◆ 教育委員の「体罰」に対する認識は甘いのではないか?!
議案は校長の任命について、教員等の懲戒処分2件でともに非公開議案。
報告が①昨年度の体罰実態把握の報告 ②市ヶ谷地区特別支援学校(仮称)の設置場所の変更について ③教員の懲戒処分(非公開)。①②について以下、報告する。
①2012年度から調査を始めて、体罰の3年間の推移と昨年度の傾向や事例の報告であった。報告は、
ア.体罰を受けた・目撃したとの報告数は、教職員本人からが267件、他の教員からが134件、児童・生徒本人からが494件、他の児童・生徒からが305件、保護者からが101件、地域住民からが1件(1事案につき複数の報告あり)。
イ.「体罰」をしたのは68人(うち、常勤教員が61人)。前年度比マイナス54人。2012年度と比較すると3分の1に減少した。「不適切な行為(行き過ぎた指導や暴言)」は324人。前年度比マイナス451人。「指導の範囲内(短時間正座させるなど極軽微な有形力の行使)」は261人。前年度比マイナス126人。
ウ.5カ月間の間に5回の体罰を振るったり、傷害を負わせたりするなどの体罰が18件。
エ.「感情的になってしまった」「言葉で伝えきれなかった」ことから体罰に至った者が、45人(74%)。
オ.体罰により処分を受けた者で、再び体罰を行った者は4人。前年度の12人より減少。
報告を受けて遠藤委員のした質問が、気になった。
「調査することでのマイナス面はないか。『それは体罰じゃないか』と教員が子どもたちから糾弾されるということを耳にする。教員が委縮しないか。」との発言だった。その発言を聞いて、私は2つの発言を思い出した。
一つは2013年4月11日の定例会での竹花発言だ。「(部活動での:筆者補足)死ね、殺す、出ていけ、という強い発言、…今くらいのことは精査しなくていい。こんなのは指導の範ちゅうだ。」(この発言は私と一緒に傍聴していた友人3人も聞いているが、議事録にはない。議事録の改ざんについて都教委に質問書を出したが、「竹花委員の発言は、ホームページに掲載されている通り」との回答。傍聴した私たちは議事録が改ざんされたと確信している。)
もう一つは、同年9月12日の定例会での山口委員の発言。「(体罰の)報告書はよくまとまっていると思う。しかし、これによって教員が萎縮してしまうのではないかと危惧する。暴言は今までの習慣なので、いっぺんに正すのは難しい。徐々に正していくことだろう。」
なぜか、教育委員の発言には体罰を必要悪ととらえる傾向がある。確かに子どもたちの中には、弱い者いじめの行動をとる子もいることは否定できないが、多くは大人の暴力・力による支配を見て学習してのことなのだ。
上記イの「指導の範囲内」を含めて、有形力を使っての指導は指導ではなく暴力と見るべきではないのか。力による指導が、暴力の再生産となる現実を見るならば、「指導の範囲内」を容認してはいけないと私は思う。
一切の力による指導を排除することこそが、自分の頭で考え判断し、自己の行動を律することに繋がる。回り道のように見えるだろうが、これこそが人が育つ道なのではなかろうか。
遠藤委員の発言に対し、これを批判する発言は誰からもなかった。教育委員及び事務方の意識変革こそがまず、必要ではないのか。
今日の定例会について、すでにTOKYO MX1で「都教委は「体罰などが減少し、成果が上がっている」と結論付けた」と報道されていた。昨年度より体罰や不適切な行為をする教員が減ったという成果論で、教育がこの社会の差別やいじめや人権問題に対処できるのか疑問だ。
②説明を聞いて、唖然とした。2010年11月の計画に基づき、旧市ヶ谷商業高校跡地に特別支援学校を建設することを決定していたが、「道路幅員が4m未満であるため、工事車両の搬入が困難」「建設可能な延床面積が小さい」など課題が多く、都心身障害者福祉センター跡地に変更するというもの。
工事車両が4年半の間に急に大型になったわけでもなく、課題は4年半前の時点であったはず。なのに、その時点では、提案した事務方も、その議案を受けた教育委員も課題を認識しなかったのだろうか。竹花・木村両委員はすでに教育委員・教育委員長に就任していたが、2人からの発言はなかった。
『レイバーネット日本』(2015-05-22)
http://www.labornetjp.org/news/2015/0521nezu
議案は校長の任命について、教員等の懲戒処分2件でともに非公開議案。
報告が①昨年度の体罰実態把握の報告 ②市ヶ谷地区特別支援学校(仮称)の設置場所の変更について ③教員の懲戒処分(非公開)。①②について以下、報告する。
①2012年度から調査を始めて、体罰の3年間の推移と昨年度の傾向や事例の報告であった。報告は、
ア.体罰を受けた・目撃したとの報告数は、教職員本人からが267件、他の教員からが134件、児童・生徒本人からが494件、他の児童・生徒からが305件、保護者からが101件、地域住民からが1件(1事案につき複数の報告あり)。
イ.「体罰」をしたのは68人(うち、常勤教員が61人)。前年度比マイナス54人。2012年度と比較すると3分の1に減少した。「不適切な行為(行き過ぎた指導や暴言)」は324人。前年度比マイナス451人。「指導の範囲内(短時間正座させるなど極軽微な有形力の行使)」は261人。前年度比マイナス126人。
ウ.5カ月間の間に5回の体罰を振るったり、傷害を負わせたりするなどの体罰が18件。
エ.「感情的になってしまった」「言葉で伝えきれなかった」ことから体罰に至った者が、45人(74%)。
オ.体罰により処分を受けた者で、再び体罰を行った者は4人。前年度の12人より減少。
報告を受けて遠藤委員のした質問が、気になった。
「調査することでのマイナス面はないか。『それは体罰じゃないか』と教員が子どもたちから糾弾されるということを耳にする。教員が委縮しないか。」との発言だった。その発言を聞いて、私は2つの発言を思い出した。
一つは2013年4月11日の定例会での竹花発言だ。「(部活動での:筆者補足)死ね、殺す、出ていけ、という強い発言、…今くらいのことは精査しなくていい。こんなのは指導の範ちゅうだ。」(この発言は私と一緒に傍聴していた友人3人も聞いているが、議事録にはない。議事録の改ざんについて都教委に質問書を出したが、「竹花委員の発言は、ホームページに掲載されている通り」との回答。傍聴した私たちは議事録が改ざんされたと確信している。)
もう一つは、同年9月12日の定例会での山口委員の発言。「(体罰の)報告書はよくまとまっていると思う。しかし、これによって教員が萎縮してしまうのではないかと危惧する。暴言は今までの習慣なので、いっぺんに正すのは難しい。徐々に正していくことだろう。」
なぜか、教育委員の発言には体罰を必要悪ととらえる傾向がある。確かに子どもたちの中には、弱い者いじめの行動をとる子もいることは否定できないが、多くは大人の暴力・力による支配を見て学習してのことなのだ。
上記イの「指導の範囲内」を含めて、有形力を使っての指導は指導ではなく暴力と見るべきではないのか。力による指導が、暴力の再生産となる現実を見るならば、「指導の範囲内」を容認してはいけないと私は思う。
一切の力による指導を排除することこそが、自分の頭で考え判断し、自己の行動を律することに繋がる。回り道のように見えるだろうが、これこそが人が育つ道なのではなかろうか。
遠藤委員の発言に対し、これを批判する発言は誰からもなかった。教育委員及び事務方の意識変革こそがまず、必要ではないのか。
今日の定例会について、すでにTOKYO MX1で「都教委は「体罰などが減少し、成果が上がっている」と結論付けた」と報道されていた。昨年度より体罰や不適切な行為をする教員が減ったという成果論で、教育がこの社会の差別やいじめや人権問題に対処できるのか疑問だ。
②説明を聞いて、唖然とした。2010年11月の計画に基づき、旧市ヶ谷商業高校跡地に特別支援学校を建設することを決定していたが、「道路幅員が4m未満であるため、工事車両の搬入が困難」「建設可能な延床面積が小さい」など課題が多く、都心身障害者福祉センター跡地に変更するというもの。
工事車両が4年半の間に急に大型になったわけでもなく、課題は4年半前の時点であったはず。なのに、その時点では、提案した事務方も、その議案を受けた教育委員も課題を認識しなかったのだろうか。竹花・木村両委員はすでに教育委員・教育委員長に就任していたが、2人からの発言はなかった。
『レイバーネット日本』(2015-05-22)
http://www.labornetjp.org/news/2015/0521nezu
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