◆ ヘイトスピーチ問題の本質
包括的な差別禁止法を (東京新聞)
近年、ヘイトスピーチをめぐる法規制の議論が巷間で盛んだが、その論点はしばしば本質的な問題から著しく遊離してしまっているように思われる。
国連の人種差別撤廃委員会から日本政府が勧告を受けているのは、第一に「人種差別を禁止する包括的な特別法」の整備で、ヘイトスピーチへの対処はその一部だ。包括的な差別禁止法がないまま、ヘイトスピーチだけを論じるのは、的を外していると言わざるをえない。
「移民統合政策指数(MIPEX)」という外国人の権利保障に関する比較調査で、日本は三十九力国中三十五位。他国と比べ外国籍の住民に対する差別が厳しいと評価されている。とりわけ「差別禁止」という調査項目では、突出して最下位である。
理由の一つは差別禁止の包括的な対策の欠如で、「致命的に取り組みが遅れており、改善の動きもない」と名指しで批判されている。グローバル化する社会状況に適切に対応するためにも、包括的な差別禁止法制定は急務であろう。
だが、日本政府は「正当な言論を不当に萎縮させる危険を冒してまで、処罰立法を検討しなければならないほど、現在の日本で人種差別の扇動が行われているとはいえない」という公式見解を、二〇〇一年から繰り返している。
最近の国会質疑によると、法務省による判断が根拠のようだ。しかし、法務省はヘイトスピーチ被害者から寄せられた人権相談に対して、「現行法には問えない」との理由で「人権侵害には当たらない」と判断したことが既に報じられている。
差別には、現行法で犯罪や不法行為に相当するケースだけでなく、現行法の不備により法に触れずに深刻な被害を生じるものがある。
「法違反」しかカウントしていないのなら、差別の被害を小さく見せたいのではと疑われてもやむを得ないだろう。ヘイトスピーチを含む差別問題に対処するには、まずは被害実態の正確な調査が必要である。
とはいえ、被差別体験についての実態究明は容易ではない。
被差別は不快な経験のため、心理的抑圧を避けるために忘れようとしたり、「なんでもない」と思い込むことで被害の意味づけを変えようとしたりするため、直接的に「差別の被害を受けましたか」と尋ねても、正確な回答を得るのは難しい。
例えば、13年の在日コリアン調査では
①非常に多くの在日コリアンが差別により否定的な感情を味わいながら、
②問題意識を持つには教育を通じて「差別を見抜く目」が育成されている必要があり、
③そうした「目」を持たない人ほど被害を自覚さえできず、
④「なんでもない」と自分に書い聞かせながら静かに自尊心に傷を受け続けているー
という極めて複雑な構図が明らかになった。
こうした構図で見えにくくなった実態を究明するには、様々な手法を組み合わせた、多角的なアプローチを用いる必要がある。
被差別当事者を対象とした調査票調査や聞き取り調査はもちろん、行政機関や企業を対象とした調査も重要である。なお、後者については、前述のMIPEXにおいて詳細な調査項目が定められており、参考になる。
こうした多角的な調査を実現するには、法務省だけでなく全ての省庁が協力して当たることが重要である。またそうでなければ「差別の被害を小さく見せようとしている」との疑いを払拭するのは難しいだろう。
その意味で、五月二十二日に参議院に提出された人種差別撤廃施策推進法案は包括的な差別対応に必要な事項が幅広く取り入れられており期待が持てる。ぜひとも現在の通常国会で成立させてほしい。
『東京新聞』(2015/6/3【夕刊】)
包括的な差別禁止法を (東京新聞)
金明秀(キム・ミョンス=関西学院大社会学部教授)
近年、ヘイトスピーチをめぐる法規制の議論が巷間で盛んだが、その論点はしばしば本質的な問題から著しく遊離してしまっているように思われる。
国連の人種差別撤廃委員会から日本政府が勧告を受けているのは、第一に「人種差別を禁止する包括的な特別法」の整備で、ヘイトスピーチへの対処はその一部だ。包括的な差別禁止法がないまま、ヘイトスピーチだけを論じるのは、的を外していると言わざるをえない。
「移民統合政策指数(MIPEX)」という外国人の権利保障に関する比較調査で、日本は三十九力国中三十五位。他国と比べ外国籍の住民に対する差別が厳しいと評価されている。とりわけ「差別禁止」という調査項目では、突出して最下位である。
理由の一つは差別禁止の包括的な対策の欠如で、「致命的に取り組みが遅れており、改善の動きもない」と名指しで批判されている。グローバル化する社会状況に適切に対応するためにも、包括的な差別禁止法制定は急務であろう。
だが、日本政府は「正当な言論を不当に萎縮させる危険を冒してまで、処罰立法を検討しなければならないほど、現在の日本で人種差別の扇動が行われているとはいえない」という公式見解を、二〇〇一年から繰り返している。
最近の国会質疑によると、法務省による判断が根拠のようだ。しかし、法務省はヘイトスピーチ被害者から寄せられた人権相談に対して、「現行法には問えない」との理由で「人権侵害には当たらない」と判断したことが既に報じられている。
差別には、現行法で犯罪や不法行為に相当するケースだけでなく、現行法の不備により法に触れずに深刻な被害を生じるものがある。
「法違反」しかカウントしていないのなら、差別の被害を小さく見せたいのではと疑われてもやむを得ないだろう。ヘイトスピーチを含む差別問題に対処するには、まずは被害実態の正確な調査が必要である。
とはいえ、被差別体験についての実態究明は容易ではない。
被差別は不快な経験のため、心理的抑圧を避けるために忘れようとしたり、「なんでもない」と思い込むことで被害の意味づけを変えようとしたりするため、直接的に「差別の被害を受けましたか」と尋ねても、正確な回答を得るのは難しい。
例えば、13年の在日コリアン調査では
①非常に多くの在日コリアンが差別により否定的な感情を味わいながら、
②問題意識を持つには教育を通じて「差別を見抜く目」が育成されている必要があり、
③そうした「目」を持たない人ほど被害を自覚さえできず、
④「なんでもない」と自分に書い聞かせながら静かに自尊心に傷を受け続けているー
という極めて複雑な構図が明らかになった。
こうした構図で見えにくくなった実態を究明するには、様々な手法を組み合わせた、多角的なアプローチを用いる必要がある。
被差別当事者を対象とした調査票調査や聞き取り調査はもちろん、行政機関や企業を対象とした調査も重要である。なお、後者については、前述のMIPEXにおいて詳細な調査項目が定められており、参考になる。
こうした多角的な調査を実現するには、法務省だけでなく全ての省庁が協力して当たることが重要である。またそうでなければ「差別の被害を小さく見せようとしている」との疑いを払拭するのは難しいだろう。
その意味で、五月二十二日に参議院に提出された人種差別撤廃施策推進法案は包括的な差別対応に必要な事項が幅広く取り入れられており期待が持てる。ぜひとも現在の通常国会で成立させてほしい。
『東京新聞』(2015/6/3【夕刊】)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます