足立16中事件に続き、先日、産経新聞で「GHQの『戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画』が今も形を変えて教育現場に生き続けている」として、東京千代田・九段中学の女性教員・増田都子の授業のことが掲載されました。
時を移さず、保護者のリークで、区教委、都教委からの事情聴取、期限を切っての調査回答を求められたにもかかわらず、その期限の8月30日には「呼び出し」、同時に「戒告処分」が出され、読売新聞が報道しました。
更に、31日には、「9月1日から16日間の研修」命令が発令されました。新学期早々の担任不在の現場はいかばかりか動揺をきたすことでしょう。生徒の教育権にもかかわるのではないでしょうか。きわめて急な動きにあきれつつ、この間、連日対策を練っています。
処分の理由は、増田都子がその紙上討論の中で、彼女自身が「ノムヒョン大統領に宛てた手紙」を添付しているのですが、その中で、歴史偽造主義者として(古賀都議の都議会での発言に基づき)いること、『扶桑社教科書』を同じく歴史偽造教科書としていることが、誹謗中傷にあたるというものです。古賀都議は公人であるからというのです。(古賀、田代、土屋は例の三悪都議です)
教育の内容への攻撃、しかも、これによって、ますます東京の教員たちは萎縮するでしょう。ほとんど、みせしめに近い、極めて一部都議の恣意的な力は働いているのが見えていますが、どうしたらいいのか。外国人記者クラブでの会見や抗議の記者会見など、メールでの都教委への抗議など、やれることはそのようなことしかないのでしょうか。
心の底から、現状の教育行政に怒りをもって、本気で憂えて、反撃する力をどうにかして作らねばならない状況です。「日の丸・君が代」に関しても、予防訴訟をはじめ、被処分者や被解雇者の裁判も、来年3月には結審だろうという予測です。非常に厳しい。この闘いが、教員と地域市民が手を結びきらないうちに、尻窄みになってしまえば、石原の言うように「5年、10年すれば他県も東京を真似るだろう」という通りになってしまうではありませんか。
増田都子の紙上討論については添付のワード文書の通りです。是非ご一読いただいて、彼女が如何に情熱を傾けて「教育」に専念しているか、実感していただければ幸です。彼女は決して、「私を助けて下さい」と自分への支援を訴えているのではありません。こんなに大変な状況になっていることを、本当に判って欲しい、の一心なんです。ほんとにぎりぎりのところの授業をやっているんだな、と私は熱いものを感じます。
この間の教育現場の闘いに大きく気づかされてきた私たち自身、地域や生産点現場において、隠れもしない、仲間同士、労働者同士のレベルで発言をし、行動をしなければならないでしょう? 地域で黙りを決め込んでいてはだめ。ふんぞりかえって教員からの「闘いの報告」を待っている場合ではないです。
こんな夜中に、カッカと沸騰したままの投稿、すみません。
時を移さず、保護者のリークで、区教委、都教委からの事情聴取、期限を切っての調査回答を求められたにもかかわらず、その期限の8月30日には「呼び出し」、同時に「戒告処分」が出され、読売新聞が報道しました。
更に、31日には、「9月1日から16日間の研修」命令が発令されました。新学期早々の担任不在の現場はいかばかりか動揺をきたすことでしょう。生徒の教育権にもかかわるのではないでしょうか。きわめて急な動きにあきれつつ、この間、連日対策を練っています。
処分の理由は、増田都子がその紙上討論の中で、彼女自身が「ノムヒョン大統領に宛てた手紙」を添付しているのですが、その中で、歴史偽造主義者として(古賀都議の都議会での発言に基づき)いること、『扶桑社教科書』を同じく歴史偽造教科書としていることが、誹謗中傷にあたるというものです。古賀都議は公人であるからというのです。(古賀、田代、土屋は例の三悪都議です)
教育の内容への攻撃、しかも、これによって、ますます東京の教員たちは萎縮するでしょう。ほとんど、みせしめに近い、極めて一部都議の恣意的な力は働いているのが見えていますが、どうしたらいいのか。外国人記者クラブでの会見や抗議の記者会見など、メールでの都教委への抗議など、やれることはそのようなことしかないのでしょうか。
心の底から、現状の教育行政に怒りをもって、本気で憂えて、反撃する力をどうにかして作らねばならない状況です。「日の丸・君が代」に関しても、予防訴訟をはじめ、被処分者や被解雇者の裁判も、来年3月には結審だろうという予測です。非常に厳しい。この闘いが、教員と地域市民が手を結びきらないうちに、尻窄みになってしまえば、石原の言うように「5年、10年すれば他県も東京を真似るだろう」という通りになってしまうではありませんか。
増田都子の紙上討論については添付のワード文書の通りです。是非ご一読いただいて、彼女が如何に情熱を傾けて「教育」に専念しているか、実感していただければ幸です。彼女は決して、「私を助けて下さい」と自分への支援を訴えているのではありません。こんなに大変な状況になっていることを、本当に判って欲しい、の一心なんです。ほんとにぎりぎりのところの授業をやっているんだな、と私は熱いものを感じます。
この間の教育現場の闘いに大きく気づかされてきた私たち自身、地域や生産点現場において、隠れもしない、仲間同士、労働者同士のレベルで発言をし、行動をしなければならないでしょう? 地域で黙りを決め込んでいてはだめ。ふんぞりかえって教員からの「闘いの報告」を待っている場合ではないです。
こんな夜中に、カッカと沸騰したままの投稿、すみません。
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