◆ 「障害」児を普通学級へ
今、学校では弱い者が次々排除されている (週刊新社会)
◆ インクルーシブ教育の実態
天皇の代替わりで世の中が大騒ぎになっている陰で、たくさんの泣かされている子どもたちがいるのをご存知でしょうか。
障害児を普通学校へ・全国連絡会で全国からの相談の窓ロになっている片桐と申します。
古くは金井康治さんが、弟と同じ学校へ行きたいと養護学校から普通学校への転校を求めた転学闘争(注)があり、その当時法制化された養護学校義務化によって、分離教育の徹底化が図られて40年がたちました。
その間、国際的には子どもの権利条約、サラマンカ宣言、障がい者権利条約などが出されてくる中で、日本でもここ数年で、障害者基本法、学校教育法施行令などを「改正」して、表向きはインクルーシプ教育(「障害」があってもみんなと一緒に学ぶ教育)の方向が出されていますが、それで学校が良くなったかと言えば、実態はまるで逆に動いています。
全国から寄せられ相談は40年前ど何も変わらず、いや、もっとひどくなってきています。
◆ 「転級攻撃」の横行
横浜の小学校3任生の子は、学校の対応に耐えられなくて、とうとう他県へ転校してしまいました。「発達障害」と言われているその子は、本当はとてもやさしい良い子なのですが、自分の気持ちを表現するのが上手ではなく、気持ちが優しい分、先生の一言でいやな思いをすると授業の邪魔をしたり、近くの子にあたったりしてしまいます。
そういうときに、先生が「どうしたの」とその子の気持ちを聞いてあげるだけでその子は救われるのですが、ますます叱られ、気持ちの持っていきようがなくて、もっと荒れた行動に出てしまう。
学校はその子の「障害」のせいだ、その子が普通学級にいるのがよくないと、転級を勧めるようになりました。
でもその子も親もここにいたいと言うと、だんだん「転級攻撃」が激しくなり、毎日のように校長が親に迫る、担任はあまりかかわりをもとうとせず、1日に何時間も支援学級に送り、とうとう最後には、他の子がその子のせいで登校拒否になるという言いがかりで教室に入れてもらえなくなりました。
そして親も子も疲れ果てて転校してしまったのです。
支援学級にいるときには、その子は落ち着いていたのですが、それを学校は「だから支援学級に行くべき」と言います。
その子が支援学級で落ち着いていられるのは、支援学級がよいわけではなく、その子はもともと落ち着いていられる子だからです。
普通学級で受け入れられないことがその子の様々な行動を引き起こしていたわけで、本来学校や担任の問題なのに、それを子どものせいにして、追い出したのです。
◆ 学校にない福祉の心
支援学級ならよいかと言えば、良いところではありません。
私たちはどの子も普通学級へということを願っているのですが、最近では、支援学級や支援学校からの相談がたくさんきます。
支援学級にいて、この子は見られないと担任から言われ支援学校を勧められました。就学時に支援学級を希望したら、子どもの悪いところばかり指摘されて、うちでは責任とれないので支援学校に行けと言われたのです。
支援学校からは、親の付き添いを要求され仕方なくついていたが親が、体調を崩して付き添いを休もうとしたら、子どもが学校に入れてもらえなかったし、親は入院せざるを得ない状況ですら、学校は知らん振り。
さすがにひどいとその県の人権団体に協力してもらって、なんとか子どもを学校に行かせた、という悲しい話ばかりが伝わってきます。
「障害」児は普通学級にいないもの(いてはいけないもの)とした養護学校義務化の考え方は、今も学校や、教育委員会に根強く残っていて、車椅子の子が入学する際にもエレベーターすら用意しようとせずに親の付き添いを要求します。
これだけ福祉が進んで、駅や公共施設にも点学ブロックやエレペーターがある時代に、学校だけがないのです。
親の要求にも、「予算がない」の一点張り。予算ではなくやる気がない、これが差別です。
オリパラで外国の人には「おもてなし」とかなんとか言う前に、これからの世界を支える子どもたちの学校生活をまず考えなければいけません。平成だ、令和だと騒いでる場合ではない。いま大変な子どもたちに目を向けてほしいです。
川崎市では、普通学級を希望している子どもが市から拒否され、支援学校に行かされて裁判で闘っています。
本当にひどい世の中です。みなさん、応援してください。
〈連絡先〉障害児を普通学校へ・全国連絡会世田谷区千歳烏山6-8-7楽多ビル3F 電話03-5313-7832
※ 注:金井康治さんの転学闘争
1976年城北養護学校に入学した金井康治さんは、弟と一緒の学校へ行きたいと1977年、2年生の夏に足立区立花畑東小学校への転学を希望した。
しかし、足立区などの強い拒否にあって、自主登校など厳しい闘争を強いられ、小学校を卒業するまで転学は認められなかった。
『週刊新社会』(2019年5月21日)
今、学校では弱い者が次々排除されている (週刊新社会)
障害児を普通学校へ・全国連絡会運営委員 片桐健司
◆ インクルーシブ教育の実態
天皇の代替わりで世の中が大騒ぎになっている陰で、たくさんの泣かされている子どもたちがいるのをご存知でしょうか。
障害児を普通学校へ・全国連絡会で全国からの相談の窓ロになっている片桐と申します。
古くは金井康治さんが、弟と同じ学校へ行きたいと養護学校から普通学校への転校を求めた転学闘争(注)があり、その当時法制化された養護学校義務化によって、分離教育の徹底化が図られて40年がたちました。
その間、国際的には子どもの権利条約、サラマンカ宣言、障がい者権利条約などが出されてくる中で、日本でもここ数年で、障害者基本法、学校教育法施行令などを「改正」して、表向きはインクルーシプ教育(「障害」があってもみんなと一緒に学ぶ教育)の方向が出されていますが、それで学校が良くなったかと言えば、実態はまるで逆に動いています。
全国から寄せられ相談は40年前ど何も変わらず、いや、もっとひどくなってきています。
◆ 「転級攻撃」の横行
横浜の小学校3任生の子は、学校の対応に耐えられなくて、とうとう他県へ転校してしまいました。「発達障害」と言われているその子は、本当はとてもやさしい良い子なのですが、自分の気持ちを表現するのが上手ではなく、気持ちが優しい分、先生の一言でいやな思いをすると授業の邪魔をしたり、近くの子にあたったりしてしまいます。
そういうときに、先生が「どうしたの」とその子の気持ちを聞いてあげるだけでその子は救われるのですが、ますます叱られ、気持ちの持っていきようがなくて、もっと荒れた行動に出てしまう。
学校はその子の「障害」のせいだ、その子が普通学級にいるのがよくないと、転級を勧めるようになりました。
でもその子も親もここにいたいと言うと、だんだん「転級攻撃」が激しくなり、毎日のように校長が親に迫る、担任はあまりかかわりをもとうとせず、1日に何時間も支援学級に送り、とうとう最後には、他の子がその子のせいで登校拒否になるという言いがかりで教室に入れてもらえなくなりました。
そして親も子も疲れ果てて転校してしまったのです。
支援学級にいるときには、その子は落ち着いていたのですが、それを学校は「だから支援学級に行くべき」と言います。
その子が支援学級で落ち着いていられるのは、支援学級がよいわけではなく、その子はもともと落ち着いていられる子だからです。
普通学級で受け入れられないことがその子の様々な行動を引き起こしていたわけで、本来学校や担任の問題なのに、それを子どものせいにして、追い出したのです。
◆ 学校にない福祉の心
支援学級ならよいかと言えば、良いところではありません。
私たちはどの子も普通学級へということを願っているのですが、最近では、支援学級や支援学校からの相談がたくさんきます。
支援学級にいて、この子は見られないと担任から言われ支援学校を勧められました。就学時に支援学級を希望したら、子どもの悪いところばかり指摘されて、うちでは責任とれないので支援学校に行けと言われたのです。
支援学校からは、親の付き添いを要求され仕方なくついていたが親が、体調を崩して付き添いを休もうとしたら、子どもが学校に入れてもらえなかったし、親は入院せざるを得ない状況ですら、学校は知らん振り。
さすがにひどいとその県の人権団体に協力してもらって、なんとか子どもを学校に行かせた、という悲しい話ばかりが伝わってきます。
「障害」児は普通学級にいないもの(いてはいけないもの)とした養護学校義務化の考え方は、今も学校や、教育委員会に根強く残っていて、車椅子の子が入学する際にもエレベーターすら用意しようとせずに親の付き添いを要求します。
これだけ福祉が進んで、駅や公共施設にも点学ブロックやエレペーターがある時代に、学校だけがないのです。
親の要求にも、「予算がない」の一点張り。予算ではなくやる気がない、これが差別です。
オリパラで外国の人には「おもてなし」とかなんとか言う前に、これからの世界を支える子どもたちの学校生活をまず考えなければいけません。平成だ、令和だと騒いでる場合ではない。いま大変な子どもたちに目を向けてほしいです。
川崎市では、普通学級を希望している子どもが市から拒否され、支援学校に行かされて裁判で闘っています。
本当にひどい世の中です。みなさん、応援してください。
〈連絡先〉障害児を普通学校へ・全国連絡会世田谷区千歳烏山6-8-7楽多ビル3F 電話03-5313-7832
※ 注:金井康治さんの転学闘争
1976年城北養護学校に入学した金井康治さんは、弟と一緒の学校へ行きたいと1977年、2年生の夏に足立区立花畑東小学校への転学を希望した。
しかし、足立区などの強い拒否にあって、自主登校など厳しい闘争を強いられ、小学校を卒業するまで転学は認められなかった。
『週刊新社会』(2019年5月21日)
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