パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

千葉県自主避難者訴訟、原告の「生活と人権の訴え」

2018年10月10日 | フクシマ原発震災
  たんぽぽ舎です。【TMM:No3473】地震と原発事故情報
 ▼ 原告証言を真心で受け止められるか裁判官
   ~千葉県自主避難者の損害賠償集団訴訟の結審

菊池嘉久(戦争はいやだ!市川市民の会)

 去る8月30日、84名満席の傍聴者の下で、千葉県自主避難者の損害賠償集団訴訟の結審と原告5人の証言が行われ、原告5人が最後の証言に臨みました。私が耳にした証言のどれもが、正直で、本音で、事故前のように生きたい人権の訴えでした。
 Aさんは、除染作業の「いい加減ぶり」を訴えながら、自給自足の野菜・山菜・果物・川魚等が食べられない「ふるさと」になってしまった。国の責任で「元のふるさと」を返してほしい、と。
 Bさんは、何の心配もない普通の家族生活が、自主避難生活をはじめ、病名もつかない体調悪化、「福島出身」が理由の派遣切や子どもの不登校、等々に追いまくられ「ふつう」を失った、と。
 Cさんは、患っていた子宮がんが原発事故後症状悪化へ、子どもの被曝心配で自主避難へ。自宅周辺には未除染地域も多く、またその数値も住民に周知されていない。予定されていた再婚話も消えた。
 Dさんは、生々しい実情を述べた後、結婚して以来、仕事も家も子育ても「このふるさと」のために頑張れたのに、それがすべて無くなったんです!人生が大きく変わったんです! 原発誘致の折、「国のために役立てた」と誇らしかったおじいちゃんおばあちゃんは今、国から裏切られているんです!と涙していた。「なぜ還らないんだ?」と簡単に言わないでください!
 以上を耳にして私は、裁判後の報告集会で発言したいことが、沸き上がりました。原告の原告のみなさんの、これほどの「生活と人権の訴え」に対する感謝と評価は当然ながら、高い所に座る裁判官たちの「受け止め方についての希望」を、訴えたかったからです。
 私の偏見に過ぎないことを願いますが、あの席に座るようになった彼らは今、今日の原告証言を「人間としての真心」をもって素直に受け止める感性を保持できているのだろうか?という疑念があるからです。
 つまり、エリートコースを歩んできたが故に「己の立ち位置」をわきまえ、そしてまたその故に揺れ動く「個人としての情や感性」を押し殺すことを「職務」と理解できている彼らは、証言による被害者の実態を「我がこととして」受け止め、自身の「職務」を少しでもふりかえっただろうか、という視点が不可欠、と思います。
 法理主義の裁判官たちの「裁判姿勢」の変転こそが勝利判決を生むと思います。
 逆に考えると、「原告証言」が、「望まれる職務」の名においてがんじがらめにされている裁判官の心を、「人間的」に解いていく役割をもてたか?問われることだと思います。
 裁判官の生き方を揺さぶったかもしれない「証言」を訴えてくださった原告証人のみなさん、ありがとうございました。
コメント    この記事についてブログを書く
« Q&A最低賃金とは?再入門... | トップ | <情報・沖縄を誹謗中傷する... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

フクシマ原発震災」カテゴリの最新記事