◎ 陳述書 原告A
~養護学校の卒業式と君が代、クリスチャンにとっての起立斉唱
~養護学校の卒業式と君が代、クリスチャンにとっての起立斉唱
2011年3月に定年退職をしましたAです。1976年4月、日野市立B中学校の国語科教員として入都した後、いくつかの学校を経て都立C養護学校へ異動し、それ以降は特別支援学校に勤務しました。
C養護学校の卒業式は、生徒が学校で身に着けた力を発表する場であり、「最後の授業」と位置づけられていました。
たとえば、卒業証書を自分の力だけで受け取りに行くために、全体を見渡すのが苦手な生徒でも行きやすいように、檀上を使用せずフロア形式になっていました。
その式場の卒業証書をもらう始点から校長のいる終点までの通路を生徒が目で見て理解できるように、両脇に花を飾ったプランターを置くことで工夫されていました。
在校生には、卒業生が1・2年後の自分の姿としてイメージできるように対面し、保護者には証書をもらうわが子がよく見えるように卒業生を中心にロの字の形で座っていました。
学校では必ず年度末に反省をしますが、その行事の反省の蓄積の中から、これが卒業式の形として一番いい方法だと採用され定着してきたのです。
C養護学校の会議では、校長を含めて全教職員が合意をするために多数決で決めるのではなく、時間をかけて徹底して話し合って決めてきました。また日常的に生徒の様子を話し合い共有されてきました。
「10・23通達」が発令された時、私は卒業式の責任者でした。卒業式担当が「国歌斉唱」のない原案をたたき台に会議で高等部教員の合意を受け、高等部を代表して校長と話し合って卒業式の形を決めてきました。2003年度の卒業式案は、9月末にすでに決まっていたのです。
それが、「10・23通達」発令とともに、白紙にされました。前年に七生養護学校金崎校長が教諭に降格される見せしめを見た校長は、自己保身のために高等部の生徒を集めて「君が代で立ってほしい」と生徒にお願いをしました。
例年卒業作品を舞台正面に張り出すことにしていましたが、その年は、広島修学旅行でつかんだ平和のイメージをそれぞれの生徒が家庭科で布に染色し、その1メートル四方の布をパッチワークのようにつなげた「平和のタペストリー」がかけられるよう年間計画が組まれていました。しかし実施指針によってできなくなりました。
C養護学校は、肢体不自由校でもあるため、授業で獲得した電動車いす操作の成果が檀上では危険で発表できません。
通達と実施指針によって校長が自らの責任で卒業式を行えなくなったため、校長は都教委と何度も電話で指示を受け、新たに高さ15センチのステージをフロアに手作りすることになりました。しかし都教委の判断でその年度しか使用できませんでした。
その年から都教委の監視下で卒業式は行われましたが、今までの心温まる卒業式とは全く違うもので、その衝撃は教員の心を折れさせるものでした。
2006年4月にD養護学校に異動して中学部3年の担任となりました。その年度2月にE副校長との業績評価の面接の時、カトリックの信者として、神道の象徴と考えている「日の丸」の前で起立できないと話しました。異動したばかりの学校ですが、3年の学年会で私がカトリック信者として起立できないことを話し、学年の理解を求めました。
その後、私とE副校長とは出勤時間が同じバスになることが多かったため、ほぼ毎日通勤途中の学校前の路上で、「キリスト教の信者でも立っている人がいるから、立ってほしい」と繰り返し高圧的に言われました。何度も校長・副校長から卒業式の起立の意思確認がありました。
3月15日、当初から予定されていた予行が行われ、私が不起立をしたため、校長室にて校長・副校長より「現認」されました。執拗なE副校長による高圧的な言葉で、胸と胃の痛み・不眠におそわれ、通院しました。しかしその後、前任校の卒業式に参加した翌日、卒業式前の最終練習が2回目の予行に変更となりました。最終練習と予行の違いは、「君が代」が入るのが、予行なのです。
通常はあり得ない2回目のこの予行は、私の起立を確認するために設けられたことを知って、追い詰められた気持ちで、この予行に起立してしまいました。この起立が、私が覚えている生涯初めての起立なのです。
「日の丸」の旗のもとに多くの人の血が流された事実と信仰を捨てなかったために火あぶりの刑に処せられた私の洗礼名になっている聖ヨハンナを裏切ってしまったという後悔の念に駆られ、自分を許せない気持ちになり、その後毎日眠れなくなりました。
卒業式は、その年の「9・21」東京地方裁判所の難波判決に勇気を得て、日本国憲法の保障した思想・信条の自由のもと「君が代」が始まると着席しました。その日に校長室で校長・副校長立ち会いのもと不起立の確認が行われました。
また人事委員会審理のE副校長尋問の際に明らかになったのは、管理職から卒業生担任が「座った生徒がいた場合には身体を持ちあげて立たせるように」指示されていたことです。自分のことだけで周囲が見えなかった私に知らされた、恐ろしい命令なのです。
自分の身体と心は一体のものです。内面と外面とが切り離されているわけはありません。信仰や意思に反したことをすると、心も身体も壊れることを知りました。教員ですら静かに座る行為がこんなに苦しいならば、式場での生徒は不起立ができるでしょうか。
東京地方裁判所におかれましては、教員を今も苦しめている10・23通達の真の目的に目を向けて、10・23通達を取り消させる判断をしてくださるようにお願いします。
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