◆ 大学での教員養成、文科省が〝コアカリキュラム〟で統制
日本教師教育学会等シンポで、専門家が批判 (マスコミ市民)
文部科学省や教育委員会が教員を管理・統制する施策は、現職教員に対しては日常の勤務、教員志望者には養成段階をターゲットにする。
前者は、業績評価制度(連動し授業の指導案、配布プリント含む使用教材等の点検・監視)や職階制度(東京都の場合は校長→副校長→主幹・指導教諭→主任教諭→教諭という上意下達システム)、官製版研修(校内研修も教委指定の内容が増)など、既に徹底してしまっている。後者は文科省が今、大学での教員養成で、政府に都合よい教員作りを謀む、〝教職課程コアカリキュラム〟策定を進めている。
◆ 内容が多様な教職課程で〝コアカリキュラム〟は不要
小中高校等の教員になる第一歩、教員免許状を取得するには、大学で教職課程を履修し必要な単位を取り、各都道府県の教育委員会に申請する必要がある。
その教職課程を「大学が編成するに当たり参考とする指針(教職課程コアカリキュラム)を関係者が共同で作成することで、教員の養成、研修を通じた教員育成における全国的な水準の確保を行っていくことが必要である」とした、『これからの学校教育を担う教員の資質能力の向上について』と題する答申を、文科省は2015年12月、中央教育審議会に出させた(【注1】参照)。
そして文科省は、16年8月19日から今年6月29日まで計5回、検討会を開催。次の①~③の問題ある、〝教職課程コアカリキュラム〟策定を打ち出した。
①これまでは教育職員免許法で、学校種ごとに科目群の枠組みを定めるに留めていた。だが文科省は、「全国すべての大学の教職課程で共通的に修得すべき資質能力(全体目標)を示す」とし、今後は、科目群の枠組みだけでなく、科目ごとにどのような資質能力を養成するか、「一般目標」「到達目標」などの細目を入れ、詳細に明示する。
②専門職である教員養成には多様なモデルがあるのに、全く職種の違う医学・法学モデルでの養成方法を採用。
③前記①②のような問題あるコアカリキュラムを、専門職団体ではなく、国が作成した。
日本教師教育学会と早稲田大教育・総合科学学術院・教職支援センターが7月9日、共催した公開シンポ「教職課程コア・カリキュラムで教員養成はどう変わるか」で、シンポジストの佐久間亜紀・慶應義塾大学教職課程センター教授は、前記①~③の問題を、以下のように分析・批判した。
①②③について→
『国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会報告書』(01年11月22日)は教員養成学部について、専門職団体である日本教育大学協会(教大協)を中心に速やかに教員養成のモデル的なカリキュラムを策定するよう要請。これを受け、教大協の「モデル・コア・カリキュラム」研究プロジェクト(委員長=東京学芸大元教授の故・高たかぎただし城忠氏)は04年3月31日、「教員養成教育の内容は多様。医学や法学といった1つの学問領域によって成り立っているわけでなく、カリキュラム内容を定めたり、項目化したりすることは妥当でない」という趣旨の答申を出している(【注2】参照)。
①③について→
文科省が今年6月29日の検討会で出してきた『教職課程コアカリキュラム案』(以下、『コアカリ案』)16頁の「道徳の理論及び指導法」の「到達目標1」で、「道徳の本質(道徳とは何か)を説明できる」と明示(【注3】参照)。国が定める道徳のみが道徳と見なされていく危険性がある。
150人を越える参加者を前に、佐久間さんは「今後、教員養成の教育内容や評価を、国が更に統制する道が開かれた」と、警鐘を鳴らした。
◆ 文科省の『コアカリ案』、中身の問題点
『コアカリ案』を読むと、今日的課題である特別支援教育、「教育の方法・技術(情報機器・教材の活用を含む)」、「教育相談(カウンセリングに関する基礎的知識を含む)の理論・方法」等は評価できる面がある。しかし、〝職務命令〟と思想・良心の自由との相克を生じさせるケースが出てくる可能性ある『コアカリ案』10~11頁は、純粋な意味で児童生徒の教育に役立つとは言えず、むしろ政府・文科省に都合のよい、従順な教員作りにつながる危険性がある。以下に分析する(この他、18頁の特別活動や23頁の進路指導・キャリア教育も問題はあるが、紙幅の関係で省略する)。
10頁は「一般目標」で、「教員の職務内容の全体像や教員に課せられる服務上・身分上の義務を理解する」と記述。11頁の「到達目標2」は「公教育制度を構成している教育関係法規を理解している」と記述(傍点は筆者)。
これら〝服務〟〝法規〟に係る記述は、自民党・文科省主導で様々な法改定を積み重ねるなどし、命令一下型の学校にしてきたのを、政治的に中立で正しいかのように、教員志望の大学生に教え込む意図がある。
具体例を挙げよう。東京都教育委員会は〝君が代〟強制を強化する03年の10・23通達後の卒業式等で、全都立学校の校長から教職員に「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよ」という職務命令を出させ(音楽教諭にはピアノ伴奏命令)、不起立・不伴奏の教職員を地方公務員法(地公法)第32条(「法令等及び上司の職務上の命令に従う義務」を規定)違反だとし、懲戒処分にした上、〝再発防止〟と称する懲罰研修まで強制している。
この〝君が代〟問題で、リベラル派は地公法第32条の「法令等」の最高法規は日本国憲法であり、憲法第19条「(国家権力は個々人の)思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」、第20条(信教の自由を保障)の方が、10・23通達や職務命令より優先する、と考える。しかし、保守派(自民党・文科省・都教委を含む)は10・23通達や校長の職務命令が最優先だと主張する。
このような公教育における個々人の世界観・歴史観に関わる問題は、見解が分かれ裁判闘争にもなっているのだから、大学の教員養成で扱う場合は、保守派や行政の主張だけを教え込むのではなく、〝君が代〟裁判の原告一部勝訴の判決を紹介するなどし、リベラル派の考え方も学生に紹介するべきだ。
【注1】 現職教員に対する「研修計画と教員育成指標の策定」強制の教育公務員特例法改定は、本誌06年3月号の拙稿を参照。
【注2】 教大協答申は、23~24頁で、「体験を理論とつなぐための『教育フィールド研究』を置くこととする」とし、42頁で「実践と省察を繰り返しながら理論と実践の統合を図る教員養成コア科目群を教員養成の中心に据えた、教員養成カリキュラムモデル」を提言。46頁の概念図で大学1~4年次の「体験と研究の往還」「理論と実践の統合」も明示している。文科省主導の〝コアカリキュラム〟策定より、教大協答申の方が、教材の分析力、発達段階を含む児童生徒理解等をしっかり修得し、実践的指導力ある教員の養成が可能だ、といえる。
【注3】 『コアカリ案』16頁の「到達目標4」は「学数指導要領に示された道徳教育及び道徳科の目標及び主な内容を理解している」と明記。大多数の人が重視する生命尊重教育や思いやり等に比べ、反対する人が少なくない〝愛国心〟の徳目を教える時は、〝愛国心〟賛成の方に誘導しない配慮が教員には必要であろう。
『マスコミ市民』(2017年8月号)
日本教師教育学会等シンポで、専門家が批判 (マスコミ市民)
永野 厚男(教育ライター)
文部科学省や教育委員会が教員を管理・統制する施策は、現職教員に対しては日常の勤務、教員志望者には養成段階をターゲットにする。
前者は、業績評価制度(連動し授業の指導案、配布プリント含む使用教材等の点検・監視)や職階制度(東京都の場合は校長→副校長→主幹・指導教諭→主任教諭→教諭という上意下達システム)、官製版研修(校内研修も教委指定の内容が増)など、既に徹底してしまっている。後者は文科省が今、大学での教員養成で、政府に都合よい教員作りを謀む、〝教職課程コアカリキュラム〟策定を進めている。
◆ 内容が多様な教職課程で〝コアカリキュラム〟は不要
小中高校等の教員になる第一歩、教員免許状を取得するには、大学で教職課程を履修し必要な単位を取り、各都道府県の教育委員会に申請する必要がある。
その教職課程を「大学が編成するに当たり参考とする指針(教職課程コアカリキュラム)を関係者が共同で作成することで、教員の養成、研修を通じた教員育成における全国的な水準の確保を行っていくことが必要である」とした、『これからの学校教育を担う教員の資質能力の向上について』と題する答申を、文科省は2015年12月、中央教育審議会に出させた(【注1】参照)。
そして文科省は、16年8月19日から今年6月29日まで計5回、検討会を開催。次の①~③の問題ある、〝教職課程コアカリキュラム〟策定を打ち出した。
①これまでは教育職員免許法で、学校種ごとに科目群の枠組みを定めるに留めていた。だが文科省は、「全国すべての大学の教職課程で共通的に修得すべき資質能力(全体目標)を示す」とし、今後は、科目群の枠組みだけでなく、科目ごとにどのような資質能力を養成するか、「一般目標」「到達目標」などの細目を入れ、詳細に明示する。
②専門職である教員養成には多様なモデルがあるのに、全く職種の違う医学・法学モデルでの養成方法を採用。
③前記①②のような問題あるコアカリキュラムを、専門職団体ではなく、国が作成した。
日本教師教育学会と早稲田大教育・総合科学学術院・教職支援センターが7月9日、共催した公開シンポ「教職課程コア・カリキュラムで教員養成はどう変わるか」で、シンポジストの佐久間亜紀・慶應義塾大学教職課程センター教授は、前記①~③の問題を、以下のように分析・批判した。
①②③について→
『国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会報告書』(01年11月22日)は教員養成学部について、専門職団体である日本教育大学協会(教大協)を中心に速やかに教員養成のモデル的なカリキュラムを策定するよう要請。これを受け、教大協の「モデル・コア・カリキュラム」研究プロジェクト(委員長=東京学芸大元教授の故・高たかぎただし城忠氏)は04年3月31日、「教員養成教育の内容は多様。医学や法学といった1つの学問領域によって成り立っているわけでなく、カリキュラム内容を定めたり、項目化したりすることは妥当でない」という趣旨の答申を出している(【注2】参照)。
①③について→
文科省が今年6月29日の検討会で出してきた『教職課程コアカリキュラム案』(以下、『コアカリ案』)16頁の「道徳の理論及び指導法」の「到達目標1」で、「道徳の本質(道徳とは何か)を説明できる」と明示(【注3】参照)。国が定める道徳のみが道徳と見なされていく危険性がある。
150人を越える参加者を前に、佐久間さんは「今後、教員養成の教育内容や評価を、国が更に統制する道が開かれた」と、警鐘を鳴らした。
◆ 文科省の『コアカリ案』、中身の問題点
『コアカリ案』を読むと、今日的課題である特別支援教育、「教育の方法・技術(情報機器・教材の活用を含む)」、「教育相談(カウンセリングに関する基礎的知識を含む)の理論・方法」等は評価できる面がある。しかし、〝職務命令〟と思想・良心の自由との相克を生じさせるケースが出てくる可能性ある『コアカリ案』10~11頁は、純粋な意味で児童生徒の教育に役立つとは言えず、むしろ政府・文科省に都合のよい、従順な教員作りにつながる危険性がある。以下に分析する(この他、18頁の特別活動や23頁の進路指導・キャリア教育も問題はあるが、紙幅の関係で省略する)。
10頁は「一般目標」で、「教員の職務内容の全体像や教員に課せられる服務上・身分上の義務を理解する」と記述。11頁の「到達目標2」は「公教育制度を構成している教育関係法規を理解している」と記述(傍点は筆者)。
これら〝服務〟〝法規〟に係る記述は、自民党・文科省主導で様々な法改定を積み重ねるなどし、命令一下型の学校にしてきたのを、政治的に中立で正しいかのように、教員志望の大学生に教え込む意図がある。
具体例を挙げよう。東京都教育委員会は〝君が代〟強制を強化する03年の10・23通達後の卒業式等で、全都立学校の校長から教職員に「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよ」という職務命令を出させ(音楽教諭にはピアノ伴奏命令)、不起立・不伴奏の教職員を地方公務員法(地公法)第32条(「法令等及び上司の職務上の命令に従う義務」を規定)違反だとし、懲戒処分にした上、〝再発防止〟と称する懲罰研修まで強制している。
この〝君が代〟問題で、リベラル派は地公法第32条の「法令等」の最高法規は日本国憲法であり、憲法第19条「(国家権力は個々人の)思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」、第20条(信教の自由を保障)の方が、10・23通達や職務命令より優先する、と考える。しかし、保守派(自民党・文科省・都教委を含む)は10・23通達や校長の職務命令が最優先だと主張する。
このような公教育における個々人の世界観・歴史観に関わる問題は、見解が分かれ裁判闘争にもなっているのだから、大学の教員養成で扱う場合は、保守派や行政の主張だけを教え込むのではなく、〝君が代〟裁判の原告一部勝訴の判決を紹介するなどし、リベラル派の考え方も学生に紹介するべきだ。
【注1】 現職教員に対する「研修計画と教員育成指標の策定」強制の教育公務員特例法改定は、本誌06年3月号の拙稿を参照。
【注2】 教大協答申は、23~24頁で、「体験を理論とつなぐための『教育フィールド研究』を置くこととする」とし、42頁で「実践と省察を繰り返しながら理論と実践の統合を図る教員養成コア科目群を教員養成の中心に据えた、教員養成カリキュラムモデル」を提言。46頁の概念図で大学1~4年次の「体験と研究の往還」「理論と実践の統合」も明示している。文科省主導の〝コアカリキュラム〟策定より、教大協答申の方が、教材の分析力、発達段階を含む児童生徒理解等をしっかり修得し、実践的指導力ある教員の養成が可能だ、といえる。
【注3】 『コアカリ案』16頁の「到達目標4」は「学数指導要領に示された道徳教育及び道徳科の目標及び主な内容を理解している」と明記。大多数の人が重視する生命尊重教育や思いやり等に比べ、反対する人が少なくない〝愛国心〟の徳目を教える時は、〝愛国心〟賛成の方に誘導しない配慮が教員には必要であろう。
『マスコミ市民』(2017年8月号)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます