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【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
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東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
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対米従属で「世界征服」を夢想するデマゴギー政治家安倍首相を倒そう!
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2016年度の卒業式が終わりました。
今年度の卒業式は、安倍政権が新たに、国立大学にまで「君が代」斉唱を押し付けてきた中で行われました。
しかし今年度も、25日までに分かったところでは、▲ 東京都では3人の不起立者(うち一人は式場に入らず)が出ました。
複数回不起立の方もいましたが、いずれも<戒告>処分でした。
▲ 大阪府でも不起立者が出ているという事です。
これらの無名の方々こそ、多くを語らなくとも、身を挺して安倍政権の戦争政策に反対している方々なのだと思います。
また今年度の卒業式では、多くの方々がビラまきに参加されました。
東京では、私たちがつかんでいる限りでは、
54+αの都立高校、5つの小学校、4つの特別支援学校、でビラがまかれました。
また、板橋地域の「九条の会」の方々も独自にビラまきを始めました。
学校や警察の対応の特徴ですが、「18歳選挙権」もあるのか、特定の学校を除き、全体的には規制・妨害は少なくなって来たようです。
(でもビラまき参加者の多くは嫌がらせをされています。)
そうした中で、都の教育委員だった乙武洋匡氏が不倫をしていたことが明らかになりました。
「日の丸・君が代」を強制し、「道徳」を強調する都教委がこの始末です。
彼は月たった2回の会議で、約40万円もの金をもらっていたのです。
処分覚悟で不起立している方々と比べれば、なんと恥知らずでしょうか。
都教委はこの責任をどうとるのでしょうか。
以下に、根津公子さんからの卒業式ビラまきの報告を紹介します。
ここには「日・君」強制に反対している人々の考えや気持ち、また障がい者と保護者たちが置かれている状況、などが述べられています。
少し長くなりますが、是非お読みください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
根津公子です。
あきる野学園卒業式・ひとり敷地外からの参列の報告です。
後半以降に「保護者の皆さま」としたチラシを貼り付けます。
23日は私が定年退職の年に担任した生徒たちの、高等部の卒業式だった。
卒業式に参列したいと校長に申し出ようと、1度は3月初めに出勤時の職員にチラシまきをした際に、「敷地に入るな。チラシを撒くな」と言いに来た副校長を名乗る人に話をした。
校長から返事が来ないので、18日に学校に電話を入れたが、居留守なのか事実なのか、「接客中」との経営企画室職員の対応。
対応した職員に、校長が直接返事をくれるよう頼み、私の連絡先を伝えたが、校長は無視した。
23日7時半少し前に校門前着。
3本の旗はすでに揚げられていて、校門前には「学校長の許可がない者の敷地内への立ち入りを禁止します。」と書いたボードを置いていた。
玄関入り口には「ゴミ箱」と書いた大きなプラスチック容器が置いてあった。
出勤してきた職員にチラシを手渡した。
「保護者の皆さま」宛ての手紙というかチラシというかを。
退職から5年が経ち、私が知った職員は1割くらいか。
でも、その後に着任した人たちも「お疲れ様です」「ありがとうございます」と言葉をかけて受け取ってくれる人が多い。
7割がたが受け取ってくれる。今どきの東京の学校では、珍しいのではないかと思う。
7時44分、2人の男が玄関から出て私の前に立ち、「チラシを撒かないでください。敷地に入らないでください。」と言った。
「あなたはどなたですか。何の権限で言われますか」と聞くと、「副校長です」。
普段も時々私がここでチラシまきをする時に、都教委のマニュアル通りにこの言辞を発しに来るいつもの2人だ。
「私は校長にお願いがあるので、あとで敷地内に入らせていただきます」と告げると、この副校長、「式への参列の件ですか」と来た。
「あなたはなぜ、そう言うのですか」と聞くと、「事前に案内を差し上げた方以外の参列は認めません。」
「私は校長に直接話します」と言うと、「私は校長の代理です」と言う。
2人が玄関に向かって歩き出した後ろ姿に2度、「後ほど伺います」と言うと、180度向きを変えて「困ります」だったか。
8時20分頃から通学バスが入ってきた。
私が担任した生徒(Aさん)と私は互いの姿に気づき、両手を振り合った。
この生徒は、いつもはとても恥ずかしがりやなのに、この時はうれしさからの思わずの動作だったのだと思う。
8時半ころからは保護者に手渡した。
Aさんのご両親に手渡し、「今回も式場には入れてもらえないので、体育館の横でお祝いしますね。」と告げた。
式開始時刻の9時40分、10メートル先の体育館横に行くと、すでに「君が代」は終わり、校歌になっていた。
歌声はよく聞こえてきたが、次のプログラムからは全く聞こえず。
13時30分から卒業生の見送りをするというので、少し前から校門前で待っていると、Aさんのお母さんが私のところにやってこられ、私にこれまでのお礼をおっしゃってくださり、プレゼントまでくださった。
予めプレゼントを用意されていたのだった。
感激し、ありがたさに胸いっぱい。
しばらくして、卒業生見送り。
Aさんら卒業生4人を拍手で送ることに、私も校門外から参加した。
他の保護者・生徒ともここまで成長し卒業となったことをお祝いして言葉を交わした。
私と生徒・保護者との心の触れ合いにまで、校長・都教委は踏み込めないのだ。
その風景を目にした校長・副校長たちは、どう感じたのだろうか。
■ チラシです。
保護者の皆さま
お子様のご卒業、おめでとうございます
本日お子様がご卒業を迎えられたことに、心からお祝いを申し上げます。
皆さまの中にはお子様の命の危険にご心労を重ねてこられた方もいらっしゃると思います。
そうしたことを経て成長されたお子様の姿には、とりわけ感慨ひとしおのことと存じます。
さて、卒業式には「日の丸」が掲揚され、式の初めには「国歌斉唱」が行われます。
それは当然のこと、と思われる方は多くいらっしゃると思いますが、これ以降をお読みいただければありがたいです。
東京都教育委員会は2003年10月に一片の通達を出し、「『君が代』斉唱時に起立せよ」との職務命令を校長に出させ、起立をしない教員を処分することを始めました。
この12年間で、東京の教員延べ474人が処分をされました。
私は5年前にここ、あきる野学園を退職するまで、「君が代」斉唱の際、起立をしなかったことにより2004年度から毎年処分をされ、2007年度からは停職6か月処分を受けました。
4年前まであきる野学園に在職した田中聡史さんもこの5年間、ずっと処分を受け続けています。
東京の、そして4年前からの大阪の、このような処分は、全国的に見れば突出しています。
世界的に見ても、近代・民主主義国家でその例はありません。
では、なぜ、私は起立の職務命令に従わなかったのかを述べます。
「日の丸・君が代」は戦前・戦中の学校教育で戦意高揚のために使われ、「お国のために命をささげる」子どもをつくってしまいました。
戦後の教育はその反省から出発し、「日の丸」掲揚は文部省が禁止し、また「君が代」は禁止とはなりませんでしたが、ほとんどの学校が止めました。
教員たちも、国の命令に黙って従ってきたことを反省し、日常の教育活動も卒業式をはじめとする学校行事も、子どもたちの意見を聞き、各学校の職員会議で丁寧に論議し決定して行なってきました。
しかし、国は教育の柱に「愛国心」、「日の丸・君が代」を置くように徐々に変わっていきました。
東京では上記通達をもって、「卒業式の主催者は東京都教育委員会」だとして、「国旗に正対し、国歌を起立して斉唱する」ことを卒業式の最大の狙いとし、職務命令と処分を始めました。
式に厳粛さを求め、子どもたちの卒業制作を飾り、気持ちを表現するなどの、それまで行ってきた温かな式を禁止しました。
子どもよりも国旗国歌を主人公にした卒業式には違和感を禁じえませんでした。
私は、「日の丸・君が代」の歴史や意味を教えずに、国旗国歌の尊重を、体を通して教え込むことは、教育に反する行為であり、戦前・戦中の誤った教育の轍を踏むことだと考えます。
「日の丸・君が代」をめぐっては、国民の間で意見が分かれます。
そうした問題について学校教育が、「国旗国歌を尊重せよ」と一方の価値観を教え込むことは、してはならないことだと思います。
人々がいろいろな考え方・価値観を持つことを日本国憲法は保障しています。
子どもたちにも当然保障しています。
私は子どもたちにそのことを折に触れ、伝えたいと思ってきました。
自分の思いを意思表示する。よく考えて間違いだと思うことには手を貸さない。
正しいと思うことは一人でも行動する。
人と違っていいのだということを自身の日常の行動で伝えたいと思い、子どもたちと接してきました。
子どもたちには指示に従順になるのではなく、自分の頭でよく考え、自分の考え(思いや要求)を主張できる人になってほしいと思います。
このことは、人が生きる上で大事なことだと私は思うのです。
「競争に勝てないのは自己責任」と言い、福祉予算を削り軍事費に回し「戦争する国」に向かう政治にあって、私はいっそうこのように思います。
戦争中、障がいを持った人たちが「穀つぶし」と言われ、足手まといとされて飢え死にし、あるいは見捨てられ命を奪われていったことは、ナチスドイツだけでなく日本でも多々起きたことでした。
日本の障がい者運動をリードしてきた藤井克徳さん(視覚障がいがあり、日本障害者協議会の代表を務める)は「障がい者がすべての前触れになる」と言います。
「世の中の“空気”が変わった時に真っ先に切り捨てられる、生きている価値がないとして『価値付け』の対象になってしまう、そういう『変化』が一番早く押し寄せるのは障がい者なのだ。
『平和じゃないと生きられない』ということを、先鋭的に肌身に感じているのが他ならぬ障がい者たち自身だ」
と言います(NHK Eテレ「シリーズ・戦後70年」より)。
私は本日卒業するA高等部の生徒たちが中学部1年生のときに担当したので、生徒たちとの思い出がたくさんあります。
卒業式に参列しお祝いしたいと思い、校長に申し出たのですが、返事をもらえません。卒業を祝うことよりも、「君が代」起立こそが大事ということなのでしょう。
校長の対応にとても悲しい気持ちです。
保護者の皆さま、「ご卒業、おめでとうございます。自分の気持ちを大事にし、誇りを持って生きていってください」と、どうぞお子様にお伝えください。
皆様のご健康とご多幸を心よりお祈りいたします。
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★ 『卒業式ビラまき報告集会』(実行委員会主催)のお知らせ
<日時>2016年4月30日(土)18:30~21:00
<場所>阿佐ヶ谷地域区民センター、第五集会室
<内容>・卒業式ビラまきの特徴と教訓について
・今後の運動の発展について
<資料代>300円
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「都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス
http://houinet.blogspot.jp/
「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ
http://homepage3.nifty.com/hinokimi/
「ひのきみ全国ネット」のウェブサイト
http://hinokimi.web.fc2.com/
【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
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東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
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対米従属で「世界征服」を夢想するデマゴギー政治家安倍首相を倒そう!
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2016年度の卒業式が終わりました。
今年度の卒業式は、安倍政権が新たに、国立大学にまで「君が代」斉唱を押し付けてきた中で行われました。
しかし今年度も、25日までに分かったところでは、▲ 東京都では3人の不起立者(うち一人は式場に入らず)が出ました。
複数回不起立の方もいましたが、いずれも<戒告>処分でした。
▲ 大阪府でも不起立者が出ているという事です。
これらの無名の方々こそ、多くを語らなくとも、身を挺して安倍政権の戦争政策に反対している方々なのだと思います。
また今年度の卒業式では、多くの方々がビラまきに参加されました。
東京では、私たちがつかんでいる限りでは、
54+αの都立高校、5つの小学校、4つの特別支援学校、でビラがまかれました。
また、板橋地域の「九条の会」の方々も独自にビラまきを始めました。
学校や警察の対応の特徴ですが、「18歳選挙権」もあるのか、特定の学校を除き、全体的には規制・妨害は少なくなって来たようです。
(でもビラまき参加者の多くは嫌がらせをされています。)
そうした中で、都の教育委員だった乙武洋匡氏が不倫をしていたことが明らかになりました。
「日の丸・君が代」を強制し、「道徳」を強調する都教委がこの始末です。
彼は月たった2回の会議で、約40万円もの金をもらっていたのです。
処分覚悟で不起立している方々と比べれば、なんと恥知らずでしょうか。
都教委はこの責任をどうとるのでしょうか。
以下に、根津公子さんからの卒業式ビラまきの報告を紹介します。
ここには「日・君」強制に反対している人々の考えや気持ち、また障がい者と保護者たちが置かれている状況、などが述べられています。
少し長くなりますが、是非お読みください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
根津公子です。
あきる野学園卒業式・ひとり敷地外からの参列の報告です。
後半以降に「保護者の皆さま」としたチラシを貼り付けます。
23日は私が定年退職の年に担任した生徒たちの、高等部の卒業式だった。
卒業式に参列したいと校長に申し出ようと、1度は3月初めに出勤時の職員にチラシまきをした際に、「敷地に入るな。チラシを撒くな」と言いに来た副校長を名乗る人に話をした。
校長から返事が来ないので、18日に学校に電話を入れたが、居留守なのか事実なのか、「接客中」との経営企画室職員の対応。
対応した職員に、校長が直接返事をくれるよう頼み、私の連絡先を伝えたが、校長は無視した。
23日7時半少し前に校門前着。
3本の旗はすでに揚げられていて、校門前には「学校長の許可がない者の敷地内への立ち入りを禁止します。」と書いたボードを置いていた。
玄関入り口には「ゴミ箱」と書いた大きなプラスチック容器が置いてあった。
出勤してきた職員にチラシを手渡した。
「保護者の皆さま」宛ての手紙というかチラシというかを。
退職から5年が経ち、私が知った職員は1割くらいか。
でも、その後に着任した人たちも「お疲れ様です」「ありがとうございます」と言葉をかけて受け取ってくれる人が多い。
7割がたが受け取ってくれる。今どきの東京の学校では、珍しいのではないかと思う。
7時44分、2人の男が玄関から出て私の前に立ち、「チラシを撒かないでください。敷地に入らないでください。」と言った。
「あなたはどなたですか。何の権限で言われますか」と聞くと、「副校長です」。
普段も時々私がここでチラシまきをする時に、都教委のマニュアル通りにこの言辞を発しに来るいつもの2人だ。
「私は校長にお願いがあるので、あとで敷地内に入らせていただきます」と告げると、この副校長、「式への参列の件ですか」と来た。
「あなたはなぜ、そう言うのですか」と聞くと、「事前に案内を差し上げた方以外の参列は認めません。」
「私は校長に直接話します」と言うと、「私は校長の代理です」と言う。
2人が玄関に向かって歩き出した後ろ姿に2度、「後ほど伺います」と言うと、180度向きを変えて「困ります」だったか。
8時20分頃から通学バスが入ってきた。
私が担任した生徒(Aさん)と私は互いの姿に気づき、両手を振り合った。
この生徒は、いつもはとても恥ずかしがりやなのに、この時はうれしさからの思わずの動作だったのだと思う。
8時半ころからは保護者に手渡した。
Aさんのご両親に手渡し、「今回も式場には入れてもらえないので、体育館の横でお祝いしますね。」と告げた。
式開始時刻の9時40分、10メートル先の体育館横に行くと、すでに「君が代」は終わり、校歌になっていた。
歌声はよく聞こえてきたが、次のプログラムからは全く聞こえず。
13時30分から卒業生の見送りをするというので、少し前から校門前で待っていると、Aさんのお母さんが私のところにやってこられ、私にこれまでのお礼をおっしゃってくださり、プレゼントまでくださった。
予めプレゼントを用意されていたのだった。
感激し、ありがたさに胸いっぱい。
しばらくして、卒業生見送り。
Aさんら卒業生4人を拍手で送ることに、私も校門外から参加した。
他の保護者・生徒ともここまで成長し卒業となったことをお祝いして言葉を交わした。
私と生徒・保護者との心の触れ合いにまで、校長・都教委は踏み込めないのだ。
その風景を目にした校長・副校長たちは、どう感じたのだろうか。
■ チラシです。
保護者の皆さま
お子様のご卒業、おめでとうございます
本日お子様がご卒業を迎えられたことに、心からお祝いを申し上げます。
皆さまの中にはお子様の命の危険にご心労を重ねてこられた方もいらっしゃると思います。
そうしたことを経て成長されたお子様の姿には、とりわけ感慨ひとしおのことと存じます。
さて、卒業式には「日の丸」が掲揚され、式の初めには「国歌斉唱」が行われます。
それは当然のこと、と思われる方は多くいらっしゃると思いますが、これ以降をお読みいただければありがたいです。
東京都教育委員会は2003年10月に一片の通達を出し、「『君が代』斉唱時に起立せよ」との職務命令を校長に出させ、起立をしない教員を処分することを始めました。
この12年間で、東京の教員延べ474人が処分をされました。
私は5年前にここ、あきる野学園を退職するまで、「君が代」斉唱の際、起立をしなかったことにより2004年度から毎年処分をされ、2007年度からは停職6か月処分を受けました。
4年前まであきる野学園に在職した田中聡史さんもこの5年間、ずっと処分を受け続けています。
東京の、そして4年前からの大阪の、このような処分は、全国的に見れば突出しています。
世界的に見ても、近代・民主主義国家でその例はありません。
では、なぜ、私は起立の職務命令に従わなかったのかを述べます。
「日の丸・君が代」は戦前・戦中の学校教育で戦意高揚のために使われ、「お国のために命をささげる」子どもをつくってしまいました。
戦後の教育はその反省から出発し、「日の丸」掲揚は文部省が禁止し、また「君が代」は禁止とはなりませんでしたが、ほとんどの学校が止めました。
教員たちも、国の命令に黙って従ってきたことを反省し、日常の教育活動も卒業式をはじめとする学校行事も、子どもたちの意見を聞き、各学校の職員会議で丁寧に論議し決定して行なってきました。
しかし、国は教育の柱に「愛国心」、「日の丸・君が代」を置くように徐々に変わっていきました。
東京では上記通達をもって、「卒業式の主催者は東京都教育委員会」だとして、「国旗に正対し、国歌を起立して斉唱する」ことを卒業式の最大の狙いとし、職務命令と処分を始めました。
式に厳粛さを求め、子どもたちの卒業制作を飾り、気持ちを表現するなどの、それまで行ってきた温かな式を禁止しました。
子どもよりも国旗国歌を主人公にした卒業式には違和感を禁じえませんでした。
私は、「日の丸・君が代」の歴史や意味を教えずに、国旗国歌の尊重を、体を通して教え込むことは、教育に反する行為であり、戦前・戦中の誤った教育の轍を踏むことだと考えます。
「日の丸・君が代」をめぐっては、国民の間で意見が分かれます。
そうした問題について学校教育が、「国旗国歌を尊重せよ」と一方の価値観を教え込むことは、してはならないことだと思います。
人々がいろいろな考え方・価値観を持つことを日本国憲法は保障しています。
子どもたちにも当然保障しています。
私は子どもたちにそのことを折に触れ、伝えたいと思ってきました。
自分の思いを意思表示する。よく考えて間違いだと思うことには手を貸さない。
正しいと思うことは一人でも行動する。
人と違っていいのだということを自身の日常の行動で伝えたいと思い、子どもたちと接してきました。
子どもたちには指示に従順になるのではなく、自分の頭でよく考え、自分の考え(思いや要求)を主張できる人になってほしいと思います。
このことは、人が生きる上で大事なことだと私は思うのです。
「競争に勝てないのは自己責任」と言い、福祉予算を削り軍事費に回し「戦争する国」に向かう政治にあって、私はいっそうこのように思います。
戦争中、障がいを持った人たちが「穀つぶし」と言われ、足手まといとされて飢え死にし、あるいは見捨てられ命を奪われていったことは、ナチスドイツだけでなく日本でも多々起きたことでした。
日本の障がい者運動をリードしてきた藤井克徳さん(視覚障がいがあり、日本障害者協議会の代表を務める)は「障がい者がすべての前触れになる」と言います。
「世の中の“空気”が変わった時に真っ先に切り捨てられる、生きている価値がないとして『価値付け』の対象になってしまう、そういう『変化』が一番早く押し寄せるのは障がい者なのだ。
『平和じゃないと生きられない』ということを、先鋭的に肌身に感じているのが他ならぬ障がい者たち自身だ」
と言います(NHK Eテレ「シリーズ・戦後70年」より)。
私は本日卒業するA高等部の生徒たちが中学部1年生のときに担当したので、生徒たちとの思い出がたくさんあります。
卒業式に参列しお祝いしたいと思い、校長に申し出たのですが、返事をもらえません。卒業を祝うことよりも、「君が代」起立こそが大事ということなのでしょう。
校長の対応にとても悲しい気持ちです。
保護者の皆さま、「ご卒業、おめでとうございます。自分の気持ちを大事にし、誇りを持って生きていってください」と、どうぞお子様にお伝えください。
皆様のご健康とご多幸を心よりお祈りいたします。
根津公子(2008~2010年度あきる野学園に在職)
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★ 『卒業式ビラまき報告集会』(実行委員会主催)のお知らせ
<日時>2016年4月30日(土)18:30~21:00
<場所>阿佐ヶ谷地域区民センター、第五集会室
<内容>・卒業式ビラまきの特徴と教訓について
・今後の運動の発展について
<資料代>300円
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「都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス
http://houinet.blogspot.jp/
「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ
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