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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

《反原発》 公害と御用学者

2011年10月20日 | フクシマ原発震災
 国学院大学経済学部教授 市民エネルギー研究所 菅井益郎さんに聞く<中>
 ▼ 《反原発》 公害と御用学者


 案外、被災者の中には原発事故を天災の延長と思っていて、怒りをもつ人が少ないようです。いつまでもこんなことに関わっていたくない、考えないようにしようという人も出ています。放射能の恐さを忘れたいと思っている人、放射能の危険のある所に住むより移住を考えている人もいます。
 避難区域の人も自主避難の人も、生活ができなくなったのは放射能のせいなのだから全員が補償されるべきです
 実は、補償の線引き公害問題の常でした。1955年に表面化した森永砒素ミルク事件は、当初、典型的な症状以外は切り捨て、亡くなった140名と重篤な被害者しか補償しませんでした。
 それが14年間の沈黙を破って一挙に社会問題化しました。大阪の保健婦さんが体の弱い子の家庭訪問をして森永のミルクを飲んでいたという共通点を発見し、被害者の闘いが始まりました。
 全国的に不買運動が展開され、1974年に和解に達し、被害者、森永乳業、厚生省の3者の合意で財団法人「ひかり協会」が設立され、森永は基金と毎年の運営費15、16億円を拠出し、数千人の医療費・生活費に充てています。
 そこに至るまでに、被害者は14年間も見捨てられていたことを忘れてはなりません
 水俣病も、チッソと厚生省が補償を特定の症状に限定したことが原因でこじれにこじれました。
 1973年に第1次訴訟判決で勝利しましたが、76年の基準見直しで新規患者は認定されなくなり、1万人を超える被害者が訴訟を起こしました。
 95年には村山内閣で訴訟取り下げを条件に1人260万円で和解、2004年に関西訴訟の最高裁判決が出ました。
 さらに、2010年に民主党政権水俣病終結措置法を作られ、これも訴訟取り下げを条件に一人200万円で和解しました。このとき、チッソを精算会社にして儲かっている液晶部門を切り離しました。それでも補償対象外の人が20万人はいると言われています。
 公害の本質は人権侵害と差別にあります。
 120年前の足尾鉱毒事件も森永砒素ミルク事件も、今回の福島原発事故も構造は同じです。
 村民の暮らしを奪い、子どもや大人の命を奪いました。奪われた命は返ってきません。結局、政府の認定基準と補償額の問題になります
 原発事故では、推進側が年間100ミリシーベルト以下なら心配ないと言い続けていますが、これ以下は補償の認定基準として認めないということが前提となっているのでしょう。
 その代表的人物が長崎大学大学院教授(休職中)で現福島県立医科大学副学長の山下俊一氏とそのグループです。しかも山下氏は、放射能汚染に苦しむ福島県の健康管理委員会の委員長です。公害と御用学者は明治以降現在まで、切っても切れない関係にあります。
 足尾鉱毒事件で生涯闘いの先頭に立った田中正造は、「人権を去って他に公益の湧き出るよしも無し」と、「鉱業停止」を訴え続けました。

『週刊新社会』(2011/10/11)

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