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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

子どもの貧困は社会の問題:「子ども食堂」の名付け親に聞く

2017年05月05日 | こども危機
  【対談 こども食堂】(週刊新社会)
 ◆ バナナ一本の孤食がきっかけ
   コミュニティスペースが基盤に

近藤博子さん(子ども食堂主宰) vs 奈須りえさん(大田区議会議員)

 2月上旬、「こども食堂」の名付け親の近藤博子さんを訪ね、東京都大田区議会議員の奈須りえさんに、こども食堂の現状と課題についてインタビューをしてもらいました。近藤さんは、「気まぐれ八百屋だんだん」という店の看板を掲げ、こども食堂だけでなく、八百屋、寺子屋、手話教室、英会話などを運営しています。その内容を紹介します。(文資=清水英宏)
 ◆ 子ども食堂のきっかけ
 奈須 近藤さんはこども食堂を、なんで思いつき、始めたのですか。
 近藤 私は歯科衛生士だったのですが、たまたまのつながりで野菜の配達とか販売を始めました。
 その場所として借りたのがここで、元居酒屋で、いろいろな地域の人が集まり、話し合いをしたり、弁当を食べたりのコミニティスペースになり、みんなで使うという場になりました。最初は、健康と歯と食をつなぐ思いでした。
 奈須 何年ぐらい前に「だんだん」を始めたのですか。
 近藤 丸9年目に入りました。買い物に来るおばちゃんが一人暮らしだったり、家族のことを話す人がいたりで、人の集まりがポツポツと出てきました。
 一番最初に始めたのが八百屋で、自分の娘が高校の勉強につまずいたので寺子屋をやり、場所をシェアするようになりました。
 奈須 一方で資金はと、みんな思っていました。
 近藤 必要に迫られて少しずつ場所に手を入れて、今はバリアフリーになっています。畳になれていない人や、車イスの人とかのために、変えました。日本人ってお金で解決しようとするけれど、振り返ってみると良い方につながり、広がってきました。
 ◆ 食のことは地域で考える
 奈須 このスペースが元祖こども食堂と、取り上げられています。今は、こども食堂が全国に300とか400とかいわれています。こども食堂という言葉が独り歩きしているような感じがしますが、その意味ではネーミングがすぱらしいと思いますが、どういうきっかけですか。
 近藤 2010年のとき、小学校の副校長先生から入学してきた子どものなかに、お母さんが精神疾患で、食事や家事ができなく、結局学校の給食以外の夕飯や朝食はバナナ1本で過ごしている、お金をもらってお弁当を買いに行っても、お菓子を買って、バナナ一本で済ませる、そんな話を聞きました。
 この時代のこの日本に、そういう子がいるのはショックでした。先生が迎えに行って、朝はおにぎりを保健室で食べさせ、昼は給食を食べさせていると聞きました。
 そこで、食のことはせめて地域で何とかすれば何とかなるのではないかと思ったのです。
 ここには場所も厨房もあるから、みんなでご飯を食べられるようにしようと提案すると先生が「それはよい」というので、じゃ作ろうかとスタートしたんです。
 しかし、なかなかスタートできず1年以上経ってしまいました。その間に、その子は児童施設に入ったのです。
 たまたま、児童養護施設の人と話をすると、受け入れ先が圧倒的に足りない、へたに動いても受け入れ先がない。このことを問題にしないといけないのに、報道の中で、児童相談所につなぐ人がいない、受皿の問題があることが知らされていない。そういうところも、ことも食堂の背景にあります。
 何とか早く始めなければ、とにかくご飯を作つて、カレーを作つて子どもに食べに来てもらえぽ良い。仲間には仕事が終わって手伝いに来てくれればと、12年8月、夏休みにやることにしました。夏休みだと子どもたちにも声を掛けやすいし集まりやすいと思いました。
 病気、お金に関係なく、親が病気なら近所で助け合おうと、みんなで温かいご飯と具沢山の味噌汁があれば、血となり肉となって明日学校に行こうとなるだろうと。ただそれだけで始めたのです。
 奈須 話題を呼んだネーミングは。
 近藤 始める時に、考えました。ファミリーレストランは家族で行かないと受け入れてくれないだろう、子どもだけでも入って大丈夫なものがあったらと、一番最初に「こども」にしよう。何をするところ、食べるところ、割烹着のおばちゃんが作り、白い暖簾がかかっている食堂みたいなイメージかなと思い、こども食堂を前面に出そうと決めました。でも大人も入っていいよとの思いを込めてつけたのです。
 ◆ 地域の居場所づくり
 奈須 近くの子どもが来ると、あそこは貧乏な子が行く所だなどの話はあるのですか。
 近藤 近所のサマー教室(小学生)で、子どもだけの料理教室をやってほしいとの要望があったので料理教室を始めました。こども食堂やワンコイン寺子屋だけではなくて、逆に良かった。子どもにもロコミで広がり、必ずしも貧しい子どもだけでなく来てくれた。ばじめはひとりの子どもが多かったけど、友達どうしが誘い合って楽しみに来るようになりました。夜には外の空いている駐車場で遊んだりしています。
 親もこども食堂なら良いと、小学生から中学生まで、大きい子も両親が働いている子もいました。バナナしか食べられない子だけでなく、いろいろな子が来るようになりました
 奈須 どんな気持ちで続けたのですか。
 近藤 来る理由は聞きません。どんなおぱちゃんが待っているのかとか、子どもどうしだと来やすいでしょ。こども食堂ではなく、ワンコイン寺子屋や、みちくさ寺子屋をやっていた時もひとりでは来れないからと、みんなで誘い合って勉強するとやりやすかった経験があったのです。
 ◆ どうやって広げるか
 奈須 こども食堂をやるにあたって、どうしたらこども食堂をやっていることを伝えて、食べてもらえますかと聞かれます。
 近藤 チラシを配布した人もいたし、学校に配れるチヤンスをお願いしたりしたが、子どもが行きたいと言っても行かせない、今、貧乏だけどそんな所に行って欲しくないという親もいる。貧しい人というより、すべての子どもたちにしたほうが来やすいと思う。
 たしかに貧しい子どもたちにも、こども食堂の意味や食事を食べてもらう意味はあるけど、そうでなく親が同行しないで子どもたちが来ると他の子どもとおしゃべりできるし、よそのおばちゃんやおじちゃんに教えてもらったりできる。それがいいのです。
 一人100円で食べられるのだからすごく楽しい。料金は大人500円、子ども100円ですが、最初は原価計算したわけではないが、食材を考えて、とりあえず300円、500円にしましょうとなりました。
 ここ2年くらいは、お米やお金の寄付が集まるようになり、それを子どもたちに還元しようと、100円になりました。でも外向きは100円だけど毎週来ると小遣いから出すと大変だし、持ってこない子もいる。高校生で70円しかない子もいるがよしとしている。
 リピーターで定期的にくる子はほとんど決まっていて、子どもだけで来る。小さい子を抱えた育児中のお母さんたちも保育園帰りに来たりする。この間、区報にも載って、一人家庭で、いつも木曜日にお母さんがいないので、これからは道が分かり、一人で来させますという人もいる。
 私、こども食堂を学校と連携してやりたいので、学校にも行くんです。PTAの方々や校長先生のいる所へ行かせてもらいますが、この近辺は飲食店が夜開いているから子ども一人や兄弟だけで食べている家庭も多かったりします。こども食堂が貧困という切りロだけではなく、お金のない子のためのご飯をあげるところだけではなく、補助金もらって、はいどうぞ、だけではないものを目指しているのです。ご近所同土の付き合いができるほうが良いし、こども食堂はきっかけ作りだし、こういうところがあったら良いねと、高齢者の問題にもつながる。
 今の時代にあったご近所同士のおつきあいのひとつのきつかけづくりとして、それがこども食堂と言うことかなと思います。
 ◆ 次代を担う子どもに投資を
 奈須 行政についてはどうですか。
 近藤 この状況の中で、国とか区が色々、単なるご飯をあげるだけのこども食堂に、補助金を出すだけで、今の社会問題を解決できるのでしょうか。金銭的な問題だけの子どもの貧困はありえません。愛情不足とかが大きなウェイトを占めています。
 その子どもたちの背景にある親の問題だったり、社会の問題だったり、子どもの貧困は社会全体の責任だと思います。
 奈須 子どもの貧困は少なくとも、親の貧困であり雇用の問題であったりします。こども食堂に税金を投入するより、子どもの教育にしつかり国のお金を投入していけば、たとえ収入が少なくてもある程度は生活できると思う。ビジネスではない本当の教育になるように、先行投資して、日本を支える子どもたちに投資するようにして欲しい
 近藤 労働の話で、賃金の安定した仕事を誰が得られ、職に就けるのか、現実にはそれも難しいし、親も不安定だから子どもが貧困になっています。今の状況に対して、何とかしたい、対処療法として市民ができるという意味では、こども食堂はとてもよいし、価値のあることで重要なことだと思います。
 しかし、市民のボランティア的なことを、国や都道府県や市町村がやっても仕方がないと思います。民には民ができることがあり、国には国のできることがあります。そこはしっかり区別して、考えないといけないと思います。ここまではできるけど、これ以上はできないので税金で何とかするということになると思います。
 ◆ 国がかりは逆に不自由に
 奈須 取材や社会の注目は、どうですか。
 近藤 貧困の問題はここ2~3年ですね。こども食堂はなくてよいのです。隣同士でやればよいのです。おじちゃん、おばちゃんもできるようにしないと広がりはないですよ。
 私は、国がすでにこども食堂にお金を出すと決めたとき、日本財団と博報堂が一緒に調査にきたが、NPOと書いてあっただけで腹が立ちました。高齢者で元気な人を活躍させようとしたら、1人でも2人でもやっている人を支援しないと広がりません。今までと同じことは止めてほしい。
 何の調査と聞くと、こども食堂の実態調査で、どのようなものかという調査でした。私はそういうところからもらえる団体でもないし、もらおうとも思っていない。
 一億総活躍というなら、ぱあちゃん70歳で頑張ってますねと応援すればよい。今までと同じことをやろうとするから、怒ります。
 結果的に、行政から援助をもらった団体は行政と繋がったこども食堂だったようです。結局は今の社会にあったものにしていくことです。
『週刊新社会』(2017/4/18・25)
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