◆ 子どもの教育のための大人の共同と教育委員会
~国立市の教育委員の経験から~
◆ 教育委員の役割
国立市は人口約74,000人の比較的小規模の市で、市立の学校は小学校8校、中学校3校です。二人の子どもはもう成人しましたが、私はPTA活動に14年間関わってきました。
当時、国立ではPTA連合会(P連)の活動が活発で、毎年、学校施設・設備の改善、修学旅行等の保護者負担の軽減等の要求をまとめて教育委員会への要望書を出し、教育長との交渉もしていました。P連委員2名が教育委員会定例会を毎回傍聴してP連の会議で報告するなど、教育委員会は身近なものとして意識されていたと思います。
私は「保護者」「教育関係者」「文化・スポーツ関係者」「学識経験者」という当時の四つの枠のうちの「学識経験者」として選任され、2007年12月から4年間、教育委員をつとめました。
非常勤とは言え、「教育委員である」ことの重みは常に感じていました。合議の議決機関としての「教育委員の会議」への出席が委員の仕事の中心です。
教育委員会はこの会議を指す場合と、教育長が統括する事務局を指す場合と、その総体を指す場合があり、それが曖昧であることも多いと感じます。
定例会は国立では月に一度で、1週間前に議案とその資料、要望書、陳情書などが届きます。
定例会では、教育長報告について質問し、意見を述べ、議案や陳情書については議論を経て採決をしますが、議論をして合意を形成することが大切にされていたと思います。議決を要しない要望書についても、必ず議論するようにしていました。
PTA関係者、市議会議員、さまざまな市民運動の組織や個人など、傍聴者が毎回10人以上はいたので、議論にはかなりの緊張感がありました。
年に1回の学校訪問も大事な仕事でした。教育委員、教育長、学校指導課長、指導主事2名で訪問し、校長の学校概要説明、授業参観、給食、研究授業、研究協議会と、9時から4時半頃まで学校にいました。学校設備や授業の実際の様子がわかる貴重な機会でしたが、全部で11校という市の規模だったからこそ可能だったとも言えます。
2010年夏(小学校)と2011年夏(中学校)には教科書の採択をしました。公開期間中に通勤途上で公民館に寄ったり、教育長室に通ったり、中学校教科書は部数に余裕があったので自宅に届けてもらったりもして、とにかく二ヶ月の間に採択候補教科書は全部読みました。
学校長や指導主事で構成される「教科用図書審議会」の報告書が具体的に理解できるようにと自分なりに位置づけて取り組みましたが、現場の先生たちが十分議論を尽くして「順位をつけて推薦する」ものに基づいて決めるのがやはり一番いいのではないかというのが、教科書採択を経験しての実感です。
それは、どんなに頑張って読んだとしても、私は小学校や中学校で授業をしていないからです。
他には卒業式や入学式で告辞を読み、成人式に出席し、各種行事(展覧会、運動会、学芸会、音楽会、中学校の合唱コンクール)にも招待されました。教育委員の連合組織の研修会などもありました。
◆ 教育委員会制度の問題
現行の教育委員会は事務局が提起する案件の追認機関になるという「形骸化」と常に隣り合わせで、「教育委員が決議したことを執行するのが教育委員会事務局である」という本来の趣旨が生かされる体制になっていないことに問題があったと思います。
今回の制度改革の契機となった大津市のいじめ事件にしても、教育委員にきちんと情報が伝えられていなかったことがそもそもの問題でした。
教育委員がその役割を果たすためには、限られた情報に基づいて感想や意見を述べるにとどまらず、議論の前提となる知識と理解と熟慮の機会が不可欠です。これは教育委員の個人的な努力だけでなく事務局のサポートが必要で、現場の先生方や組合、保護者、市民の役割もとても大きいと言えます。
子どもたちの学びを保障する学校をどう作っていくかという地域の大人の共同にこそ、教育委員は支えられるのではないかと思います。
◆ 「子ども中心」が欠落した教育「再生」
「形骸化」が問題ならば「活性化」が課題となるはずなのに、首長の権限を大きくして教育委員会の権限を抑える「改革」が強行されたのはなぜかと考えると、先生や子どもたちの顔が見えて、その状況を把握できる位置にいる教育委員会が合議で決定し、執行するという、教育委員会の本来の役割とその可能性こそが問題とされたのではないかと私は思います。
戦後の教育改革の原点を振り返るならば、教育は中央統制から守られ、地方政治の直接の圧力からも自由に、子どもの成長発達のために組織されるべきものとして出発しました。
子どもの「教育を受ける権利」を実現することが基本で、国家のために子どもを育てるのではありません。
安倍内閣の教育「再生」は、国家を国民の上におく復古的な国家主義と、競争と自己責任という新自由主義の両面をもっていますが、そこに欠落しているのは「子どもが中心」という発想です。
◆ 地教行法「改正法」の問題
「地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律」(「改正法」と略記)が6月13日に参議院で可決・成立し、同20日に公布されました。施行は来年の4月1日です。
この改正の目的のひとつに「政治的中立性、継続性・安定性の確保」が挙げられていますが、戦後の教育改革の原点に照らして特徴的なのは「自立性」ということが抜け落ちていることです。
「一般行政からの独立」も首長の権限強化によって崩され、「中央統制からの自立」も「地方に対する国の関与の見直し」という文言で、国の関与の強化が目指されています。
「政治的中立性」は、基本的には誰が中立を判定するのかという問題があり、論争的な話題の排除をもたらし、さらには、憲法9条を語ることが「偏向」と言われる事態をも生み出していることは周知の通りです。
「改正法」では、首長が「大綱」を定めることとされており、その策定と変更には「総合教育会議」で教育委員会と協議を行うことになっています。両者は対等とされていますが、首長が会議を招集し、協議題を設定するとなれば、やはり首長が優位と言えます。教育委員会は協議題に「合意しない」ということが可能とされてはいますが、それがどの程度実効性を持つものとなるかも未知数です。
教科書採択や教育課程の編成、教職員の人事などは教育委員会の権限ですが、その「方針」を「総合教育会議」で協議することは可能であり、その協議を介して首長が教育内容行政にこれまで以上に関与してくることも当然予想されます。
中教審答申に教育委員会廃止のA案と存置のB案が併記されたというのも異例なら、与党協議でそれが大幅に修正されたのも異例のことでした。
総合教育会議の公開を求め、傍聴に行くことや、その議事録の公表を求めることなど、総合教育会議がどのようなものとして機能していくかを左右するものとして、市民の力は大きいと思います。
その意味では、教育委員会がその本来の役割を今まで以上にはたせるようにすることが、私たちの具体的な目標となるのではないでしょうか。教育委員会は何よりも子どもの教育のために組織されているということがその原点だと思います。
参考資料:民研パンフレットNo.2『子どもと学校、地域のための教育委員会制度とは』民主教育研究所、2014年、100円(なかむらまさこ)
『子どもと教科書全国ネット21ニュース』97号(2014.8)
~国立市の教育委員の経験から~
中村雅子(桜美林大学)
◆ 教育委員の役割
国立市は人口約74,000人の比較的小規模の市で、市立の学校は小学校8校、中学校3校です。二人の子どもはもう成人しましたが、私はPTA活動に14年間関わってきました。
当時、国立ではPTA連合会(P連)の活動が活発で、毎年、学校施設・設備の改善、修学旅行等の保護者負担の軽減等の要求をまとめて教育委員会への要望書を出し、教育長との交渉もしていました。P連委員2名が教育委員会定例会を毎回傍聴してP連の会議で報告するなど、教育委員会は身近なものとして意識されていたと思います。
私は「保護者」「教育関係者」「文化・スポーツ関係者」「学識経験者」という当時の四つの枠のうちの「学識経験者」として選任され、2007年12月から4年間、教育委員をつとめました。
非常勤とは言え、「教育委員である」ことの重みは常に感じていました。合議の議決機関としての「教育委員の会議」への出席が委員の仕事の中心です。
教育委員会はこの会議を指す場合と、教育長が統括する事務局を指す場合と、その総体を指す場合があり、それが曖昧であることも多いと感じます。
定例会は国立では月に一度で、1週間前に議案とその資料、要望書、陳情書などが届きます。
定例会では、教育長報告について質問し、意見を述べ、議案や陳情書については議論を経て採決をしますが、議論をして合意を形成することが大切にされていたと思います。議決を要しない要望書についても、必ず議論するようにしていました。
PTA関係者、市議会議員、さまざまな市民運動の組織や個人など、傍聴者が毎回10人以上はいたので、議論にはかなりの緊張感がありました。
年に1回の学校訪問も大事な仕事でした。教育委員、教育長、学校指導課長、指導主事2名で訪問し、校長の学校概要説明、授業参観、給食、研究授業、研究協議会と、9時から4時半頃まで学校にいました。学校設備や授業の実際の様子がわかる貴重な機会でしたが、全部で11校という市の規模だったからこそ可能だったとも言えます。
2010年夏(小学校)と2011年夏(中学校)には教科書の採択をしました。公開期間中に通勤途上で公民館に寄ったり、教育長室に通ったり、中学校教科書は部数に余裕があったので自宅に届けてもらったりもして、とにかく二ヶ月の間に採択候補教科書は全部読みました。
学校長や指導主事で構成される「教科用図書審議会」の報告書が具体的に理解できるようにと自分なりに位置づけて取り組みましたが、現場の先生たちが十分議論を尽くして「順位をつけて推薦する」ものに基づいて決めるのがやはり一番いいのではないかというのが、教科書採択を経験しての実感です。
それは、どんなに頑張って読んだとしても、私は小学校や中学校で授業をしていないからです。
他には卒業式や入学式で告辞を読み、成人式に出席し、各種行事(展覧会、運動会、学芸会、音楽会、中学校の合唱コンクール)にも招待されました。教育委員の連合組織の研修会などもありました。
◆ 教育委員会制度の問題
現行の教育委員会は事務局が提起する案件の追認機関になるという「形骸化」と常に隣り合わせで、「教育委員が決議したことを執行するのが教育委員会事務局である」という本来の趣旨が生かされる体制になっていないことに問題があったと思います。
今回の制度改革の契機となった大津市のいじめ事件にしても、教育委員にきちんと情報が伝えられていなかったことがそもそもの問題でした。
教育委員がその役割を果たすためには、限られた情報に基づいて感想や意見を述べるにとどまらず、議論の前提となる知識と理解と熟慮の機会が不可欠です。これは教育委員の個人的な努力だけでなく事務局のサポートが必要で、現場の先生方や組合、保護者、市民の役割もとても大きいと言えます。
子どもたちの学びを保障する学校をどう作っていくかという地域の大人の共同にこそ、教育委員は支えられるのではないかと思います。
◆ 「子ども中心」が欠落した教育「再生」
「形骸化」が問題ならば「活性化」が課題となるはずなのに、首長の権限を大きくして教育委員会の権限を抑える「改革」が強行されたのはなぜかと考えると、先生や子どもたちの顔が見えて、その状況を把握できる位置にいる教育委員会が合議で決定し、執行するという、教育委員会の本来の役割とその可能性こそが問題とされたのではないかと私は思います。
戦後の教育改革の原点を振り返るならば、教育は中央統制から守られ、地方政治の直接の圧力からも自由に、子どもの成長発達のために組織されるべきものとして出発しました。
子どもの「教育を受ける権利」を実現することが基本で、国家のために子どもを育てるのではありません。
安倍内閣の教育「再生」は、国家を国民の上におく復古的な国家主義と、競争と自己責任という新自由主義の両面をもっていますが、そこに欠落しているのは「子どもが中心」という発想です。
◆ 地教行法「改正法」の問題
「地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律」(「改正法」と略記)が6月13日に参議院で可決・成立し、同20日に公布されました。施行は来年の4月1日です。
この改正の目的のひとつに「政治的中立性、継続性・安定性の確保」が挙げられていますが、戦後の教育改革の原点に照らして特徴的なのは「自立性」ということが抜け落ちていることです。
「一般行政からの独立」も首長の権限強化によって崩され、「中央統制からの自立」も「地方に対する国の関与の見直し」という文言で、国の関与の強化が目指されています。
「政治的中立性」は、基本的には誰が中立を判定するのかという問題があり、論争的な話題の排除をもたらし、さらには、憲法9条を語ることが「偏向」と言われる事態をも生み出していることは周知の通りです。
「改正法」では、首長が「大綱」を定めることとされており、その策定と変更には「総合教育会議」で教育委員会と協議を行うことになっています。両者は対等とされていますが、首長が会議を招集し、協議題を設定するとなれば、やはり首長が優位と言えます。教育委員会は協議題に「合意しない」ということが可能とされてはいますが、それがどの程度実効性を持つものとなるかも未知数です。
教科書採択や教育課程の編成、教職員の人事などは教育委員会の権限ですが、その「方針」を「総合教育会議」で協議することは可能であり、その協議を介して首長が教育内容行政にこれまで以上に関与してくることも当然予想されます。
中教審答申に教育委員会廃止のA案と存置のB案が併記されたというのも異例なら、与党協議でそれが大幅に修正されたのも異例のことでした。
総合教育会議の公開を求め、傍聴に行くことや、その議事録の公表を求めることなど、総合教育会議がどのようなものとして機能していくかを左右するものとして、市民の力は大きいと思います。
その意味では、教育委員会がその本来の役割を今まで以上にはたせるようにすることが、私たちの具体的な目標となるのではないでしょうか。教育委員会は何よりも子どもの教育のために組織されているということがその原点だと思います。
参考資料:民研パンフレットNo.2『子どもと学校、地域のための教育委員会制度とは』民主教育研究所、2014年、100円(なかむらまさこ)
『子どもと教科書全国ネット21ニュース』97号(2014.8)
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