【12・11東京「君が代」裁判「第一次」訴訟控訴審・第2回口頭弁論 傍聴者の声】
◎ 外国人生徒に寄り添い、困難さを共有する中で「国旗・国歌」を鋭く問う
*本日の法廷 ①控訴人 T先生意見陳述
②控訴代理人 白井弁護士意見陳述
*「控訴人陳述はいつも聞きごたえがある。
高校生は大人である。自分の信念、正義感をしっかり持つ若者の濁りのない心を、正面から受けとめ、大切にし、勇気を与え与えられる本物の教員が、狂った教育行政の下で苦しめられていること。この教育の危機を正すべき提訴しても、延々と時間がかかったうえに、行政寄りのもどかしい判決が主流になる現実。
一人でも多くの人々が関心を持ち、この現実を周囲に知らせ、危機感を共有し、支え合うことが、必須と思っている。今日も、裁判長の客観的“風”な仕切り方、都への求釈明の求め方には、希望が持てない。」 (市民)
*「Tさんとは、07処分の人事委員会グループが同じで、職場の支部も同じであったので、時々お話をする機会がありました。これまでのお話で聞いていた、相模湖に強制連行された朝鮮人のことを最初の職場でTさんが知り、聞き取り調査に取り組んだことなど、Tさんのこれまでやってきたことの背景があればこそ、Tさんの、生徒との関わり、言葉の説得があったのだと思いました。
大橋裁判長は、先月、朝鮮人靖国合祀裁判の棄却を能面のように、いい渡し立ち去った表情を、もう一度見せるのかどうか?危惧されますが、しかし、Tさんの言葉の背景を、少しは受けとめうる予備知識はあるのかもしれないと思います。」 (原告)
*「Tさんの陳述も白井弁護士の陳述も、とても感動的でした。私は、すでに、Tさんの陳述中に、花粉も飛んでいないのに、涙と鼻水で、鞄の中のハンカチを探していました。
澤藤弁護士がおっしゃっていたように、裁判長がこの陳述をどのように捉えたのか、裁判長の態度からでは分かりませんでした。そして、今までの地裁での論点からは少し外れているようなことを言った事が気になりました。
都教委側は、国旗掲揚・国歌斉唱は国際化の中でのマナーであると主張していますが、教育現場での国際化は、外国籍・外国人・外国にルーツを持つ生徒たちの増加、特にアジア系各国にルーツを持つ生徒たちと家族の抱える困難であり、社会的な差別・いじめ・家族の離散などの辛い体験を背景に持っている生徒たちの増加です。今や、日本の貧困問題は国際化と共に、世界の貧困問題と連動しています。
都教委の国旗掲揚・国歌斉唱の国際化論に対して、国連・国際的な流れである多民族多文化共生社会の創設とマイノリティーの人権という視点で教育現場の状況を明らかにしていくということが弱かったのかなと、裁判長の発言で思い知らされました。
学校教育の問題は、生徒の学習権・人権の問題であり、だからこそ、現実にこの日本・東京で生きて生活している生徒の問題を包括していく拡がりを持っているのだと思いますが、これを現在日本の法体系の中に位置づけて主張していくのは、とても高い能力を必要とすることなのだと思いました。
弁護士の先生方、ご奮闘に感謝しております。頑張って下さい。今後とも、どうかよろしくお願いいたします。」 (原告)
<ヒゲメモ>
控訴人T先生の意見陳述は『生徒から力をもらっている』から始まりました。
在日朝鮮・韓国人A君とフィリピン国籍B君との寄り添い、関わり、「A君やB君のように父母、祖父母から家族の歴史を背負い、現在の日本社会の中で、様々な葛藤を抱え、深い傷を負い、学んでいる生徒たちがいる。傷ついた生徒たちに寄り添うのが教員であると考えてきた私は、そういう生徒達に『日の丸』の前で『君が代』を歌わせることに、加担することはできません。」とT先生自身も苦渋の選択を取らざるを得なかった苦悩を吐露していた。
感動の陳述すべてを掲載はできませんが、傍聴者の声からお読み取ください。
白井弁護士は、T先生の陳述を補充する形で、外国人・外国籍・宗教上で、「日の丸」「君が代」を受け入れられない少数者の置かれている状況を熱意をこめて訴えてくれました。
次回は 3月2日(火)15時開廷 高裁101号法廷です。
今日は、早朝開廷と寒い雨天日が重なり傍聴席も10席(100満席)ほど空席がありました。
今後とも多くの皆さんのご支援をお願いします。
◎ 外国人生徒に寄り添い、困難さを共有する中で「国旗・国歌」を鋭く問う
*本日の法廷 ①控訴人 T先生意見陳述
②控訴代理人 白井弁護士意見陳述
*「控訴人陳述はいつも聞きごたえがある。
高校生は大人である。自分の信念、正義感をしっかり持つ若者の濁りのない心を、正面から受けとめ、大切にし、勇気を与え与えられる本物の教員が、狂った教育行政の下で苦しめられていること。この教育の危機を正すべき提訴しても、延々と時間がかかったうえに、行政寄りのもどかしい判決が主流になる現実。
一人でも多くの人々が関心を持ち、この現実を周囲に知らせ、危機感を共有し、支え合うことが、必須と思っている。今日も、裁判長の客観的“風”な仕切り方、都への求釈明の求め方には、希望が持てない。」 (市民)
*「Tさんとは、07処分の人事委員会グループが同じで、職場の支部も同じであったので、時々お話をする機会がありました。これまでのお話で聞いていた、相模湖に強制連行された朝鮮人のことを最初の職場でTさんが知り、聞き取り調査に取り組んだことなど、Tさんのこれまでやってきたことの背景があればこそ、Tさんの、生徒との関わり、言葉の説得があったのだと思いました。
大橋裁判長は、先月、朝鮮人靖国合祀裁判の棄却を能面のように、いい渡し立ち去った表情を、もう一度見せるのかどうか?危惧されますが、しかし、Tさんの言葉の背景を、少しは受けとめうる予備知識はあるのかもしれないと思います。」 (原告)
*「Tさんの陳述も白井弁護士の陳述も、とても感動的でした。私は、すでに、Tさんの陳述中に、花粉も飛んでいないのに、涙と鼻水で、鞄の中のハンカチを探していました。
澤藤弁護士がおっしゃっていたように、裁判長がこの陳述をどのように捉えたのか、裁判長の態度からでは分かりませんでした。そして、今までの地裁での論点からは少し外れているようなことを言った事が気になりました。
都教委側は、国旗掲揚・国歌斉唱は国際化の中でのマナーであると主張していますが、教育現場での国際化は、外国籍・外国人・外国にルーツを持つ生徒たちの増加、特にアジア系各国にルーツを持つ生徒たちと家族の抱える困難であり、社会的な差別・いじめ・家族の離散などの辛い体験を背景に持っている生徒たちの増加です。今や、日本の貧困問題は国際化と共に、世界の貧困問題と連動しています。
都教委の国旗掲揚・国歌斉唱の国際化論に対して、国連・国際的な流れである多民族多文化共生社会の創設とマイノリティーの人権という視点で教育現場の状況を明らかにしていくということが弱かったのかなと、裁判長の発言で思い知らされました。
学校教育の問題は、生徒の学習権・人権の問題であり、だからこそ、現実にこの日本・東京で生きて生活している生徒の問題を包括していく拡がりを持っているのだと思いますが、これを現在日本の法体系の中に位置づけて主張していくのは、とても高い能力を必要とすることなのだと思いました。
弁護士の先生方、ご奮闘に感謝しております。頑張って下さい。今後とも、どうかよろしくお願いいたします。」 (原告)
<ヒゲメモ>
控訴人T先生の意見陳述は『生徒から力をもらっている』から始まりました。
在日朝鮮・韓国人A君とフィリピン国籍B君との寄り添い、関わり、「A君やB君のように父母、祖父母から家族の歴史を背負い、現在の日本社会の中で、様々な葛藤を抱え、深い傷を負い、学んでいる生徒たちがいる。傷ついた生徒たちに寄り添うのが教員であると考えてきた私は、そういう生徒達に『日の丸』の前で『君が代』を歌わせることに、加担することはできません。」とT先生自身も苦渋の選択を取らざるを得なかった苦悩を吐露していた。
感動の陳述すべてを掲載はできませんが、傍聴者の声からお読み取ください。
白井弁護士は、T先生の陳述を補充する形で、外国人・外国籍・宗教上で、「日の丸」「君が代」を受け入れられない少数者の置かれている状況を熱意をこめて訴えてくれました。
次回は 3月2日(火)15時開廷 高裁101号法廷です。
今日は、早朝開廷と寒い雨天日が重なり傍聴席も10席(100満席)ほど空席がありました。
今後とも多くの皆さんのご支援をお願いします。
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