2016年5月10日 最高裁判所第三小法廷 御中
10・23通達翌年の2004年、都立戸山高校での次男卒業式は異様なものでした。壇上の都教委職員が見下ろした視線の先にはフロアの最前列に集められた教員たちがいます。
保護者席からは椅子の背に教員の名前が記されているのが見え、壇上正面の壁面には都旗・国旗・校旗が張り付けられていました。
国歌斉唱の際には、その前年までは「内心の自由がありますので」との案内の言葉があり、起立し斉唱することは必ずしも強制ではありませんでした。しかし、この年にはそのような案内の言葉はなく国歌斉唱が始まりました。
すると、副校長が教員たちの間を一巡し始めました。
壇上からは2人の都教委職員が副校長の動きと、教員たちが唇を動かしているのか、声が出ているのか、それを疑って観察する様子で、私たち保護者にとって不快きわまる風景でした。
保護者・生徒たちの前で副校長に検分され、壇上からは校長・都教委職員から監視されている姿を晒される教員たちに何という屈辱を与えているのか、教員たちの苦痛は察するに余りある光景でした。
この年、養護学校(現・特別支援学校)では、壇上に登るスロープを新設し児童たちに登らせたという話を聞きました。
手摺のないスロープを独力で登ることのできた児童・生徒はともかく、登ることができない児童・生徒には他者の援助が不可欠であることを会場に見せつけたことにもなり、とても残酷な光景であったと聞いています。
憲法13条では「公共の福祉」に反しない限り、すべて国民は個人として尊重され、幸福追求の権利が保障されていますし、他の条文では信教の自由や表現の自由が保障されているにもかかわらず、本事件では教員たちに懲戒処分が科せられています。
教員達は卒業式を妨害してもいませんし、公共の福祉に反してもいないのに懲戒処分とは都教委の独善行為と言うべきです。
教師たちの内心の意思表示は個人の尊厳として認められるべきものではありませんか。
来るべき判決では、過重な不利益に苦しんできた教師たちの名誉こそ回復されるべきであり、都教委に謝罪と損害賠償を促す内容を盛り込んでほしいと願って止みません。
◎ 要 請 書
Y.K.
長男と次男が都立高校に学びましたので、私たち夫婦は都合6年間、卒入学式の変遷を見てきました。10・23通達翌年の2004年、都立戸山高校での次男卒業式は異様なものでした。壇上の都教委職員が見下ろした視線の先にはフロアの最前列に集められた教員たちがいます。
保護者席からは椅子の背に教員の名前が記されているのが見え、壇上正面の壁面には都旗・国旗・校旗が張り付けられていました。
国歌斉唱の際には、その前年までは「内心の自由がありますので」との案内の言葉があり、起立し斉唱することは必ずしも強制ではありませんでした。しかし、この年にはそのような案内の言葉はなく国歌斉唱が始まりました。
すると、副校長が教員たちの間を一巡し始めました。
壇上からは2人の都教委職員が副校長の動きと、教員たちが唇を動かしているのか、声が出ているのか、それを疑って観察する様子で、私たち保護者にとって不快きわまる風景でした。
保護者・生徒たちの前で副校長に検分され、壇上からは校長・都教委職員から監視されている姿を晒される教員たちに何という屈辱を与えているのか、教員たちの苦痛は察するに余りある光景でした。
この年、養護学校(現・特別支援学校)では、壇上に登るスロープを新設し児童たちに登らせたという話を聞きました。
手摺のないスロープを独力で登ることのできた児童・生徒はともかく、登ることができない児童・生徒には他者の援助が不可欠であることを会場に見せつけたことにもなり、とても残酷な光景であったと聞いています。
憲法13条では「公共の福祉」に反しない限り、すべて国民は個人として尊重され、幸福追求の権利が保障されていますし、他の条文では信教の自由や表現の自由が保障されているにもかかわらず、本事件では教員たちに懲戒処分が科せられています。
教員達は卒業式を妨害してもいませんし、公共の福祉に反してもいないのに懲戒処分とは都教委の独善行為と言うべきです。
教師たちの内心の意思表示は個人の尊厳として認められるべきものではありませんか。
来るべき判決では、過重な不利益に苦しんできた教師たちの名誉こそ回復されるべきであり、都教委に謝罪と損害賠償を促す内容を盛り込んでほしいと願って止みません。
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