東京新聞【紙つぶて】
◇ 私の市長選
私は二度、市長選に出馬しようかと考えたことがある。一回目はハワイ州ホノルル市であった。
一九八八年、私はホノルル市の名誉市長の称号を頂いていた。ある日、ホノルルの税関を通るとき、職員が私を別室へ連れて行き、身体検査をした。名誉市長のIDカードを見せたが、職員はそのカードを指に挟んで捨てた。
「名誉市長」は上下両院の議決で、全議員が起立賛成して任命されたものだ。世界にたった一人の大変名誉なポストにもかかわらず、この職員は大変横暴な処置をした。
私は早速、当時の市長と面会。このことを話すと市長は顔色を失い、税関のトップに電話をして「今から謝りに来い」と興奮して抗議した。
市長は「スギ、これで収めてくれ。もう一度私にチャンスをくれ」と言う。
「駄目だ。あの職員の態度は日本人に対しての差別とも感じたし逃私以外にもこんな扱いをしていると思われる。そこで私は決心した。この次のホノルル市長選に出る」。
そう告げると、市長は涙目になり、「それだけはやめてくれ」と手を合わせた。
その後、米国務省からわび状が届いたため、市長選出馬はあきらめた。
二度目は大阪市。当時の西尾正也市長に「この次は私が出る」と言ったら、私のパーティーに西尾さんが出席して「市長選に出るのだけはやめてほしい」と、祈りとも思えるようなあいさつをした。西尾さんは格別良い人だった。
今、大阪を“めちゃくちゃ”にしようとしている人が現れた。私の心はグラグラしている。
『東京新聞』(2011/10/29【紙つぶて】)
◇ 私の市長選
杉 良太郎(法務省特別矯正監、歌手・俳優)
私は二度、市長選に出馬しようかと考えたことがある。一回目はハワイ州ホノルル市であった。
一九八八年、私はホノルル市の名誉市長の称号を頂いていた。ある日、ホノルルの税関を通るとき、職員が私を別室へ連れて行き、身体検査をした。名誉市長のIDカードを見せたが、職員はそのカードを指に挟んで捨てた。
「名誉市長」は上下両院の議決で、全議員が起立賛成して任命されたものだ。世界にたった一人の大変名誉なポストにもかかわらず、この職員は大変横暴な処置をした。
私は早速、当時の市長と面会。このことを話すと市長は顔色を失い、税関のトップに電話をして「今から謝りに来い」と興奮して抗議した。
市長は「スギ、これで収めてくれ。もう一度私にチャンスをくれ」と言う。
「駄目だ。あの職員の態度は日本人に対しての差別とも感じたし逃私以外にもこんな扱いをしていると思われる。そこで私は決心した。この次のホノルル市長選に出る」。
そう告げると、市長は涙目になり、「それだけはやめてくれ」と手を合わせた。
その後、米国務省からわび状が届いたため、市長選出馬はあきらめた。
二度目は大阪市。当時の西尾正也市長に「この次は私が出る」と言ったら、私のパーティーに西尾さんが出席して「市長選に出るのだけはやめてほしい」と、祈りとも思えるようなあいさつをした。西尾さんは格別良い人だった。
今、大阪を“めちゃくちゃ”にしようとしている人が現れた。私の心はグラグラしている。
『東京新聞』(2011/10/29【紙つぶて】)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます