3日目、私たちが最も楽しみにしていたワイルドフラワーのツアー。
が、しかし、前日にツアーのバウチャーを見ていた友人が言う、「キングスパークって書いてあるよ」
キングスパークは今日行ったあそこだよね、と2人で愕然。
かなりの愕然を味わったけれど、まあ仕方がないので、他にも「花の名所」と書いてあるのに望みをかける。
しかしながら、行動スケジュールを見ると、時間的にどうやらパースから離れた「広大なお花畑」の望みはそこで既に絶たれてしまったのだった。
まあでも嘆いていても仕方がないので、私たちは気を取り直してツアー車に乗りこむ。
日本のツアーなので、日本人のガイドさん。
そのガイドさんは初めに言う、「勘違いされている方も多いので申し上げておきますが、ワイルドフラワーとは“お花畑”のように広がる類のものではありません」
「本来、ワイルドフラワーはそこにしか咲かない花を荒野の中で見つける“お花探し”なんですよ」と。
あぁ、やっぱりそうよね、と前日に既に愕然としている私たちは素直に受け止めた。
ワイルドフラワーとは、乾燥した大地に咲く野生植物のことで、フラワーカーペットのようになることは部分的にはあっても、広大な一面がそうなることはほとんどないらしい。
それでも広大なお花畑が見たい場合には、パースから車で5~6時間離れた場所へ行き、運が良ければ見られる、という程度のものだそうだ。
しかしながら、そうであるならば、いかにも“お花畑”である写真をツアーのイメージ写真として使うべきではないだろう。
写真でなら、画面いっぱいに撮れば、一面に花が咲き乱れているように撮ることは容易であることは分かるけれど、その土地を知らないものが見ればあたり一面にフラワーカーペットが広がっているのだと思ってしまう。
まあ、それを狙ってツアー客を集めているのだろうけれども。
期待というのは上に裏切られるのは良いが、下に裏切られるのは怒りや悲しみを生む。
「期待は失望の母」とは大滝泳一が言った言葉だ。
期待はしてしまうものだけれど、期待を抱く際には、あらゆる可能性における想像力を持ちたい。
しかし、私たちは確かに失望もしたけれど、日本語で植物の説明が聞けたのは本当にありがたかった。
ユーカリの葉が、乾燥した大地で生き抜くために葉の両面で光合成ができること、木の皮を自ら剥いで落とし、地面の幹に落として保温と保水をしていること、この種類の木の葉っぱを揉むと香りがすること、グラスツリーという植物は2~3年に一度気まぐれに棒状の花を咲かせること、フリージアは外来種でオーストラリアでは雑草と疎まれていること、カンガルーの手に似ていることから「カンガルーポー」と名付けられたこと、猫の手に似たものは「キャットポー」と言うこと、など、興味深い話をたくさん聞くことができた。
それに、写真を撮るには十分な背景と植物の種類があった。
ブッシュは、花畑とは程遠い色のない茂みだけれど、ところどころに、しかしとてもたくさんの花が咲いていた。
私の植物好きは、未だ衰えることなく、結構「本物ぽい」と自分で確認することができたのも良かった。
しかしながら一方で、私はブッシュに分け入って花を探したいわけではなくて、やっぱり花畑のように一面の色彩感が好きなのであり、また小さくて珍しい控えめな花を探すよりも、青空とのコントラストの強い花やとてつもなく大きな木を見るのが好きだ。
もちろん、どんな植物を見るのも好きであるという前提はあるものの。
見つけやすく、分かりやすくて。
派手で、健気で、強くて、儚くて。
「圧倒的な色彩感、質感」「生きていること」「育っていること」、そんな植物の姿に私はいつも心を持っていかれる。
そして、それを一枚の写真として、色のある画像として、ただ切り取りたい。
私は「ワイルドフラワーを愛する者」にはなれなさそうである。
ツアーを終えて、ホテル近くに戻ってくる。
しかし荷物を預かってもらっているだけで、チェックアウトしてしまっているので居場所はない。
あまりお腹は空いていなかったけれど、深夜のフライトに備えて夜ごはんを食べる。
中華料理屋で、鶏肉とカシューナッツの炒め物、グリーンカレー。
「すごく良い街だったね、あと3日くらい居たい」と話をしながら。
時間が余ったので、ホテルのロビーのPCを使ってフェイスブックに写真をアップしてみようということになる。
私も彼女も、ほとんどフェイスブックに何かをアップすることがないので、やり方がいまいちよくわからない。
「いいね!」のレスポンスを何人からもらえるかなあとどきどきしながらアップして、「いいね!」がつかないと寂しいからと友人のアカウントで友人が私の投稿に「いいね!」をする。
こういうのはその場に居合わさないと分からないので詳しくは書かないが、私たちはこの一連の作業にとても盛り上がって楽しんでいた。
駅でタクシーをつかまえて、空港までの道を行く。
友人は現金が余ってしまったと、タクシーのドライバーに10数ドルをそのままあげていた。
ドライバーはそれはもう嬉しそうな顔をして、トランクから荷物を笑顔で丁寧に降ろしてくれた。
「星の砂」を捨てたことを確認して出国、23:55発のフライトに乗り込む。
キャセイパシフィック航空の機内食は、一番美味しいのはハーゲンダッツ、次はピーナッツ、次はパン、次はトマトペンネ、あとは言ってしまえば不味かった。
香港の乗継で1時間ほど遅れたものの無事成田に到着。
また東京から新幹線に乗らなければならない友人と日暮里で別れる。
帰り道、花好きな友人にLINEで写真を送り、いもうとと兄にも写真を頼まれたので送る。
これは珍しいことなのだけれど、私はパースにはいつかもう一度行きたい、と結構強く思う。
それはたぶん、パースの街がどことなく「日常の延長」という感じと「安心」があったからだと思う。
「ストレス」が少なかったということでもある。
友人との旅の相性が良かったというのも大きい。
さらりと心地の良い、洗いざらしのシーツのような旅だった。
家に着いて、荷解きをし、シャワーを浴びて、洗濯をして、納豆ごはんを食べて、緑茶を淹れる。
急速に日常へと帰還して、旅中に度々弾きたいなと衝動に駆られていたギターを手に取る。
1週間くらいギターを弾いていなくて、旅行中に硬くなった指先の皮が剥けて柔らかくなってきていたのを感じていた。
案の定、アコギを買ったときのように痛くて、痛くて。
アボリジニーから譲り受けて、内陸から運んできたというバオバブの木。
悪魔が木を引っこ抜いて逆さに挿したように、枝が根っこのように見えると言われる。
あと、漢字変換から生まれたギャグのようなこと。
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が、しかし、前日にツアーのバウチャーを見ていた友人が言う、「キングスパークって書いてあるよ」
キングスパークは今日行ったあそこだよね、と2人で愕然。
かなりの愕然を味わったけれど、まあ仕方がないので、他にも「花の名所」と書いてあるのに望みをかける。
しかしながら、行動スケジュールを見ると、時間的にどうやらパースから離れた「広大なお花畑」の望みはそこで既に絶たれてしまったのだった。
まあでも嘆いていても仕方がないので、私たちは気を取り直してツアー車に乗りこむ。
日本のツアーなので、日本人のガイドさん。
そのガイドさんは初めに言う、「勘違いされている方も多いので申し上げておきますが、ワイルドフラワーとは“お花畑”のように広がる類のものではありません」
「本来、ワイルドフラワーはそこにしか咲かない花を荒野の中で見つける“お花探し”なんですよ」と。
あぁ、やっぱりそうよね、と前日に既に愕然としている私たちは素直に受け止めた。
ワイルドフラワーとは、乾燥した大地に咲く野生植物のことで、フラワーカーペットのようになることは部分的にはあっても、広大な一面がそうなることはほとんどないらしい。
それでも広大なお花畑が見たい場合には、パースから車で5~6時間離れた場所へ行き、運が良ければ見られる、という程度のものだそうだ。
しかしながら、そうであるならば、いかにも“お花畑”である写真をツアーのイメージ写真として使うべきではないだろう。
写真でなら、画面いっぱいに撮れば、一面に花が咲き乱れているように撮ることは容易であることは分かるけれど、その土地を知らないものが見ればあたり一面にフラワーカーペットが広がっているのだと思ってしまう。
まあ、それを狙ってツアー客を集めているのだろうけれども。
期待というのは上に裏切られるのは良いが、下に裏切られるのは怒りや悲しみを生む。
「期待は失望の母」とは大滝泳一が言った言葉だ。
期待はしてしまうものだけれど、期待を抱く際には、あらゆる可能性における想像力を持ちたい。
しかし、私たちは確かに失望もしたけれど、日本語で植物の説明が聞けたのは本当にありがたかった。
ユーカリの葉が、乾燥した大地で生き抜くために葉の両面で光合成ができること、木の皮を自ら剥いで落とし、地面の幹に落として保温と保水をしていること、この種類の木の葉っぱを揉むと香りがすること、グラスツリーという植物は2~3年に一度気まぐれに棒状の花を咲かせること、フリージアは外来種でオーストラリアでは雑草と疎まれていること、カンガルーの手に似ていることから「カンガルーポー」と名付けられたこと、猫の手に似たものは「キャットポー」と言うこと、など、興味深い話をたくさん聞くことができた。
それに、写真を撮るには十分な背景と植物の種類があった。
ブッシュは、花畑とは程遠い色のない茂みだけれど、ところどころに、しかしとてもたくさんの花が咲いていた。
私の植物好きは、未だ衰えることなく、結構「本物ぽい」と自分で確認することができたのも良かった。
しかしながら一方で、私はブッシュに分け入って花を探したいわけではなくて、やっぱり花畑のように一面の色彩感が好きなのであり、また小さくて珍しい控えめな花を探すよりも、青空とのコントラストの強い花やとてつもなく大きな木を見るのが好きだ。
もちろん、どんな植物を見るのも好きであるという前提はあるものの。
見つけやすく、分かりやすくて。
派手で、健気で、強くて、儚くて。
「圧倒的な色彩感、質感」「生きていること」「育っていること」、そんな植物の姿に私はいつも心を持っていかれる。
そして、それを一枚の写真として、色のある画像として、ただ切り取りたい。
私は「ワイルドフラワーを愛する者」にはなれなさそうである。
ツアーを終えて、ホテル近くに戻ってくる。
しかし荷物を預かってもらっているだけで、チェックアウトしてしまっているので居場所はない。
あまりお腹は空いていなかったけれど、深夜のフライトに備えて夜ごはんを食べる。
中華料理屋で、鶏肉とカシューナッツの炒め物、グリーンカレー。
「すごく良い街だったね、あと3日くらい居たい」と話をしながら。
時間が余ったので、ホテルのロビーのPCを使ってフェイスブックに写真をアップしてみようということになる。
私も彼女も、ほとんどフェイスブックに何かをアップすることがないので、やり方がいまいちよくわからない。
「いいね!」のレスポンスを何人からもらえるかなあとどきどきしながらアップして、「いいね!」がつかないと寂しいからと友人のアカウントで友人が私の投稿に「いいね!」をする。
こういうのはその場に居合わさないと分からないので詳しくは書かないが、私たちはこの一連の作業にとても盛り上がって楽しんでいた。
駅でタクシーをつかまえて、空港までの道を行く。
友人は現金が余ってしまったと、タクシーのドライバーに10数ドルをそのままあげていた。
ドライバーはそれはもう嬉しそうな顔をして、トランクから荷物を笑顔で丁寧に降ろしてくれた。
「星の砂」を捨てたことを確認して出国、23:55発のフライトに乗り込む。
キャセイパシフィック航空の機内食は、一番美味しいのはハーゲンダッツ、次はピーナッツ、次はパン、次はトマトペンネ、あとは言ってしまえば不味かった。
香港の乗継で1時間ほど遅れたものの無事成田に到着。
また東京から新幹線に乗らなければならない友人と日暮里で別れる。
帰り道、花好きな友人にLINEで写真を送り、いもうとと兄にも写真を頼まれたので送る。
これは珍しいことなのだけれど、私はパースにはいつかもう一度行きたい、と結構強く思う。
それはたぶん、パースの街がどことなく「日常の延長」という感じと「安心」があったからだと思う。
「ストレス」が少なかったということでもある。
友人との旅の相性が良かったというのも大きい。
さらりと心地の良い、洗いざらしのシーツのような旅だった。
家に着いて、荷解きをし、シャワーを浴びて、洗濯をして、納豆ごはんを食べて、緑茶を淹れる。
急速に日常へと帰還して、旅中に度々弾きたいなと衝動に駆られていたギターを手に取る。
1週間くらいギターを弾いていなくて、旅行中に硬くなった指先の皮が剥けて柔らかくなってきていたのを感じていた。
案の定、アコギを買ったときのように痛くて、痛くて。
アボリジニーから譲り受けて、内陸から運んできたというバオバブの木。
悪魔が木を引っこ抜いて逆さに挿したように、枝が根っこのように見えると言われる。
あと、漢字変換から生まれたギャグのようなこと。
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