【11・28君が代訴訟上告審弁論から】
最高裁判所第一小法廷 御中
上告に当たり、本年5月31日付で陳述書を提出し、原判決についての私の考えや、裁判宮の皆様にお考えいただきたいことを述べました。弁論開催に当たって今回は、以下の3点について陳述します。
1.生徒の「思想及び良心の自由」「意見表明権」を奪う「君が代」不起立処分について
本年5月末から7月にかけて出された一連の「君が代」不起立事件に関する最高裁判決は、「日の丸・君が代」の強制は「思想及び良心の自由についての間接的な制約となる」と認め、しかし制約を合理化する論拠として、教育公務員であることを挙げています。
ということは、生徒や保護者には強制してはいけないということになります。この点について、6月6日付けの最高裁判決で金築裁判官は、「上告人らは、教職員であって、法令やそれに基づく職務命令に従って学校行事を含む教育活動に従事する義務を負っている者であることが、こうした制約を正当化し得る重要な要素になっているという点である。この点で児童・生徒に対し、不利益処分の制裁を持って起立斉唱行為を強制する場合とは、憲法上の評価において、基本的に異なると考えられる」と述べています。
これは、児童・生徒には強制していない、との現状認識からの意見だと思われますが、私は、この現状認識に誤りがあると思います。
「君が代」に否定的な考えを持つ、数の上では絶対的に少数である児童・生徒は、全教員が起立・斉唱をしていたら、自分の気持ちのままに起立・斉唱を拒否することはできません。全教職員の起立行為自体が、児童・生徒への無言の強制となるからです。それが子どもたちにとっての現実です。
10・23通達発出以降、教員たちの多くは、「日の丸・君が代」に否定的意見を持ちながらも、それを児童・生徒に話すことも自身の気持ちを偽らずに不起立を貫くこともしなくなってしまいましたが、それは児童・生徒にとっては、「日の丸・君が代」について知り考える機会が奪われることであり、「尊重せよ」「『君が代』起立斉唱せよ」と無言のうちに強制されることであり、「思想及び良心の自由」「意見表明権」が奪われることにほかなりません。
実質、児童・生徒にとっても、不利益処分の制裁となっていると言わざるを得ません。
5月31日付陳述書において私は、立川二中の、「君が代」に否定的な考えを持った生徒たちが、私にその気持ちを吐露したことを述べました。
両親から「日の丸・君が代」の歴史を聞いているから起立はしたくないという生徒や、ニュースで都教委の行っている処分を知り、おかしいと感じた生徒など、子どもたちは教員に話を聞いてほしいと思っています。
しかし、「日の丸・君が代」の話はせず、「君が代」起立をする教員たちに自分の気持ちは語りません。それは、繰り返しになりますが、教員の「君が代」起立が、無言の強制と生徒に映るからです。
そうした教員に生徒は話しはしないでしょうし、根津には話してもいいと思ったのでしょう。私は、少数の立場に置かれた子どもたちの声を聴き拾い、皆で考え合うことは大事な教育活動だと考え、全生徒が参加する授業の中でそれを行いました。自分の気持ちを話した生徒(クラスに0~3人でした)は、クラスの皆に話を聞いてもらえ、孤独感からは解放されたようですが、しかし、卒業式の、大勢の大人が見る中では怖くて起立せざるを得なかったそうです。
6月6日の最判で宮川裁判官が述べるように、「精神的自由権に関する問題を、一般人(多数者)の視点からのみ考えることは相当ではない」と、私も思います。ましてや、人権を学ぶはずの教育の場において、子どもたちの「精神的自由権に関する問題」が「一般人(多数者)の視点からのみ考え」られ、切り捨てられることはあってはならないことだと思います。
一審で当時立川二中の生徒であった側○さんは、その陳述書(甲193号証)及び法廷での証言で、「根津先生の不起立・停職中の校門前行動が「日の丸・君が代」を考える機会を与えてくれた」、「他の先生は「日の丸・君が代」について話してはくれなかった」と述べています。
裁判官の皆様には、生徒の声に耳を傾け、判断の材料にしていただきいと願います。
金築裁判官は上記意見に続けて、「教職員に対する職務命令に起因する対立であっても、これが教育環境の悪化を招くなどした場合には、児童・生徒も影響を受けざるを得ないであろう」といいますが、教員の沈黙・「君が代」起立が児童・生徒への強制となっているこの事態は、すでに「教育環境の悪化」が始まっているということだと思います。
なお、教育環境の悪化は、これにとどまらず、東京は精神疾患・ストレスによる病休・中途退職、新規採用教員の「辞職」、教員採用受験倍率のどれもが全国ワースト1、校長から主幹までの管理職希望者が常に足りない事態を招いています。
良心と信念をもって子どもたちの教育に当たりたい、体力の続く限り働きたいと思うのは、教員を希望してその職に就いた者としては当たり前のことです。しかし、「君が代」斉唱時に起立するかしないかは、生徒の面前で行わせられることですから、とりわけ教員たちは自身の良心と信念の狭間で悩みます。その結果が精神疾患などの上記の事態を招いていると思われます。
そもそも教育活動において校長が職務命令を発出する(させられる)事態が異常です。「正しい教育」と思えぱ、教員はいかなる協力も惜しみません。処分で教員を脅し、教育環境や教育活動を破壊する職務命令ゆえに、私は過酷な停職処分を受け、免職の不安に脅えながらも、職務命令に従うことはしなかったのです。
「教育環境の悪化」を食い止めるためには、最高裁に10・23通達による処分を違憲・違法としていただくことです。
2.「君が代」不起立処分以前にも、根津は「非違行為」を繰り返したから停職3月は当然であるということについて
私は子どもたちが事実を知り知識を身につけ、それを基に考え合い、自己の意見を形成することを心がけて教育活動に当たってきました。平和や人権の問題も積極的に取り上げてきました。「君が代」不起立処分以前に私が受けた処分は、どれもこうした教育活動や、それに派生したことに対する処分でした。
①八王子市立石川中で1994年3月の卒業式の朝、校長が揚げた「日の丸」を降ろして減給1月にされた件も、同様に教育活動にからむ処分でした。
石川中では平和・人権教育に力を入れており、また、私も「日の丸・君が代」の歴史や意味について授業で取り上げてきましたから、生徒たちはこれについて考える資料を持っていました。都教委答弁書(平成23年10月31日付)が言うような「一方的な内容の授業」を私はしていません。校長には授業に参加してほしいと要請しましたし、授業では「日の丸・君が代」を支持する人の発言も紹介し、いろいろな考えがあることを示しました。
いろいろな考えがあることを知る中で、自分の考えを形成していくことが大事と考えるからです。論争的主題をテーマとした授業では、私は常にそうした姿勢で、生徒たちに考える資料を提供してきました。
卒業式当日、始業時刻のかなり前に校長は職員会議の決定を無視し、私たち教員が説得をする中、また、その声を聞いた生徒たちが教室の窓を開け、「校長先生、日の丸揚げないで」と訴える中を、校長はポールに「日の丸」を揚げ、校舎の中に入ってしまいました。
校長の姿が校舎内に入ると、生徒たちは私に訴えました。
「根津先生、降ろして」「先生、降ろそうよ」と。
「正しいと思うことは一人でも勇気を持ってやりなさい」「いじめられている子を放っておくのはダメ。いじめを止めさせる勇気を持とう。一人の暴挙を許してはダメ」と、日頃言ってきた教員として私は、「そうだね。降ろすしかないね」と答え、「日の丸」を降ろし、校長室にいた校長に届けたのですが、校長はまたも、「日の丸」を揚げに走り、生徒の抗議の中を揚げました。
2回目の時は、登校時刻に近かったので、ほとんどの生徒が登校しており、校長を批判し抗議する声はすさまじいものでした。校庭に駆け寄ってきて抗議する生徒もかなりの数いましたが、校長はまたも無言のまま「日の丸」を揚げて、その揚を立ち去りました。
2回目も、私は降ろしました。
校長の対応に怒りを持った生徒の一人が、その「日の丸」を破いてしまいました。生徒たちは、年度末の25日の修了式の日まで、「先生、止めさせられない?」「ほかの学校に行かされない?」と私を心配してくれました。
校長の行為に納得のいかなかった生徒たちから、「校長先生は生徒が反対したのに聞いてもくれず、なぜ、日の丸を揚げたのですか」と問われて校長は、「文部省の命令に従うのが校長の職務だからです。生徒会が反対しても揚げます」と答えました。
校長自身が説明のつかないことを「校長職」の立場にとらわれ、行なったのですから、生徒を納得させることはできませんでした。当時は今と比べれば、教育委員会の校長への指示命令はずっと緩やかな時代でしたが、命令に従うことに頭が占領された校長は、生徒に教育とは程遠い「指導」をしてしまったのでした。
この校長は、「日の丸は体育館に揚げなければいけないのだけれど、体育館に揚げると手作りの、一生懸命やっている卒業式を破壊すると考えてポールにした」と、また、「これからは国歌斉唱ということも出てくる」と私たち職員に言いました。まだ、良心を捨てきれなかった人だったということだと思いますし、時代がそれを許したのです。
今では、それすら許されない時代に入りました。
この処分の件でも、生徒のほとんどが私に信頼を寄せてくれましたし、その生徒たちの話を通して保護者もまた、私を信頼してくれたことは、以前に述べたとおりです。
②「職員会議の決定を踏みにじった校長先生の行為を私は決して忘れはしない」と題した学級だより(1995年)、「自分の頭で考えることの大切さ」を考える授業に使った教材プリント(1999年)はともに訓告処分とされましたが、どちらも生徒たちにとってはどう生きるかを考えるのに適切なプリントだったと思っています。
後者のプリントは担当学年での授業に使ったものなので、この件で事情聴取という段階で、学年PTA役員(各クラス2名)をはじめかなりの保護者が校長や市教委に処分をしないよう要請してくれました。
授業を受けた生徒たちがこの授業の意味を感じたからこそ、保護者が動いてくれたのだと思います。また、生徒や保護者が日頃の私の教育実践に、一定の評価と信頼を寄せてくださっていたということだと思います。もしも、そうではなかったなら、保護者が動きはしなかったはずです。
③2002年に職務命令違反で減給3月処分を受けた発端は、「従軍慰安婦」問題を授業で取り上げたことでした。
多摩中に着任した1年目の3学期の1.5時間、従軍慰安婦にされた韓国人女性を訪ねた教材用ビデオ「李貴粉さんは語る」(アー二出版・中高生向け)を使っての授業で、生徒たちは初めて知る事実に驚きながらも、正面から考えようとしていました。
私に対し行われた*処分は、子どもたちが自分の頭で考え判断できるように事実は隠さず提示する、教育に反することや国家の価値観の教え込みには加担しない(止めるよう校長等に働きかける)、という教育活動の中でなされた処分です。
教育公務員として、「子どもの最善の利益」のために働いたという自負が私にはあります。子どもたちの声が、その証左です。それを、「非違行為の累積」「反省がない」として、都教委は私に累積加重処分を科し、免職を覚悟させてきたのです。
体罰やセクハラなど、誰が見ても非違行為と認識する行為と一緒にするのでは、ことの本質を見えなくさせます。
国が国家主義教育を進めようとするとき、橋下元知事率いる大阪維新の会のように、一気に枠を飛び越え行うのではなく、徐々に巧みにそれを行います。ですから注意深く見ないとその変化はわかりにくいものです。
私の教育活動に対する処分も、「国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と明記した1989年の指導要領の改訂以前にはあり得ないことでした。また、それぞれの校長が「決意」をするまではあり得ないことでした。
3.大阪維新の会「大阪府教育基本条例案」は10・23通達の行きつく先
条例案は、「大阪府における教育行政は、選挙を通じて民意を代表する議会及び首長と、教育委員会及び同委員会の管理下に置かれる学校組織が、法令に従ってともに役割を担い、協力し、補完し合うことによって初めて理想的に実現されうるものである。教育行政からあまりに政治が遠ざけられ、教育に民意が十分に反映されてこなかったという不均衡な役割を改善し、政治が適切に教育行政における役割を果たし、民の力が確実に教育行政に及ぼなければならない」と前文で謳い、「知事は…学校が実現すべき目標を設定する」「教育委員会は知事が設定した目標を実現するため、…指針を作成し、府立学校の校長に提示する」とし、首長に権限を集中させ、教職員の免職を当たり前のこととしました。
「君が代」不起立教員に対しての処分は「同一の職務に対する3回目の違反の標準的な分限処分は免職」としています。素案では「直ちに分限免職」としていたものです。
都教委は2004年の4~5月頃、校長たちに「不起立3回で免職」と言ったそうです。私は本件当時在職した立川二中の校長から、それを聞かされました。
校長は、自身が職務命令を発し、事故報告書をあげることで根津が免職になることに悩んでいて、度々私に言いました。また、河原井さんも校長から同じことを言われた、と聞いていますから、この発言は正確だと思います。
大阪の条例案のこの条項は、東京を参考にしたのでしょう。「教育とは2万%強制」「今の日本の政治に必要なのは独裁」と発言する橋下元知事の野心をそっくり盛り込んだ条例案です。これを通すことになったら、教育基本法や法令よりもこの基本条例が上位とされ、大阪の教育は東京以上に急速に破壊されていくことは火を見るより明らかです。
10・23通達が発出されてこの方、東京の教育が破壊されてきたことは、現場の教員の誰もが痛感しているところですが、一方で、大阪の同条例案に道を開くものであったと思います。このような願望を持つ首長は、近年、あちらこちらに出現しています。大阪の暴走を許さないためにも、最高裁は10・23通達の違憲・違法性を判断していただきたく要望します。
最高裁判所第一小法廷 御中
◎ 陳 述 書
上告人 根津公子(当時:立川市立立川第二中学校)
上告に当たり、本年5月31日付で陳述書を提出し、原判決についての私の考えや、裁判宮の皆様にお考えいただきたいことを述べました。弁論開催に当たって今回は、以下の3点について陳述します。
1.生徒の「思想及び良心の自由」「意見表明権」を奪う「君が代」不起立処分について
本年5月末から7月にかけて出された一連の「君が代」不起立事件に関する最高裁判決は、「日の丸・君が代」の強制は「思想及び良心の自由についての間接的な制約となる」と認め、しかし制約を合理化する論拠として、教育公務員であることを挙げています。
ということは、生徒や保護者には強制してはいけないということになります。この点について、6月6日付けの最高裁判決で金築裁判官は、「上告人らは、教職員であって、法令やそれに基づく職務命令に従って学校行事を含む教育活動に従事する義務を負っている者であることが、こうした制約を正当化し得る重要な要素になっているという点である。この点で児童・生徒に対し、不利益処分の制裁を持って起立斉唱行為を強制する場合とは、憲法上の評価において、基本的に異なると考えられる」と述べています。
これは、児童・生徒には強制していない、との現状認識からの意見だと思われますが、私は、この現状認識に誤りがあると思います。
「君が代」に否定的な考えを持つ、数の上では絶対的に少数である児童・生徒は、全教員が起立・斉唱をしていたら、自分の気持ちのままに起立・斉唱を拒否することはできません。全教職員の起立行為自体が、児童・生徒への無言の強制となるからです。それが子どもたちにとっての現実です。
10・23通達発出以降、教員たちの多くは、「日の丸・君が代」に否定的意見を持ちながらも、それを児童・生徒に話すことも自身の気持ちを偽らずに不起立を貫くこともしなくなってしまいましたが、それは児童・生徒にとっては、「日の丸・君が代」について知り考える機会が奪われることであり、「尊重せよ」「『君が代』起立斉唱せよ」と無言のうちに強制されることであり、「思想及び良心の自由」「意見表明権」が奪われることにほかなりません。
実質、児童・生徒にとっても、不利益処分の制裁となっていると言わざるを得ません。
5月31日付陳述書において私は、立川二中の、「君が代」に否定的な考えを持った生徒たちが、私にその気持ちを吐露したことを述べました。
両親から「日の丸・君が代」の歴史を聞いているから起立はしたくないという生徒や、ニュースで都教委の行っている処分を知り、おかしいと感じた生徒など、子どもたちは教員に話を聞いてほしいと思っています。
しかし、「日の丸・君が代」の話はせず、「君が代」起立をする教員たちに自分の気持ちは語りません。それは、繰り返しになりますが、教員の「君が代」起立が、無言の強制と生徒に映るからです。
そうした教員に生徒は話しはしないでしょうし、根津には話してもいいと思ったのでしょう。私は、少数の立場に置かれた子どもたちの声を聴き拾い、皆で考え合うことは大事な教育活動だと考え、全生徒が参加する授業の中でそれを行いました。自分の気持ちを話した生徒(クラスに0~3人でした)は、クラスの皆に話を聞いてもらえ、孤独感からは解放されたようですが、しかし、卒業式の、大勢の大人が見る中では怖くて起立せざるを得なかったそうです。
6月6日の最判で宮川裁判官が述べるように、「精神的自由権に関する問題を、一般人(多数者)の視点からのみ考えることは相当ではない」と、私も思います。ましてや、人権を学ぶはずの教育の場において、子どもたちの「精神的自由権に関する問題」が「一般人(多数者)の視点からのみ考え」られ、切り捨てられることはあってはならないことだと思います。
一審で当時立川二中の生徒であった側○さんは、その陳述書(甲193号証)及び法廷での証言で、「根津先生の不起立・停職中の校門前行動が「日の丸・君が代」を考える機会を与えてくれた」、「他の先生は「日の丸・君が代」について話してはくれなかった」と述べています。
裁判官の皆様には、生徒の声に耳を傾け、判断の材料にしていただきいと願います。
金築裁判官は上記意見に続けて、「教職員に対する職務命令に起因する対立であっても、これが教育環境の悪化を招くなどした場合には、児童・生徒も影響を受けざるを得ないであろう」といいますが、教員の沈黙・「君が代」起立が児童・生徒への強制となっているこの事態は、すでに「教育環境の悪化」が始まっているということだと思います。
なお、教育環境の悪化は、これにとどまらず、東京は精神疾患・ストレスによる病休・中途退職、新規採用教員の「辞職」、教員採用受験倍率のどれもが全国ワースト1、校長から主幹までの管理職希望者が常に足りない事態を招いています。
良心と信念をもって子どもたちの教育に当たりたい、体力の続く限り働きたいと思うのは、教員を希望してその職に就いた者としては当たり前のことです。しかし、「君が代」斉唱時に起立するかしないかは、生徒の面前で行わせられることですから、とりわけ教員たちは自身の良心と信念の狭間で悩みます。その結果が精神疾患などの上記の事態を招いていると思われます。
そもそも教育活動において校長が職務命令を発出する(させられる)事態が異常です。「正しい教育」と思えぱ、教員はいかなる協力も惜しみません。処分で教員を脅し、教育環境や教育活動を破壊する職務命令ゆえに、私は過酷な停職処分を受け、免職の不安に脅えながらも、職務命令に従うことはしなかったのです。
「教育環境の悪化」を食い止めるためには、最高裁に10・23通達による処分を違憲・違法としていただくことです。
2.「君が代」不起立処分以前にも、根津は「非違行為」を繰り返したから停職3月は当然であるということについて
私は子どもたちが事実を知り知識を身につけ、それを基に考え合い、自己の意見を形成することを心がけて教育活動に当たってきました。平和や人権の問題も積極的に取り上げてきました。「君が代」不起立処分以前に私が受けた処分は、どれもこうした教育活動や、それに派生したことに対する処分でした。
①八王子市立石川中で1994年3月の卒業式の朝、校長が揚げた「日の丸」を降ろして減給1月にされた件も、同様に教育活動にからむ処分でした。
石川中では平和・人権教育に力を入れており、また、私も「日の丸・君が代」の歴史や意味について授業で取り上げてきましたから、生徒たちはこれについて考える資料を持っていました。都教委答弁書(平成23年10月31日付)が言うような「一方的な内容の授業」を私はしていません。校長には授業に参加してほしいと要請しましたし、授業では「日の丸・君が代」を支持する人の発言も紹介し、いろいろな考えがあることを示しました。
いろいろな考えがあることを知る中で、自分の考えを形成していくことが大事と考えるからです。論争的主題をテーマとした授業では、私は常にそうした姿勢で、生徒たちに考える資料を提供してきました。
卒業式当日、始業時刻のかなり前に校長は職員会議の決定を無視し、私たち教員が説得をする中、また、その声を聞いた生徒たちが教室の窓を開け、「校長先生、日の丸揚げないで」と訴える中を、校長はポールに「日の丸」を揚げ、校舎の中に入ってしまいました。
校長の姿が校舎内に入ると、生徒たちは私に訴えました。
「根津先生、降ろして」「先生、降ろそうよ」と。
「正しいと思うことは一人でも勇気を持ってやりなさい」「いじめられている子を放っておくのはダメ。いじめを止めさせる勇気を持とう。一人の暴挙を許してはダメ」と、日頃言ってきた教員として私は、「そうだね。降ろすしかないね」と答え、「日の丸」を降ろし、校長室にいた校長に届けたのですが、校長はまたも、「日の丸」を揚げに走り、生徒の抗議の中を揚げました。
2回目の時は、登校時刻に近かったので、ほとんどの生徒が登校しており、校長を批判し抗議する声はすさまじいものでした。校庭に駆け寄ってきて抗議する生徒もかなりの数いましたが、校長はまたも無言のまま「日の丸」を揚げて、その揚を立ち去りました。
2回目も、私は降ろしました。
校長の対応に怒りを持った生徒の一人が、その「日の丸」を破いてしまいました。生徒たちは、年度末の25日の修了式の日まで、「先生、止めさせられない?」「ほかの学校に行かされない?」と私を心配してくれました。
校長の行為に納得のいかなかった生徒たちから、「校長先生は生徒が反対したのに聞いてもくれず、なぜ、日の丸を揚げたのですか」と問われて校長は、「文部省の命令に従うのが校長の職務だからです。生徒会が反対しても揚げます」と答えました。
校長自身が説明のつかないことを「校長職」の立場にとらわれ、行なったのですから、生徒を納得させることはできませんでした。当時は今と比べれば、教育委員会の校長への指示命令はずっと緩やかな時代でしたが、命令に従うことに頭が占領された校長は、生徒に教育とは程遠い「指導」をしてしまったのでした。
この校長は、「日の丸は体育館に揚げなければいけないのだけれど、体育館に揚げると手作りの、一生懸命やっている卒業式を破壊すると考えてポールにした」と、また、「これからは国歌斉唱ということも出てくる」と私たち職員に言いました。まだ、良心を捨てきれなかった人だったということだと思いますし、時代がそれを許したのです。
今では、それすら許されない時代に入りました。
この処分の件でも、生徒のほとんどが私に信頼を寄せてくれましたし、その生徒たちの話を通して保護者もまた、私を信頼してくれたことは、以前に述べたとおりです。
②「職員会議の決定を踏みにじった校長先生の行為を私は決して忘れはしない」と題した学級だより(1995年)、「自分の頭で考えることの大切さ」を考える授業に使った教材プリント(1999年)はともに訓告処分とされましたが、どちらも生徒たちにとってはどう生きるかを考えるのに適切なプリントだったと思っています。
後者のプリントは担当学年での授業に使ったものなので、この件で事情聴取という段階で、学年PTA役員(各クラス2名)をはじめかなりの保護者が校長や市教委に処分をしないよう要請してくれました。
授業を受けた生徒たちがこの授業の意味を感じたからこそ、保護者が動いてくれたのだと思います。また、生徒や保護者が日頃の私の教育実践に、一定の評価と信頼を寄せてくださっていたということだと思います。もしも、そうではなかったなら、保護者が動きはしなかったはずです。
③2002年に職務命令違反で減給3月処分を受けた発端は、「従軍慰安婦」問題を授業で取り上げたことでした。
多摩中に着任した1年目の3学期の1.5時間、従軍慰安婦にされた韓国人女性を訪ねた教材用ビデオ「李貴粉さんは語る」(アー二出版・中高生向け)を使っての授業で、生徒たちは初めて知る事実に驚きながらも、正面から考えようとしていました。
私に対し行われた*処分は、子どもたちが自分の頭で考え判断できるように事実は隠さず提示する、教育に反することや国家の価値観の教え込みには加担しない(止めるよう校長等に働きかける)、という教育活動の中でなされた処分です。
教育公務員として、「子どもの最善の利益」のために働いたという自負が私にはあります。子どもたちの声が、その証左です。それを、「非違行為の累積」「反省がない」として、都教委は私に累積加重処分を科し、免職を覚悟させてきたのです。
体罰やセクハラなど、誰が見ても非違行為と認識する行為と一緒にするのでは、ことの本質を見えなくさせます。
国が国家主義教育を進めようとするとき、橋下元知事率いる大阪維新の会のように、一気に枠を飛び越え行うのではなく、徐々に巧みにそれを行います。ですから注意深く見ないとその変化はわかりにくいものです。
私の教育活動に対する処分も、「国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と明記した1989年の指導要領の改訂以前にはあり得ないことでした。また、それぞれの校長が「決意」をするまではあり得ないことでした。
3.大阪維新の会「大阪府教育基本条例案」は10・23通達の行きつく先
条例案は、「大阪府における教育行政は、選挙を通じて民意を代表する議会及び首長と、教育委員会及び同委員会の管理下に置かれる学校組織が、法令に従ってともに役割を担い、協力し、補完し合うことによって初めて理想的に実現されうるものである。教育行政からあまりに政治が遠ざけられ、教育に民意が十分に反映されてこなかったという不均衡な役割を改善し、政治が適切に教育行政における役割を果たし、民の力が確実に教育行政に及ぼなければならない」と前文で謳い、「知事は…学校が実現すべき目標を設定する」「教育委員会は知事が設定した目標を実現するため、…指針を作成し、府立学校の校長に提示する」とし、首長に権限を集中させ、教職員の免職を当たり前のこととしました。
「君が代」不起立教員に対しての処分は「同一の職務に対する3回目の違反の標準的な分限処分は免職」としています。素案では「直ちに分限免職」としていたものです。
都教委は2004年の4~5月頃、校長たちに「不起立3回で免職」と言ったそうです。私は本件当時在職した立川二中の校長から、それを聞かされました。
校長は、自身が職務命令を発し、事故報告書をあげることで根津が免職になることに悩んでいて、度々私に言いました。また、河原井さんも校長から同じことを言われた、と聞いていますから、この発言は正確だと思います。
大阪の条例案のこの条項は、東京を参考にしたのでしょう。「教育とは2万%強制」「今の日本の政治に必要なのは独裁」と発言する橋下元知事の野心をそっくり盛り込んだ条例案です。これを通すことになったら、教育基本法や法令よりもこの基本条例が上位とされ、大阪の教育は東京以上に急速に破壊されていくことは火を見るより明らかです。
10・23通達が発出されてこの方、東京の教育が破壊されてきたことは、現場の教員の誰もが痛感しているところですが、一方で、大阪の同条例案に道を開くものであったと思います。このような願望を持つ首長は、近年、あちらこちらに出現しています。大阪の暴走を許さないためにも、最高裁は10・23通達の違憲・違法性を判断していただきたく要望します。
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