<新教育の森>
◎ 「言論の自由」か「経営適正化」か
三鷹高校長VS都教委、場外も熱く
東京都教育委員会が職員会議での挙手・採決を禁じた通知について、都立三鷹高校(三鷹市)の土肥信雄校長(59)が撤回を求め続けている。現職校長による異例の言動に都教委は対応を決めあぐねるが、市民の支持は広がりつつある。【木村健二】
「9.27集会から」 《撮影:平田 泉》
■賛同の人あふれ
「東京都の教育において言論の自由がどんどんなくなっていく恐怖を感じた。誰かが言わなければ、誰かがストップをかけなければ、恐ろしい社会になっていくから、立ち上がった」
9月27日、東京都武蔵野市の武蔵野公会堂。土肥校長は昨年11月から校長会などで通知の撤回を訴え始めた経緯を語った。350人収容のホールは満員となり、通路にも人があふれた。集会は土肥校長に賛同した市民らの主催で、会場に入り切れないため帰った人たちが200人以上もいたという。
土肥校長は1948年生まれの「団塊の世代」。都立新宿高(新宿区)から東京大農学部に進んだ。大手商社に就職したものの、企業風土になじめずに辞めた。「平和主義と基本的人権の尊重を伝えたい」と教諭に転身して政治経済を教え、02年に都立神津高(神津島村)の校長に就任。05年に三鷹高に移り、06年4月に都教委の通知が出た。
■「生徒知るのは現場」
通知によってどんな影響が出たのか。土肥校長は「『結論ありき』で先生方が意見を言うのか。職員会議が討論する場ではなく、伝達の場になっている」と証言。具体的なデメリットとしては「特に困るのは、退学とか留年とか、生徒指導の問題。私は校長が常に正しいとは思わない。生徒のことを一番よく知っているのは先生方だから、生徒の問題については全体の意向を聞きたい」と付け加えた。
校長は学校の管理運営の全般にわたって権限と責任を持っている。都教委の通知は校長が目指す学校づくりを後押しする狙いで出された。
しかし、土肥校長は「すべての問題について、校長の責任と権限はほとんどない。校長は都教委の『ロボット』『コンビニの店長』のようなものだ」と言う。
都立学校では、校長が卒業式や入学式の際に教職員に対し、君が代斉唱時に起立することなどの職務命令を出さなければならない。さらに、教職員の業績評価でも、都教委から厳しい指導を受ける。
土肥校長は職員会議の挙手・採決の禁止を取っ掛かりに、都教委の教育行政のあり方全体を問いただしてもいる。
■公開討論は実現せず
土肥校長は8月に公開討論の開催を都教委に申し入れたが、都教委は「組織内の職務は当事者間で対応すべきだ」と拒否した。逆に、都教委が校長に示した教員の業績評価制度に関する内部情報を報道各社に公表したことが地方公務員法上の守秘義務違反の疑いがあるとして、土肥校長から事情聴取した。
また、教育委員が文書で意見を提出するよう指示したのに従い、土肥校長は9月に委員あての文書を出した。土肥校長の処分も想定されるだけに、今後の展開は予断を許さない。
土肥校長に賛同して集会に参加した漫画家の石坂啓さんは、こう呼びかけた。「最悪のシナリオを考えると、土肥先生はいけにえになっちゃう気がする。私が都庁にいたら、どうやって狙い撃ちをしようか、やると思う。それを阻止するには、味方を増やして連携するしかない」
◇各道府県教委の対応、専門家意見も割れる
職員会議はかつて「最高議決機関」とする説が強く主張され、「日の丸・君が代」問題などを巡って校長と教職員が激しく対立する舞台にもなった。校長の権限を強化しようと、旧文部省は00年に省令を改正し、職員会議を校長の職務を円滑化する「補助機関」と位置づけた。ただし、教職員の意向を確認する手段としての挙手・採決まで禁止したわけではない。文部科学省初等中等教育企画課は都教委の通知について「都教委の責任と権限で決めたことで、コメントをする立場にはない」と論評を控えている。
各都道府県教委の姿勢には幅がある。毎日新聞が8月に実施したアンケートでは、挙手・採決を明文化して禁止している教委は都教委だけだった。校長に判断を委ねているのは18教委に上る。中でも埼玉県は「校長が必要と認める場合には、さまざまな方法により職員の意向を把握することはあり得る」、島根県は「必要であると校長が判断すれば『挙手』を求めることもあり得る」と回答した。
一方、鳥取県が「『採決』等の方法は望ましくなく、行われていないのが実態」、広島県が「そもそも『採決』等により意思決定を行う場ではないため、通知文を出す必然性がない」とするなど、禁止を明文化せずとも挙手・採決は不適切との認識を示す教委もあった。
専門家の見解も分かれている。教育法規に詳しい菱村幸彦・国立教育政策研究所名誉所員は「職員会議の多数決によって学校を運営するのは校長の職責の放棄だ。都教委の通知は自由な発言を禁止しているわけでもなく、『言論の自由の侵害』という主張もおかしい」と指摘。一方、藤田英典・国際基督教大教授(教育社会学)は「挙手・採決をしたからといって、校長の決定権が損なわれるわけでも何でもない。やり方次第で何ら問題がないことを、行政が抑圧すること自体が重大な問題だ」と通知を疑問視する。
◇「校長の意思決定、職員会議が拘束」 挙手・採決禁止通知の背景
都立学校の職員会議を巡っては、都教委が06年1月に全校で経営上の自己点検を実施し、課題のあった22校に対しヒアリングをした。うち約7割で教職員の考えを挙手で確認していたことについて、校長の意思決定を拘束しかねない運営だと判断した。
このため、都教委は同年4月13日、「学校経営の適正化について」と題する通知を各都立学校長に出した。「職員会議を中心とした学校運営から脱却することが不可欠」とし、「職員会議において『挙手』『採決』等の方法を用いて職員の意向を確認するような運営は不適切であり、行わないこと」と規定。校長ら管理職が主なメンバーになる企画調整会議を「学校経営の中枢機関」と強調した。
ある都立高校長は職員会議について「最大のデメリットは時間がかかり過ぎることだ」と話す。少なくても2時間以上かかり、教員生活で最長は結婚した生徒の対応について話し合ったもので2日がかりだった。校長になってからは企画調整会議を中心に効率的な経営を進め、なるべく職員会議を開く前に方向付けを済ませている。この校長は「意見があれば、私や副校長のところに来ればいいし、担当者間や校内研修でも解決できる。挙手・採決は必要ない」と自信を見せるが、「自分の主義主張で動く教職員がいる学校は実に大変で、通知の存在によって助かっている学校もあると思う」と語る。
都立高校長195人が加入する都公立高等学校長協会は、土肥校長がメディアを通じて通知の撤回を訴え始めた5月から各校の実態を調べた。会長を務める都立晴海総合高(中央区)の斉藤光一校長は「言論の自由がなくなるような変化は感じていない」と述べ、土肥校長の言動については「組織内で議論すべきことを外に出すやり方は遺憾だ」と不快感を示している。同協会の方針に反発した土肥校長は7月に退会した。
『毎日新聞』(2008年10月20日 東京朝刊)
http://mainichi.jp/life/edu/news/20081020ddm004100051000c.html
◎ 「言論の自由」か「経営適正化」か
三鷹高校長VS都教委、場外も熱く
東京都教育委員会が職員会議での挙手・採決を禁じた通知について、都立三鷹高校(三鷹市)の土肥信雄校長(59)が撤回を求め続けている。現職校長による異例の言動に都教委は対応を決めあぐねるが、市民の支持は広がりつつある。【木村健二】
「9.27集会から」 《撮影:平田 泉》
■賛同の人あふれ
「東京都の教育において言論の自由がどんどんなくなっていく恐怖を感じた。誰かが言わなければ、誰かがストップをかけなければ、恐ろしい社会になっていくから、立ち上がった」
9月27日、東京都武蔵野市の武蔵野公会堂。土肥校長は昨年11月から校長会などで通知の撤回を訴え始めた経緯を語った。350人収容のホールは満員となり、通路にも人があふれた。集会は土肥校長に賛同した市民らの主催で、会場に入り切れないため帰った人たちが200人以上もいたという。
土肥校長は1948年生まれの「団塊の世代」。都立新宿高(新宿区)から東京大農学部に進んだ。大手商社に就職したものの、企業風土になじめずに辞めた。「平和主義と基本的人権の尊重を伝えたい」と教諭に転身して政治経済を教え、02年に都立神津高(神津島村)の校長に就任。05年に三鷹高に移り、06年4月に都教委の通知が出た。
■「生徒知るのは現場」
通知によってどんな影響が出たのか。土肥校長は「『結論ありき』で先生方が意見を言うのか。職員会議が討論する場ではなく、伝達の場になっている」と証言。具体的なデメリットとしては「特に困るのは、退学とか留年とか、生徒指導の問題。私は校長が常に正しいとは思わない。生徒のことを一番よく知っているのは先生方だから、生徒の問題については全体の意向を聞きたい」と付け加えた。
校長は学校の管理運営の全般にわたって権限と責任を持っている。都教委の通知は校長が目指す学校づくりを後押しする狙いで出された。
しかし、土肥校長は「すべての問題について、校長の責任と権限はほとんどない。校長は都教委の『ロボット』『コンビニの店長』のようなものだ」と言う。
都立学校では、校長が卒業式や入学式の際に教職員に対し、君が代斉唱時に起立することなどの職務命令を出さなければならない。さらに、教職員の業績評価でも、都教委から厳しい指導を受ける。
土肥校長は職員会議の挙手・採決の禁止を取っ掛かりに、都教委の教育行政のあり方全体を問いただしてもいる。
■公開討論は実現せず
土肥校長は8月に公開討論の開催を都教委に申し入れたが、都教委は「組織内の職務は当事者間で対応すべきだ」と拒否した。逆に、都教委が校長に示した教員の業績評価制度に関する内部情報を報道各社に公表したことが地方公務員法上の守秘義務違反の疑いがあるとして、土肥校長から事情聴取した。
また、教育委員が文書で意見を提出するよう指示したのに従い、土肥校長は9月に委員あての文書を出した。土肥校長の処分も想定されるだけに、今後の展開は予断を許さない。
土肥校長に賛同して集会に参加した漫画家の石坂啓さんは、こう呼びかけた。「最悪のシナリオを考えると、土肥先生はいけにえになっちゃう気がする。私が都庁にいたら、どうやって狙い撃ちをしようか、やると思う。それを阻止するには、味方を増やして連携するしかない」
◇各道府県教委の対応、専門家意見も割れる
職員会議はかつて「最高議決機関」とする説が強く主張され、「日の丸・君が代」問題などを巡って校長と教職員が激しく対立する舞台にもなった。校長の権限を強化しようと、旧文部省は00年に省令を改正し、職員会議を校長の職務を円滑化する「補助機関」と位置づけた。ただし、教職員の意向を確認する手段としての挙手・採決まで禁止したわけではない。文部科学省初等中等教育企画課は都教委の通知について「都教委の責任と権限で決めたことで、コメントをする立場にはない」と論評を控えている。
各都道府県教委の姿勢には幅がある。毎日新聞が8月に実施したアンケートでは、挙手・採決を明文化して禁止している教委は都教委だけだった。校長に判断を委ねているのは18教委に上る。中でも埼玉県は「校長が必要と認める場合には、さまざまな方法により職員の意向を把握することはあり得る」、島根県は「必要であると校長が判断すれば『挙手』を求めることもあり得る」と回答した。
一方、鳥取県が「『採決』等の方法は望ましくなく、行われていないのが実態」、広島県が「そもそも『採決』等により意思決定を行う場ではないため、通知文を出す必然性がない」とするなど、禁止を明文化せずとも挙手・採決は不適切との認識を示す教委もあった。
専門家の見解も分かれている。教育法規に詳しい菱村幸彦・国立教育政策研究所名誉所員は「職員会議の多数決によって学校を運営するのは校長の職責の放棄だ。都教委の通知は自由な発言を禁止しているわけでもなく、『言論の自由の侵害』という主張もおかしい」と指摘。一方、藤田英典・国際基督教大教授(教育社会学)は「挙手・採決をしたからといって、校長の決定権が損なわれるわけでも何でもない。やり方次第で何ら問題がないことを、行政が抑圧すること自体が重大な問題だ」と通知を疑問視する。
◇「校長の意思決定、職員会議が拘束」 挙手・採決禁止通知の背景
都立学校の職員会議を巡っては、都教委が06年1月に全校で経営上の自己点検を実施し、課題のあった22校に対しヒアリングをした。うち約7割で教職員の考えを挙手で確認していたことについて、校長の意思決定を拘束しかねない運営だと判断した。
このため、都教委は同年4月13日、「学校経営の適正化について」と題する通知を各都立学校長に出した。「職員会議を中心とした学校運営から脱却することが不可欠」とし、「職員会議において『挙手』『採決』等の方法を用いて職員の意向を確認するような運営は不適切であり、行わないこと」と規定。校長ら管理職が主なメンバーになる企画調整会議を「学校経営の中枢機関」と強調した。
ある都立高校長は職員会議について「最大のデメリットは時間がかかり過ぎることだ」と話す。少なくても2時間以上かかり、教員生活で最長は結婚した生徒の対応について話し合ったもので2日がかりだった。校長になってからは企画調整会議を中心に効率的な経営を進め、なるべく職員会議を開く前に方向付けを済ませている。この校長は「意見があれば、私や副校長のところに来ればいいし、担当者間や校内研修でも解決できる。挙手・採決は必要ない」と自信を見せるが、「自分の主義主張で動く教職員がいる学校は実に大変で、通知の存在によって助かっている学校もあると思う」と語る。
都立高校長195人が加入する都公立高等学校長協会は、土肥校長がメディアを通じて通知の撤回を訴え始めた5月から各校の実態を調べた。会長を務める都立晴海総合高(中央区)の斉藤光一校長は「言論の自由がなくなるような変化は感じていない」と述べ、土肥校長の言動については「組織内で議論すべきことを外に出すやり方は遺憾だ」と不快感を示している。同協会の方針に反発した土肥校長は7月に退会した。
『毎日新聞』(2008年10月20日 東京朝刊)
http://mainichi.jp/life/edu/news/20081020ddm004100051000c.html
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