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2005年3月4日(金曜日) 降格
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よくもまあ、都教委の指示だかなんだか知らないが、校門前のビラ撒きを警察に通報できるものだ。
ついに今日、逮捕者が出た。「建造物侵入」という。正門の外のロータリーもその学校の敷地であるという。バス停のところでビラをくばっていてのいきなりの逮捕である。狙い定めてのみせしめの逮捕である。
それに教育者たる校長がかんでいるのである。信じられない出来事である。「被害届」を出したと言う。何の被害というのであろうか。
気に障る行為をなした市民は留置所に放り込め、ということか。この寒さの中、自分が通報し届けを出した故に、留置所の中にいることになった還暦前後の二人の男について校長は何と思うのか。安穏と眠りにつけるのか。
今や学校は市民を留置所に放り込む機関と化した。バス停の表示は、学校経由留置所行きである。
校長は看守となった。密告者兼看守である。意に添わぬ者を島送りにし、収容所にぶち込み、懲戒する。
今年、15人ほど管理職が希望降格したという。病気とか介護とかの理由をつけて。まともな人間なら降格するしか残る道はなかろう。
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2005年3月3日(木曜日) 鶴
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鶴、亀、カエル、猿、猫、すずめの恩返しがあるという。世界にはもっと限りなくあるだろう。
吹雪の夜に道に迷った若い女性が戸を叩く。「泊めてください」と。泊めてあげることはあるだろうが、何故に何処の誰かを問い質さないのであろうか。問うことによって、嘘を吐かせたくないからなのであろう。
問うということは、答えを求めることとなる。「答えない」というのも一つの答えである。「答えられない」のかということになる。「問う」ということは恐ろしいことである。「言いたくないのか」ということにもなる。
生徒に散々問うた。いろんな答えが返ってきた。
今でも覚えている答えがある。「関心ないから聞かないで」
そうなんだ。関心ないことを聞かれるなんて何と理不尽な。「あ、そう」と言うしかない。
単純な質問につらい表情を浮かべる子がいる。「あ、聞いてはいけなかったのだ」と思う。
例えば、「親をどう思うか」などという問いは発してはならない領域に入る。「家を忘れるために学校に来てるのに」と顔を歪めて言った子がいた。
「何処から来たのか」とか、「親兄弟は」なんて聞いてはならないのだ。
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2005年3月2日(水曜日) 虎
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辻政信が生きていたら、今年で103歳となる。
彼の無謀な作戦のせいで、一体どれ程の人々が犠牲となったことか。ノモンハンでは何千人もが命を落とした。辻、37歳の戦争であった。
ポートモレスビーの攻略戦においても強硬な戦術を推進しいたずらに犠牲を増やした。ガダルカナルの作戦にも関与している。玉砕あるところ辻政信ありといった感がする。
ガダルカナルの悲惨さは、視察に行った大本営参謀、瀬島龍三をして帰国後ノイローゼに追い込んだほどである。
1961年、参議院議員であった辻は、東南アジアに出掛けのち行方不明となる。ビエンチャンの国道13号線をラマ僧姿で歩いていたと報じられる。
日本軍はその精神主義においてまこと奇妙な軍隊であった。捕虜となってようやく脱走し帰隊した将校はピストルを貸与される。自決せよというのである。米軍なら褒め称えられる行為が日本軍では「恥辱」なのである。
死を美化する思想はファシズムである。消耗品として多くの兵が犬死をした。何ともやりきれない悲惨・残酷な状況が相次いだ。
辻の最期に関する噂が流れた。辻は本当に虎に食われてしまったのであろうか。
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2005年3月1日(火曜日) 番犬
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「我意強く、小才に長じ、いわゆるこすき男にして・・・」と、こう言われた男は、辻政信である。言ったのは山下奉文である。
こういうタイプの校長が都立高校を席捲している。困ったものだ。まともな教員が管理職を目指さなくなって久しい。というわけでこんな連中が多く徘徊することとなった。
日比谷のN校長などはかって同僚をぶん殴り、謝るどころか相手が悪いのだと言い張った。最低の男である。自分が東大を出ているわけでもないのに、東大、東大と喚いている。
「監督がアホだと試合になんねえ」と言った選手がいたが、今や多くの高校で、「こんな校長、早く どっかいってくれ」との怨嗟の声が満ち満ちている。
これは選考方法に問題がある。上に忠実な番犬みたいな奴ばっかりを重宝するからこのような事態となる。
知事、都議の質が悪い。それに役人が尾を振る。それらがまた番犬を選ぶものだから都内番犬だらけとなった。
現在の都立高校は犬の支配である。わんわんわんわんうるさいだけだ。
学校は権力に媚びることのない自立と自由な精神が基本である。
校門でビラ配られただけで警察に通報する校長どもはまさに番犬である。
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2005年2月28日(月曜日) 風土
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牛乳屋に住み込んでいた仲間にT君がいた。配達しながら税理士の勉強をしていた。
字がひどい。「それじゃあ、試験官が読まんだろうよ」、と言ったら、「そんなことはない。中身が良けりゃ読むんだ」、と意気軒昂であった。
字は人をあらわすというが、そうでもない。気持ちのいい男であった。磐城の出身である。磐城も「いわき」になってしまったが。今は横浜で税理士をやっている。
人間というのは育った風土と関係があるようだ。山があり川があり草木があるところで育たないと浮き草のような人間になってしまう。都会のコンクリートの中での育ちは、その意味でまことに不幸なことである。
都会の人間の欲望と言うのは際限がない。自然を求める心が希薄であるからだ。いい空気を吸って花、木の香りに充足する心に欠ける。
牛飼いにとっては牛飼うことこそ人生だ。原油成金の贅沢な生活は心に合わない。「質素な生活に戻ろう」映画、ジャイアンツのテキサス男はそう言って通りすがりの食堂に入り差別に抗議して闘い殴り倒される。
人は青春時代を過ごした風土に舞い戻るのであろう。
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