◆ 広島からのレポート
(1)文部省是正指導とたたかいの経過
①文部省「是正指導」と県教委の「君が代」斉唱時の職務命令と懲戒処分の経過
・(是正指導前)の「日の丸・君が代」の状況 ※教育長の「文理解釈」文書
・1998年入学式の状況 (県教委の裁判文書→国歌斉唱なしの学校数は全国で小学校ワースト2位、中学校ワースト3位、高等学校ワースト4位)
・1998年 文部省が4月現地調査。後5月20日「是正指導」(文書はないとされている。県教委の聴き取りのみ)
・1998年度卒業式(1999年3月) 国旗掲揚・国歌斉唱の地理扱い不適切として、県立校長20人に戒告処分、県立学校長及び市町小学校長131人に文書訓告、市町村小中学校長に厳重注意。
・1999年2月28日(卒業式前日) 世羅高校校長の自死。
・1999年8月13日 国旗・国歌法施行(8月9日成立)
・この間、卒業式・入学式では、教職員・児童生徒・保護者の不起立や抗議闘争が激しく闘われ、国旗・国歌法に対しても全国に署名運動を呼びかけ国会への提出行動等が広教組・広高教組と市民運動の連携で取り組まれた。
・2000年12月一般教職員への職務命令と処分が開始された。
(不起立一回目は文書訓告、2回目以上は戒告処分)
②広高教組の人事委闘争と裁判闘争の経過
・処分の度ごとに、人事委へ不服申し立て
・人事委審理
・2004年広高教組の裁判開始(人事委審理は凍結)
(2001年度入学式、2001年度卒業式、2002年度入学式、2003年度卒業式の被処分者原告45人)
・2008年広島地裁2010年広島高裁2011年最高裁いずれも敗訴
※広教組について
③3人の人事委審理、裁判闘争について
広高教組執行部は、2011年最高裁での敗訴を受けて、凍結していた人事委審理は取りやめ、その後に不服申し立てを行なっていた組合員にも取り下げ方針を出した。しかし、4人がこれに従わず、取り下げなかったので、2012年に人事委審理が開始。棄却裁決後に広高教組の2人は裁判を行い、2018年に最高裁で敗訴。
広教組組合員については、2013年人事委審理が始まった(当初5人)。棄却裁決後に私1名が裁判を始め、現在広島地裁で闘っている。(いずれも弁護士なしで)
・・・・・・・・・・・・・・・
このように、「日の丸」「君が代」を実施していない学校には、まず校長への職務命令と処分。次に教職員に「起立」の職務命令と処分と、世羅高校校長の自死を象徴とするような、すさまじい血みどろの強制がなされました。
しかも、人事委3人のうち1名が、文部省是正指導のとき、県教育の教育次長であった人物だったのです。文部省是正指導のとき、職務命令を出させた人物が、処分の不服申し立ての審理を行うなどありえないことです。労働基本権の剥奪の代償としての人事委員会であったはずです。公正中立など初めからかなぐり捨てている。絶対に許せません。
文部省是正指導とはなんだったのでしょうか。中曽根は、「お座敷をきれいにして」新憲法を安置すると国鉄分割民営化を強行しました。目的は労働組合潰しです。「次は教育」だと、日教組が95年に文部省とパートナー路線を結びました。それでも屈しなかった広島を潰すことを明確に意図したのがこの是正指導でした。
(2)是正指導から20年、「100人声明」で反撃を開始
そして、今、いよいよ安倍政権が改憲に手をかけました。「戦争だけは二度と許さない!」は広島の教職員の魂です。「組合の別など関係ない、退職者も声をあげたいに違いない」と不起立処分撤回裁判を続けてきた仲間が中心になって、「改憲・戦争阻止!教え子を再び戦場に送らない!100人声明」を呼びかけることにしました。呼びかけを始めたのが2018年9月末、瞬く間に100人を超え、全国に声明を発したのが2019年2月10日。くしくも同日、自民党大会で改憲を宣言した安倍を100人声明が迎え打ちました。
是正指導から20年、安倍が「覚悟を決めて改憲」と言うとき、広島の教職員も「覚悟を決めて」名前を公表し声明を発しました。全国から世界から寄せられた賛同や応援の声、今日もこうして広がっている団結こそが改憲を阻む大きな力です。
今年8月6日を迎えるにあたり広島市は、安倍への抗議デモの拡声器の声がうるさい、平和記念式典を静謐な状況で迎えると「拡声器規制条例」を作ろうとしました。8月6日は「二度と戦争をさせない」という行動の日です。改憲・核武装の安倍を呼んでおいて、黙っておれとはとんでもないことです。被爆を過去のものとして、8月6日を「祈りの日」に封じ込めようというのです。「式典を静謐な状況で迎える」という姿勢は、卒入学式での「日の丸・君が代」強制と同じです。「内容ではなく音が大きい」と拡声器を規制する。「思想信条の自由の問題ではなく、職務命令に違反した」と処分する。明確に戦争反対の闘いを潰す攻撃です。
秋の改憲攻撃を前にした8月6日です。私たち100人声明は、8月5日、「8・5全国教職員ヒロシマ集会」を呼びかけています。この「『日の丸・君が代』問題等全国学習・交流集会」からも団体賛同をいただきました。私たち教職員は、絶対に改憲・戦争を許さない! その先頭に一緒に立ちましょう。
◆ 是正指導から20年、
今広島の学校はどうなっているか
私は広島県の障害児学校で働いています。学校では毎日信じられないことが起きます。私が経験したことをお話しします。それでは、問題です。
2019年7月21日 広教組組合員 平野綾子
(1)文部省是正指導とたたかいの経過
①文部省「是正指導」と県教委の「君が代」斉唱時の職務命令と懲戒処分の経過
・(是正指導前)の「日の丸・君が代」の状況 ※教育長の「文理解釈」文書
・1998年入学式の状況 (県教委の裁判文書→国歌斉唱なしの学校数は全国で小学校ワースト2位、中学校ワースト3位、高等学校ワースト4位)
・1998年 文部省が4月現地調査。後5月20日「是正指導」(文書はないとされている。県教委の聴き取りのみ)
・1998年度卒業式(1999年3月) 国旗掲揚・国歌斉唱の地理扱い不適切として、県立校長20人に戒告処分、県立学校長及び市町小学校長131人に文書訓告、市町村小中学校長に厳重注意。
・1999年2月28日(卒業式前日) 世羅高校校長の自死。
・1999年8月13日 国旗・国歌法施行(8月9日成立)
・この間、卒業式・入学式では、教職員・児童生徒・保護者の不起立や抗議闘争が激しく闘われ、国旗・国歌法に対しても全国に署名運動を呼びかけ国会への提出行動等が広教組・広高教組と市民運動の連携で取り組まれた。
・2000年12月一般教職員への職務命令と処分が開始された。
(不起立一回目は文書訓告、2回目以上は戒告処分)
②広高教組の人事委闘争と裁判闘争の経過
・処分の度ごとに、人事委へ不服申し立て
・人事委審理
・2004年広高教組の裁判開始(人事委審理は凍結)
(2001年度入学式、2001年度卒業式、2002年度入学式、2003年度卒業式の被処分者原告45人)
・2008年広島地裁2010年広島高裁2011年最高裁いずれも敗訴
※広教組について
③3人の人事委審理、裁判闘争について
広高教組執行部は、2011年最高裁での敗訴を受けて、凍結していた人事委審理は取りやめ、その後に不服申し立てを行なっていた組合員にも取り下げ方針を出した。しかし、4人がこれに従わず、取り下げなかったので、2012年に人事委審理が開始。棄却裁決後に広高教組の2人は裁判を行い、2018年に最高裁で敗訴。
広教組組合員については、2013年人事委審理が始まった(当初5人)。棄却裁決後に私1名が裁判を始め、現在広島地裁で闘っている。(いずれも弁護士なしで)
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このように、「日の丸」「君が代」を実施していない学校には、まず校長への職務命令と処分。次に教職員に「起立」の職務命令と処分と、世羅高校校長の自死を象徴とするような、すさまじい血みどろの強制がなされました。
しかも、人事委3人のうち1名が、文部省是正指導のとき、県教育の教育次長であった人物だったのです。文部省是正指導のとき、職務命令を出させた人物が、処分の不服申し立ての審理を行うなどありえないことです。労働基本権の剥奪の代償としての人事委員会であったはずです。公正中立など初めからかなぐり捨てている。絶対に許せません。
文部省是正指導とはなんだったのでしょうか。中曽根は、「お座敷をきれいにして」新憲法を安置すると国鉄分割民営化を強行しました。目的は労働組合潰しです。「次は教育」だと、日教組が95年に文部省とパートナー路線を結びました。それでも屈しなかった広島を潰すことを明確に意図したのがこの是正指導でした。
(2)是正指導から20年、「100人声明」で反撃を開始
そして、今、いよいよ安倍政権が改憲に手をかけました。「戦争だけは二度と許さない!」は広島の教職員の魂です。「組合の別など関係ない、退職者も声をあげたいに違いない」と不起立処分撤回裁判を続けてきた仲間が中心になって、「改憲・戦争阻止!教え子を再び戦場に送らない!100人声明」を呼びかけることにしました。呼びかけを始めたのが2018年9月末、瞬く間に100人を超え、全国に声明を発したのが2019年2月10日。くしくも同日、自民党大会で改憲を宣言した安倍を100人声明が迎え打ちました。
是正指導から20年、安倍が「覚悟を決めて改憲」と言うとき、広島の教職員も「覚悟を決めて」名前を公表し声明を発しました。全国から世界から寄せられた賛同や応援の声、今日もこうして広がっている団結こそが改憲を阻む大きな力です。
今年8月6日を迎えるにあたり広島市は、安倍への抗議デモの拡声器の声がうるさい、平和記念式典を静謐な状況で迎えると「拡声器規制条例」を作ろうとしました。8月6日は「二度と戦争をさせない」という行動の日です。改憲・核武装の安倍を呼んでおいて、黙っておれとはとんでもないことです。被爆を過去のものとして、8月6日を「祈りの日」に封じ込めようというのです。「式典を静謐な状況で迎える」という姿勢は、卒入学式での「日の丸・君が代」強制と同じです。「内容ではなく音が大きい」と拡声器を規制する。「思想信条の自由の問題ではなく、職務命令に違反した」と処分する。明確に戦争反対の闘いを潰す攻撃です。
秋の改憲攻撃を前にした8月6日です。私たち100人声明は、8月5日、「8・5全国教職員ヒロシマ集会」を呼びかけています。この「『日の丸・君が代』問題等全国学習・交流集会」からも団体賛同をいただきました。私たち教職員は、絶対に改憲・戦争を許さない! その先頭に一緒に立ちましょう。
◆ 是正指導から20年、
今広島の学校はどうなっているか
2019年7月21日 広島県高等学校教職員組合員 田中弘美
私は広島県の障害児学校で働いています。学校では毎日信じられないことが起きます。私が経験したことをお話しします。それでは、問題です。
○16回目の戒告処分を受けた2013年春の人事異動はどうなったでしょう?
○起案の文書を西暦で書き続けるとどうなったでしょう?
○学校予算が足りないと言って校長が職員室から取り外したものは何でしょう?
○幼稚園教育要領が「改訂」された2018年春の入学式はどうなったでしょう?
○2018年入学式での私の仕事分担は何でしょう?
○2018年体育祭での私の仕事分担は何でしょう?
○2019年3月の卒業式での私の仕事分担は何でしょう?
○2019年2月、職員朝会で「どうしてずっと駐車場係なのか?」と質問した時の他の同僚の反応はどうだったでしょうか?
○2019年2月、職員朝会で校長が質問に答えなかったことを部主事に質問すると、校長室に行くことになりました。校長室で私の質問に対して校長が言ったことは何でしょう?
・卒業式で田中が駐車場係なのは何故か?
・入学式・体育祭・卒業式と田中だけずっと駐車場係なのはなぜか?
・該当学部を外して係を決めないのは何故か?
・名前を挙げて持ち場を離れないように職務命令を出したのは何故か?
・参加者は開始時刻までに来るが、式終了まで駐車場係をするのは何故か?
・この係分担は不起立と関係あるか?
○私は、「これは私に対する排除だ、こんな職務命令に従うことはできない。」と言い、県教委申し入れ(卒業式前日の2019年2月28日)でも「このような職務命令には従えないがどうすればいいのか」といったら、翌日の卒業式はどうなったでしょうか?
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