弁護側証人二人
~私たちの卒業式を壊さないで!!
~生徒から慕われる藤田先生
立春を過ぎて、なお肌寒い如月の朝、傍聴券配布を待つ列は短く見えたが、千代田線の遅れもあり、開廷後まもなく90数席の傍聴席が久々に満席になった。9時前から先頭に並んだD大法学部の女子学生の集団は、傍聴席でも最前列に位置取り、いつもとはちょっと違った若々しい雰囲気を醸し出す。そんな中で第11回公判は開廷した。(今回は2回に分けて報告します)
1,当時の担任K証人。
(1)主尋問 猿田佐世弁護人、田場暁生弁護人 10:00~
[例年の卒業式はどんな様子だったか]
9:30過ぎに教室から待機場所の格技棟前廊下に移動し、クラス順・番号順に整列。隣と肩が触れ合うくらいギチギチに詰め込んだ状態に並ぶ。
整列完了が9:45頃で、9:50に入場する。板橋高校の生徒は整列が取っても苦手で、担任はとても苦労する。
「内心の自由」の説明は、開式前の会場で保護者向けに司会が行っていた。
[担任にとって気がかりなこと]
直前の『学年通信』に、「ゴミを捨てない」とか「余りハイテンションにならない」とか、事細かな注意書きがあるのは、だらしのない生徒や目立ちたがり屋が多い学年だったから、爆竹・バック転など途方もないことをしでかしかねない心配をしたから。
予行の時に、校長から「内心の自由」の説明があったが、とても丁寧で、こちらがびっくりするほどだった。
[開式が遅れたとすれば、管理職の不手際]
最初に配られた「実施要領」は、合唱「旅立ちの日」が入る以外は、例年通り。昨年のものに日付を変えてコピーしたくらいのもの。
3/9の職員会議で、TBSの取材が入ることを知らされ、満場大反対。校長が「カメラと生徒を接触させない方法を考えます」と言ってその場は収まるが、具体策見えず。
3/10予行の後に、具体案が煮詰まった。第一待機場所として生徒会室前、第二待機場所として例年の格技棟前廊下、の二段構え。第一待機場所への集合時間が9:45だから、今年は遅れるのは当然と思った。
3/11当日8:30から臨時職員会議。校長が「生徒の後ろ姿くらいならカメラに撮らせてもいいだろう」と蒸し返して、「絶対に接触させるな」と怒号が渦巻く。口々に「遅れる」「遅れる」の声、校長も「遅れても仕方がない」と応じる。担任団からも「カメラが出ないと、入場させませんよ」と発言。やっと校長もあきらめた。TBSが何時に出る予定とか、時間の情報は一切ない。
臨時職員会議の後、校長と担任団が直接打ち合わせ。担任団は振り回されることに皆怒っていた。校長は「しかるべく対処したい」しか言わない。経験則(格技棟前廊下にギチギチに詰め込むから辛うじて整列できていた)を無視すればどうなるかは、赴任後1年間の様々な経験で校長自身が一番知っていたはず。
[くるくる変更で担任はパニック寸前]
9:00に教室に。登校状況1/3程度。HRにならず。
9:30頃、教室前廊下に出席番号順に並ばせて移動開始したが、第一待機場所で既にバラバラ。その後出発の合図を聞いた時は「案外早くTBS出たな」と思った。
入場の際、係の先生から「ゆっくり入場させるよ」と言われ、生徒には「まだまだ、ゆっくりゆっくり」と声をかけながら入場した。前のクラスの生徒が全員着席してから、入場を開始。(例年は、前のクラスとは4mあけて入っていた)。
後に開式の遅れが問題になっていると聞いて、係の先生が「生徒をゆっくり入場させた私のせいかしら」と漏らしていた。
[私たちの卒業式を壊さないで!!]
国家斉唱時に怒号が飛び交った。3年間手塩にかけた生徒たちのはなむけの場で怒鳴り声を上げるなんて、どうして!?と腹立たしかった。
心配していたパフォーマンスもなく、とても厳粛な式だった。予行の時におちゃらけていた男の子たちも、会場全体に響き渡る大きな声で「旅立ちの日」を歌うのを聞いて、担任は皆泣いた。
[生徒たちが着席した理由]
閉式後HRをしていると、教頭が「1:30から取り調べだ」と言って回ってきた。生徒の前で、何て不用意な、と思った。
生徒が「私たちが座ったせいなの?」と聞くので、「なぜ座ったの?」と問いかけると、「予行の時、校長が『内心の自由』を言いながら、本当は立って欲しそうだったから。校長先生嫌いだもん」との答えが返ってきた。
[マスコミに送った文書]
マスコミの報道と現場の認識に、大きな差があったから。卒業式がすごく混乱して、犯罪が行われたような報道。そんな認識は全くないことを知ってもらいたかった。
私たちが校長に「遅れるよ」と警告を発したのは、15~20分レベルの遅れ。2~3分は、日頃時間にルーズな本校では、遅れのうちに入らない。
(2)反対尋問 阪井博検察官・石嶋正貴検察官 10:40~
Q:マスコミに送った文書について。第5項、第6項は、誰が何に基づき書いたのか。
A:清書は私。まとめたのは別の先生。どの項目も直接現場で携わった先生の記録。各々誰かは私は聞いていない。
(検察側には気に入らない記述があったのだろうか。繰り返ししつこく問いただしていた。)
Q:校長発言「遅れても構わない」は、「開式」が遅れても構わないと、ハッキリ言ったか。
A:明確な言い方ではなかったかもしれないが、私は「開式」と解釈した。担任団は「遅れてもきちんとした式をやろうね」と確認しあった。当日朝の校長・担任団の打ち合わせの場にN先生もいた。
Q:なぜ「実施要領」通りに、格技棟前廊下に全クラスを整列させなかったのか。
A:待機場所が第一・第二と二つできた段階で、格技棟前整列は消えた。時間的に並べられるわけがない。7クラス揃わなくても良い、第二で整列し直して入場しよう、と決まっていた。コロコロ変わるので、スムーズに入場させたかっただけ。
Q:教頭は朝、屋上に日の丸を揚げに行ったか。不起立教員のチェックを行ったか。
A:朝の臨時職員会議に教頭もいた。教員席の最後部で監視していたはずだが、見てはいない。
Q:漠然とした不安とは?
A:土屋敬之都議は、前年北野高校で騒ぎを起こしたし、七生養護学校から教材を持ち出し都議会で問題にしたような人だから、何かトラブルになるのではと気になった。
Q:生徒を並ばせるだけで、本当に10~15分かかるのか、私には信じられない。(傍聴席失笑)
A:校長も、1年間の間にいろいろトラブルも経験なさったから、よくご存知だと思う。
Q:校長に対して不満があるのでは。板橋高校が嫌いなのでは。
A:あのような管理職は初めて。不満を通り越して驚きばかり。私の異動で教科を間違えるミスをしたことはハッキリ不満。9年間楽しく異動したかったわけではないが、赴任先は気に入っている。
(3)左陪審から
Q:TBSが出たらT主事が知らせる手はずだったことは?当日の打ち合わせ等への出席?
A:手はずは聞かされていない。当日朝の会議・打ち合わせは、すべて立ち会っている。
11:15 一人目の証人尋問終了
(続)
~私たちの卒業式を壊さないで!!
~生徒から慕われる藤田先生
立春を過ぎて、なお肌寒い如月の朝、傍聴券配布を待つ列は短く見えたが、千代田線の遅れもあり、開廷後まもなく90数席の傍聴席が久々に満席になった。9時前から先頭に並んだD大法学部の女子学生の集団は、傍聴席でも最前列に位置取り、いつもとはちょっと違った若々しい雰囲気を醸し出す。そんな中で第11回公判は開廷した。(今回は2回に分けて報告します)
1,当時の担任K証人。
(1)主尋問 猿田佐世弁護人、田場暁生弁護人 10:00~
[例年の卒業式はどんな様子だったか]
9:30過ぎに教室から待機場所の格技棟前廊下に移動し、クラス順・番号順に整列。隣と肩が触れ合うくらいギチギチに詰め込んだ状態に並ぶ。
整列完了が9:45頃で、9:50に入場する。板橋高校の生徒は整列が取っても苦手で、担任はとても苦労する。
「内心の自由」の説明は、開式前の会場で保護者向けに司会が行っていた。
[担任にとって気がかりなこと]
直前の『学年通信』に、「ゴミを捨てない」とか「余りハイテンションにならない」とか、事細かな注意書きがあるのは、だらしのない生徒や目立ちたがり屋が多い学年だったから、爆竹・バック転など途方もないことをしでかしかねない心配をしたから。
予行の時に、校長から「内心の自由」の説明があったが、とても丁寧で、こちらがびっくりするほどだった。
[開式が遅れたとすれば、管理職の不手際]
最初に配られた「実施要領」は、合唱「旅立ちの日」が入る以外は、例年通り。昨年のものに日付を変えてコピーしたくらいのもの。
3/9の職員会議で、TBSの取材が入ることを知らされ、満場大反対。校長が「カメラと生徒を接触させない方法を考えます」と言ってその場は収まるが、具体策見えず。
3/10予行の後に、具体案が煮詰まった。第一待機場所として生徒会室前、第二待機場所として例年の格技棟前廊下、の二段構え。第一待機場所への集合時間が9:45だから、今年は遅れるのは当然と思った。
3/11当日8:30から臨時職員会議。校長が「生徒の後ろ姿くらいならカメラに撮らせてもいいだろう」と蒸し返して、「絶対に接触させるな」と怒号が渦巻く。口々に「遅れる」「遅れる」の声、校長も「遅れても仕方がない」と応じる。担任団からも「カメラが出ないと、入場させませんよ」と発言。やっと校長もあきらめた。TBSが何時に出る予定とか、時間の情報は一切ない。
臨時職員会議の後、校長と担任団が直接打ち合わせ。担任団は振り回されることに皆怒っていた。校長は「しかるべく対処したい」しか言わない。経験則(格技棟前廊下にギチギチに詰め込むから辛うじて整列できていた)を無視すればどうなるかは、赴任後1年間の様々な経験で校長自身が一番知っていたはず。
[くるくる変更で担任はパニック寸前]
9:00に教室に。登校状況1/3程度。HRにならず。
9:30頃、教室前廊下に出席番号順に並ばせて移動開始したが、第一待機場所で既にバラバラ。その後出発の合図を聞いた時は「案外早くTBS出たな」と思った。
入場の際、係の先生から「ゆっくり入場させるよ」と言われ、生徒には「まだまだ、ゆっくりゆっくり」と声をかけながら入場した。前のクラスの生徒が全員着席してから、入場を開始。(例年は、前のクラスとは4mあけて入っていた)。
後に開式の遅れが問題になっていると聞いて、係の先生が「生徒をゆっくり入場させた私のせいかしら」と漏らしていた。
[私たちの卒業式を壊さないで!!]
国家斉唱時に怒号が飛び交った。3年間手塩にかけた生徒たちのはなむけの場で怒鳴り声を上げるなんて、どうして!?と腹立たしかった。
心配していたパフォーマンスもなく、とても厳粛な式だった。予行の時におちゃらけていた男の子たちも、会場全体に響き渡る大きな声で「旅立ちの日」を歌うのを聞いて、担任は皆泣いた。
[生徒たちが着席した理由]
閉式後HRをしていると、教頭が「1:30から取り調べだ」と言って回ってきた。生徒の前で、何て不用意な、と思った。
生徒が「私たちが座ったせいなの?」と聞くので、「なぜ座ったの?」と問いかけると、「予行の時、校長が『内心の自由』を言いながら、本当は立って欲しそうだったから。校長先生嫌いだもん」との答えが返ってきた。
[マスコミに送った文書]
マスコミの報道と現場の認識に、大きな差があったから。卒業式がすごく混乱して、犯罪が行われたような報道。そんな認識は全くないことを知ってもらいたかった。
私たちが校長に「遅れるよ」と警告を発したのは、15~20分レベルの遅れ。2~3分は、日頃時間にルーズな本校では、遅れのうちに入らない。
(2)反対尋問 阪井博検察官・石嶋正貴検察官 10:40~
Q:マスコミに送った文書について。第5項、第6項は、誰が何に基づき書いたのか。
A:清書は私。まとめたのは別の先生。どの項目も直接現場で携わった先生の記録。各々誰かは私は聞いていない。
(検察側には気に入らない記述があったのだろうか。繰り返ししつこく問いただしていた。)
Q:校長発言「遅れても構わない」は、「開式」が遅れても構わないと、ハッキリ言ったか。
A:明確な言い方ではなかったかもしれないが、私は「開式」と解釈した。担任団は「遅れてもきちんとした式をやろうね」と確認しあった。当日朝の校長・担任団の打ち合わせの場にN先生もいた。
Q:なぜ「実施要領」通りに、格技棟前廊下に全クラスを整列させなかったのか。
A:待機場所が第一・第二と二つできた段階で、格技棟前整列は消えた。時間的に並べられるわけがない。7クラス揃わなくても良い、第二で整列し直して入場しよう、と決まっていた。コロコロ変わるので、スムーズに入場させたかっただけ。
Q:教頭は朝、屋上に日の丸を揚げに行ったか。不起立教員のチェックを行ったか。
A:朝の臨時職員会議に教頭もいた。教員席の最後部で監視していたはずだが、見てはいない。
Q:漠然とした不安とは?
A:土屋敬之都議は、前年北野高校で騒ぎを起こしたし、七生養護学校から教材を持ち出し都議会で問題にしたような人だから、何かトラブルになるのではと気になった。
Q:生徒を並ばせるだけで、本当に10~15分かかるのか、私には信じられない。(傍聴席失笑)
A:校長も、1年間の間にいろいろトラブルも経験なさったから、よくご存知だと思う。
Q:校長に対して不満があるのでは。板橋高校が嫌いなのでは。
A:あのような管理職は初めて。不満を通り越して驚きばかり。私の異動で教科を間違えるミスをしたことはハッキリ不満。9年間楽しく異動したかったわけではないが、赴任先は気に入っている。
(3)左陪審から
Q:TBSが出たらT主事が知らせる手はずだったことは?当日の打ち合わせ等への出席?
A:手はずは聞かされていない。当日朝の会議・打ち合わせは、すべて立ち会っている。
11:15 一人目の証人尋問終了
(続)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます