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郵便振替で、口座番号 00150-1-612629(加入者名「藤田先生を応援する会」)に、年会費、一般¥3,000、学生¥1,000を振り込んで下さい。「藤田先生を応援する会通信」を送らせていただきます。
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2006/09/17(日) 誇り
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労働組合がその組織を維持するために当局と癒着する。 日本の多くの労働組合がその道を選んだ。 何のことはない。 労働者は二重の桎梏の中に叩き込まれる。
組織はその保持と増殖において必要とするあらゆるものと癒着していく。 そこには右も左もない。 人体細胞が有機的に連結するように繋がりあっていく。
検察が警察の裏金を摘発することは不可能である。 もしやれば全国何十万の警察官が検察官の身上を洗うこととなる。 両者、共倒れと言う道を選ぶことは不可である。
自治労岐阜が裏金の管理に当たる。 燃したのか飲んじまったのか知らぬが労使同舟である。 かくして大なる組織はお互いの利益のために協調、癒着、腐敗していく。
宗教団体が暴力団の全国組織と連携する。 当然、時の与党政治家が参入する。 摘発を避けるためには、警察・公安・検察・あげくは裁判官までこのカオスの中に入り込むこととなる。 宗教たるものまこと大したものである。
警察・公安の天下りを多数入れた組織は恐いものはない。 身内が身内を摘発することはないからだ。 天下りを入れない組織は贈賄にこれ勤しむ。 かくして日本の巨大組織は右も左も関係なしに人体における細胞のように生理的に結びつきもたれあい利益を共有して増殖することとなった。
まともな人々は常に孤立して戦い敗北を続けている。 「反抗的人間」の誇りのみを共有して。
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2006/09/18(月) 離脱
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このような資本の論理が貫徹する社会にあってはまともに生きようと志向する者の道はただ一つである。 世間との隔絶これにつきる。
世間に留まる限り揺さぶられ脅され駈けずり回らざるをえない。 成果主義のもと目標数字を目指して過労死、又はそれ寸前の状況に追い込まれる。
旧友が労働基準監督署の相談員をしているが聞くと結局のところカウンセラーであるという。 皆、心が壊されていっている。 その訴えを聞き続けているのだと言う。
終身雇用においては労働者はその企業の終身の家族としてあった。 企業は家族の一員としてその人間を育て叱咤し働かせつつも面倒をみた。 単なる契約、請負としての労働者はまこと玉ないし弾に過ぎない。 人間ではないのである。 同じ会社の同僚ではない。 病気になろうが心身を病もうが関係ない。 使えない者は切って棄てるだけである。
このような金、利益だけを至上の価値とする社会は行き着くところあらゆる物を食いつぶして瓦解していくほかはない。 人を食って生きていくのである。 いまや真っ当な自分を守るためにはそれこそ必死になって自給自足の方法を模索するしかない時代の到来である。
自然に還ること、人々は農山漁村で自分の生きるささやかな場所を見つけることしかない。
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2006/09/19(火) 語学
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結局のところ世間での栄華というのはなにものでもない。 しかしまたこの事に気付くのも年季のいることではある。 立身出世、故郷に錦を飾る、この価値観にいかに多くの人々が惑わされたことか。
ある人と話をした。 故郷の父母は月、3万円の生活費であるという。 米、野菜は自給である。 時に魚、肉を買うのみであると言う。 まこと理想的な生活である。 ただし、この三万円を稼ぎ出す手段を持っていればだが。
世の中は激変した。 かって東京とかの都市に出なければ得られなかった情報、文化は情報革命によって距離の隔たりをなくした。 今や何処にいても同じである。 創造的作品は誰でも自由にパソコンによって世に問える。 ネットサーファーの身にとっては時に驚くべきプログに遭遇する。 学校でも都会の彷徨でも全く学べなかった画期的見解に出会う。 何処の誰だか知らぬが親切な方もいるものだ。 蒙を啓かされるというか、目から鱗が落ちるというかあっと驚く為五郎である。
今は、れんだいこ、に嵌まっている。 そこでつくづく思ったのだが英語を分かって置けばよかった。 翻訳で読んだのでは間違いだらけだし意味が分からない。 年取ってから大事なことに気付くというのも情けない。
若い人たちよ、立身出世などどうでもいいから、外国語を一カ国以上、徹底的に身につけられたし。 間違った情報で人生を無にすることのないように。
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2006/09/20(水) 蝶
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秋寒く 黄色の蝶の 凍えたり
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2006/09/21(木) 思想・良心
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予防訴訟の判決後の記者会見で、「これは違憲判決なのか」との記者の質問が出た。 若い記者には、違憲判決の経験がないのかも知れぬ。 NHKはびびったのか夕方のニュースで「違法」判決と表現した。
新聞をよく読んでいないので心許ないが、違憲判決はまことに久し振りではないのか。 違憲立法審査権が蔵の奥から出てきた感がする。
判決文、p、67 「・・・同人らの上記行為を制約することは、必要かつ最小限度の制約を超えるものであり、憲法19条に違反するものと解するのが相当である。・・・」 これ以上の違憲判決はない。 正真正銘の違憲判決である。 憲法が弊履の如く扱われること久しく改憲の狼煙の中での「違憲判決」、何とも快挙である。 常識的なる判決が画期的とか快挙とか評されるのであるから妙なものだ。
「憲法19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」 戦後、この憲法の言う「思想」そのものを我々は生み出したのであろうか。 何の誇るべき思想もまして良心も持たずにただただその日暮らしで過ごしてきた。
憲法を守れという前に、思想・良心に値するものを自ら獲得せよと言うほうが正解かも知れぬ。
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2006/09/22(金) 金木犀
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庭の金木犀が一斉に咲いた。 咲いたというより一斉に香ったという方が似つかわしい。
台風の余波の驟雨であっという間に散らされた。 何とも短い命である。 黒い土一面に金木犀の小さな花が散り敷かれた。 花と言うより欠片みたいだ。 数日して跡形もない。
金木犀の花は雨に打たれて土の中に浸み込んでしまったのだ。 土全体がふかふかして金色だ。 庭の土には最高の贈り物であったのか。
自然はぐるぐる回っていく。 何か人間には自然の中での疎外感がある。 食べてばっかりいて食べられないからであろう。
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2006/09/23(土) 判決文
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9,21違憲判決を書き写すことにした。 書きながらの方がその意味を理解できるかなあと思った次第である。
書き写していると言い回しが身に染みる。 「・・・違法であると判断した次第である。」(p、70)
書き写すことが、こんなに大変なこととは思いも由らなかった。 裁判官の文章は回りくどいというか、何ていうかほとほと参った。 挫折寸前であった。
「にゅうがくしき、そつぎょうしきとうにおけるしきてんにおいて、こっかせいしょうのさいにこっきにむかってきりつし・・・」 同じ言葉が際限なく出てくる。 「にゅうがく・・・・きりつし」までは一発変換である。 裁判官共通の言語なのであろうか。 「・・・と解するのが相当である。・・・」 相当言語だ。
9,21判決文では、「そうだとすると、・・・」というのがやけにいっぱい出てくる。 そうだとすると、そうだとすると、そう・・・・、この言葉だけが何かくだけている。 「くだけてものをおもうころかな」、呪文唱えつつ書き写して疲れて意味が猶更分からなくなってしまった。
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2006/09/17(日) 誇り
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労働組合がその組織を維持するために当局と癒着する。 日本の多くの労働組合がその道を選んだ。 何のことはない。 労働者は二重の桎梏の中に叩き込まれる。
組織はその保持と増殖において必要とするあらゆるものと癒着していく。 そこには右も左もない。 人体細胞が有機的に連結するように繋がりあっていく。
検察が警察の裏金を摘発することは不可能である。 もしやれば全国何十万の警察官が検察官の身上を洗うこととなる。 両者、共倒れと言う道を選ぶことは不可である。
自治労岐阜が裏金の管理に当たる。 燃したのか飲んじまったのか知らぬが労使同舟である。 かくして大なる組織はお互いの利益のために協調、癒着、腐敗していく。
宗教団体が暴力団の全国組織と連携する。 当然、時の与党政治家が参入する。 摘発を避けるためには、警察・公安・検察・あげくは裁判官までこのカオスの中に入り込むこととなる。 宗教たるものまこと大したものである。
警察・公安の天下りを多数入れた組織は恐いものはない。 身内が身内を摘発することはないからだ。 天下りを入れない組織は贈賄にこれ勤しむ。 かくして日本の巨大組織は右も左も関係なしに人体における細胞のように生理的に結びつきもたれあい利益を共有して増殖することとなった。
まともな人々は常に孤立して戦い敗北を続けている。 「反抗的人間」の誇りのみを共有して。
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2006/09/18(月) 離脱
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このような資本の論理が貫徹する社会にあってはまともに生きようと志向する者の道はただ一つである。 世間との隔絶これにつきる。
世間に留まる限り揺さぶられ脅され駈けずり回らざるをえない。 成果主義のもと目標数字を目指して過労死、又はそれ寸前の状況に追い込まれる。
旧友が労働基準監督署の相談員をしているが聞くと結局のところカウンセラーであるという。 皆、心が壊されていっている。 その訴えを聞き続けているのだと言う。
終身雇用においては労働者はその企業の終身の家族としてあった。 企業は家族の一員としてその人間を育て叱咤し働かせつつも面倒をみた。 単なる契約、請負としての労働者はまこと玉ないし弾に過ぎない。 人間ではないのである。 同じ会社の同僚ではない。 病気になろうが心身を病もうが関係ない。 使えない者は切って棄てるだけである。
このような金、利益だけを至上の価値とする社会は行き着くところあらゆる物を食いつぶして瓦解していくほかはない。 人を食って生きていくのである。 いまや真っ当な自分を守るためにはそれこそ必死になって自給自足の方法を模索するしかない時代の到来である。
自然に還ること、人々は農山漁村で自分の生きるささやかな場所を見つけることしかない。
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2006/09/19(火) 語学
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結局のところ世間での栄華というのはなにものでもない。 しかしまたこの事に気付くのも年季のいることではある。 立身出世、故郷に錦を飾る、この価値観にいかに多くの人々が惑わされたことか。
ある人と話をした。 故郷の父母は月、3万円の生活費であるという。 米、野菜は自給である。 時に魚、肉を買うのみであると言う。 まこと理想的な生活である。 ただし、この三万円を稼ぎ出す手段を持っていればだが。
世の中は激変した。 かって東京とかの都市に出なければ得られなかった情報、文化は情報革命によって距離の隔たりをなくした。 今や何処にいても同じである。 創造的作品は誰でも自由にパソコンによって世に問える。 ネットサーファーの身にとっては時に驚くべきプログに遭遇する。 学校でも都会の彷徨でも全く学べなかった画期的見解に出会う。 何処の誰だか知らぬが親切な方もいるものだ。 蒙を啓かされるというか、目から鱗が落ちるというかあっと驚く為五郎である。
今は、れんだいこ、に嵌まっている。 そこでつくづく思ったのだが英語を分かって置けばよかった。 翻訳で読んだのでは間違いだらけだし意味が分からない。 年取ってから大事なことに気付くというのも情けない。
若い人たちよ、立身出世などどうでもいいから、外国語を一カ国以上、徹底的に身につけられたし。 間違った情報で人生を無にすることのないように。
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2006/09/20(水) 蝶
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秋寒く 黄色の蝶の 凍えたり
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2006/09/21(木) 思想・良心
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予防訴訟の判決後の記者会見で、「これは違憲判決なのか」との記者の質問が出た。 若い記者には、違憲判決の経験がないのかも知れぬ。 NHKはびびったのか夕方のニュースで「違法」判決と表現した。
新聞をよく読んでいないので心許ないが、違憲判決はまことに久し振りではないのか。 違憲立法審査権が蔵の奥から出てきた感がする。
判決文、p、67 「・・・同人らの上記行為を制約することは、必要かつ最小限度の制約を超えるものであり、憲法19条に違反するものと解するのが相当である。・・・」 これ以上の違憲判決はない。 正真正銘の違憲判決である。 憲法が弊履の如く扱われること久しく改憲の狼煙の中での「違憲判決」、何とも快挙である。 常識的なる判決が画期的とか快挙とか評されるのであるから妙なものだ。
「憲法19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」 戦後、この憲法の言う「思想」そのものを我々は生み出したのであろうか。 何の誇るべき思想もまして良心も持たずにただただその日暮らしで過ごしてきた。
憲法を守れという前に、思想・良心に値するものを自ら獲得せよと言うほうが正解かも知れぬ。
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2006/09/22(金) 金木犀
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庭の金木犀が一斉に咲いた。 咲いたというより一斉に香ったという方が似つかわしい。
台風の余波の驟雨であっという間に散らされた。 何とも短い命である。 黒い土一面に金木犀の小さな花が散り敷かれた。 花と言うより欠片みたいだ。 数日して跡形もない。
金木犀の花は雨に打たれて土の中に浸み込んでしまったのだ。 土全体がふかふかして金色だ。 庭の土には最高の贈り物であったのか。
自然はぐるぐる回っていく。 何か人間には自然の中での疎外感がある。 食べてばっかりいて食べられないからであろう。
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2006/09/23(土) 判決文
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9,21違憲判決を書き写すことにした。 書きながらの方がその意味を理解できるかなあと思った次第である。
書き写していると言い回しが身に染みる。 「・・・違法であると判断した次第である。」(p、70)
書き写すことが、こんなに大変なこととは思いも由らなかった。 裁判官の文章は回りくどいというか、何ていうかほとほと参った。 挫折寸前であった。
「にゅうがくしき、そつぎょうしきとうにおけるしきてんにおいて、こっかせいしょうのさいにこっきにむかってきりつし・・・」 同じ言葉が際限なく出てくる。 「にゅうがく・・・・きりつし」までは一発変換である。 裁判官共通の言語なのであろうか。 「・・・と解するのが相当である。・・・」 相当言語だ。
9,21判決文では、「そうだとすると、・・・」というのがやけにいっぱい出てくる。 そうだとすると、そうだとすると、そう・・・・、この言葉だけが何かくだけている。 「くだけてものをおもうころかな」、呪文唱えつつ書き写して疲れて意味が猶更分からなくなってしまった。
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