◆ 見捨てられる生徒と保護者?
『朝日新聞』公立中高一貫校の報道はおかしい (レイバーネット日本)
◆ 慢性的な「不安」の中の子ども・保護者
「娘の小学生の時の同級生がダメだったんです。」
新学年が始まったばかりの4月、家庭教師の授業が終わった後で保護者にこう話しかけられた。
生徒の小学生時代の同級生が、受験して入学した中学を退学したと言う。
生徒とその元同級生は中2になったばかり。退学したお子さんは1年通ったところで退学と高校での再びの受験を決断したことになる。
恐らくこの学校ではついていけないと判断したのだろう。
「ウチも何かあったら今の学校にこだわらず、別のところを探したほうがいいですよね。」これが保護者の話の主旨だった。
勉強をはじめ、学校のハードなスケジュールについていけないと思ったら、無理をせずに「新天地」を探したほうが良いのではないかという相談である。
断っておくがこの生徒は成績・学校生活で大きな問題を抱えているわけではない。
この生徒の在学校は「中堅私立中」といったところだが、成績はほとんどの科目が五段階評価で最高値の「5」、手前味噌だが筆者の担当科目では全校生徒約250人中10~20位をキープしている。
対人関係でも周囲に細かく気配りしているらしく、担任からは「文句のつけようがありません!」と「優等生」の太鼓判を押されているのである。
にもかかわらず、このような相談を受けるのは、現在の私立校・公立中高一貫校ではどこかで少し躓けばたちまち「居場所」を失ってしまうこと、その時には担任の「太鼓判」など何の役にも立たないことを保護者も生徒も知っているからである。
子どもがこんなに頑張っていても、「安心」して毎日を送ることができないのが、現在の教育政策の下での学校なのである。
私は「まずお子さんの心身の健康が第一ですからね。」と答えた。
◆ 支離滅裂な『朝日』の公立中高一貫校記事ー校長の見解の垂れ流し
さて、話の発端となった退学したお子さんが通っていた中学こそ、都内の公立中高一貫校である。
私自身は同校の受験生・在校生を担当したことはないが、仄聞する限りその過酷さは私立校を上回る。
上記のお子さんのようについていけず退学したという話はよく聞くし、生徒のみならず教職員にも精神疾患が多発していると公立高校の教員から聞いたこともある。少なくとも、学校としては簡単に看過しがたい問題があることは容易に推測される。
その公立中高一貫校に関する記事が『朝日新聞』東京版に掲載された。6月2日付朝刊・26面に掲載された「『適性検査』考える力問い13年」という記事である(平岡妙子記者・執筆)。
しかし、上記のような問題の指摘・掘り下げは全くなく、基本的に校長(補足的に塾)の見解の垂れ流しである。その結果、記事は支離滅裂と言うよりない悲惨な内容になっている。
記事本文・リード文・囲み記事などを総合してその内容の骨子を示せば
まず①の同校の「適性検査」が受験の低年齢化を避けるためという主張は詭弁と言うよりない。
「適性検査」だろうが「学力試験」だろうが、入学資格を問う以上、それを受けるのが「受験」であることに何ら変わりはない。そして、それが「最も優れたリーダーを育てるための適性検査」(鯨岡広隆・都立両国高付属中校長)とされる以上、不合格は種々の「特権」の喪失に他ならない。
とすればそれを勝ち取るための「受験競争」は早期化せざるを得ないであろう。
さらにこの点を傍証するのが②の「大学入試共通テスト」との共通性である。
このテストが中学受験経験者に有利な可能性があることは、私立中の生徒に関して拙稿でお伝えしてある(http://www.labornetjp.org/news/2018/0105kiji)。
公立中高一貫校の「適性検査」がより酷似しているとすれば、同校を目指して受験勉強に励んできた者が大学受験においても有利になるということであり、実際、同校の校長の一人は「以前から取り組んできたため、生徒にアドバンテージがある。」(善本久子・都立白鳳高校付属中校長)と優位性を認めている。
とすれば、現状は同校が受験の低年齢化の「先兵」となっていることを示すに過ぎない。
「『時代が追いついてきた』と胸を張る」校長(鳥屋尾史郎・都立桜修館中等教育学校校長)がいるとすれば、この学校が受験の低年齢化の抑止を何ら真剣に考えていない証左と言うべきである。
③の「論理的思考力や表現力」「『リーダーの育成』などに合った適正な能力」も聞こえはいいが、それだけのことである。
何せ、具体的説明は「答えがひとつではない問いを、自分で考えて表現する力」(前出・善本校長)、「覚えたことではなく、頭の中で考えた道筋」を「人に伝わるように表現できる」力(前出・鯨岡校長)といったものに過ぎない。
どのような「表現力」「道筋」が「リーダー」に相応しいのかは何ら示されておらず、まともに「リーダー」の育成に取り組む気があるのか、疑問を感じざるを得ない。
少なくとも「意味不明」の「力」を要求されれば、ついていけない生徒が出るのは当然であろう。
以上のように①?③は論理的に整合せず、記事は支離滅裂と言うよりない。同校の深刻な問題を何ら伝えないまま、好意的内容に終始している点で「虚報」と言うべきであろう。
◆ 「論理的思考力」を欠く学校とマスコミー見捨てられる生徒と保護者
以上は「論理的思考力」を欠いているのは、むしろ校長(学校)とマスコミだということを示している。
この内、校長たちがかかる問題を抱える原因はこの記事のとりわけ①(傍証として②)に明瞭である。
こういう詭弁を堂々と開陳できるということは、厳しい内省によって現実を可能な限り客観的に把握する姿勢を欠いていること、むしろ自分たちに都合がいいようにそれを歪めて認識していることを示している。
まさに「右傾化」した日本の縮図だが、これでは「論理的思考力や表現力」の検査や「リーダー」の育成以前に、生徒・受験生の「現実」を直視し問題を改善できるのか、疑問を持たざるを得ない。
しかし、だとすればそれを指摘するのがマスコミの役割のはずである。しかも公立中高一貫校については前記のように、生徒の人権に関わる問題が頻発しているとも言われているのだ。
学校が生徒をきちんと見守らず、マスコミがそれを正さないとすれば、冒頭に述べたように慢性的な「不安」の中にいる生徒と保護者はどうしたらいいのだろう。
現在の学校とマスコミは生徒と保護者を見捨てていると言わざるを得ない。
『レイバーネット日本』(2018-06-07)
http://www.labornetjp.org/news/2018/0606tukada
『朝日新聞』公立中高一貫校の報道はおかしい (レイバーネット日本)
塚田正治(「教育産業」関係者)
◆ 慢性的な「不安」の中の子ども・保護者
「娘の小学生の時の同級生がダメだったんです。」
新学年が始まったばかりの4月、家庭教師の授業が終わった後で保護者にこう話しかけられた。
生徒の小学生時代の同級生が、受験して入学した中学を退学したと言う。
生徒とその元同級生は中2になったばかり。退学したお子さんは1年通ったところで退学と高校での再びの受験を決断したことになる。
恐らくこの学校ではついていけないと判断したのだろう。
「ウチも何かあったら今の学校にこだわらず、別のところを探したほうがいいですよね。」これが保護者の話の主旨だった。
勉強をはじめ、学校のハードなスケジュールについていけないと思ったら、無理をせずに「新天地」を探したほうが良いのではないかという相談である。
断っておくがこの生徒は成績・学校生活で大きな問題を抱えているわけではない。
この生徒の在学校は「中堅私立中」といったところだが、成績はほとんどの科目が五段階評価で最高値の「5」、手前味噌だが筆者の担当科目では全校生徒約250人中10~20位をキープしている。
対人関係でも周囲に細かく気配りしているらしく、担任からは「文句のつけようがありません!」と「優等生」の太鼓判を押されているのである。
にもかかわらず、このような相談を受けるのは、現在の私立校・公立中高一貫校ではどこかで少し躓けばたちまち「居場所」を失ってしまうこと、その時には担任の「太鼓判」など何の役にも立たないことを保護者も生徒も知っているからである。
子どもがこんなに頑張っていても、「安心」して毎日を送ることができないのが、現在の教育政策の下での学校なのである。
私は「まずお子さんの心身の健康が第一ですからね。」と答えた。
◆ 支離滅裂な『朝日』の公立中高一貫校記事ー校長の見解の垂れ流し
さて、話の発端となった退学したお子さんが通っていた中学こそ、都内の公立中高一貫校である。
私自身は同校の受験生・在校生を担当したことはないが、仄聞する限りその過酷さは私立校を上回る。
上記のお子さんのようについていけず退学したという話はよく聞くし、生徒のみならず教職員にも精神疾患が多発していると公立高校の教員から聞いたこともある。少なくとも、学校としては簡単に看過しがたい問題があることは容易に推測される。
その公立中高一貫校に関する記事が『朝日新聞』東京版に掲載された。6月2日付朝刊・26面に掲載された「『適性検査』考える力問い13年」という記事である(平岡妙子記者・執筆)。
しかし、上記のような問題の指摘・掘り下げは全くなく、基本的に校長(補足的に塾)の見解の垂れ流しである。その結果、記事は支離滅裂と言うよりない悲惨な内容になっている。
記事本文・リード文・囲み記事などを総合してその内容の骨子を示せば
①公立中高一貫校は受験競争の低年齢化を避けるため「学力試験」は行わず、「適性検査」が取り入れられている。しかし、この記事に示された「公立中高一貫校像」が崩壊していることは、上記のような同校に対する噂・情報を知らずとも、ちょっと常識を働かせれば分かる。
②同校が誕生して13年になるが、2021年に始まる「大学入試共通テスト」の試行問題が「適性検査」と酷似した形式であるように、大学入試改革を先取りした形になっている。
③「適性検査」では「論理的思考力や表現力」、「各学校が目指す『リーダーの育成』などに合った適正な能力」が検査されている。 ということになる。これだけ読めば問題があるどころか、無味乾燥な「丸暗記」に象徴される受験競争に子どもが放り込まれるのを防ぎ、「論理的思考力や表現力」に富んだ未来のリーダーを育成する学校のように読める。
まず①の同校の「適性検査」が受験の低年齢化を避けるためという主張は詭弁と言うよりない。
「適性検査」だろうが「学力試験」だろうが、入学資格を問う以上、それを受けるのが「受験」であることに何ら変わりはない。そして、それが「最も優れたリーダーを育てるための適性検査」(鯨岡広隆・都立両国高付属中校長)とされる以上、不合格は種々の「特権」の喪失に他ならない。
とすればそれを勝ち取るための「受験競争」は早期化せざるを得ないであろう。
さらにこの点を傍証するのが②の「大学入試共通テスト」との共通性である。
このテストが中学受験経験者に有利な可能性があることは、私立中の生徒に関して拙稿でお伝えしてある(http://www.labornetjp.org/news/2018/0105kiji)。
公立中高一貫校の「適性検査」がより酷似しているとすれば、同校を目指して受験勉強に励んできた者が大学受験においても有利になるということであり、実際、同校の校長の一人は「以前から取り組んできたため、生徒にアドバンテージがある。」(善本久子・都立白鳳高校付属中校長)と優位性を認めている。
とすれば、現状は同校が受験の低年齢化の「先兵」となっていることを示すに過ぎない。
「『時代が追いついてきた』と胸を張る」校長(鳥屋尾史郎・都立桜修館中等教育学校校長)がいるとすれば、この学校が受験の低年齢化の抑止を何ら真剣に考えていない証左と言うべきである。
③の「論理的思考力や表現力」「『リーダーの育成』などに合った適正な能力」も聞こえはいいが、それだけのことである。
何せ、具体的説明は「答えがひとつではない問いを、自分で考えて表現する力」(前出・善本校長)、「覚えたことではなく、頭の中で考えた道筋」を「人に伝わるように表現できる」力(前出・鯨岡校長)といったものに過ぎない。
どのような「表現力」「道筋」が「リーダー」に相応しいのかは何ら示されておらず、まともに「リーダー」の育成に取り組む気があるのか、疑問を感じざるを得ない。
少なくとも「意味不明」の「力」を要求されれば、ついていけない生徒が出るのは当然であろう。
以上のように①?③は論理的に整合せず、記事は支離滅裂と言うよりない。同校の深刻な問題を何ら伝えないまま、好意的内容に終始している点で「虚報」と言うべきであろう。
◆ 「論理的思考力」を欠く学校とマスコミー見捨てられる生徒と保護者
以上は「論理的思考力」を欠いているのは、むしろ校長(学校)とマスコミだということを示している。
この内、校長たちがかかる問題を抱える原因はこの記事のとりわけ①(傍証として②)に明瞭である。
こういう詭弁を堂々と開陳できるということは、厳しい内省によって現実を可能な限り客観的に把握する姿勢を欠いていること、むしろ自分たちに都合がいいようにそれを歪めて認識していることを示している。
まさに「右傾化」した日本の縮図だが、これでは「論理的思考力や表現力」の検査や「リーダー」の育成以前に、生徒・受験生の「現実」を直視し問題を改善できるのか、疑問を持たざるを得ない。
しかし、だとすればそれを指摘するのがマスコミの役割のはずである。しかも公立中高一貫校については前記のように、生徒の人権に関わる問題が頻発しているとも言われているのだ。
学校が生徒をきちんと見守らず、マスコミがそれを正さないとすれば、冒頭に述べたように慢性的な「不安」の中にいる生徒と保護者はどうしたらいいのだろう。
現在の学校とマスコミは生徒と保護者を見捨てていると言わざるを得ない。
『レイバーネット日本』(2018-06-07)
http://www.labornetjp.org/news/2018/0606tukada
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