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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

『学習指導要領解説』は教育の政治的中立性を本当に守っているのか

2018年09月12日 | こども危機
 ◆ 高校新科目「公共」
   〝愛国心〟〝自衛隊〟で政府見解教え込み
(『紙の爆弾 10月号』)
取材・文 永野厚男

 文部科学省は「大綱的基準として各校の教育課程編成に法的拘束力あり」と主張する、学習指導要領(以下、指導要領)の改訂・高校版を三月三十日に官報告示。これに続き同省は、指導要領の文言の解釈や同省の見解を記述した『解説』を七月十七日、東大安田講堂で開催した中央説明会で公表した。
 『解説』は教育学会等で「参考資料に過ぎない」とする学者が大多数。同省ですら「法的拘束力はない」としている。だが筆者が、首都圏の公立学校の授業を参観し、授業後の研究協議会を取材すると、若手教員の多くが『解説』を机上に置くなど、学校現場では“バイブル”化してしまっている。
 小中学校同様、高校も教科としての社会科が存在してきたが、一九八九年の指導要領改訂で、当時の文部省は高校社会科を、公民科(現代社会、倫理、政治・経済の三科目)と地理歴史科とに解体した。
 そして前記三月改訂の指導要領は、現代社会を廃止し新必修科目(二単位)の“公共”を設置した。公民科を中心に、指導要領と『解説』が、教育の政治的中立性を本当に守っているのか、検証する。
 ◆ “公共”の出発点は自民党の選挙公約
 “公共”は、自民党が野党当時の一〇年参院選政策集(マニフェスト)で、「国旗・国歌を尊重し、わが国の将来を担う主権者を育成する教育を推進します。…自虐史観偏向教育等は行わせません」など、政治色の濃い目的で設置を主張したのが始まり。
 自民党が政権”奪還”後、同党文部科学部会のプロジェクトチーム(座長・松野博一(ひろかず)衆院議員)は一三年六月十八日、”公共”を高校の教育課程に設けるよう下村博文(はくぶん)・文科相(当時)に提言。これを受け下村氏は一四年十一月二十日、中教審に「国家及び社会の責任ある形成者となるための教養と行動規範や、主体的に社会に参画し自立して社会生活を営むために必要な力を、実践的に身に付けるため」の新科目の在り方等の検討を諮問。中教審は一六年十二月二十一日、“公共”新設を含む、指導要領改訂を求める答申を出した。
 “公共”は内容も名称も、自民党言いなりの科目なのだ。

 一五年七月発行の中学校道徳『解説』(文科省HP掲載)は、指導要領の「第2内容」の「我が国の伝統と文化の尊重、国を愛する態度」の「国」について、「主権という観点を踏まえた歴史的、文化的な共同体として国家や国は存在する」(五七頁)と記述。
 昨年八月、ある道徳教育の会合で、この「国」が「統治機構を含む『国家主権』を指すのでないか」と質問した研究者に、文科省の道徳教育担当官は「確かに『国家主権』を含むが、憲法は『国民主権』を明記しているから、言わずもがなで『国民主権』も含まれる」と回答した(ちなみに公民科の『解説』六二頁~六三頁は、「国家主権」について、国際法や領土問題、北朝鮮による日本人拉致問題を教えるよう記述している)。
 一方で道徳『解説』五八頁は、「国」や「国家」について、「政府や内閣などの統治機構を意味するものではなく、歴史的に形成されてきた国民、国土、伝統、文化などからなる、歴史的・文化的共同体としての国を意味しているものである」と記述しており、道徳では「国」が、権力を持つ政治家や官僚等の「統治機構」を含むか否か、五七頁と五八頁とで矛盾するように読み取れる。
 ところが、与野党の賛否の分かれる中、第一次安倍政権が改定した教育基本法を審議した、〇六年十一月二十七日の参院特別委員会で、伊吹文明(ぶんめい)・文部科学相(当時)は、「私たちが(改定教育基本法の)政府案を作成する段階で、(自民党が〇五年十月に公表した)新憲法草案との整合性をチェックし、提出した」と発言。
 伊吹氏は続けて、その新憲法草案前文の「日本国民は、帰属する国を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有する」を、「改定教育基本法第二条五号の『我が国を愛する態度」という文言で受けている」と明言した(傍点は筆者。以下同)。
 伊吹氏の答弁の肝(きも)は、「改定教育基本法の“国を愛する態度“=自民改憲案の”国を守る”ために自己犠牲を払うことを厭わない人作り」であり、戦前・戦中の国家主義そっくりだ。“国防”という概念における“国”が、「統治機構」を含むのは明白。“愛国心”教育において「国は統治機構を含まない」と言っておけば、教職員や生徒、保護者を含む市民の反発が少ないだろうと文科省は謀んでいるのかもしれないが、伊吹氏の答弁が同省の本音ではないか?
 ◆ 公民科が目標とする「自国を愛し」とは?
 指導要領は公民科の目標を、「…多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵養される、人間としての在り方生き方についての自覚や、国民主権を担う公民として、自国を愛し、その平和と繁栄を図ることや、各国が相互に主権を尊重し、各国民が協力し合うことの大切さについての自覚などを深める」などと規定している。
 このうちまず、「自国を愛し」の「国」が、「統治機構」を含むか否かを考えると、「自国を愛し」の前後に「国民主権を担う公民として」「その平和と繁栄を図る」という文言があるので、「国」は「統治機構」を含むと思われる。
 次に、「国民主権を担う公民として、自国を愛し、その平和と繁栄を図ること」の「大切さについての自覚などを深める」について、『解説』二五頁は「選択・判断の手掛かりとなる概念や理論、及び倫理、法、政治、経済などに関わる現代の諸課題についての多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵養されるものであ」る、と記述している。
 「多面的・多角的な考察や深い理解」をすることにより、①自国をこよなく愛する生徒(たとえば卒業後自衛隊に入隊し、時には自己犠牲を払ってでも自国を守ろうとする生徒も含め)②国より個人を尊重し、自国を愛するより自国(統治機構を含め)を批判的に考え、変えようと思う(あるいは思うだけでなく、米国の銃規制を求める高校生のように、生徒会等で集会を開いたりデモに行く行動等もする)の両方、つまり多様な生徒が輩出されるのが民主主義社会の教育である(①②以外の考えも、もちろんあっていい)。
 だがもし、文科省が①の生徒だけを育てようとしているのなら、それは戦前・戦中の日本の国家主義・軍国主義や旧ソ連のような全体主義国の”教育”と同じであり、教育の政治的中立性を規定した改定教育基本法第一四条に違反するのではないか。
 ◆ “公共”の「防衛」で政府見解教化の恐れ
 指導要領の“公共”の「内容」の「次のような知識及び技能を身に付けること」の中に、「我が国の安全保障と防衛」という規定がある。
 『解説』六三頁は、このくだりについて「日本国憲法の平和主義について理解を深めることができるようにするとともに、我が国の防衛に関する基本的な事柄にも触れながら、変化する国際情勢の中で我が国の安全が世界の平和の維持といかに不可分に関連しているかについての理解を深めることができるようにする」と、記述している。
 このうち、「憲法の平和主義について理解を深める」とは、第九条の一項、すなわちパリ不戦条約をはじめ多くの国の憲法が謳う「国際紛争を解決する手段としての戦争放棄」と、二項の「陸海空軍その他の戦力の不保持。交戦権の否認」は一体である。
 だから、従来の現代社会や政治・経済同様、憲法学会で大勢を占める自衛隊違憲論と、政府の自衛隊合憲論との両方を取り扱ってこそ、教育の政治的中立性が担保されるといえる。
 しかし安倍晋三首相は昨年来、教科書に自衛隊違憲論を書くことを敵視し、合憲論だけを記述させようとする主張を繰り返している。
 また「我が国の防衛に関する基本的な事柄」とは、第二次安倍政権の集団的自衛権行使容認の閣議決定(一四年七月一日)前までは、授業や教科書ではいわゆる専守防衛の政策を巡り、政府見解とともに、解釈改憲の積み重ねで自衛隊の軍事行動の内容や範囲が拡大してきたことについて、「米国の戦争に巻き込まれる危険性がある」旨、記述した教科書もあり、様々な意見を取り扱ってきた。
 同閣議決定を受け安倍政権による集団的自衛権行使を可能にする安保関連法の成立(一五年九月)後についても、いわゆる政府見解に偏することなく、反対する意見・見解もしっかりと取り扱う、多様な考え方を保障する授業が、「広く深い理解と健全な批判力を養」うとした改定学校教育法第五一条第三号の「高校の教育目標」に合致する、と言えよう。
 最後に、指導要領の”公共”の「内容の取扱い」の「…『我が国の安全保障と防衛』については、国際法と関連させて取り扱うこと」という規定について、『解説』六四頁は、「例えば、国際連合憲章や日米安全保障条約などの条約や平和主義を掲げる日本国憲法の下、変化する国際情勢の中で、我が国の平和と安全を維持するための取組としてどのようなことが有効か、といった、具体的な問いを設け…」と記述している。
 「憲法>条約>法律」という重さの順は、法学の常識である。軍事同盟である安保条約を憲法より先に位置付ける文科省の憲法観に、不安を感じるのは筆者だけではないだろう。
 『解説』二七頁は、「選挙権年齢…引き下げ」等を踏まえ“公共”を新設したと、主権者教育を意識し記述。
 民主主義を守るため、自民党の政策中心にPRし、同党に投票する生徒を増やすよう教化する科目にさせてはならない。
 ※永野厚男(ながのあつお) 文科省・各教委等の行政や、衆参・地方議会の文教関係の委員会、教育裁判、保守系団体の動向などを取材。平和団体や参院議員会館集会等で講演。
『紙の爆弾』(2018年10月)

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