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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

都教委糾弾ビラまき&35年ぶりの再会!

2009年06月28日 | 増田の部屋
 ◆ 都教委糾弾ビラまき & 35年ぶりの再会!

皆様
 おはようございます。犯罪都教委&3悪都議と断固、闘う増田です! これはBCCでお送りしています。重複・長文、ご容赦を。
 月末恒例の件名ビラまきを、30日(火)、午前8時~9時、都庁第二庁舎前で行います。朝早くて恐縮ですが、ご都合のつく方には、ご参加ご協力いただければありがたいです。ご都合のつかない方にも情報として知っていただければ嬉しいです。
 以下はビラ内容の一部です。
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 ● 「批判」と「誹謗」(都教委と同様) 区別ができない裁判官たち!?
 ☆増田都子教諭の不当な分限免職を撤回せよ!

 6月11日の「分限免職」撤回請求裁判において、東京地裁民事36部の渡邊弘(裁判長)ほか、三浦隆志、秋武幾代の裁判官は都教委の不義を正さず、都教委の言い分をコピーして貼り付けただけの反動判決を出しました。
 侵略否定妄言都議や扶桑社歴史教科書を「国際的に恥を晒すことでしかない歴史認識」「歴史偽造主義者達」「侵略の正当化教科書として歴史偽造で有名な扶桑社の歴史教科書」と中学生に批判して教えたりした「表現は、ことさらに特定の個人及び法人を取り上げて、客観性なく決め付けて、稚拙な表現で揶揄するものであり、特定のものを誹謗するものであることは明らかである」んだそうです。「だから免職は正当」と・・・
 都教委同様、「正当な批判」と「不当な誹謗」の違いという日本語を理解できない人物が3人も裁判官席に座っていたようです。彼らは、なぜ、大日本帝国による侵略否定の主張を「歴史偽造主義」と批判することが「誹謗」となるのか、何も書けていません。何ひとつ「客観性なく決め付けて、稚拙な表現で」判決文を書き、増田教諭が「学校では何一つ問題なく勤務していた」という事実を証言した良心ある校長の証言は全く無視。
 こんな超!? 不当判決は絶対に許せません。増田教諭は、控訴して、断固、闘います!
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*ビラ内容のほかに、ついでに!? 昨日の35年ぶりの再会のご報告!
 昨日は、杉並で「田母神作文、徹底批判」学習会に多くの方に熱心に参加いただき、充実したものになりました。その中で、とっても嬉しいことがありました。「先生、僕を覚えていますか?」と、比較的若メ!? の男性から声がかかりました。
 なんとなく、見覚えのある顔でしたが思い出せません。
 「んー・・・ごめん・・・名前が出てこない」
 「僕、四砂中で先生に教わりました」
 「えーーーーっ!?」

 私の駆け出し!? 時代、江東区立四砂中の教え子だったんです! 35年ぶりの再会!
 「こないだの社文の九条改憲阻止の会の集会で先生がアピールされて、どっかで見たぞと・・・。名前が変わっていたから(※四砂中時代は独身で旧姓)・・・でも、思い出して、それで、今日、ここに来たら会えると思って・・・Mです。」
 「そうだーっ!? M君だ、思い出した! いったい、何歳になるんだっけ?」
 「50歳になります」
 「そんなにーっ!? ま、私が59歳になるんだもんね」

 「先生が、ガリ版でプリントを作ってくれていたの覚えています」
 「そうだ、あの時代はガリ版だったんだよねー」

 なんて会話を交わし、彼は拙著『たたかう! 社会科教師』を買ってくれました。本当に好青年(ン?・・・好壮年?)になってくれていました! こんな嬉しい出来事もあり、人生、捨てたものじゃありませんね!

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