パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

非正規労働者

2007年01月16日 | ノンジャンル
● ルポ いま町の非正規労働者は

 1995年に日経連(当時)が『新時代の日本的経営』を発表して以来、「労働ビッグバン」といわれる労働者の暮らしぶり・働きぶりは大きく変わらざるを得なくなった。
 その結果は格差の拡大による二極化構造になり、賃金ダンピングによる貧困の定着・深刻化だ。今年は労働法制の改悪が国会で準備されている。
 非正規採用で働いている2人に実態を語ってもらった。

 ●生活が壊れる複合就労

 Aさん(48歳)は、都内にある大手印刷会社で11年働いているフルタイムのパート労働者だ。
 Aさんが働きだしたのは、小学生の子どもたちを抱えて離婚したときからだった。フルタイムパートで1年契約。パートは正社員と同じ仕事をしながら、賃金と退職金などの待遇に大きな違いがあった。
 しかし、失業者であふれるハローワークに正社員の仕事はなかった。パートの待遇は、結婚前にOL時代を経験した彼女にとって、そこでの労働と暮らしは天と地の開きだった。
 朝8時始業の工場に出勤し定時は5時だが、残業の連続で8時、9時、時には10時を過ぎることも。残業用の2枚目のタイムカードが用意されている。
 しかし、それだけ働いてもパートの低賃金では育ち盛りの子どもを抱えて経済的に行き詰まり、複合就労せざるを得なくなった。
 自宅アパートから自転車で40分の24時間営業のスーパーでレジを担当した。夜9時から12時まで、自宅に帰るのは午前1時を過ぎることはザラだった。
 土・日は昼間からスーパーで働いた。そこで見たのは、自分と同じように掛け持ちで働く女性たちの姿だった。
   
 昼間は正社員で事務員として働き、夜や休日にスーパーのレジをやって働く女性。夫婦で自営業をやっていて、生活を維持するために、奥さんが夜スーパーに働きに出ているという人もいる。最近は、昼も夜もパートで働く女性たちが増えていると言う。
 必死で働き労働時間は年間3000時間を優に超していたが、年収は300万円にも満たない。子どもと一緒に生活する時間は奪われ、寝る時間を削って働き続けるしかない。健康を維持するのに精一杯で、いつまで続けられるかとても不安だが、子どもたちを自立させるまでは頑張らなければと話してくれた。

 ●優しさを失う福祉職場

 もう一人、B君(28歳)は特別養護老人ホームで働く非常勤ヘルパーだ。
 高校卒業後働いた工場は奴隷工場のようだったと言う。若い社員たちはみな地方出身者ばかりで、ワンルーム・マンションの寮で生活していた。
 残業や休日出勤は研修として、何の手当もつかないまま働き、寮の費用を天引きされると手元には10万円も残らなかった。有給休暇は繁忙期を除いた数カ月に夏休みとして3日だけ、それが当たり前だと思っていた。
 このままではと思い、先輩のアパートに転がり込みヘルパーの資格を取った。そして特別養護老人ホームに非常勤として採用された。夜勤や早出などの変則勤務にもようやく慣れたが、非常勤は月の勤務が18日と少なく、賃金は前の職場よりも安いという。
 お年寄りのお世話をする福祉の仕事は自分にあっていると話す。B君は、非常勤のまま腰痛などで体を悪くして辞めていく仲間を見ている。自分がいつまで元気でいられるか不安だという。長く頑張っても正職員になれる可能性はほとんどない。

   ☆

 今や街中にあふれている求人情報誌は若者には「好きを仕事に」というキャッチフレーズでアプローチしている。
 バイクの好きな若者にバイク便を、コンピュータが好きな若者にはシステムエンジニア、心根の優しい若者にはケアマネージャーに、と使い捨て要員として、パート、アルバイトとして重宝がっている。
 今や、正社員をリストラされた中高年男性や若者がパートやアルバイトと言われる非正規職員に多くなっている。
 Aさんは労働運動の質が問われている、と自らの働きざまを振り返りながら語ってくれた。

 『週刊新社会』(2007/1/1)

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