◆ 宿題全廃、定期テストも、担任制も廃止
~名門・麹町中学が「大改革」の内実 (現代ビジネス)
膨大な量の課題に押しつぶされる子どもたち。事務仕事に忙殺され、生徒と向き合うことを忘れた教師たち…。日本の教育現場は「惰性」に陥っていないか? そう問いかけ、行動する教育者が現れたことをご存知だろうか。
今日発売の「週刊現代」で、名門校として知られる区立麹町中学校の「新任校長」が進める、常識破りの改革が紹介されている。
◆ 惰性で続けていないか?
「あの学校は、子供の『自己決定』を重視して、子供を主役にしている。まさに、私が叶えたかった理想の教育を実現した学校です」
教育評論家の尾木ママこと、尾木直樹氏が絶賛する公立中学校がある。その学校こそ、東京都の千代田区立麹町中学校だ。
「宿題」
「中間・期末テスト」
「クラス担任」
「体育祭のクラス対抗」
「服装や頭髪の指導」……。
どれもみな学校で当たり前のように行われていることばかりだが、同校はなんとそのすべてを廃止してしまった。
その他にも、従来の公立中学のイメージを根本から覆す改革を矢継ぎ早に実施し、いまや日本中から教育関係者が視察に訪れている。
前出の尾木氏はこう語る。
「欧州などでは、子供の頃から、自分の意見を表明し、自己決定をする機会を増やすことで、社会の担い手としての自覚をもった大人に育てようとする共通認識があります。
一方、日本は、現在にいたるまで、明治時代に確立された一斉教育のスタイルが刷新されないままになってきた。そんな教育後進国・日本のなかで、子供の自立を促すことで、世界レベルの教育に一気に追いつこうとしたのが、公立の麹町中学なのです」
一連の改革を主導した人物は、'14年に赴任した同校校長の工藤勇一氏(59歳)だ。
麹町中学といえば、国の中枢機関が集中する千代田区に位置し、昔から国会議員や官僚の子息が通う名門だった。
元内閣官房長官の加藤紘一や、俳優・劇作家の岸田森、東京海上ホールディングス初代社長の石原邦夫など、輩出した著名人は数知れず。
かつては「番町小学校、麹町中学校、日比谷高校、東京大学」と進学するのが都内における最高のエリートコースとされていたほどだった。
あまりに学区域外からの越境入学が増えたため、現在では制限されているが、同校出身者はいまも「麹町中学ブランド」に誇りをもっている。
そんな麹町中学に新たな風を吹き込んだのが、工藤校長だった。有力OB・OGも多いだけに改革への抵抗も強いに違いない。
だが、工藤校長の目には、学校が明確な目的ももたないまま、ただ漫然と「これまでもやってきたから」と、子供に強制するものがあまりに多いように映った。
このままでは、うまくいかなかったときに、なにもかも「人のせい」にする子供が育ってしまう―。大胆な改革に乗り出すことに迷いはなかった。
なぜ決断できたのか。それを知るためには、麹町中学赴任前に話を遡る必要がある。
◆ 当事者意識はあるか?
その辣腕ぶりゆえ、「民間出身校長」に間違われることが多い工藤校長。しかし意外にも、東京理科大卒の教員として叩きあげでキャリアを重ねてきた。
麹町中学赴任前、工藤校長は地元・山形の中学校教員でキャリアをスタート。その後、採用試験を受け直して、東京の中学校に赴任した。
しかし、待ち受けていたのは、いわゆる「教育困難校」。至るところにたばこの燃えかすが散乱し、床にはガムが張り付いて層をなし、盗みや教師に対する暴力もあった。
同僚の教員も匙を投げるなか、工藤校長は「人任せにはしていられない」と考え、自ら生徒指導を買って出た。そして生徒や保護者と直接語る機会を増やしていった。
そのときに、繰り返し言ったのが「当事者意識をもつ」ということ。当時の経験が、麹町中学での改革の原点になっている。
麹町中学に赴任してまず気づいたのは、膨大な宿題を前に疲弊する生徒の姿や、無意味な仕事に忙殺され、生徒と向き合う時間を奪われている教員など、同校が抱える無数の課題だった。
工藤校長は当時のことを著書『学校の「当たり前」をやめた。』でこう語っている。
「学校の現状をありのままに受け止める―。そのためにまず最初に行ったのが、課題のリスト化でした」
学校を変えるにはまず教員から。そこで教員の意識改革に着手する。上から一方的に命令されたら、教員にとって業務改善は、「やらされる」ものになってしまう。
彼らの主体性を引き出す方法を模索した。
「例えば、慣例的に勤務時間前から始まっていた『朝のあいさつ運動』はなくなりました。職員会議も効率化され、朝の打ち合わせも時間を短縮できました。さまざまなことで、教員が本来取り組むべき仕事に使える時間が増えました」(以下、工藤校長の発言は前掲書より)
ここでポイントになったのが、教員にも「当事者意識」が芽生えていったことだ。教員自身が考え、「何となくやらされている」という意識が変わった。
次は生徒たちの意識改革が必要になる。
工藤校長は、手始めに宿題の全廃に踏み切る。
学校から強制される膨大な宿題を前にすると、生徒は〝こなす〟ことのみに意識が向かい、解ける問題だけを解いて、解けない問題はそのままにして提出してしまう。
しかし、工藤校長は「勉強は、できないものを、できるようにするためにある」と考えて、無意味な宿題を廃止した。
「やらされる学習」ではなく、生徒が自ら学ぶ仕組みを作る。
この考えから宿題だけでなく、中間・期末テストもやめてしまった。
教育ジャーナリストの中曽根陽子氏はこう解説する。
「工藤さんは、中間テストや期末テストを全廃しましたが、すべてのテストをなくしたわけではありません。代わりに、単元ごとのテストや小テストを行っているので、テストの回数自体はむしろ増えているのです。
短い期間で確認テストを行うので、授業についていけなくなる子供は減っていきます。また、とりこぼしがあった場合には、もう一回単元テストを受けることもできるので、わかるようになるまで、自分で自習できる。
こうして自分からアプローチしたことが成功していくと、おのずと勉強が苦手だった生徒たちも自信がついていくのです」
◆ 全員が楽しんでいるか?
さらに工藤校長は、生徒たちが、自らの頭で考えるのを促そうと、ノートの取り方の見直しにまで手を付けた。
授業中、単に黒板を写すのでは思考が停止してしまう。
そこで、方眼ノートに線を引かせ、左ページの上に「ねらい」「結論」を、右ページに「気づき」「疑問」「まとめ」を書かせた。その結果、授業中の集中度が高まったという。
また、ビジネス用のスケジュール帳を導入。帰宅から就寝までの自由な時間に何をするかを書かせることで、生徒は自らの生活をコントロールするようになった。
工藤校長の言う「当事者意識」が教員にも生徒にも確実に浸透していった。
改革は、学校の制度にも向けられた。1クラスに1人担任の教員がいる「固定担任制」を撤廃し、「全員担任制」を導入した。
工藤校長は、固定担任制の弊害についてこう語っている。
「固定担任制では、子どもたちや保護者にとっての学級の良し悪しは、多くの場合、担任に紐づけられる傾向があります。
学級の中で問題が起きれば、子どもたちや保護者は安易に担任のせいにしたり、また担任の方も自分で問題を抱え込んでしまったりする状況が生まれていきます」
当たり前と思っていたものを見直し、時には廃止を決断。
この考えが生徒にも波及した一例として挙げられるのが体育祭でのクラス対抗の廃止だ。
工藤校長はこう語る。
「校長としての私は、生徒たちに体育祭について、たった一つのミッションを示しました。それは『生徒全員を楽しませること』というものです。
運動が必ずしも得意ではない生徒も、また、体育祭を楽しみにしている生徒も、全員が楽しめるものにしてほしいと生徒たちに話しました」
全員参加のリレーや大縄跳びでは、運動が苦手な子のミスが原因で、勝利から遠のくことがある。クラス対抗の場合、時には、そうしたミスが原因で、仲間から責められ、人間関係にひびが入ることもある。
そう考えた生徒たちは、自分たちで話し合い、体育祭のクラス対抗を廃止したのだ。
一連の改革の成功の要因のひとつは工藤校長の経歴にある。
工藤氏は教員を経たのち、東京都や目黒区、新宿区の教育委員会に勤務。麹町中学で初めて校長を務めた。
杉並区立和田中学校で校長を務めた藤原和博氏はこう語る。
「教員の経験しかなければ改革は難しかったでしょう。工藤さんは教育委員会を熟知しているから、成功に導けたのです」
これまで現場発の改革は教育委員会に反対されることも多かったのだ。
加えて、工藤校長によれば、対立は話し合いで乗り越えられる。
麹町中学に職業体験プログラムを提供する教育と探求社の宮地勘司社長は語る。
「工藤さんは、金八先生のような情に訴える人ではなく、論理的に説明し、説得するタイプ。建設的な協議のために、あえて感情をコントロールしているのかもしれません。対立する意見をもっている人と話す際に感情的になれば、話し合いは決裂してしまいますから」
情熱と論理を兼ね備えた改革者が、日本の教育に楔(くさび)を打つ。
「週刊現代」2019年2月2日号より
『現代ビジネス』(2019/1/18)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190118-00059431-gendaibiz-bus_all&pos=2
~名門・麹町中学が「大改革」の内実 (現代ビジネス)
膨大な量の課題に押しつぶされる子どもたち。事務仕事に忙殺され、生徒と向き合うことを忘れた教師たち…。日本の教育現場は「惰性」に陥っていないか? そう問いかけ、行動する教育者が現れたことをご存知だろうか。
今日発売の「週刊現代」で、名門校として知られる区立麹町中学校の「新任校長」が進める、常識破りの改革が紹介されている。
◆ 惰性で続けていないか?
「あの学校は、子供の『自己決定』を重視して、子供を主役にしている。まさに、私が叶えたかった理想の教育を実現した学校です」
教育評論家の尾木ママこと、尾木直樹氏が絶賛する公立中学校がある。その学校こそ、東京都の千代田区立麹町中学校だ。
「宿題」
「中間・期末テスト」
「クラス担任」
「体育祭のクラス対抗」
「服装や頭髪の指導」……。
どれもみな学校で当たり前のように行われていることばかりだが、同校はなんとそのすべてを廃止してしまった。
その他にも、従来の公立中学のイメージを根本から覆す改革を矢継ぎ早に実施し、いまや日本中から教育関係者が視察に訪れている。
前出の尾木氏はこう語る。
「欧州などでは、子供の頃から、自分の意見を表明し、自己決定をする機会を増やすことで、社会の担い手としての自覚をもった大人に育てようとする共通認識があります。
一方、日本は、現在にいたるまで、明治時代に確立された一斉教育のスタイルが刷新されないままになってきた。そんな教育後進国・日本のなかで、子供の自立を促すことで、世界レベルの教育に一気に追いつこうとしたのが、公立の麹町中学なのです」
一連の改革を主導した人物は、'14年に赴任した同校校長の工藤勇一氏(59歳)だ。
麹町中学といえば、国の中枢機関が集中する千代田区に位置し、昔から国会議員や官僚の子息が通う名門だった。
元内閣官房長官の加藤紘一や、俳優・劇作家の岸田森、東京海上ホールディングス初代社長の石原邦夫など、輩出した著名人は数知れず。
かつては「番町小学校、麹町中学校、日比谷高校、東京大学」と進学するのが都内における最高のエリートコースとされていたほどだった。
あまりに学区域外からの越境入学が増えたため、現在では制限されているが、同校出身者はいまも「麹町中学ブランド」に誇りをもっている。
そんな麹町中学に新たな風を吹き込んだのが、工藤校長だった。有力OB・OGも多いだけに改革への抵抗も強いに違いない。
だが、工藤校長の目には、学校が明確な目的ももたないまま、ただ漫然と「これまでもやってきたから」と、子供に強制するものがあまりに多いように映った。
このままでは、うまくいかなかったときに、なにもかも「人のせい」にする子供が育ってしまう―。大胆な改革に乗り出すことに迷いはなかった。
なぜ決断できたのか。それを知るためには、麹町中学赴任前に話を遡る必要がある。
◆ 当事者意識はあるか?
その辣腕ぶりゆえ、「民間出身校長」に間違われることが多い工藤校長。しかし意外にも、東京理科大卒の教員として叩きあげでキャリアを重ねてきた。
麹町中学赴任前、工藤校長は地元・山形の中学校教員でキャリアをスタート。その後、採用試験を受け直して、東京の中学校に赴任した。
しかし、待ち受けていたのは、いわゆる「教育困難校」。至るところにたばこの燃えかすが散乱し、床にはガムが張り付いて層をなし、盗みや教師に対する暴力もあった。
同僚の教員も匙を投げるなか、工藤校長は「人任せにはしていられない」と考え、自ら生徒指導を買って出た。そして生徒や保護者と直接語る機会を増やしていった。
そのときに、繰り返し言ったのが「当事者意識をもつ」ということ。当時の経験が、麹町中学での改革の原点になっている。
麹町中学に赴任してまず気づいたのは、膨大な宿題を前に疲弊する生徒の姿や、無意味な仕事に忙殺され、生徒と向き合う時間を奪われている教員など、同校が抱える無数の課題だった。
工藤校長は当時のことを著書『学校の「当たり前」をやめた。』でこう語っている。
「学校の現状をありのままに受け止める―。そのためにまず最初に行ったのが、課題のリスト化でした」
学校を変えるにはまず教員から。そこで教員の意識改革に着手する。上から一方的に命令されたら、教員にとって業務改善は、「やらされる」ものになってしまう。
彼らの主体性を引き出す方法を模索した。
「例えば、慣例的に勤務時間前から始まっていた『朝のあいさつ運動』はなくなりました。職員会議も効率化され、朝の打ち合わせも時間を短縮できました。さまざまなことで、教員が本来取り組むべき仕事に使える時間が増えました」(以下、工藤校長の発言は前掲書より)
ここでポイントになったのが、教員にも「当事者意識」が芽生えていったことだ。教員自身が考え、「何となくやらされている」という意識が変わった。
次は生徒たちの意識改革が必要になる。
工藤校長は、手始めに宿題の全廃に踏み切る。
学校から強制される膨大な宿題を前にすると、生徒は〝こなす〟ことのみに意識が向かい、解ける問題だけを解いて、解けない問題はそのままにして提出してしまう。
しかし、工藤校長は「勉強は、できないものを、できるようにするためにある」と考えて、無意味な宿題を廃止した。
「やらされる学習」ではなく、生徒が自ら学ぶ仕組みを作る。
この考えから宿題だけでなく、中間・期末テストもやめてしまった。
教育ジャーナリストの中曽根陽子氏はこう解説する。
「工藤さんは、中間テストや期末テストを全廃しましたが、すべてのテストをなくしたわけではありません。代わりに、単元ごとのテストや小テストを行っているので、テストの回数自体はむしろ増えているのです。
短い期間で確認テストを行うので、授業についていけなくなる子供は減っていきます。また、とりこぼしがあった場合には、もう一回単元テストを受けることもできるので、わかるようになるまで、自分で自習できる。
こうして自分からアプローチしたことが成功していくと、おのずと勉強が苦手だった生徒たちも自信がついていくのです」
◆ 全員が楽しんでいるか?
さらに工藤校長は、生徒たちが、自らの頭で考えるのを促そうと、ノートの取り方の見直しにまで手を付けた。
授業中、単に黒板を写すのでは思考が停止してしまう。
そこで、方眼ノートに線を引かせ、左ページの上に「ねらい」「結論」を、右ページに「気づき」「疑問」「まとめ」を書かせた。その結果、授業中の集中度が高まったという。
また、ビジネス用のスケジュール帳を導入。帰宅から就寝までの自由な時間に何をするかを書かせることで、生徒は自らの生活をコントロールするようになった。
工藤校長の言う「当事者意識」が教員にも生徒にも確実に浸透していった。
改革は、学校の制度にも向けられた。1クラスに1人担任の教員がいる「固定担任制」を撤廃し、「全員担任制」を導入した。
工藤校長は、固定担任制の弊害についてこう語っている。
「固定担任制では、子どもたちや保護者にとっての学級の良し悪しは、多くの場合、担任に紐づけられる傾向があります。
学級の中で問題が起きれば、子どもたちや保護者は安易に担任のせいにしたり、また担任の方も自分で問題を抱え込んでしまったりする状況が生まれていきます」
当たり前と思っていたものを見直し、時には廃止を決断。
この考えが生徒にも波及した一例として挙げられるのが体育祭でのクラス対抗の廃止だ。
工藤校長はこう語る。
「校長としての私は、生徒たちに体育祭について、たった一つのミッションを示しました。それは『生徒全員を楽しませること』というものです。
運動が必ずしも得意ではない生徒も、また、体育祭を楽しみにしている生徒も、全員が楽しめるものにしてほしいと生徒たちに話しました」
全員参加のリレーや大縄跳びでは、運動が苦手な子のミスが原因で、勝利から遠のくことがある。クラス対抗の場合、時には、そうしたミスが原因で、仲間から責められ、人間関係にひびが入ることもある。
そう考えた生徒たちは、自分たちで話し合い、体育祭のクラス対抗を廃止したのだ。
一連の改革の成功の要因のひとつは工藤校長の経歴にある。
工藤氏は教員を経たのち、東京都や目黒区、新宿区の教育委員会に勤務。麹町中学で初めて校長を務めた。
杉並区立和田中学校で校長を務めた藤原和博氏はこう語る。
「教員の経験しかなければ改革は難しかったでしょう。工藤さんは教育委員会を熟知しているから、成功に導けたのです」
これまで現場発の改革は教育委員会に反対されることも多かったのだ。
加えて、工藤校長によれば、対立は話し合いで乗り越えられる。
麹町中学に職業体験プログラムを提供する教育と探求社の宮地勘司社長は語る。
「工藤さんは、金八先生のような情に訴える人ではなく、論理的に説明し、説得するタイプ。建設的な協議のために、あえて感情をコントロールしているのかもしれません。対立する意見をもっている人と話す際に感情的になれば、話し合いは決裂してしまいますから」
情熱と論理を兼ね備えた改革者が、日本の教育に楔(くさび)を打つ。
「週刊現代」2019年2月2日号より
『現代ビジネス』(2019/1/18)
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