<板橋高校卒業式>君が代強制反対に刑事罰の非常識!?
☆☆ 憲法に忠実な判断を求めて、最高裁に上告!
『藤田の日記』 (「怨念」、「草木」)
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「秋の大沼」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
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2008/03/21(金) 怨念
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ボロ家から、次第々に良くなっていけば心に平安がある。 小学生の時の我が家はひどかった。 戦後直後である。 台風が来て住んでいたアパートの二階の角の部屋の土壁が崩れた。 穴が一杯開いて、家の前の道がよく見えた。 学生の時は、三畳間から四畳半に出世し最後は六畳間まで行った。 友人で邸宅に住んでいたのに何かがあって落ちぶれて行ったのは可哀相であった。 最初は貧しいに限る。
1945年の敗戦から1989年の頃まで40年余右肩上がりであった。 それ故に、その後が悲惨である。 給料が下がるということはそれまで想像もしなかった。 春闘でどんどん上がったのだ。 ある日突然解雇されるとは・・・。 思えば想像力の欠如であった。 いつまでも右肩上がりが続くわけないではないかと今にして思う。 就職氷河期が襲来する。 人心が荒廃して行く。 富める者と持たざる者との格差が激化する。 皆がボロを纏っている時には、ボロは一向に気にならないが・・・。
今日、NHKのニュース司会者二人、男と女がお互いゴルフが趣味だと言いあっていた。
高校生でプロに転向した選手のニュースに関連してである。 庶民から一律に給与の原資を収奪している職員がゴルフが趣味とはまことに良い身分ではないか。 ゴルフ如きは当たり前のことと思う職場環境の中にいるから、平然と語るのであろうが、次の瞬間、経済的貧窮故の悲惨なニュースをその口で語るのである。 どうなっているんだ。 お前が言うな! と言いたくなるのは心が捻じ曲がってしまったからか。
昔のクラスの仲間が集ったことがあった。 元銀行員が一人に聞いた。 「ゴルフは?」と。 その言われた男が答えた。 「運転して、ゴルフ場まで行ったことはあるよ」と。 会話はそこで途切れた。 ルサンチマンの暗雲が社会に垂れ込み始めている。 (5,5、記)
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2008/03/22(土) 草木
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心を波立たせないであらゆる事象に対峙する。 感情抜きで冷静に判断していく。 簡単なようでまことに難しい。
何かに囚われていたり、些かでも欲望のごときものがあると判断を間違う。 利害得失を離れて初めて世の事象の総体を遠くから俯瞰しうる。 離れた地点から山を見て、それから山に入る。 遠くにいるだけではどうしようもないが、立ち入っての判断はこれも至難である。 こんなことを思うのも年とったせいであろう。 最後は、散々に夢想したあの世に立ち入ることになるがそれも又楽しみというか怖ろしいというか・・・ 言うなれば一本の樹になるということ、枝を折られても幹を切られても一切の悲鳴を上げることもない。 生きてるうちは厳然として生き続けている。
情報はフィルターを掛けてしまうと歪んでしまう。 冷徹に事実だけを拾っていかないととんでもない判断に至ってしまう。 多くの青年がラジカルな判断でその道を間違い悲惨な運命の中にわが身を殺してしまった例は数限りない。
よど号に搭乗した青年達のその意に反した履歴を思うに暗澹たるものがある。 南労党の自己犠牲の必死の努力は北の地で花開くどころか粛清されることによって悲惨な最期を迎える。 痛ましいことこのうえない。 権力、独裁、人間の本質をまず徹底的に分析した上で状況を判断しなければならない。 しかし失敗したり酷い目に合って初めて気づくのだから困ったものだ。 この世はつくづく怖ろしい。
☆☆ 憲法に忠実な判断を求めて、最高裁に上告!
『藤田の日記』 (「怨念」、「草木」)
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「秋の大沼」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
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2008/03/21(金) 怨念
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ボロ家から、次第々に良くなっていけば心に平安がある。 小学生の時の我が家はひどかった。 戦後直後である。 台風が来て住んでいたアパートの二階の角の部屋の土壁が崩れた。 穴が一杯開いて、家の前の道がよく見えた。 学生の時は、三畳間から四畳半に出世し最後は六畳間まで行った。 友人で邸宅に住んでいたのに何かがあって落ちぶれて行ったのは可哀相であった。 最初は貧しいに限る。
1945年の敗戦から1989年の頃まで40年余右肩上がりであった。 それ故に、その後が悲惨である。 給料が下がるということはそれまで想像もしなかった。 春闘でどんどん上がったのだ。 ある日突然解雇されるとは・・・。 思えば想像力の欠如であった。 いつまでも右肩上がりが続くわけないではないかと今にして思う。 就職氷河期が襲来する。 人心が荒廃して行く。 富める者と持たざる者との格差が激化する。 皆がボロを纏っている時には、ボロは一向に気にならないが・・・。
今日、NHKのニュース司会者二人、男と女がお互いゴルフが趣味だと言いあっていた。
高校生でプロに転向した選手のニュースに関連してである。 庶民から一律に給与の原資を収奪している職員がゴルフが趣味とはまことに良い身分ではないか。 ゴルフ如きは当たり前のことと思う職場環境の中にいるから、平然と語るのであろうが、次の瞬間、経済的貧窮故の悲惨なニュースをその口で語るのである。 どうなっているんだ。 お前が言うな! と言いたくなるのは心が捻じ曲がってしまったからか。
昔のクラスの仲間が集ったことがあった。 元銀行員が一人に聞いた。 「ゴルフは?」と。 その言われた男が答えた。 「運転して、ゴルフ場まで行ったことはあるよ」と。 会話はそこで途切れた。 ルサンチマンの暗雲が社会に垂れ込み始めている。 (5,5、記)
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2008/03/22(土) 草木
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心を波立たせないであらゆる事象に対峙する。 感情抜きで冷静に判断していく。 簡単なようでまことに難しい。
何かに囚われていたり、些かでも欲望のごときものがあると判断を間違う。 利害得失を離れて初めて世の事象の総体を遠くから俯瞰しうる。 離れた地点から山を見て、それから山に入る。 遠くにいるだけではどうしようもないが、立ち入っての判断はこれも至難である。 こんなことを思うのも年とったせいであろう。 最後は、散々に夢想したあの世に立ち入ることになるがそれも又楽しみというか怖ろしいというか・・・ 言うなれば一本の樹になるということ、枝を折られても幹を切られても一切の悲鳴を上げることもない。 生きてるうちは厳然として生き続けている。
情報はフィルターを掛けてしまうと歪んでしまう。 冷徹に事実だけを拾っていかないととんでもない判断に至ってしまう。 多くの青年がラジカルな判断でその道を間違い悲惨な運命の中にわが身を殺してしまった例は数限りない。
よど号に搭乗した青年達のその意に反した履歴を思うに暗澹たるものがある。 南労党の自己犠牲の必死の努力は北の地で花開くどころか粛清されることによって悲惨な最期を迎える。 痛ましいことこのうえない。 権力、独裁、人間の本質をまず徹底的に分析した上で状況を判断しなければならない。 しかし失敗したり酷い目に合って初めて気づくのだから困ったものだ。 この世はつくづく怖ろしい。
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