《澤藤統一郎の憲法日記》から
◆ 12月19日に「授業してたのに処分」事件勝訴予定判決と都教委定例委員会
今週の木曜日19日に、「授業してたのに処分」事件訴訟の東京地裁判決が言い渡される。「授業してたのに処分」事件とは、まことに言い得て妙なネーミング。言うまでもなく、教員の本分は授業をすることにある。都立福生高校教員であった福嶋常光さんは、誠心誠意その本分を尽くしていたがために減給6か月の処分を受けた。「授業してたから処分」と言ってもよい。
経緯はこうだ。2005年3月の卒業式において、福島さんは2回目の不起立で減給1か月の処分を受けた。処分を受けると、引き続いて嫌がらせの服務事故再発防止研修の受講を義務づけられる。明らかな思想良心に対する追い打ちの侵害行為だとは思いつつも、これを拒否すればさらなる「職務命令違反」となりかねないのだから、受講せざるを得ない。この再発防止研修は戒告処分者に対しては一般研修で終わるが、減給以上処分を受けた者に対しては、追加して専門研修の受講を命じられる。
福島さんは、滞りなく一般研修は受けたが、専門研修として通知された当日には5時間の授業があった。しかも、どうしても他の教員に代わってもらうことができない。当然の処置として、福嶋さんは都教委に研修の日程変更を申し出た。しかし、都教委は日程変更が可能であったのに、何の理由もなく変更を拒否した。都教委にとって、生徒の授業を受ける権利も、教員がその本分を尽くしたいとする情熱も、何の関心の対象でもなかった。ひたすらに、「日の丸・君が代」強制に抵抗した怪しからん教員に対する徹底した嫌がらせの貫徹だけが関心のすべてであった。
福嶋さんは、戸惑ったが、結局は生徒に対する授業を優先した。こうして、普段通りの授業をしていたことが、減給6月の重い処分となったのである。これが、石原・猪瀬教育行政の実態である。信じられることだろうか。
19日、福嶋さんは必ず勝訴判決を得ることになる。理由を説明するのは煩瑣だが、訴訟の過程が福嶋さんの勝訴が100%確実であることを物語るものとなっている。
予め申し上げておきたい。こんな事件のこんな判決に都教委は控訴してはならない。恥の上塗りをするだけになるのだから。誠実に福嶋さんと生徒や父母たちに謝罪し、こういう馬鹿げた処分をした責任を明確にして、再発防止策を講じなければならない。
ところで同じ19日には、都教委の委員会定期会合が行われる。この席で、7名の教員への再処分が行われる可能性がある。しかし、「授業してたのに処分」事件の如く、都教委の処分はめちゃくちゃであり、既にぽろぽろなのだ。残念ながら、東京地裁判決が13時15分言い渡しであるが、教育委員会は午前10時開催である。だから、よく言っておきたい。その日の午後に、あなた方は全面敗訴の判決を受けることを肝に銘じなければならない。それでも、再処分ができますか。
最高裁で減給処分を取り消された現職の都立高校教員は7名。10月25日、この人たち全員に、改めての戒告処分発令を前提とした「事情聴取」が強行されている。これまで、「再処分をするな」と都教委に申し入れをしてきた。日本共産党東京都議団も都教委第19回定例委員会開催の前日11月27日に「再処分を行わないよう」都教委に申し入れている。
都教委は、最高裁から、違法な行為をした旨断罪された。よくよくのことと、恥じ入らねばならない。謂わば、最高裁からブラック官庁の烙印を押されたに等しい。まずは謝罪し、二度と同じ過ちを繰り返さぬようしっかり反省し、責任者を明確にして、再び違法な処分をすることのないよう再発防止策を講じて公表すべきである。それを、あろうことか居丈高に居直って、再処分とはなんという破廉恥。
よく知られているとおり、憲法39条は、「何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。また、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない」と定める。前段が「遡及処罰の禁止」、後段が「一事不再理」ないしは「二重の危険の禁止」と言われる原則である。後段が本件に直接関わるの問題となる。当然に、本件へのこの条項の適用ないし準用の可否が問題となる。
憲法は、公権力が捜査権や刑罰権という形で発動される刑事事件について定めているが、科刑に類する公権力の発動の場合にも、準用すべきだというのが有力な学説。懲戒処分は当然に含まれると解すべきである。再処分がなされれば、当然にこの点だけで最高裁まで争う大きな裁判になる。
一般職公務員の懲戒処分についての適切な裁判例は見つからない。しかし、「地方公共団体の議会の会議規則中議員懲罰に関する実体規定を、規則制定前の議員の行為に適用し懲罰議決をすることは違法である」とする、1951年4月28日最高裁第3小法廷の除名決議取消請求事件判決(民集第5巻5号336頁)があり、また、1958年9月30日福岡地裁の「地方公共団体の議員に対する議会の懲罰については、刑罰とは異なるけれども、一種の制裁という意味において、同一事実に対し重ねて懲罰を科し得ないという一事不再理の原則が導かれる」としているという判決がある。したがって、すくなくとも、地方公共団体の議員に対する懲罰については、遡及処罰の禁止及び一事不再理という憲法39条の前段後段ともに準用が認められていると言えそうである(「論点体系判例憲法2」など)。
高度な自律権を有している議会の議決において、39条の準用が認められているのであれば、一般職の公務員にたいする自治体の処分についてはなおさら、というべきである。
予め都教委に警告しておきたい。法律論を云々するまでもなく、再処分などはおやめなさい。最高裁裁判官多数の補足意見に耳を傾け、良識ある都民の共感を得る教育行政に姿勢を戻していただきたい。石原後継の猪瀬都政も、この先短いことが明らかではありませんか。
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人はそれぞれに、独自の関心領域をもっている。関心が人と共通することはなかなかにない。だから、自分の関心事を勢い込んでお話ししても、「それがどうした?」「それって、何か大切なことなんですの?」と言われることがオチ。今日の話題は、典型的なその類のオハナシ。
グーグルの検索サイトで、「憲法」というキーワードを打ち込むと、700万件を超えるサイトの標題が紹介される。どのような基準でその順位が付けられるかについては何の知識もないが、700万件のトップテンとなって、冒頭のページに掲載されるとすれば凄いこと、だろうな。そう、思っていた。凄いことではあろうが、できっこないとも。
それが、できたのである。当ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」が、グーグル「憲法」検索サイトで776万件のトップページに掲載された。これは事件だ。但し、極めて個人的なレベルでの「事件」。そして、どう凄いんだか、説明のしようもない。
たまたま、一昨日にトップページ入りに気がついた。本日午前中には、「澤藤統一郎の憲法日記ーarticle9.jp」が第6位。そして、「澤藤統一郎の憲法日記ー日本民主法律家協会」が第7位である。「瞬間最高地位」である可能性が高い。記念に、プリントアウトして保管しておこう。これまで、私のブログをお読みいただいた方には、心から感謝申し上げる。
もし、フロックな順位ではないとなれば、もっと順位が上がる可能性もないではない。ちなみに、不動のトップは「e-gov」の「日本国憲法」。2位が、ウィキペディアの「憲法」。3位が同じくウィキペディアの「日本国憲法」、4位が沖縄タイムスの「憲法講座が花盛り」の記事。そして5位に「憲法条文・重要文書ー国立国会図書館」がある。政府のオフィッシャルな憲法条文提供サイトには勝てそうな気はしないが、もしかしたらウィキペディアを抜くことなら…。今後はウィキペディアがライバルだ、と意気軒昂…。
なのだが、「それがどうした?」「そんなことが、なにか?」と言われれば、「いや、別に。なんということも…」と口ごもるしかないのだが…。
『澤藤統一郎の憲法日記』(2013年12月15日)
http://article9.jp/wordpress/?p=1704
◆ 12月19日に「授業してたのに処分」事件勝訴予定判決と都教委定例委員会
今週の木曜日19日に、「授業してたのに処分」事件訴訟の東京地裁判決が言い渡される。「授業してたのに処分」事件とは、まことに言い得て妙なネーミング。言うまでもなく、教員の本分は授業をすることにある。都立福生高校教員であった福嶋常光さんは、誠心誠意その本分を尽くしていたがために減給6か月の処分を受けた。「授業してたから処分」と言ってもよい。
経緯はこうだ。2005年3月の卒業式において、福島さんは2回目の不起立で減給1か月の処分を受けた。処分を受けると、引き続いて嫌がらせの服務事故再発防止研修の受講を義務づけられる。明らかな思想良心に対する追い打ちの侵害行為だとは思いつつも、これを拒否すればさらなる「職務命令違反」となりかねないのだから、受講せざるを得ない。この再発防止研修は戒告処分者に対しては一般研修で終わるが、減給以上処分を受けた者に対しては、追加して専門研修の受講を命じられる。
福島さんは、滞りなく一般研修は受けたが、専門研修として通知された当日には5時間の授業があった。しかも、どうしても他の教員に代わってもらうことができない。当然の処置として、福嶋さんは都教委に研修の日程変更を申し出た。しかし、都教委は日程変更が可能であったのに、何の理由もなく変更を拒否した。都教委にとって、生徒の授業を受ける権利も、教員がその本分を尽くしたいとする情熱も、何の関心の対象でもなかった。ひたすらに、「日の丸・君が代」強制に抵抗した怪しからん教員に対する徹底した嫌がらせの貫徹だけが関心のすべてであった。
福嶋さんは、戸惑ったが、結局は生徒に対する授業を優先した。こうして、普段通りの授業をしていたことが、減給6月の重い処分となったのである。これが、石原・猪瀬教育行政の実態である。信じられることだろうか。
19日、福嶋さんは必ず勝訴判決を得ることになる。理由を説明するのは煩瑣だが、訴訟の過程が福嶋さんの勝訴が100%確実であることを物語るものとなっている。
予め申し上げておきたい。こんな事件のこんな判決に都教委は控訴してはならない。恥の上塗りをするだけになるのだから。誠実に福嶋さんと生徒や父母たちに謝罪し、こういう馬鹿げた処分をした責任を明確にして、再発防止策を講じなければならない。
ところで同じ19日には、都教委の委員会定期会合が行われる。この席で、7名の教員への再処分が行われる可能性がある。しかし、「授業してたのに処分」事件の如く、都教委の処分はめちゃくちゃであり、既にぽろぽろなのだ。残念ながら、東京地裁判決が13時15分言い渡しであるが、教育委員会は午前10時開催である。だから、よく言っておきたい。その日の午後に、あなた方は全面敗訴の判決を受けることを肝に銘じなければならない。それでも、再処分ができますか。
最高裁で減給処分を取り消された現職の都立高校教員は7名。10月25日、この人たち全員に、改めての戒告処分発令を前提とした「事情聴取」が強行されている。これまで、「再処分をするな」と都教委に申し入れをしてきた。日本共産党東京都議団も都教委第19回定例委員会開催の前日11月27日に「再処分を行わないよう」都教委に申し入れている。
都教委は、最高裁から、違法な行為をした旨断罪された。よくよくのことと、恥じ入らねばならない。謂わば、最高裁からブラック官庁の烙印を押されたに等しい。まずは謝罪し、二度と同じ過ちを繰り返さぬようしっかり反省し、責任者を明確にして、再び違法な処分をすることのないよう再発防止策を講じて公表すべきである。それを、あろうことか居丈高に居直って、再処分とはなんという破廉恥。
よく知られているとおり、憲法39条は、「何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。また、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない」と定める。前段が「遡及処罰の禁止」、後段が「一事不再理」ないしは「二重の危険の禁止」と言われる原則である。後段が本件に直接関わるの問題となる。当然に、本件へのこの条項の適用ないし準用の可否が問題となる。
憲法は、公権力が捜査権や刑罰権という形で発動される刑事事件について定めているが、科刑に類する公権力の発動の場合にも、準用すべきだというのが有力な学説。懲戒処分は当然に含まれると解すべきである。再処分がなされれば、当然にこの点だけで最高裁まで争う大きな裁判になる。
一般職公務員の懲戒処分についての適切な裁判例は見つからない。しかし、「地方公共団体の議会の会議規則中議員懲罰に関する実体規定を、規則制定前の議員の行為に適用し懲罰議決をすることは違法である」とする、1951年4月28日最高裁第3小法廷の除名決議取消請求事件判決(民集第5巻5号336頁)があり、また、1958年9月30日福岡地裁の「地方公共団体の議員に対する議会の懲罰については、刑罰とは異なるけれども、一種の制裁という意味において、同一事実に対し重ねて懲罰を科し得ないという一事不再理の原則が導かれる」としているという判決がある。したがって、すくなくとも、地方公共団体の議員に対する懲罰については、遡及処罰の禁止及び一事不再理という憲法39条の前段後段ともに準用が認められていると言えそうである(「論点体系判例憲法2」など)。
高度な自律権を有している議会の議決において、39条の準用が認められているのであれば、一般職の公務員にたいする自治体の処分についてはなおさら、というべきである。
予め都教委に警告しておきたい。法律論を云々するまでもなく、再処分などはおやめなさい。最高裁裁判官多数の補足意見に耳を傾け、良識ある都民の共感を得る教育行政に姿勢を戻していただきたい。石原後継の猪瀬都政も、この先短いことが明らかではありませんか。
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人はそれぞれに、独自の関心領域をもっている。関心が人と共通することはなかなかにない。だから、自分の関心事を勢い込んでお話ししても、「それがどうした?」「それって、何か大切なことなんですの?」と言われることがオチ。今日の話題は、典型的なその類のオハナシ。
グーグルの検索サイトで、「憲法」というキーワードを打ち込むと、700万件を超えるサイトの標題が紹介される。どのような基準でその順位が付けられるかについては何の知識もないが、700万件のトップテンとなって、冒頭のページに掲載されるとすれば凄いこと、だろうな。そう、思っていた。凄いことではあろうが、できっこないとも。
それが、できたのである。当ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」が、グーグル「憲法」検索サイトで776万件のトップページに掲載された。これは事件だ。但し、極めて個人的なレベルでの「事件」。そして、どう凄いんだか、説明のしようもない。
たまたま、一昨日にトップページ入りに気がついた。本日午前中には、「澤藤統一郎の憲法日記ーarticle9.jp」が第6位。そして、「澤藤統一郎の憲法日記ー日本民主法律家協会」が第7位である。「瞬間最高地位」である可能性が高い。記念に、プリントアウトして保管しておこう。これまで、私のブログをお読みいただいた方には、心から感謝申し上げる。
もし、フロックな順位ではないとなれば、もっと順位が上がる可能性もないではない。ちなみに、不動のトップは「e-gov」の「日本国憲法」。2位が、ウィキペディアの「憲法」。3位が同じくウィキペディアの「日本国憲法」、4位が沖縄タイムスの「憲法講座が花盛り」の記事。そして5位に「憲法条文・重要文書ー国立国会図書館」がある。政府のオフィッシャルな憲法条文提供サイトには勝てそうな気はしないが、もしかしたらウィキペディアを抜くことなら…。今後はウィキペディアがライバルだ、と意気軒昂…。
なのだが、「それがどうした?」「そんなことが、なにか?」と言われれば、「いや、別に。なんということも…」と口ごもるしかないのだが…。
『澤藤統一郎の憲法日記』(2013年12月15日)
http://article9.jp/wordpress/?p=1704
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