〔初めに有罪ありき〕
◎ 権力がデッチ上げた「板橋高校卒業式」刑事弾圧 <3>
「アオサギ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
〈最高裁に上告〉
藤田さん及び弁護団は、即日(2008.5.29)、最高裁に上告した。「上告趣意書」は2009年1月29日提出。係属法廷は、最高裁第一小法廷。裁判長は桜井龍子。2月26日、最高裁に対して、「口頭弁論を開き公正な審理を」求める第一回要請行動を行った。しかし、裁判官は雲の上、担当調査官どころか、書記官さえ一切出てこず、訟廷首席書記官補佐の矢後氏が対応するのみ。こちらの要請に答えずメモをとるだけ、参加メンバーも17人に限定される。加藤弁護士がほぼ常に参加し、17人の枠外にするよう求めたがこれも拒否。こんな要請行動を9回、10回と重ねたが、なしの礫のままに推移した。要塞のごとき最高裁の建物の中で、何がどうされていたのか、最後まで全くの藪の中であった。
〈「国際人権」からの批判 最高裁に「上告趣意補充書」提出〉
この間、弁護団は最高裁に対し、「上告趣意補充書(1)~(5)」を提出した。特に、「補充書(2)」は、国際人権規約からみて「板橋高校卒業式裁判判決」がいかにひどいものかを明らかにし、ベルギーのフォルホーフ・ヘント大学教授の「意見書」を添付した。教授は、国際的には人権制約(侵害)の根拠は明文規定されているが、日本では「公共の福祉」という曖昧な理由で正当化していると批判、欧州人権裁判所の判例を引用しつつ、「藤田さんの表現と情報に対する不当な干渉」であり、「被告人以外の人々に対する「萎縮効果」を持つことは疑う余地がない」などと厳しく批判している。
極めて不当にも、最高裁含めて日本の司法は、このような国際的批判に謙虚に耳をかたむけないばかりか、藤田判決にも示されているように、完全無視のままである。私たちは「個人通報制度」の批准を含め、日本の内部から「カウンターレポート」作成など、今後とも働きかけを強めていく必要がある。
〈ICレコーダー=証拠改ざんの疑い〉
上告後の2010年11月5日、東京新聞は「証拠改ざんの疑い」の見出しの下、「都教委の指導主事が現場で録音したICレコーダーの記録」を「警視庁公安二課の警察官が録音を文字化」したが、「異例にも起訴前と起訴後に分析結果報告書が計二通作られ、ともに証拠採用された」。しかし、「録音内容の一部が二通で異なる」、藤田さんの「何で俺が出るんだ、おい!」という発言が「起訴後作成分にはその言葉がなかった」と大きく報じた。同一音源の報告書内容が異なる、ということは、まさに「証拠改ざん」以外にはありえない。もともと「ICレコーダー」は鯨岡指導主事の私物、「録音」はまさに「盗聴」、デジタル化されたもので編集が如何ようにも可能、つまり、本来ならば、「客観的証拠物」として採用してはならないものだ。それと、TBSのニュース映像と音声を重ねて「事実化」するなど、許されない。藤田さんが最高裁要請で「悔しくて夜も眠れない」と告発したが、「ICレコーダー」を権力犯罪の道具にさせたことは、返す返すも重大な反省点である。
(続)
『藤田先生を応援する会通信』(2011/8/23 第49最終号)
◎ 権力がデッチ上げた「板橋高校卒業式」刑事弾圧 <3>
藤田先生を応援する会・金子潔
「アオサギ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
〈最高裁に上告〉
藤田さん及び弁護団は、即日(2008.5.29)、最高裁に上告した。「上告趣意書」は2009年1月29日提出。係属法廷は、最高裁第一小法廷。裁判長は桜井龍子。2月26日、最高裁に対して、「口頭弁論を開き公正な審理を」求める第一回要請行動を行った。しかし、裁判官は雲の上、担当調査官どころか、書記官さえ一切出てこず、訟廷首席書記官補佐の矢後氏が対応するのみ。こちらの要請に答えずメモをとるだけ、参加メンバーも17人に限定される。加藤弁護士がほぼ常に参加し、17人の枠外にするよう求めたがこれも拒否。こんな要請行動を9回、10回と重ねたが、なしの礫のままに推移した。要塞のごとき最高裁の建物の中で、何がどうされていたのか、最後まで全くの藪の中であった。
〈「国際人権」からの批判 最高裁に「上告趣意補充書」提出〉
この間、弁護団は最高裁に対し、「上告趣意補充書(1)~(5)」を提出した。特に、「補充書(2)」は、国際人権規約からみて「板橋高校卒業式裁判判決」がいかにひどいものかを明らかにし、ベルギーのフォルホーフ・ヘント大学教授の「意見書」を添付した。教授は、国際的には人権制約(侵害)の根拠は明文規定されているが、日本では「公共の福祉」という曖昧な理由で正当化していると批判、欧州人権裁判所の判例を引用しつつ、「藤田さんの表現と情報に対する不当な干渉」であり、「被告人以外の人々に対する「萎縮効果」を持つことは疑う余地がない」などと厳しく批判している。
極めて不当にも、最高裁含めて日本の司法は、このような国際的批判に謙虚に耳をかたむけないばかりか、藤田判決にも示されているように、完全無視のままである。私たちは「個人通報制度」の批准を含め、日本の内部から「カウンターレポート」作成など、今後とも働きかけを強めていく必要がある。
〈ICレコーダー=証拠改ざんの疑い〉
上告後の2010年11月5日、東京新聞は「証拠改ざんの疑い」の見出しの下、「都教委の指導主事が現場で録音したICレコーダーの記録」を「警視庁公安二課の警察官が録音を文字化」したが、「異例にも起訴前と起訴後に分析結果報告書が計二通作られ、ともに証拠採用された」。しかし、「録音内容の一部が二通で異なる」、藤田さんの「何で俺が出るんだ、おい!」という発言が「起訴後作成分にはその言葉がなかった」と大きく報じた。同一音源の報告書内容が異なる、ということは、まさに「証拠改ざん」以外にはありえない。もともと「ICレコーダー」は鯨岡指導主事の私物、「録音」はまさに「盗聴」、デジタル化されたもので編集が如何ようにも可能、つまり、本来ならば、「客観的証拠物」として採用してはならないものだ。それと、TBSのニュース映像と音声を重ねて「事実化」するなど、許されない。藤田さんが最高裁要請で「悔しくて夜も眠れない」と告発したが、「ICレコーダー」を権力犯罪の道具にさせたことは、返す返すも重大な反省点である。
(続)
『藤田先生を応援する会通信』(2011/8/23 第49最終号)
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