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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

土屋英雄「国旗・国歌」は「強制可能な公的利益」か[前半]

2011年09月04日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 【法律時評】土屋英雄教授
 ◆ 「国旗・国歌」は「強制可能な公的利益」か/[前半]
          法律時報2011年83巻 8・9月号 日本評論社 定価1600円

 1 訴訟の概観
 2 「起立・斉唱」事件の三つの最高裁判決の判断基準 /[以上前半]
 3 事件類型ごとの判断枠組みの存在 /[以下後半]
 4 国旗・国歌と「国際常識」

 1 訴訟の概観

 最高裁の第二小法廷(今年5月30日)、第一小法廷(6月6日)、第三小法廷(6月14日)は、それぞれ都立高校教員に対して卒業式等における国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し国歌を斉唱することを命じた校長の職務命令を合憲と判じた
 当該職務命令は、東京都教育委員会教育長が都立学校の各校長に対して発した2003年10月23日の通達『入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について』に基づいていたが、この通達および職務命令をめぐっては、思想・良心の自由の侵害を理由に、東京都立高等学校等の教職員による訴訟が多数提起された。訴訟の種類は、いわゆる予防訴訟、処分取り消し訴訟、嘱託等合格取消・採用拒否等訴訟であり、6月現在、20件近くの訴訟が各裁判所に係属している。
 このうち、2006年9月21日の予防訴訟の東京地裁判決は、全争点で原告勝訴であった。何よりも憲法論において、「日の丸・君が代」裁判史上で初めて勝訴したことの意義は極めて大きい。それまで裁判官の間で実質的にタブー視されてきたことが打破されたのである。また、嘱託等合格取り消し・採用拒否等訴訟では、「10・23通達」等じたいは合憲としつつも、嘱託採用拒否等は裁量権の逸脱・濫用で違法であるとして損害賠償を命じた東京地裁の判決が2008年2月と翌年1月に出されている。さらに、処分取り消し訴訟では、同じく「10・23通達」等自体は合憲としつつも、戒告処分(2名と167名)を裁量権の逸脱・濫用で違法とした(損害賠償は認めなかった)東京高裁の2件の判決が2011年3月10日に出されている。
 以上の5件の判決のうち、憲法論で勝訴したのは、「君が代」ピアノ伴奏の職務命令を合憲とした2007年2月27日の最高裁第三小法廷判決以前に出された2006年9月の予防訴訟東京地裁判決のみである。実際、このピアノ判決は、その後の「日の丸・君が代」訴訟に決定的ともいえる影響を及ぼし、ほとんどの下級審判決は、憲法論については、ピアノ判決の趣旨を引き写しに近い態様で援用し、それに従ってきた。
 筆者は、都教委「10・23通達」関係の訴訟において、各弁護団に依頼されて、これまで10本余の意見書を執筆し、法廷で2回の学者証言をしてきたが、その感触からして、ピアノ判決が横槍的に出されなければ、おそらく予防訴訟東京地裁判決の趣旨が他の多くの下級審判決に引き継がれた可能性が高かったと思われる。
 それほど、予防訴訟判決は、日本国憲法の解釈、国際人権規約の自由権規約の趣旨、自由権規約委員会の諸決定、一般的意見及び最終見解、アメリカ連邦最高裁の判例法理、欧州の実例からして、決して無理のない常識的なものであった。先の二つの東京高裁判決も、起立・斉唱等の強制が憲法19条に違反することは「通説的見解」と判じている。筆者は、東京高裁判決の原審の二つの東京地裁判決を分析した意見書を執筆し、東京高裁へ提出していた。
 この二つの東京高裁判決は、ピアノ判決に縛られつつも、処分の取り消し理由の内容からは、憲法19条の通説的見解の趣旨を斟酌して、控訴人らの権利に対する侵害を実質的に救済しようとしていることが読み取れる。
 2「起立・斉唱」事件の三つの最高裁判決の判断基準
 ピアノ判決(当該訴訟には筆者は全く関与していない)については、なぜこういう特異な論旨の判決が出されたのか、それ自体が別に検討の対象にされなければならない種類のものである(ピアの最高裁判決の論旨の分析は、拙著『「日の丸・君が代裁判」と思想・良心の自由』179ページ以下参照)。
 前記の3件の最高裁判決も、ピアノ判決の趣旨を踏襲し、「卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、一般的、客観的に見て、これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するもの」であり、よって「起立斉唱行為は、その性質の点から見て、上告人の有する歴史観ないし世界観を否定することが不可分に結びつくとは言えず」また、「起立斉唱行為は、その外部からの認識と言う点から見ても、特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部からの認識と言う点から見ても、特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難であり、職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には、上記のように評価することは一層困難である」と述べている。
 このいわばピアノ・テストに基づけば、起立斉唱行為の強制は容易に合憲とされ得ようが、しかし、今回の3件の最高裁判決には、ピアノ判決に加えた判文がある。総合的な較量の審査の提示である。つまり、「職務命令の目的及び内容」と「個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約」(の態様)」の間の比較衡量である。
 この比較衡量の提示は、厳しく批判されているピアノ・テストのみでは説得力が弱いと最高裁が判断したことによるのであろうが、筆者はもともとピアノ・テストには比較衡量の審査が伏在していたと考えている。
 ピアノ判決が下敷きにしている可能性のある判断基準を提示していた論文がアメリカにない事はない。断定できないが、少なくとも枠組み的には相似性がある。ただし、下敷きにしていたにしても、ピアノ判決は当該論文での判断基準をデフォルメしており、このデフォルメは、政教分離事件を審査する際の最高裁判例上のいわゆる「目的・効果」基準がアメリカ連邦最高裁判例上のレモン・テストをデフォルメした以上にゆがみがある。
 筆者はこのことを弁護団に対する講演でつとに指摘すると同時に、ピアノ・テストには、当該論文のなかで提示されていた比較衡量の基準が伏在していること、及び当該論文での比較衡量の基準自体が「国旗・国歌」関係の事件類型のアメリカ判例に対する誤った理解から導き出されていること等を述べておいた。そして、今回、3件の最高裁判決にこの比較衡量の基準が顕在化した。
 [後半 http://blogs.yahoo.co.jp/jrfs20040729/21271139.htm に続く]
『今 言論・表現の自由があぶない!』(2011/9/2)

http://blogs.yahoo.co.jp/jrfs20040729/21271137.html

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