いま、ここからのソリダリティ-連帯-
◇ 高校無償化廃止で子どもの夢を奪わないで
二〇一〇年に始まった高校の授業料無償化がわずか二年で廃止の危機にさらされている。民主党政権が生まれて、数少ない成果だと思っていただけに失望は大きい。
制度導入時、文部科学省は「社会全体であなたの学びを支えます」と高らかに打ち上げた。この理念に共感した。少子高齢化が進み、貧困も広がる中で、若者の学びを社会が支えることは、何をおいても重要だと思うからだ。
長く貧困の現場を取材する中で、貧困の中で学ぶことをあきらめざるを得ない若者をたくさん見てきた。
三年前に取材した全日制普通科の都立高に通っていた女子生徒(当時二年生)は、両親が離婚して母と妹との三人暮らしだった。リーマン・ショックで、町工場の事務員をしていた母が解雇された。月五万円の養育費を送っていた父も製造派遣の仕事で雇い止めに遭い送金できなくなった。母子家庭手当を含め月二六万円の収入は半分に減った。
バス通学を自転車通学に変えたり、塾をやめるなど生活を切り詰めても就学が厳しい。部活を辞め、放課後に写真店とファストフード店のアルバイトを掛け持ちしてなんとか高校に通っていた。
「どうしても大学で環境学を学びたい」。二つもバイトを掛け持ちする懸命さのわけを尋ねると彼女は恥ずかしそうに言った。毎晩午後一一時に帰り午前二時まで勉強し、午前六時に学校に向かった。大学進学の夢がぎりぎりの生活を支えた。
彼女の他にもこんな若者はたくさんいた。特に定時制で学ぶ生徒たち。
「お金を借りまくって授業料を納め、ようやく進級した」。
「家族の食費か授業料かと考えたら食費にしないといけなかった」。
それぞれが必死で学び、生きていた。
生徒たちは一様に「最低限、高校を出ないと仕事に就けない」とロにする。そうした生徒たちだったが、授業料を払えずに学ぶことをあきらめる生徒たちが少なからずいた。
生徒たちに無償化は希望だった。
首都圏の定時制高校に通う生徒たちが作った首都圏高校生集会実行委員会が高校生を対象にした無償化のアンケート(回答数九〇一)で、無償化になり「助かった」と回答したのが全日制で五三%、定時制で六七・一%にも及んだ。
だが、高校無償化は、民主、自民、公明の三党が八月の三党合意で、二〇一二年度以降の制度のあり方を「政策効果の検証を基に、必要な見直しを検討する」とした。たった二年の実施で、いかなる基準を持って“効果”を検討するのだろうか。教育は風邪に風邪薬を飲んだようにすぐに“効果”をはかれるものなのか。自民党が主張する無償化の廃止が前提にあるのは明らかだ。
九月一四日に全教、日高教などが無償化の見直しに反対する集会を開き、定時制の高校生を始め一〇〇人以上が参加した。
神奈川県の定時制教諭は、
「貧しい人がより多くの賃金を得るには資格が必要。けれど貧しさでその資格すら取れない。本人の意欲ではどうにもならない」、
「将来、社会に役立つために学んでいる。なぜ、そこに授業料がいるのか」、
「学びたいとの思いに制限があってはいけない」
などの生徒の声を紹介した。
生徒たちの声を聞き、アルバイトを掛け持ちした女子生徒を思い出した。彼女は受験間際まで働き続け、バイトの貯金と奨学金で何とか夢をかなえた。ささやかな合格祝いを届けたとき、「よく頑張ったな」と言うと、彼女は目に涙をためた。
「学校の先生も東海林さんも褒めてくれるけれど、本当は勉強以外は頑張らなくても良いのが当たり前の社会じゃないですか」。
仕送りできなくなった父に「父のせいではない」と言い、バイトの掛け持ちも「何でもない」と不満も愚痴も言わなかった彼女の心の底に触れたようで胸が締め付けられた。
「学びを社会で支える」と言った方々。あなた方が言った言葉の重みをかみしめて下さい。
『週刊金曜日』(2011/10/28 869号)
◇ 高校無償化廃止で子どもの夢を奪わないで
東海林 智(とうかいりんさとし)
新聞労連(日本新聞労働組合連合)委員長、毎日新聞社会部記者
新聞労連(日本新聞労働組合連合)委員長、毎日新聞社会部記者
二〇一〇年に始まった高校の授業料無償化がわずか二年で廃止の危機にさらされている。民主党政権が生まれて、数少ない成果だと思っていただけに失望は大きい。
制度導入時、文部科学省は「社会全体であなたの学びを支えます」と高らかに打ち上げた。この理念に共感した。少子高齢化が進み、貧困も広がる中で、若者の学びを社会が支えることは、何をおいても重要だと思うからだ。
長く貧困の現場を取材する中で、貧困の中で学ぶことをあきらめざるを得ない若者をたくさん見てきた。
三年前に取材した全日制普通科の都立高に通っていた女子生徒(当時二年生)は、両親が離婚して母と妹との三人暮らしだった。リーマン・ショックで、町工場の事務員をしていた母が解雇された。月五万円の養育費を送っていた父も製造派遣の仕事で雇い止めに遭い送金できなくなった。母子家庭手当を含め月二六万円の収入は半分に減った。
バス通学を自転車通学に変えたり、塾をやめるなど生活を切り詰めても就学が厳しい。部活を辞め、放課後に写真店とファストフード店のアルバイトを掛け持ちしてなんとか高校に通っていた。
「どうしても大学で環境学を学びたい」。二つもバイトを掛け持ちする懸命さのわけを尋ねると彼女は恥ずかしそうに言った。毎晩午後一一時に帰り午前二時まで勉強し、午前六時に学校に向かった。大学進学の夢がぎりぎりの生活を支えた。
彼女の他にもこんな若者はたくさんいた。特に定時制で学ぶ生徒たち。
「お金を借りまくって授業料を納め、ようやく進級した」。
「家族の食費か授業料かと考えたら食費にしないといけなかった」。
それぞれが必死で学び、生きていた。
生徒たちは一様に「最低限、高校を出ないと仕事に就けない」とロにする。そうした生徒たちだったが、授業料を払えずに学ぶことをあきらめる生徒たちが少なからずいた。
生徒たちに無償化は希望だった。
首都圏の定時制高校に通う生徒たちが作った首都圏高校生集会実行委員会が高校生を対象にした無償化のアンケート(回答数九〇一)で、無償化になり「助かった」と回答したのが全日制で五三%、定時制で六七・一%にも及んだ。
だが、高校無償化は、民主、自民、公明の三党が八月の三党合意で、二〇一二年度以降の制度のあり方を「政策効果の検証を基に、必要な見直しを検討する」とした。たった二年の実施で、いかなる基準を持って“効果”を検討するのだろうか。教育は風邪に風邪薬を飲んだようにすぐに“効果”をはかれるものなのか。自民党が主張する無償化の廃止が前提にあるのは明らかだ。
九月一四日に全教、日高教などが無償化の見直しに反対する集会を開き、定時制の高校生を始め一〇〇人以上が参加した。
神奈川県の定時制教諭は、
「貧しい人がより多くの賃金を得るには資格が必要。けれど貧しさでその資格すら取れない。本人の意欲ではどうにもならない」、
「将来、社会に役立つために学んでいる。なぜ、そこに授業料がいるのか」、
「学びたいとの思いに制限があってはいけない」
などの生徒の声を紹介した。
生徒たちの声を聞き、アルバイトを掛け持ちした女子生徒を思い出した。彼女は受験間際まで働き続け、バイトの貯金と奨学金で何とか夢をかなえた。ささやかな合格祝いを届けたとき、「よく頑張ったな」と言うと、彼女は目に涙をためた。
「学校の先生も東海林さんも褒めてくれるけれど、本当は勉強以外は頑張らなくても良いのが当たり前の社会じゃないですか」。
仕送りできなくなった父に「父のせいではない」と言い、バイトの掛け持ちも「何でもない」と不満も愚痴も言わなかった彼女の心の底に触れたようで胸が締め付けられた。
「学びを社会で支える」と言った方々。あなた方が言った言葉の重みをかみしめて下さい。
『週刊金曜日』(2011/10/28 869号)
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