◆ ウクライナ危機と憲法9条 (週刊新社会)
◆ よからぬ動き
ロシアのウクライナ侵略を機に、改憲派は、憲伝9条の改憲と核共有、軍事予算のGDP2%への引き上げと敵基地攻撃能力の整備が急務と主張し始めた。
要は、経済的・軍事的に巨大化した中国、核実験・ミサイル実験を繰り返す朝鮮、ウクライナに侵攻するロシアが存在する以上、「普通の国」同様に軍隊の保有が必要というのである。
◆ 「普通の国」を否定する9条
しかし、憲法9条は「近代戦」の「総力戦」化を踏まえ、旧来の憲法理論ではあり得ない「普通にあらざる」選択をした。
その「普通の国ではない日本」が、「普通の国」になり下がり、「戦争の出来る国」になってよいのか。
(1)憲法理論からは、軍隊を持たない国はあり得ない。なぜなら、「個人」を主権者として近代国家を説明するには「社会契約論」しかないが、それによれば、社会契約体である国家が自己保全のために軍隊を保有することは当然と考える。戦争を違法化した不戦条約があっても各国が軍隊を保有するのは、それ故である。
(2)憲法9条1項類似の規定は、他の先進国でも存在するが、日本国憲法が「特異」かつ「普通の国はでない」ことを宣するのが、憲法9条2項の「戦力不保持」「交戦権の放棄」である。
「近代戦争」は、旧来の「正規軍」=職業軍人同士の戦争から、国民全体を巻き込む「国家の存亡をかけた総力戦」に変じ、大量殺鐵兵器と徴兵制によって動員された戦場の兵士を、武器・弾薬・燃料・食料等の「兵站(へいたん)」を背後の市民が供給して支えなければならず、攻撃目標は戦場に止まらず、「兵站」供給源の「職場生産点」や輸送を支える「社会インフラ」にも拡大した。
◆ 応戦は国土も国民も守らず
総力戦化が不可避な状況下で、軍隊の侵略に軍隊で対応すれば、ウクライナ危機でも分かるように、軍隊での勝敗がつくまで、戦争は終わらず、市民は戦争に巻き込まれ膨大な犠牲を生じる。
軍隊による応戦は、建前はともかく、実際には国土も国民も守ったことにはならず、兵士の犠牲者以上の膨大な市民の犠牲者と国土破壊をもたらす。
それが2度の大戦とウクライナ危機が教えるところである。
ロシア非難とウクライナ支持は当然としても、ウクライナへの軍事支援は軍隊による戦争を長引かせ、市民の犠牲を招く。
◆ 軍事力で勝敗はない
その意味で、憲法9条2項の選択は、極めて賢明な選択である。
軍事力で戦争の勝敗は決し得ないことは、ベトナム戦争や、アメリカが膨大な軍隊と戦費を注ぎ込んでもイラクやアフガニスタンを支配できず、撤退しかなかった現実からも明らかである。
相手国を軍事的に占領しても、被占領国の国民が納得しない限り、被占領国の国民のゲリラや反乱、ストライキ等の抵抗に遇い、被占領国の支配は不可能となる。
そして、被占領国の国民の抵抗で、被占領国民の犠牲が生ずるとしても、軍隊同士が戦争するより遙かに少ない犠牲に止まる。
なぜなら、大量殺戮兵器が全市民や全国土に向けられることはなく、個別的犯罪は被占領国のみならず国際的にも可視化され、占領国自体が国際的にも制裁を受け孤立化するからである。
◆ 軍隊は手段の違法性を正当化
軍隊の無意味さは、平時においても全く生産に寄与しない膨大な数の兵士を養い、戦争用に特化した兵器や施設に膨大な税金を注ぎ込むことからも明らかで、軍事演習等は戦争招来の危険をもたらし、対内的にはクーデターや政治不安定化の要因ともなる。
そして、一度戦争が開始されるや、国家の存亡をかけて軍隊が敵を攻撃する以上、「法の歯止めがきかない」事態が生じる。
ウクライナでのロシア軍の原発攻撃や戦争犯罪がこれを物語っているし、私たち自身、警察は「浅間山荘事件」で、適法に犯人を逮捕し贖罪をさせたが、元陸軍参謀瀬島龍三が絵を描いた国鉄改革では違法行為たる「不当労働行為」を全面展開したことを忘れるべきではない。
軍隊は、勝利こそすべてで、勝利さえ得られれば手段の違法を正当化する。
◆ 米軍の戦争に巻き込まれるな
集団的自衛権と敵基地攻撃能力を備えれば、同盟国アメリカの先制攻撃に制限はなく、米軍のために日本が戦争に巻き込まれる。
そして、日本が敵基地を攻撃し、兵站を担えば、日本国土と国民が戦争の犠牲になることは明らかである。
そして、一度始まった戦争は、軍隊の勝敗が決しない以上継続し、日本国土と国民は膨大な犠牲を強いられる。
戦争の現実を考えれば、軍事予算を普通の国並みにし、敵基地攻撃能力まで備えるのは、全くの愚策という外ない。
日本を「普通の国」に貶めてはならない。
『週刊新社会』(2022年5月25日)
弁護士 加藤晋介
◆ よからぬ動き
ロシアのウクライナ侵略を機に、改憲派は、憲伝9条の改憲と核共有、軍事予算のGDP2%への引き上げと敵基地攻撃能力の整備が急務と主張し始めた。
要は、経済的・軍事的に巨大化した中国、核実験・ミサイル実験を繰り返す朝鮮、ウクライナに侵攻するロシアが存在する以上、「普通の国」同様に軍隊の保有が必要というのである。
◆ 「普通の国」を否定する9条
しかし、憲法9条は「近代戦」の「総力戦」化を踏まえ、旧来の憲法理論ではあり得ない「普通にあらざる」選択をした。
その「普通の国ではない日本」が、「普通の国」になり下がり、「戦争の出来る国」になってよいのか。
(1)憲法理論からは、軍隊を持たない国はあり得ない。なぜなら、「個人」を主権者として近代国家を説明するには「社会契約論」しかないが、それによれば、社会契約体である国家が自己保全のために軍隊を保有することは当然と考える。戦争を違法化した不戦条約があっても各国が軍隊を保有するのは、それ故である。
(2)憲法9条1項類似の規定は、他の先進国でも存在するが、日本国憲法が「特異」かつ「普通の国はでない」ことを宣するのが、憲法9条2項の「戦力不保持」「交戦権の放棄」である。
「近代戦争」は、旧来の「正規軍」=職業軍人同士の戦争から、国民全体を巻き込む「国家の存亡をかけた総力戦」に変じ、大量殺鐵兵器と徴兵制によって動員された戦場の兵士を、武器・弾薬・燃料・食料等の「兵站(へいたん)」を背後の市民が供給して支えなければならず、攻撃目標は戦場に止まらず、「兵站」供給源の「職場生産点」や輸送を支える「社会インフラ」にも拡大した。
◆ 応戦は国土も国民も守らず
総力戦化が不可避な状況下で、軍隊の侵略に軍隊で対応すれば、ウクライナ危機でも分かるように、軍隊での勝敗がつくまで、戦争は終わらず、市民は戦争に巻き込まれ膨大な犠牲を生じる。
軍隊による応戦は、建前はともかく、実際には国土も国民も守ったことにはならず、兵士の犠牲者以上の膨大な市民の犠牲者と国土破壊をもたらす。
それが2度の大戦とウクライナ危機が教えるところである。
ロシア非難とウクライナ支持は当然としても、ウクライナへの軍事支援は軍隊による戦争を長引かせ、市民の犠牲を招く。
◆ 軍事力で勝敗はない
その意味で、憲法9条2項の選択は、極めて賢明な選択である。
軍事力で戦争の勝敗は決し得ないことは、ベトナム戦争や、アメリカが膨大な軍隊と戦費を注ぎ込んでもイラクやアフガニスタンを支配できず、撤退しかなかった現実からも明らかである。
相手国を軍事的に占領しても、被占領国の国民が納得しない限り、被占領国の国民のゲリラや反乱、ストライキ等の抵抗に遇い、被占領国の支配は不可能となる。
そして、被占領国の国民の抵抗で、被占領国民の犠牲が生ずるとしても、軍隊同士が戦争するより遙かに少ない犠牲に止まる。
なぜなら、大量殺戮兵器が全市民や全国土に向けられることはなく、個別的犯罪は被占領国のみならず国際的にも可視化され、占領国自体が国際的にも制裁を受け孤立化するからである。
◆ 軍隊は手段の違法性を正当化
軍隊の無意味さは、平時においても全く生産に寄与しない膨大な数の兵士を養い、戦争用に特化した兵器や施設に膨大な税金を注ぎ込むことからも明らかで、軍事演習等は戦争招来の危険をもたらし、対内的にはクーデターや政治不安定化の要因ともなる。
そして、一度戦争が開始されるや、国家の存亡をかけて軍隊が敵を攻撃する以上、「法の歯止めがきかない」事態が生じる。
ウクライナでのロシア軍の原発攻撃や戦争犯罪がこれを物語っているし、私たち自身、警察は「浅間山荘事件」で、適法に犯人を逮捕し贖罪をさせたが、元陸軍参謀瀬島龍三が絵を描いた国鉄改革では違法行為たる「不当労働行為」を全面展開したことを忘れるべきではない。
軍隊は、勝利こそすべてで、勝利さえ得られれば手段の違法を正当化する。
◆ 米軍の戦争に巻き込まれるな
集団的自衛権と敵基地攻撃能力を備えれば、同盟国アメリカの先制攻撃に制限はなく、米軍のために日本が戦争に巻き込まれる。
そして、日本が敵基地を攻撃し、兵站を担えば、日本国土と国民が戦争の犠牲になることは明らかである。
そして、一度始まった戦争は、軍隊の勝敗が決しない以上継続し、日本国土と国民は膨大な犠牲を強いられる。
戦争の現実を考えれば、軍事予算を普通の国並みにし、敵基地攻撃能力まで備えるのは、全くの愚策という外ない。
日本を「普通の国」に貶めてはならない。
『週刊新社会』(2022年5月25日)
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