☆ 原発建設を止めた日本の市民運動(グリーンピース・ジャパン)
原爆による被ばくを経験している地震の多い国。
そんな日本が多数の原発を建設し、稼働させてしまっていることは辛く、苦しい現実です。東京電力福島第一原発事故後ですら原子力推進へと突き進もうとする政府の姿を見て、自責を感じたり、悲観的になってしまったりする人がいても不思議はありませんし、原発をめぐる悲しみや怒りが強く記憶に残っている人もいるかもしれません。
しかし、実は日本には今ある原発の数よりも多い、原発を建てさせなかった計画地があるのです。今一度、原発の建設を止めた市民運動に目を向け、全国各地の反対運動の一部を紹介します。
▼ 50以上の町が原発建設計画をくいとめてきた
現在日本には、運転可能な原発が33基、もんじゅなどの高速増殖炉を含めた廃止措置中の原発が27基あります(※1)。
33基の運転可能な原発のうち、関西電力の大飯4号機、高浜3号機、美浜3号機、九州電力の川内1・2号機、四国電力の伊方3号機、合計の6基が稼働している状態です(2022年10月時点 ※2)。
多くの市民の「原発はいらない」という意志の表明が、原発事故後に多くの原発の廃炉を決定させました。それでも、強い危機感のために、稼働中、稼働可能な原発の数に忸怩たる思いを抱く人もいると思います。
しかし、実は日本には多くの原発を止めてきた市民運動の歴史があります。
粘り強い市民運動の結果として、原発の建設を中止、断念させることに成功した地域は30カ所を超え、計画地点とされた段階で計画を撤回させたり、着工を食い止めた市町村を含めるとその数は50カ所以上にのぼるのです。
計画があるも原発建設に至らなかった場所(山口県上関は現在工事一時中断中)平林祐子「『原発お断り』地点と反原発運動」表1「原発建設に至らなかった地点」より作成
▼ 「原発お断り」に成功した町
数ある原発を退けた地域の中から、3つの場所を取り上げ、具体的にどのような動きがあったのかを見てみます。
地域住民たちが、勉強会の開催、選挙や住民投票、身体を張った実力行使と、あらゆる方法を試み、権力に対抗していることがわかります。
▼ 高知県四万十町(当時窪川町)
現在の高知県四万十町、当時の窪川町では、1975年頃に四国電力による窪川原発の計画が浮上してから80年代の終わり頃まで、市民と電力会社の攻防が続きました。
窪川町は、1982年に日本で初めて原発受け入れの可否を決める手段として住民投票条例の制定という画期的な対策をとった町です。
また、町の集会所などで学習会を重ね、徹底的な討論が行われてきたことが大きな力となり、原発推進を率先してきた町長が立地を断念、辞任したことで、1988年に原発との決別が確定的となりました。
▼ 三重県芦浜
1963年に、三重県度会郡南島町(現南伊勢町)と、紀勢町(現大紀町)にまたがる芦浜に、中部電力による芦浜原発の建設計画が浮上しました。
それ以来、芦浜では37年にもわたり地域を分断する闘争が巻き起こります。
皆が親戚のように仲睦まじく暮らしてきた小さな海岸沿いの町の住民たちは引き裂かれるようにして対立を強いられたのです。
芦浜では日本で初めてとなる漁民たちによる海上デモや、逮捕者を出した視察の阻止行動や調査受け入れをめぐる漁協総会に反対する2000人もの町民を集めた座り込みなど、文字通り身体を張る抵抗が繰り返されました。
そして、窪川町に続いて住民投票条例を制定させ、81万筆を集めた署名運動を決定打に、2000年に知事が計画白紙撤回を表明するに至ります。
▼ 新潟県巻町
1971年に、東北電力による巻原発計画が発表されます。
町民は、1994年に町に対して住民投票を求め、拒否されるも原発反対団体で連帯し、1995年に自主管理による住民投票を実現させます。そして、その年の町議選では定数22人のうち、住民投票条例制定を公約した候補が12人当選を果たしました。
住民投票条例が可決されるも、実施しようとしない町長にリコール運動が勃発し、人口約3万人の巻町で1万人を超える署名が集まり町長は辞職。新町長に「住民投票を実行する会」の代表が当選します。
新町長のもとでついに住民投票が実施され、61%が反対に票を投じました。
1999年に笹口町長が予定地を反対派住民に売却し、推進派はこれを違法だとして提訴しますが、最高裁が推進派の上告を受理せず、原発建設は事実上不可能となります(※3)。
▼ 原発は望まれてできるのか
建設を止めた地域に、力強い運動があったことは間違いありません。
また一方で、原発建設は運動の他にも、計画地点の場所や、地域特有の政治、経済や産業の状況、年齢層など、運動以外のあらゆる要素が影響します。
例えば、都市から離れていたり、経済の基盤となる産業がなかったりすることは、建設を止める困難さに直結するのです。
すでに原発を有する地域も、望んでいたというより、その困難さによって、生活や地域の存続と引き換えに土地を差し出す選択を迫られたといえます。
今も抵抗が続く山口県上関町に原発建設を計画する中国電力の戦略はまさに過疎化や地理的条件、脆弱なインフラなどを狙ってのものでした。
投入された電源関係の交付金が、施設や設備の建設以外にも、高校のない上関町から、市外に通学する高校生のバス代の補助や、小中学生の医療費の補助など、暮らしに関わることに投入されたのです。
権力と資本力を使い、国全体で解決しなければならないはずの地方の問題につけ込むようなやり方は民主的とはいえません。
そして、2022年10月25日、中国電力はあろうことか反対運動を続けてきた住民を提訴しています(※4)。
▼ 原発を止めるのは誰?
反原発の歴史を遡ると、東京電力以外すべての原発を有する電力会社が、原発建設を計画しながらも建設を断念せざるを得なかった過去を持っていることがわかります。
東京電力は、一カ所の地域に集中して多数の原発建設を進めてきたことで、建設を市民運動に止められたケースはありませんが、一カ所集中の戦略は、東電福島第一原発の事故と無関係ではないでしょう。
また、30年以上にも及ぶ長い闘争が続いた末に建設断念に至っているケースがいくつも起こっていることは、原発を推進する権力側がいかに地元の人々の意向を計算に入れず、引き返すことを想定せずに計画を立てていることを示しています。
これに対して反対運動は、人々の「ここに原発はいらない」という想いをエネルギーとして展開されてきました。それはまさに、命を守るためのたたかいです。
「もしも今自分の住む地域に原発ができるなら?」
「実家や、友人の住む場所が原発建設計画地になったら?」
原発を建てさせないための努力を、地元の人々に引き受けさせたままではいられません。
今も「原発を受け入れるか受け入れないか」という問いを突きつけられながら反対運動を続ける人たちへの連帯が求められます。
日本社会を「原発はいらない」という強い意志で満たすことができたら、日本自体を「原発お断り」の場所に変えていけるはずです。
【署名】原発のない世界を 日本から実現したい
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『グリーンピース・ジャパン』(2022-11-03)
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