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東京「君が代」4次訴訟第5回口頭弁論(2)代理人意見陳述

2015年05月24日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ◎ 10・23通達が卒業式における教師の創意工夫を否定し、教育活動を破壊していった
2015(平成27)年5月22日
原告ら訴訟代理人弁護士金井知明

 1 本日陳述した準備書面(4)では、教育の本質を説明した上で、10・23通達が教育現場を荒廃させたこと、また被告の主張が教育の本質に相反するものであることを明らかにしました。
 ここでは、教育の本質について簡単に述ぺた上で、障害児学校(2007年4月以降は特別支援学校となっている。)に焦点を当て、10・23通達が障害児学校に与えた影響を明らかにし、通達が卒業式における教師の創意工夫を否定し、教育活動を破壊していったことを述べます。
 2 教育は,子どもが人格を完成,実現していく基礎となる力を身につけるために必要不可欠な営みです。そして、教師と子どもとの間の直接の人間的ふれあいを通じ,子どもの個性に応じて行われる必要があります。
 そして,教師は,個々の子どもの発達段階や心身の健康状態を把握し,それに即した教育活動を行う専門性に基づいた責務を負っています。この、教育の本質的な要請から,教師の専門職上の自由(裁量権)は十全に確保されなければならず,また教育に対する不当な支配や介入は排除されなければなりません。教育は、自由な雰囲気のもとで自律的に営まれることが必要不可欠です。
 これは何も特別なことを述べているものではありません。例えば、本件関連事件の2011(平成23)年5月30日最高裁判決の補足意見で,須藤正彦裁判官は次の通り述べています。
 「教育は生徒の個性に応じて自由闊達に行われなければならず,卒業式においてもそれは変わらない。」「最も肝腎なことは,物理的,形式的に画一化された教育ではなく,熟意と意欲に満ちた教師により,しかも生徒の個性に応じて生き生きとした教育がなされることであろう。」「教育は,強制ではなく自由闊達に行われることが望ましいのであって,上記の契機を与えるための教育を行う場合においてもそのことは変わらないであろう。」
 3 さて、障害児学校では,知的障害,肢体不自由など様々な障害を抱えた児童・生徒の教育が行われています。
 そして、肢体不自由を例にあげても、医療的ケアが必要なほど障害が重度であったり、また、知的障害など他の障害が合併していることも多く、児童生徒の障害の種類や程度は多様です。それだけに、障害児学校は、個々の子どもの個性に応じた教育活動を行うという教育の本質が鮮明に表れる現場でもあります。
 また、障害児学校では、障害による困難を主体的に改善・克服し、自立を目指す「自立活動」が指導の中心として行われていること、また健康に特別な配慮が必要とされるところにも、通常の学校と異なる特徴があります。
 このため、障害児学校では、生徒の健康に配慮しながら、多様な障害に応じて、児童・生徒が自立し、主体的な取り組みができるような教育活動が日々実践されています。
 その中で、卒業式は,大きな節目になることから日常の教育活動の成果を発表する大切な場として位置づけられてきました。このような卒業式の位置づけから、教育現場では長年にわたる実践と試行錯誤がなされてきました。
 この過程で採用されるようになったのが,壇を使わないフロア形式,在校生と卒業生等が向かいあって座る対面式と呼ばれる形式の卒業式です。
 準備書面で引用した図をご覧下さい。
 先ほど述ぺたように障害児学校の児童・生徒の障害は多様です。
 例えば、自立歩行ができない又は困難な子ども、24時間酸素吸入器を装着している子ども、疲の吸引が必要な子ども、身体の変形で長時間車椅子に座っていることができない子どもがいます。また、言葉でうまく自分の意思を相手に伝えられない子どもも多くいます。
 教員は,児童・生徒の顔の表情を読み取り,また身振り手振りなどの動作を見ながら子どもの意思・感情、健康状態を物断しなければなりません。そして、知的障害のある子どもは、周囲の状況を把握することや物事に集中することが難しく、環境の変化や緊張により心が不安定になります。このため、日頃から密に接している教員がそばにいて向き合いながら声かけをするなどの対応が必要です。
 フロア形式・対面式は、このような多様な障害を抱える児童・生徒が安全に、自立し、主体的に参加できる方法として採り入れられてきました。
 例えば、自立歩行や車椅子の自力走行に取り組んできた児童生徒にとっては、自力で卒業証書を受け取ることができ、日々の学習の成果を家族・教員などの参加者に発表できる場となりました。そしてこのことが、児童・生徒の目標になり、学習意欲を飛躍的に高めることになりました。
 また、知的障害のある児童・生徒が落ち着いた状況で式に参加できるように、緊張要因を少なくし、児童・生徒の目線で行うように工夫された形式でした。
 そして、行動の理解が苦手な子どもにとっても、その場や卒業証書を受け取るために通っていく道が視覚的に分かりやすいものとして採用されてきました。
 あるいは、身体の変形から車椅子に長く乗車できない児童・生徒には、床にマット席を設置し、そこで教員が介助し、適切な体勢を取りつつも、参加する児童・生徒が卒業式で行われていることが見やすく、分かりやすいように工夫された形式でした。
 更には重度の障害を抱えた生徒の顔の表情や身振りが確認しやすく、健康状況を絶えず把握できる形式として実施されてきました。
 10・23通達が発出される以前は,肢体不自由校14校のうち大多数の学校が,フロア式・対面式の卒業式を行っていました。障害のある児童・生徒の教育に適した形式として積極的に採用されてきたのです。
 このような卒業式を一変させたのが10・23通達です.10・23通達によって,フロア式・対面式の卒業式はできなくなりました。一校残らず壇上で卒業証書を授与する卒業式に変えられました
 そればかりか、10・23通達に基づく式の進行に固執する余り、自立活動の取り組みによりおむつを外せるようになった児童生徒に式典の途中でトイレに行くことがないようにおむつを着けさせようとしたり、人工呼吸器の警報機が鳴った生徒の様子を確かめている看護師に立っことを命じるような事態まで発生したのです。
 4 2015年1月16日に言い渡しのあった、いわゆる東京「君が代」裁判第3次訴訟判決は、10・23通達が違憲・違法であるとの判断はしませんでした
 その理由として、学習指導要領の国旗国歌条項に基づく卒業式等における国旗・国歌の指導をより一層改善・充実することを実現する目的として発出されたこと、卒業式が厳粛さを要求される儀式的行事であること、円滑な進行を図る必要があることなどがあげられています。
 しかし、学習指導要領の国旗国歌条項は,卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱に関してどのような指導を行うかという指導方法について指示しているものではありません。
 ましてや,卒業証番の授与を,壇上で行えと言っているわけでもありません。フロア式や対面式の卒業式を禁止することは,学習指導要領の国旗国歌条項とは何らの関係もないことです。また、卒業式の厳粛さや、円滑な進行を、フロア式や対面式の卒業式が阻害することもありません。
 判決が指摘する理由は、これまで障害児学校において、長年取り組まれてきたフロア式や対面式の卒業式が禁止され,舞台壇上での卒業証番の授与が強制される根拠にはなりません
 現在でも他府県の障害児学校の卒業式においては、フロア式・対面式の卒業式が普通に行われていますが、何らも問題とされていません。円滑な進行ができなかった、厳粛さが失われたというような話しも聞きません。
 長年の教育実践から児童・生徒の実態に適したものとして採用されてきた形式ですから、問題があるはずがありません。
 しかし,東京都においては、許されません。10・23通達発出以後,このような卒業式は一切できなくなりました。そして、その状態は10年以上も継続しています。この異常な姿から目を背けることは許されません。
 10・23通達は,障害児学校の児童・生徒の自立かつ主体性を尊重し、安全を配慮するのに適するとして採用されてきたフロア式・対面式を禁止し、創意・工夫の余地を奪ったのです。
 5 教育は、個々の子どもの発達段階や心身の健康状態に即して行わなければなりません。この教育の本質や、障害児学校において長年取り組まれてきた教育実践を理解すれば、フロア式・対面式の卒業式を禁止する10・23通達が違憲・違法ではないとする結論にはなりません。
 原告らは,フロア式・対面式の卒業式が絶対的に優れていると主張しているものではありません。しかし、教育現場の裁量を一切否定し,壇上式こそが唯一絶対で,他は一切認めないとする10・23通達が,教育活動を破壊する以外の何物でもないと言っているのです。
 裁判所には、教育の本質及びこれまでの教育実践を理解してきただき、10・23通達の誤りを認め,なによりも児童・生徒のために創意工夫あふれた卒業式が東京都でも再びできるように適正な判断を求めるものです。
以上


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