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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

人を守ることが正義ではなく、ルールを守ることが正義なのか

2012年07月14日 | こども危機
 ◆ 見て見ぬふりの根深さ
井形慶子(作家)

 大津市の中学二年生男子生徒の自殺はやりきれない。加害者の少年らは生徒の運動着に小便をかけ、ハチの死骸を口にねじ込み、万引させ、自殺の練習をさせた。
 わが子が同じ立場に追い込まれたら、誰もが学校、警察に乗り込み、加害者の親を怒鳴りつけてでも子を守るはずだ。それを阻んだのは、事実確認で済ませた教師、学校の危機感欠如。被害届を受理しなかった警察や、真偽を調査しない教育委員会もすることはした、責任はないと居直る。
 ここに不気味なデータがある。二〇一〇年文科省が発表した「児童生徒の自殺の状況」だ。それによると、命を絶った百五十六人中、「いじめ」で自殺したのはわずか四人。周囲から見ても普段と変わらず、特に悩んでいる様子もないとされる「不明」が最多の八十七人という。
 極めて不自然ではないか。本当に追跡調査をしたのだろうか。

 先日も交通事故を目撃、近くの病院に「医師を」と駆け込むも、「警察が来るまで何もできない」と、看護師はうめくけが人を見ようとしない
 振り込めサギの被害を警察に訴えても、音源、写真、もっと証拠を集めてと突き返される
 見ない看護師、動かぬ警察の行動しないこと、それ自体がルールによって正当化されることも問題だ。人を守ることが正義ではなく、ルールを守ることが正義とされる社会に感情はない。
『東京新聞』(2012/7/11【本音のコラム】)
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