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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

アベを倒そう!(113)<福沢諭吉の評価について>

2016年05月15日 | 日の丸・君が代関連ニュース
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 5月8日に出したメール「アベを倒そう!(108)<明治維新について>」の中で、
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 ▲ 私は必ずしも福沢諭吉を全面的に評価するものではありません。
 しかし、彼から学ぶところもあると思っています。
 彼の著作に『文明論之概略』(1875年)という本があります。
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 と述べ、『文明論之概略』から明治維新に関する部分を紹介しました。

 そうしたところ、以下のような返信がありました。
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 前のメールで福澤諭吉に「学ぶところもある」と書いておられましたが、僕はそうは思いません。
 『文明論之概略』で「国の独立は目的なり。国民の文明はこの目的に達するの術なり。」と書いていますが、福澤諭吉こそ強兵富国のアジア侵略路線を先導した帝国主義イデオロギーの鼓吹者です。
 そして、「日本人民の精神を収攬するの中心」として帝室=天皇制をすえた人物です。
 いわば、福沢諭吉から現在の天皇制が始まり、その福澤のイデオロギーを覆していないゆえに、「日の丸」「君が代」の問題も未だあり、「学ぶところ」など一片すらなく、諸悪の根源と考えています
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 これに対し私は、次のように返信しました。
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 福沢諭吉の評価については、私の勉強不足かもしれません。
 しかし、明治初期に書かれた明治維新のとらえ方については学ぶところもあるのではないでしょうか。
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 福沢諭吉の評価については戦前からいろいろあると思います。
 今回は、参考までに、戦前、戸坂潤らと一緒に、1932年〔唯物論研究会〕を立ち上げた永田広志(ながた ひろし:1904~1947)の著書『日本唯物論史』(1936)に述べてある福沢諭吉評価について紹介したいと思います。
 この本では、明治期の思想界の分析(とくに福沢諭吉、加藤弘之、中江兆民ら)と、その後の社会主義との関連における唯物論、などについての分析が、基本的に成し遂げられていると思います。
この本の「第二篇 明治初期の啓蒙」の「第二章 福沢諭吉の哲学」で、永田は福沢諭吉に関して正反両側面から分析しています。
 まず、その<正の面>についてです。
 (以下引用はすべて新日本文庫『日本唯物論史』(1983年)からです)

 永田は、次のようなことを述べています。
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 時代上でいえば、明治十年代は、・・・もはや啓蒙時代と云うことは不適当であろう。
 そこで便宜的に維新前後から西南戦争までの期間を、思想史上啓蒙時代と呼ぶことは必ずしも不当ではあるまい。(93頁)
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 明治五年に初篇を出し、九年に完結した『学問のすゝめ』は、もはや単なる西洋文化の紹介ではなくて、封建的イデオロギーに対する福沢の批判、彼の積極的見解の展開を示しており、『文明論之概略』(明治八年)は彼の理論的思考の最大の所産であり、・・・・(中略:当時福沢が書いた論文などを列記)・・・・・これらの労作は、時事問題に直接触れるよりはむしろより理論的である点において、いわゆる啓蒙の特徴を顕著に具備している。(127頁)
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 その上で次のように述べています。
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 福沢の三十数年にわたる文筆活動において、歴史的に最も意義のあったのはその前半、特に民権運動の開始以前であると云える。(129頁)
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 また、福沢の世界観と彼の役割について次のように述べています。
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 政治上では彼はイギリス流の立憲主義を採り、
 経済学においてはイギリスのいわゆる古典経済学の立場に立ち、
 倫理学においては功利主義を採り、
 認識論上では経験論の立場に立った。
 だが彼の特色はこれらの領域において理論を体系的に展開したことではなくて、右のような理論的見地に立脚して日本の文化、特にそのイデオロギーにおける封建的なものの最も詳細にして鋭利な具体的な批判者となったことである。(130頁)
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 そうして福沢の哲学を次のように結論づけています。
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 一口でいえば、福沢は哲学においては極めて小心な、初心な唯物論であり、意識的な哲学的唯物論者よりはむしろ自生的唯物論者に近かったと云うべきである。(136頁)
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 次に、福沢のその後特に顕著になる<反面>ですが、それについて永田は次のようなことを述べています。
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 「経世」上の観点から宗教の必要を論じ、「愚夫愚婦」のために信仰の必要を唱える福沢諭吉は、自己の利益のためには自身が虚偽と認める事柄をも勤労被搾取者に真理として鼓吹する治者階級のイデオローグである。
 『学問のすゝめ』の冒頭で、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と唱えた福沢は、決して平等主義者でもデモクラートでもなかった。
 彼はたしかに民権思想の普及に功績ある先覚の一人であった。

 しかし彼の政治的傾向は自由主義以上に出ることは出来なかった
 その自由主義も極めて微温な、右翼的なものであったことは「富国強兵」や「官民調和」が彼の社会的、政治的理想であったことからも推察される。
 彼が大隈を支持した事実は、端的にその政治的性格を語っていると云える。
 或は「富豪の要用」を強調し、或は実業の振興策を論じ、或は「銭の国たる可し」と叫んで「拝金宗」の開祖とされた福沢は、徹頭徹尾ブルジョアジーのイデオローグであった。
 しかも彼は官僚政府の反対派として終始するよりはむしろそれと妥協し、それから庇護され、特権を賦与されたる大ブルジョアジーの代弁者であった。(144頁)
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 そこから福沢は勤労大衆に対して不信の態度をとるとして次のように述べています。
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 彼が士族気質の打破のために闘い、そのために儒教主義や封建的気風から抜け切らぬ道学者達から多大の非難を受けたにかかわらず、
 「時事小言」において「国民の気力を養ふ」方法として、第一に前述の如く「外敵」を防ぐこと、第二に「士族の気力を維持保護する事」を提言しているのも、勤労大衆に対する彼の不信、彼の特権階級的意識の表現であろう。
 ・・・この「士族」が日本の文化、「国民の気力」の担い手、国民の頭脳であり、之に反し百姓町人は国民の胃の腑であり、獣類にたとえれば豚の如きものである。
 「故に今我国に士族の気力を消滅するは恰も国を豚にするものにして国権維持の一事に付き其影響の大なること論を俟(ま)たずして明なり」と彼は主張し、そこから士族の生活の保護の必要を唱えている。(146頁)
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 そうして永田は、「第二篇 第三章 明治啓蒙の社会・歴史観ー福沢諭吉を中心としてー」では、次のようなことも述べています。
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 つまり、日本の当面の任務は国の独立のために文明を致すことであり、そして国の独立はまた文明の進歩の前提となるというのである。
 云いかえれば「富国強兵」のためには強行的な資本主義発展の途に就かなければならないというのが福沢の見解である。
 この意味で『文明論之概略』は資本主義日本の建設のための綱領の理論的基礎づけを与えている、ということが出来る。(168頁)
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 そうして、どうして進歩的な啓蒙主義が、その後変質していくかについて、同篇・同章の最後のところで、永田は次のように述べています。
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 以上吾々は、進歩的時代又は進歩的分派のブルジョアジーが一方では技術、経済の重要性、社会発展に対するその重要な役割を強調しつつも、他方では史的観念論の限界を越えないことを見た。
 これは独り日本の事実であるばかりでなく、大体において普遍的な事実である。
 そしてその原因は、ブルジョア思想家が資本主義秩序を永久真理に合致したものと看做す形而上学的見解に結びついているものである。(187~188頁)
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 日本ブルジョアジーの進歩的な歴史観も、歴史における客観的合法則性の把握の要求、およびこの合法則性の形成に参与する重要契機としての技術や経済の役割の認識において、科学的に貴重な寄与をしながらも、
 その形而上学的方法の故に遂に観念論的たらざるをえなかった点では、大体において前独占資本主義の時代の世界ブルジョアジーの社会学や歴史哲学と何ら異るものではなかったし、また異るものではありえなかった。(188~189頁)
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 結局永田は、福沢について、明治初期における啓蒙思想家としての役割を認めながらも、その後明治期の資本主義の発達の歩みとともに、「大ブルジョアジーの代弁者」に成りあがって行った、と評価しており、
 そうした変質は、ブルジョア的な「観念的」「形而上学的」な世界観では世界的に普遍的なものである、とも述べています。
 永田広志は戸坂潤と並ぶ戦前のすぐれた唯物論哲学者でした。

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