ひょうたん島研究会・TT(高木@千葉高退教)です。
すべての友人の皆さんへ。
以下の雑文を書いたので紹介します。
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☆ ちょっとけなして、けっこう褒める
T.T.0642(ひょうたん島研究会)
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今回取り上げるのは、8月8日(木)の朝日「オピニオン面」に載っていたインタビュー記事である。タイトルは「昭和天皇の戦争関与」。
インタビューの受け手は歴史学者の山田朗で、聴き手は朝日編集委員の塩倉裕、記事の筆者は当然塩倉である。
この記事、けっこう「良い」記事だと思うーーが、不満もあるので、最初にちょっとだけ批判を書く。それは、記事の最初の方にある塩倉からの次の質問についてである。
┌──────────────────────────────────┐
│ ーー日本が米英に対する戦争を始めたのは41年12月でしたね。「昭和天皇│
│は最後まで日米開戦を避けようとしていた」という話が広く信じられていま│
│すが、事実でしょうか。 │
└──────────────────────────────────┘
これ(広く信じられています)、本当? ぼく、こんな話を信じている人になんか、会ったことないけど・・・。こういうことを「当然の事実」のような前提で質問されても困るのだが・・・。
・・・というようなことに不満はあるが、例えば次のようなコメントが「一般紙」に載ることには、けっこう大きな意味があると思う。
┌──────────────────────────────────┐
│ 「陸軍が戦争の牽引者だったのは事実です。しかし昭和天皇はブレーキの│
│壊れたジェットコースターの単なる乗客だったのではなく、操縦する側でし│
│た。(略)」 │
│ 「戦前は天皇が国家の主権者でした。その主権者が戦後、『自分にはどう│
│しようもなかった』という考えに至っていた。現在の日本では国民が主権者│
│です。再び戦禍に見舞われたあとで『自分にはどうしようもなかった』とい│
│う総括をまた繰り返すのか。主権者としての選択が問われていると思います」│
└──────────────────────────────────┘
同感である。「アジア・太平洋戦争」における昭和天皇のーーあるいは天皇制の責任を追及することなしに、これから起こり得る戦争を防ぐことはできないと、少なくともぼくは思っている。
(2024/08/09)
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