日本キリスト教協議会(NCC)教育部は、柴山昌彦大臣が10月2日の就任記者会見の場で語った「『教育勅語』は現代的にアレンジした形で今の道徳などに使えると言う意味で普遍性を持っている部分があり、検討に値する」との発言は「看過できない。文部科学大臣の発言として大変不適切で、到底容認することはできない」として、これに抗議する文書を、10月5日に同大臣に提出した。全文は以下の通り。
文部科学大臣 柴山昌彦 様
10月2日、柴山昌彦大臣が就任記者会見の場で語った「『教育勅語』は現代的にアレンジした形で今の道徳などに使えると言う意味で普遍性を持っている部分があり、検討に値する。」との発言は看過できません。文部科学大臣の発言として大変不適切で、到底容認することはできません。
現政府は、2017年3月の閣議において、「教育勅語」を憲法や教育基本法に反しない形で教材として使用することは否定しないと答弁書を決定しました。その閣議決定自体問題をはらんでいます。
なぜなら「教育勅語」は、1948年(昭和23年)6月19日の参議院本会議において以下のような理由で失効を決議しているからです。
「日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失っている。われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすべきことを期する。」
「教育勅語」廃止を国会で決議したのは、新憲法の元で民主主義に立脚した教育をめざすためには、天皇のため、国家のために命を捧げることを教える「教育勅語」はふさわしくないとの理由です。
文部科学大臣という職務には、その点を正しく認識されることが求められます。
2002年には「こころのノート」、2014年には「私たちの道徳」が全国に一斉配布されました。いずれも「日本の歴史と文化を尊重する」との愛国心が盛り込まれています。
自国を賛美する傾向の教育は危険です。同時期には歴史認識が問われるような教科書も出現しはじめました。
2018年4月には小学校で、2019年4月には中学校において「特別の教科・道徳」が評価を伴う正式な教科となります。
21世紀の現在、多様な文化や民族としての背景をもつ子どもたちが共に生きていくために必要なのは、異なった歴史や文化を互いに学び、尊重し、認めあう教育です。
戦前の「修身」にも通じるような道徳観や愛国心を説くことではありません。すべての子どもたちの「いのち」が大切にされ、どのような力によっても「いのち」が軽んじられないための教育が求められます。
国家に都合の良い教育の原点であった「教育勅語」を道徳にアレンジするなど論外と言わざるを得ません。速やかに発言を撤回されますよう心から願います。
『キリスト教新聞』(2018年10月8日)
http://www.kirishin.com/2018/10/08/19097/
文部科学大臣 柴山昌彦 様
2018年10月5日
日本キリスト教協議会(NCC)教育部
理事長 石田 学
総主事 比企 敦子
日本キリスト教協議会(NCC)教育部
理事長 石田 学
総主事 比企 敦子
◎ 文部科学大臣の「教育勅語」をめぐる発言に抗議します。
10月2日、柴山昌彦大臣が就任記者会見の場で語った「『教育勅語』は現代的にアレンジした形で今の道徳などに使えると言う意味で普遍性を持っている部分があり、検討に値する。」との発言は看過できません。文部科学大臣の発言として大変不適切で、到底容認することはできません。
現政府は、2017年3月の閣議において、「教育勅語」を憲法や教育基本法に反しない形で教材として使用することは否定しないと答弁書を決定しました。その閣議決定自体問題をはらんでいます。
なぜなら「教育勅語」は、1948年(昭和23年)6月19日の参議院本会議において以下のような理由で失効を決議しているからです。
「日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失っている。われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすべきことを期する。」
「教育勅語」廃止を国会で決議したのは、新憲法の元で民主主義に立脚した教育をめざすためには、天皇のため、国家のために命を捧げることを教える「教育勅語」はふさわしくないとの理由です。
文部科学大臣という職務には、その点を正しく認識されることが求められます。
2002年には「こころのノート」、2014年には「私たちの道徳」が全国に一斉配布されました。いずれも「日本の歴史と文化を尊重する」との愛国心が盛り込まれています。
自国を賛美する傾向の教育は危険です。同時期には歴史認識が問われるような教科書も出現しはじめました。
2018年4月には小学校で、2019年4月には中学校において「特別の教科・道徳」が評価を伴う正式な教科となります。
21世紀の現在、多様な文化や民族としての背景をもつ子どもたちが共に生きていくために必要なのは、異なった歴史や文化を互いに学び、尊重し、認めあう教育です。
戦前の「修身」にも通じるような道徳観や愛国心を説くことではありません。すべての子どもたちの「いのち」が大切にされ、どのような力によっても「いのち」が軽んじられないための教育が求められます。
国家に都合の良い教育の原点であった「教育勅語」を道徳にアレンジするなど論外と言わざるを得ません。速やかに発言を撤回されますよう心から願います。
『キリスト教新聞』(2018年10月8日)
http://www.kirishin.com/2018/10/08/19097/
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