いた事のない英語はまだまだ沢山ある。レギュラー・コーヒー、ボジショニング、タイトリング、エイジング等々数え上げればきりがない。

 レギュラー・コーヒーとは、インスタント・コーヒーではないと云っているのだろうが、コーヒーはコーヒーである。そのコーヒーに対して「インスタント」と云っているにすぎない。もしアメリカで「レギュラー・コーヒーを呉れ」と注文したら、相手は考え込むか、「ない」と云うであろう。目の前にあるコーヒーを飲めないことになる。

 半分日本人で半分アメリカ人の友人からこの先ずっと「日本の英語」を聞かれることになるだろう。彼は学生時代から比べると格段に日本語が進歩している。だが、日本人が代々受け継いでいる微妙な表現は苦手のようだ。従って、日本人が誤解している「英語」については理解出来ないのである。

 何年か前に、仲間と奥多摩の「数馬の里」の紅葉を撮りに行った。この時がこの場所に行ったのは初めてであった。東京都にありながら何時間もかけて行った。江戸時代か、それ以前に遡るような地名に惹かれて訪れたのであるが、期待を裏切られることはなかった。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/30秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/50秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/30秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/25秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/15秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/30秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


 数馬の里には初めて接する驚きの奥多摩があった。この里の北側の小河内ダム方面にはヤマベ釣りで毎週土日に通った時期があった。こちら側、数馬の里側の奥多摩は私の知らない、世俗化されていない新鮮な奥多摩であった。



折々の写真&雑感 140

2017年11月19日 | エッセイ
 30才を少し過ぎたころ、アメリカ空軍のカミサリー・ストアー(2016年9月12日付の「折々の写真&雑感78」をご参照願いたい)の仕入れの責任者の任についていた。向こう90日間の需要を予測し、在庫品に過不足のないようにしなければならなかった。品物が無くならないようにするには多めの商品を仕入れればいいのは分るが、それでは倉庫が満杯になり、それにかかる費用も莫大になる。最小限の予算で最大の効果を出さなければならない。仕入れの総費用は軍の上層部に予算を提出し、事前に許可を得ておく必要があった。その為には我々が属する6100支援部隊全体のカミサリー・ストアーを管轄する部署との打ち合わせが必要であった。そして双方で予算編成書(我々はアロケーションと呼んでいたが、一種の予算割当書である)を作成し、数字合わせをする。同じ数字を基にするわけであるから、私の数字と当該カミサリーを統括する部署で同じ数字にならなければならない。我々の統括担当者は50歳をいくらか出たばかりのご婦人であった。アメリカ人には珍しいほど控えめな、気さくなオバさんであった。最初から私と気が合った。その年の各月の実際の数字のチェック。その年の実績を基礎に置いた翌一年分の各月の予測等々を電話で突き合わせる。二人の数字が隔たった場合は、お互いにその根拠を主張する。

 前年までのヒステリックなご婦人は数字合わせの際に私を彼女の事務所まで呼びつけた。私との数字が合わないと、何が何でも自分の意見を通そうとした。そして彼女のリポートに無理やりサインさせられた。その結果、上から「数字がおかしい」と突き返されると、全て私に責任を押し付けてきた。「リポートには貴方も確認のサインしたのだから、貴方に責任がある」と云った。オーディタ―(会計検査)の大尉が我々の事務所に検査に来た際、たまたま私の資料と前年度の予算編成のドラフト(下書き)を見て、過去の予算編成のミスは私の責任ではなかったと上に報告してくれた。その結果、此のヒステリックなご婦人は馘首された。

 後任に採用された統括担当者が、先の控えめで穏やかなE夫人だったのである。私の事務所へは彼女の方から挨拶に来てくれた。そして仕事の打ち合わせを済ませると、予算編成の数字合わせは電話で行うことにした。実際の仕事にかかり、彼女との予測の数字が合わないと、じっと私の意見に耳を傾けてくれた。その後に彼女の意見が述べられた。意見が合うまで続けられた。双方で納得したうえでリポートが作られ、二人揃ってサインした。実に気分が良かった。上から反論が来ると、必ず二人で対処した。殆どの場合は我々の数字の正しさが実証された。

 先週の木曜日(11月16日)に塩山のころ柿の里、恵林寺、甘草屋敷と写真を撮りに行った。写真仲間と朝早くの待ち合わせであったので、寝不足は電車の中で解消するつもりでいたが、目的は果たせなかった。
 塩山からタクシーに分乗して岩波農園に向かった。今年の柿は小さく数も少ないと農園のご主人がこぼしていた。「折々の写真&雑感」の35と88にもころ柿の写真を掲載したが、今回とは比べようもなく大きく、美味しそうであった。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:50、 f11、 1/600秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 柿を干す作業をしながら、「富士山の様子から、午後は風が吹いて寒くなりますよ」と農園のご主人が云っていた。だが、その時はマフラーを外すほどに温かかった。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/100秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 岩波農園の道路の反対側にある恵林寺。柿が不作の所為か平日であったからか参拝客がまばらだった。だが、写真を撮るにはありがたい環境であった。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/25秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 此のきれいな紅葉を撮る頃には風が吹き、かなり気温が下がってきた。正式な天気予報より、土地の人の予報の方が正確であることを再認識した。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/100秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 甘草屋敷の柿も例年より小さかった。ここでは柿を吊るす紐をビニールではなく、必ず木綿の紐を使ってくれている。初めてこの甘草屋敷に訪れたとき、「写真を撮るのに、その方がいいでしょ」と心優しい職員のご婦人が云っていた。それ以来何年も経っているが、ずっと木綿の紐である。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/25秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 例年はこの離れにも所狭しと柿が吊るされているが、今年はここまで廻ってこないらしい。井戸の周囲の柿を期待したが、そこにもなかった。



折々の写真&雑感 139

2017年11月12日 | エッセイ
 例のトンチキな友人は私鉄沿線の駅近くにある彼のビルの最上階に住んでいた。二番目の奥さんに逃げられ、三番目の奥さんと結婚する前のことであった。彼の父親はそのビルから北へ徒歩で10分ほどのところにある家で病気療養中だった。約100坪の土地に木造二階建ての家屋には父親の面倒をみるために雇ったオバさんの二人だけで住んでいた。父親が亡くなり、オバさんを雇っておく必要がなくなったが、そのことを相手に云い出せずにいた。友人はたまに実家に戻るが、その殆どを駅近くのビルで寝泊りしていた。時には、友人と一緒にその実家に行くことはあったが、オバさんは友人にはチヤホヤするが、私にはついでにお茶を出すと云う態度であった。

 ある日、友人から電話があり、時間のある時に実家の方に直接来てくれないかと頼まれた。何日か後に約束して行ってみると、「いらっしゃいませ」と愛想のいい若い娘が玄関に出てきた。友人の話に依ると、オバさんが年を取ったので、彼女の面倒をみさせるために若いメイドを雇ったのだそうだ。友人の優しさは分るが、トンチキであることには変りない。父親の面倒を親身になってみてくれたと云っているが、要は雇人である。必要のなくなったオバさんの面倒をみさせるために別のメイドを雇ったなど聞いた事はない。それから一年ほどしてオバさんは子供に引き取られていった。次いで若いメイドも自分から辞めていった。

 友人は住み手のいなくなった土地と家屋を売りに出した。彼はかなりの借金を抱えていたようなので、高値で売れることを願った。そのような経済状態でも彼の優しさは変わらなかったことに驚いたが、私と同じ経済学部不経済学科出身であることを改めて思い起こした。彼の亡くなる前、他家に嫁いでいる二人の姉のことを気遣っていた。一番上の姉は経済的に裕福なので心配ないが、すぐ上の姉のことをかなり気にしていた。私に、なんとかするようにしてくれと頼まれたが、三番目の奥さんに彼の姉さんに遺産を分けるよう指示したり、命令したりすることは出来なかった。友人の要望を伝え、頼むしかなかった。彼女は借金の整理がついた後で、出来る限りのことはすると約束してくれた。それを今でも信じている。

 西武線沿線、特に秩父には古刹だけではなく非常に興味をそそる被写体が多くある。明治、大正、昭和が入り混じったような街並みに出会うと昭和の東京の街を思い出させてくれる。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/30秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/100秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/250秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS7DにEF17-40mm、4Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/80秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS7DにEF17-40mm、4Lを装着。 ISO:200、 f8、 1/50秒、 露出補正:-1、 WB:オート。

折々の写真&雑感 138

2017年11月05日 | エッセイ
 アメリカの軍隊では退却のことを“Go for the back!”(後方前進!)と云う。少し古いが、朝鮮戦争の時、白人兵に比べ黒人兵の戦死者が圧倒的に多かったと聞いた事があった。このことがずっと頭のどこかに引っかかっていた。アメリカの軍隊で読まれている“Stars & Stripes”(星条旗)という新聞がある。その新聞社の記者と知り合ったので、その戦死者の数が違いすぎることを尋ねた。彼は私の疑問に次のように答えてくれた。

 「当初、アメリカの軍隊は現在と同じように白人も黒人も同じ部隊に属していました。而し、常に争いが絶えなかったので白人部隊と黒人部隊に分けたのです。それが朝鮮戦争の時期でした。激戦になると、最後まで頑張って戦っていたのは白人部隊で、黒人部隊は上官の命令なしに「後方前進」してしまいます。退却の時は、持って逃げられない武器は必ず爆破して破壊するのが軍の鉄則です。ですが、黒人兵は破壊する時間も惜しんで逃げてしまいます。敵兵が、その武器の向きを変えて逃げていく黒人兵を撃ちまくりました。黒人兵の戦死者が多かったのは当然でしょう?そしてこの朝鮮戦争を教訓に白人と黒人を同じ部隊にするように方針を戻したのです」。
 
 彼は付け加えた。「黒人兵の中に白人兵より勇敢に戦った兵士が大勢いたことは認めます。ですが、朝鮮戦争では命令なしの後方前進が黒人兵の間で頻繁に起ったことは間違いないことです。同じ民族で構成されている日本の方には理解しにくいでしょうが、これがアメリカの現状なのですよ」と寂しそうな顔をした。

 黒人を悪く云うわけではないが、以下のような話を聞いた事がある。白人の男女の青年たちがボランティアで傷んだ黒人の家を修理に行ったとき、懸命に作業をしているすぐ横で、黒人の住人たちは何も手伝わずギターを弾いていたそうだ。黒人に云わせると「頼んで来て貰ったわけじゃない。彼らが勝手にやっているんだ。俺たちはそれを邪魔する気はない」のだそうだ。

 軍隊では人種差別を極度に嫌う。黒人兵がもっと大きな官舎を欲しいと住宅係に注文する。官舎は階級に依って決められた広さの住宅が割り当てられる。それを気にいらないと、司令官のところに直接談判に行くことがあるらしい。交渉が希望通りにいかないと「私を人種差別しているのか」と脅すように云うそうだ。「人種差別者」のレッテルを張られては大変、と司令官は黒人兵の要望を聞いてしまう。これは逆差別である。現代のアメリカを見るようだ。

 胸突き坂と椿山荘ホテル周辺は私の好きな撮影ポイントの一つである。


キヤノンEOS5Dに17-40mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/30秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 超広角側の17ミリで撮っているのでそれほど急には見えないが、日常的には決して使いたくない「胸突坂」である。


キヤノンEOS5Dに17-40mm、4Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/80秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 芭蕉庵の正式な門であるが、何故か閉ざされており、訪問者の出入りには胸突坂の途中にある通用門が使われている。


キヤノンEOS5Dに17-40mm、4Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 此の先に椿山荘ホテルの庭園の入り口がある。


キヤノンEOS5Dに17-40mm、4Lを装着。 ISO:400、 f5.6、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに17-40mm、4Lを装着。 ISO:400、 f5.6、 1/20秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに17-40mm、4Lを装着。 ISO:400、 f5.6、 1/40秒、 露出補正:-1、 WB:オート。