最高裁第2小法廷 裁判官 各位
私たちの仲間である去年と今年の君が代不起立者が、「東京『君が代』裁判第1次訴訟最高裁判決」(2012年1月16日)以降、判決文を理由として強化された再発防止研修において、今まで以上に思想及び良心の自由に対する直接的な制約を受けています。都教委による研修の強化は、判決のつまみ食いとも言うべき曲解に基づくもので、司法の決定を遵守すべき行政にあるまじき暴挙です。
上記最高裁判決では、起立斉唱命令を合憲としつつも、機械的な累積加重処分は懲戒権の濫用として取り消しを命じました。それまで都教委は一貫して、「職務命令」「懲戒処分(累積加重)」「再発防止研修」の3つを一体のものとして、君が代不起立者に対して、表面上は一般的な職務命令違反を繰り返さないためと称しつつ、実質的には「立てない」という思想の変更を迫ってきていました。
ところが、最高裁判決により、「懲戒処分」を累積することで不起立者に「立つこと」を迫る道が封じられたことから、矛先を「再発防止研修」に変え、職務命令が合憲とされたことを唯一の根拠に、それを量的にも質的にも強化拡大して、あくまでも不起立者に「立つこと」を迫り続けています。
しかし、一連の最高裁判決は、起立斉唱は敬意の要素を含む行為であるから、それを命令することは思想・良心の自由に対する「間接的な制約」にあたるとしています。都教委はこの重要な判示を見落とすか、意図的に無視しています。
「国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、一般的,客観的に見ても、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であるということができる」(以上2011年6月6日最高裁第1小法廷)
「敬意の表明の要素を含む行為を求められることは・・・その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い」(同上)
この判旨からすれば、受講者に「職務命令」に無条件に従うよう要求することは、「個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行動」を強要することに当たり、思想・良心の自由に対する明らかな侵害です。そして「研修の成果」として起立斉唱を求めることは、受講者の内心の思想改変なしには実現し得ないことであって、内心にとどまる限り絶対的に保障される「思想・良心の自由」に踏み込んだ、公権力によるあからさまな人権の「直接的な制約」にあたることは疑いを得ません。
これは、2004年に最初に再発防止研修が行われた時の執行停止申立に対する「東京地裁決定」をも、公然と無視する行為です。
「自己の思想、信条に反すると表明する者に対して、何度も繰り返し同一内容の研修を受けさせ、自己の非を認めさせようとするなど、・・・そのような研修や研修命令は合理的に許容されている範囲を超えるものとして違憲違法の問題を生ずる可能性があるといわなければならない。」(2004年7月23日東京地裁決定)
このような最高裁判決の曲解に基づく研修及び研修命令の強化に対して、同じ訴因を継承する本件訴訟(第2次東京「君が代」裁判)において、再発防止研修の強化は判決の曲解であり、思想良心の自由に対する「直接的な制約」に当たるから直ちに止めるよう明解に示してしただき、受講者を思想改変を迫られ続ける精神的苦痛から一刻も早く解放して下さるよう、衷心から要望いたします。
なお、本年10月には国連自由権規約第6回日本政府報告事前審査が行われますが、東京の君が代裁判関係で、2つのNGOによるカウンターレポートの提出が予定されています。
○「東京・教育の自由裁判をすすめる会(the Organization to Support the Lawsuits for Freedom of Education in Tokyo)」による、東京の公立学校における「日の丸・君が代」強制が、規約18条等に違反するとの訴え。
○「板橋高校卒業式事件から『表現の自由』をめざす会(Support Group for the Case of Itabashi High School Graduation and "Freedom of Expression")」による、政府報告において板橋高校卒業式事件最高裁判決を引用して「公共の福祉」概念使用を正当化していることが規約19条等に違反するとの訴え。
人権は人類普遍の原理であり、その国際標準は法的拘束力を持つ『国際人権規約』に規定されています。私たちは国際水準の人権保障を求めます。
原判決では、国際人権規約違反の訴えについて、判断を回避しました。しかし、自由権規約の条文は自動執行的性格を持ち、憲法98条の公権力の条約遵守義務に照らしても、裁判規範として用いるべきことは当然です。
わが国が34年前に批准した、『国際人権規約』締約国の義務として、自由権規約18条(思想・良心・宗教の自由)を、憲法に並ぶ裁判規範として判断の根本に据えた国際的視野に立った判断が示されるよう、切に要望いたします。
以上
2013年7月26日
上告人 H
上告人 H
◎ 最高裁判決を曲解した都教委による「再発防止研修」の強化を許さず、
国際人権規約を裁判規範として適用することを求める上申書
国際人権規約を裁判規範として適用することを求める上申書
私たちの仲間である去年と今年の君が代不起立者が、「東京『君が代』裁判第1次訴訟最高裁判決」(2012年1月16日)以降、判決文を理由として強化された再発防止研修において、今まで以上に思想及び良心の自由に対する直接的な制約を受けています。都教委による研修の強化は、判決のつまみ食いとも言うべき曲解に基づくもので、司法の決定を遵守すべき行政にあるまじき暴挙です。
上記最高裁判決では、起立斉唱命令を合憲としつつも、機械的な累積加重処分は懲戒権の濫用として取り消しを命じました。それまで都教委は一貫して、「職務命令」「懲戒処分(累積加重)」「再発防止研修」の3つを一体のものとして、君が代不起立者に対して、表面上は一般的な職務命令違反を繰り返さないためと称しつつ、実質的には「立てない」という思想の変更を迫ってきていました。
ところが、最高裁判決により、「懲戒処分」を累積することで不起立者に「立つこと」を迫る道が封じられたことから、矛先を「再発防止研修」に変え、職務命令が合憲とされたことを唯一の根拠に、それを量的にも質的にも強化拡大して、あくまでも不起立者に「立つこと」を迫り続けています。
しかし、一連の最高裁判決は、起立斉唱は敬意の要素を含む行為であるから、それを命令することは思想・良心の自由に対する「間接的な制約」にあたるとしています。都教委はこの重要な判示を見落とすか、意図的に無視しています。
「国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、一般的,客観的に見ても、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であるということができる」(以上2011年6月6日最高裁第1小法廷)
「敬意の表明の要素を含む行為を求められることは・・・その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い」(同上)
この判旨からすれば、受講者に「職務命令」に無条件に従うよう要求することは、「個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行動」を強要することに当たり、思想・良心の自由に対する明らかな侵害です。そして「研修の成果」として起立斉唱を求めることは、受講者の内心の思想改変なしには実現し得ないことであって、内心にとどまる限り絶対的に保障される「思想・良心の自由」に踏み込んだ、公権力によるあからさまな人権の「直接的な制約」にあたることは疑いを得ません。
これは、2004年に最初に再発防止研修が行われた時の執行停止申立に対する「東京地裁決定」をも、公然と無視する行為です。
「自己の思想、信条に反すると表明する者に対して、何度も繰り返し同一内容の研修を受けさせ、自己の非を認めさせようとするなど、・・・そのような研修や研修命令は合理的に許容されている範囲を超えるものとして違憲違法の問題を生ずる可能性があるといわなければならない。」(2004年7月23日東京地裁決定)
このような最高裁判決の曲解に基づく研修及び研修命令の強化に対して、同じ訴因を継承する本件訴訟(第2次東京「君が代」裁判)において、再発防止研修の強化は判決の曲解であり、思想良心の自由に対する「直接的な制約」に当たるから直ちに止めるよう明解に示してしただき、受講者を思想改変を迫られ続ける精神的苦痛から一刻も早く解放して下さるよう、衷心から要望いたします。
なお、本年10月には国連自由権規約第6回日本政府報告事前審査が行われますが、東京の君が代裁判関係で、2つのNGOによるカウンターレポートの提出が予定されています。
○「東京・教育の自由裁判をすすめる会(the Organization to Support the Lawsuits for Freedom of Education in Tokyo)」による、東京の公立学校における「日の丸・君が代」強制が、規約18条等に違反するとの訴え。
○「板橋高校卒業式事件から『表現の自由』をめざす会(Support Group for the Case of Itabashi High School Graduation and "Freedom of Expression")」による、政府報告において板橋高校卒業式事件最高裁判決を引用して「公共の福祉」概念使用を正当化していることが規約19条等に違反するとの訴え。
人権は人類普遍の原理であり、その国際標準は法的拘束力を持つ『国際人権規約』に規定されています。私たちは国際水準の人権保障を求めます。
原判決では、国際人権規約違反の訴えについて、判断を回避しました。しかし、自由権規約の条文は自動執行的性格を持ち、憲法98条の公権力の条約遵守義務に照らしても、裁判規範として用いるべきことは当然です。
わが国が34年前に批准した、『国際人権規約』締約国の義務として、自由権規約18条(思想・良心・宗教の自由)を、憲法に並ぶ裁判規範として判断の根本に据えた国際的視野に立った判断が示されるよう、切に要望いたします。
以上
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