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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

川崎カトリック教会神父の生産性や利益を追求しない欲得抜きの生き方

2018年09月12日 | 平和憲法
 ◆ 「生産性」と「人間性」 (東京新聞【本音のコラム】)
鎌田 慧(かまたさとし・ルポライター)

 十代、二十代の同期生で亡くなった人は多い。七十歳すぎになって、フクシマの大事故直後から「さようなら原発」運動を始めたので、いまは七十代、八十代の友人が増えた。たいがい病気を抱えた人たちだが、運動の主力?である。
 いまパリに来ているのは、三十代で知り合っていたアンドレ神父の追悼会をやる、と社会学者フランソワ・サブレさん(72)から連絡があったからだ。
 アンドレ神父は川崎市のカトリック教会で労働司祭として二十三年ほど働いて帰国。先日、八十三歳で世を去った。
 九日、パリ七区の神父宿泊所に在仏の日本人も含めて五十人ほどが集まった。やはり川崎にいたマキシム・ドビョンヌ神父もやってきた。彼は指紋押捺(おうなつ)を拒否して日本の拘置所に、何日間か入れられていた
 わたしはキリスト者ではないが、生産性や利益を追求しない神父たちを尊敬している。
 何十年間か、日本で暮らしても信者がさほど増えたわけではない。人びとの苦しみを受けて寄り添い、生きる力になりたい、という欲得抜きの生き方だ。
 それはなにも宗教者ばかりではない。
 事故があったら取り返しがつかないという不安から脱原発運動が始まった。他人ばかりか、自分や子孫が犠牲になっても、原発で儲(もう)けを追求するのは浅ましい、非人間的な生き方だと考える人が増えている。(ルポライター)
『東京新聞』(2018年9月11日【本音のコラム】)

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